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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter4】千の風と百億の星
29/37

(8)

 翌朝、ハルは久しぶりに派手に遅刻した。特捜班の島に着いていちばんに知らされたのは、ジョナサン・ケントが遺体で発見され、解剖室に運び込まれているという情報だった。レイはすでに行っているとディックに言われ、あわてて階段を駆け下りる。

 検死の担当はパトリシアだった。すでに遺体は冷蔵庫に収められていたが、周囲に漂う腐臭から、そうとうひどい状態だったことが察せられる。CVの影響がまだ完全に抜けておらず、ハルは胸のむかつきをおぼえて喉元に手を当て、室内を見まわした。

「……レイは?」

「十五分くらい前に、青い顔で出ていったわ。新人くんにしては頑張ったほうじゃない?」

「あいつはもう新人じゃないよ」

「そう?」

 パトリシアは首をかしげ、観察するようにハルの顔を眺めた。

「ひどい顔ね、ハル。無理をしているんじゃない?」

「マーリンズの連敗が効いてるだけさ」

「……あなたはなんでも、そうやってすぐにごまかす」

 沈黙が落ち、ハルはパトリシアの伏せられた長いまつげを見つめた。

「パット、あのな、俺たちのこと――」

 ハルの言葉は、解剖室のドアが開く音に遮られた。ステンレス製のドアからパトリシアの助手が入ってきて、ハルに気づいて軽く会釈をし、パトリシアに顔を向けた。

「もう一体、検死要請が来そうですよ。他殺らしいから見に行かないとならないかも。今日は朝から忙しいですね」

「わかったわ」

 パトリシアはハルのほうを見ずに、早口で告げた。

「ジョナサン・ケントは自殺の可能性が高いわ。でも死後およそ三十日と日数がたちすぎているから、現場検証の結果も合わせないと」

「また自殺なのか」

「つらいことが多い世の中ね。詳しい結果は午後になるわ」

 だから出て行けと暗に告げられ、ハルはうなじを撫でながら解剖室をあとにした。結局、パトリシアになにも言えなかった。

 のろのろと科学捜査班のラボに足を向ける。ガラスの壁を隔てた向こうに、ハルは探していた男の姿を認めた。ラボにもすっかりなじんだらしく、女性スタッフと気さくに話している様子がうかがえる。

 署員のなかには当初、クラーク一族であるレイを、ねたみまじりの偏見の目で見ている者も多かった。それにはハルも含まれる。だが配属からひと月がたったいまは、垣根はもうないように見えた。

 レイがこちらに気づき、軽く手を振る。

 あの男はいつ見ても楽しげだなと、ハルは内心で苦笑する。いや、まじめな顔のときも、怒っているときもあるのだが、共通の〝生命力〟を――鼓動を感じさせるのだ。マンダラ・クリスタルのメンターなら、オーラとかバイブレーションとか表現するだろうものが、レイにはたしかにある。

 俺とあいつはその点で対極にあるなと考えながら、ハルは手をあげて応え、ガラスドアを開けてラボに入った。

 科学捜査班の女性スタッフがテーブルに広げていたのは、ジョナサン・ケントの遺体があった現場の遺留品だった。場所はセントレアから百五十キロ以上も離れたソルブライト郡のはずれの、廃業したモーテルの一室。捜査担当部署がまだ正式に決まっていないのをいいことに、レイはスタッフを丸めこんで見せてもらっていたらしい。まったく、高スペックの男は得だ。

「先輩、これなんだと思います?」

 レイがにやりとして、証拠品パックのひとつを示した。

「目、だな。アリスの」

 サファイアの瞳が、そこにあった。本体から取り外され、部品のひとつになってはいたが、その輝きにどきりとさせられる。

「そして眼球のなかにあったのがこれ」

 レイが示した別な証拠品パックには、小指の先ほどのカメラらしきものと、フォロチップがおさめられていた。

「ありがとう、スージー。今日のいちばんの収穫は、いつもキュートで親切なきみにこれを見せてもらえたことだな。またよろしく」

 スタッフに特上の笑みを向けたレイのまわりに、映画の特殊効果のようなキラキラが舞ったように、ハルには見えた。……もちろん気のせいに違いない。

 レイはスタッフに軽く手を振り、ハルの腕をつかんで歩き出した。ラボを出て階段をのぼりながら、ハルはけげんな面持ちで相棒を見る。

「おまえ、いまのは天然か? それとも意図してやってるのか?」

「え? ぼくがいまなにかしましたか?」

 天然だな、とハルはうなずく。

「それより、さっきの見たでしょ? 前にアリスの回収をしたときに仕様書を確認したんですが、あの目は人間のようにカメラになってはいないはずなんです。アリスの視覚センサーは全身の十二カ所の皮膚の下に、表からは見えないように配置されていて、視覚情報はそれを統合して取得している。でもあの目にはカメラが入っていた。ただしフォロチップは真っ白でデータは入っていなかった」

「……そのカメラはアリス自身のためのものじゃないってことか」

 レイはうなずいた。

「アリスには盗撮の機能があった。それを使ったかどうかはわかりませんが」

「だったら、ジョナサン・ケントは自殺じゃない可能性もあるな」

「ええ。ぼくが配属された日に起きた事件と、関わりがあるのかもしれない。検死によれば、死亡したのもその前後らしいし」

 ハルは顔をしかめて髪をかきあげる。

「……とりあえず、捜査担当が決まってからだな。というか、もう決まっていてもいいはずだが。上はなにをもたもたしてるのか」

「上に報告したら、うちにまかせてもらえますかね?」

 ぎくりとして、ハルは思わず足を止める。数歩先でレイが立ち止まり、振り返った。

「どうかしました?」

「いや。……この件の報告は俺にまかせてくれ」

「了解」

 ずっとあの事件が気になっていたんで、とレイは続けた。

「担当がうちじゃなくても、解決したらお祝いしましょう」

「祝うようなことか?」

 レイは肩をすくめた。

「ぼく的なけじめをつけたくて。特捜班に来て最初の事件だったから。先輩もつきあってくださいよ」

「……おう、解決したらな」

 そう答えながらハルは、自分が最低の卑怯者のような気がしていた。

「解決と言えば、軌道エレベーターのニュースは聞きました?」

「結局、ハミルトン島への関連施設誘致は立ち消えになったのか?」

 当事者だったバロウズ議員の汚職疑惑はエドガー・バージェスの策略だったと判明し、誘致反対派がふたたび息を吹き返していた。

「ええ。でも原因はバージェス社長じゃなく、計画自体の見直しが発表されたことで。まあたしかにヨーロッパ連合は建設地から遠いし、その割に分担金が多額だから文句を言いたい気持ちはわかります。うちの市は大損だな」

 地球連邦は大きな枠組みとしてひとつになったものの、中身は依然として旧国家や地域連合のゆるやかな連帯といった域にとどまっている。水面下の綱引きはときに大きな波紋を表層にもたらし、地方都市の思惑など簡単にのみこんでしまう。

 七階に着き、ふたりは階段室を出てオフィスのほうへと廊下を歩きだした。

「遠足気分で月に行ける日はまだまだ先そうですね」と、レイは言って息を吐いた。

「そうだ、ルナホープ行きはクリスマス休暇の頃でいいですか? 混むから早めに予約しないと」

「その頃に面倒な事件が起きないことを祈らないとな」

 休憩室に寄ると告げ、ハルはレイを先に行かせた。自販機の前に立ち、自分はクリスマスをどこで迎えることになるのだろうと考えた。


 ◆


 午後は強制的に医務室を訪ねさせられた。カウンセリングの呼び出しを無視していたら、総務から俗に言う〝イエローカード〟という書類が届いたのだ。メンタルに問題があるという警告状で、カウンセラーから異常なしの診断をもらわないと、銃などの装備の携帯許可が取り消される。

「疲れた顔だね、デイビス。眠れているのかい?」

 医務室の奥のカウンセリングルームで、ソファに腰を下ろしたハルに、バロウズ医師が向かいの肘掛け椅子から開口一番に訊いた。

「ああ……ゆうべはちょっと、マーリンズ連敗のショックが尾を引いて」

「わかるよ。ホーガンは打てないなら、せめてエラーをしないでほしいものだよねえ」

 飲み物はソーダかアイスティか、と訊かれて、ハルはソーダを選んだ。医師は立ち上がって部屋の隅にある冷蔵庫のところに行き、ソーダを注いだグラスを両手に持って戻ってきた。ひとつをハルの前に置き、ガラステーブルをはさんだ向かいに自分も座って、グラスを口に運ぶ。

 ハルは礼を言ってグラスをとり、泡の立つ透明な液体を眺めてから、ゆっくりとひと口飲んだ。

「ところで、その後はどうかな。後輩とはうまくやれている?」

 医師のエメラルド色の瞳は、妹である上司のものとよく似ていた。カイル・バロウズは妹と面差しも似ていてハンサムだ。年齢は四十過ぎだが、もっと若く見える。

 ハルはグラスをテーブルに置き、ソファにもたれた。

「問題ありません。クラークは優秀だし、素直で覚えも早い」

「レッドカードはきみが要請したんだったね。それについてはわだかまりはないのかい?」

「先生はクラークとも話しているでしょう。彼はなんて?」

 医師は椅子の背もたれに体をあずけ、考える顔つきになる。

「ほかのクライアントの話はできないよ。知ってるだろう。自分の話はしたくない? わたしは信用に足らない人間ってことかな」

 そう言ってから、バロウズ医師ははっとした顔になり、すまなかったと謝った。

「こんなことをクライアントに言うなんて、医師失格だな。きみはアーケイディアの部下だから、つい……身内のような気がしてしまってね」

 その後、規定の三十分をなんとかやりすごし、ハルは医務室を出て重いため息をついた。

 特捜班の島に戻り、エイミーに頼み事をしようと、引き出しからフライングアイを取り出す。遠隔操作できる高性能タイプではなく、自律飛行で適当に撮り流して動画を送信する、使い捨てタイプだ。こんな簡単なものでどこでも盗み撮りができるのだから、恐ろしい世の中だとハルは考える。悪用の仕方ならすぐに百通りくらい思いつく。政府の使用規制が入るのも時間の問題だろう。

 彼はピンセットで蓋をはずし、用意してきた電池を古いものと交換して、まち針の頭のようなスイッチを押した。フライングアイは小さな羽を展開して蜂のようにはばたかせ、低いうなりをあげて浮き上がった。

 どこからともなく現れたアルジャーノンがフライングアイに突進し、器用に口でとらえて部屋の隅にさらっていった。

「こら! 返せよアルジャーノン」

 オフィスの入口から入ってきたレイが短く口笛を鳴らし、ペーパーカップを持っていないほうの手を差し上げる。トカゲは悠々とオフィスの上空を横切り、レイの手に舞い降りて喉を鳴らした。

「よくなついたもんだよな……」

「妬けますか?」

 ハルのそばに来たレイは、にやりとしてからアルジャーノンをハルの肩に移し、自分の席に戻った。コーヒーのカップを机に置き、目を閉じて椅子の背に体を預けて、なにか考えている。

 ハルはトカゲからフライングアイを取り上げ、宙で指を離した。羽が少し傷んだのかちょっとふらつくが、まだ問題なく飛べる。そこへまたアルジャーノンが突進してとらえる。トカゲはどうやら、この小さなマシンを昆虫の仲間と思っているらしい。

 ちょうど外から帰ってきたエイミーがおもしろがり、トカゲと空飛ぶおもちゃを自分の机へ持っていってしまった。ハルは彼女を追いかけ、頼み事をして息をついた。

「そうだ、先輩。今日これが届いたんですよ」

 隣でレイが、得意げにプラスチックのケースを掲げてみせた。ハルは目を丸くする。

「Fバイザーか。いつのまに認定試験を受けたんだ?」

「先週。先輩を驚かせようと思って、内緒で受けました」

 レイはケースを開けてバイザーを取り出し、うれしそうに装着してみせる。

「別に驚かないぞ? ちょっと抜けてるところはあるが、おまえはエリートなんだし」

「先輩はいつもひと言よけいだ」

「みんな、勤務が引けたらスポーツバーに行かないか? 今日はアウェイでブラックサンズ戦だ。飲みながら応援しよう」

 ディックの提案に、全員が賛成する。

「われらがマーリンズのぶざまな三連敗は見たくないんだけれど」

 通りかかったアーケイディアが眉をひそめ、頭を振って豊かな巻き毛を揺らす。

「ブラックサンズは監督の不倫問題でチームが大揺れだからね、大丈夫だよ」とディック。

「そういう敵失頼みってのも情けないですよね。ホーガンはいつ復調するのかな」

 レイは言い、コーヒーを口にして顔をしかめた。

「ほんとそーだよね! 先週までの大当たりはなんだったんだろ? ここ三試合の打率、一割八分ってひどすぎない? しかもエラーして得点献上とか、ふざけんな!って感じ」

 エイミーの言葉に全員がこくこくとうなずく。そして口々に、ホーガンの打順を下げろとか、マイナーで修行し直せとか勝手に述べ立てる。

「うるせーぞオメガ、ホーガンは打つ! 今夜の奴は別人の予感だ!」と、呼ばれてもいないのにベスターが来て茶々を入れる。

 そんな様子を、スクリーンを隔てたドラマのように自分が眺めていることに、ふとハルは気づいた。

 平和な日常の光景が、ひどく遠く、空虚な幻想に見えた。


 たった一錠の薬で、世界が変わってしまっていた。


 後悔はしないと、彼は自分に言い聞かせた。

 新しい夜明けを迎えるために――明日、己が在るために必要な道を、自分は選んだのだ。


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