(4)
「ほらな? 結局インチキのデタラメの霊感商法だっただろ?」
マッハ・ダイナスティでダウンタウンへと戻るあいだに、怒りを抑えかねたハルは文句を言いつづけていた。
「なにが第三銀河だ。答えはそれぞれの心のなかになんて、玉虫色の答えで誰が納得するんだ?」
「まあ、もう忘れましょうよ。クッション占いはおもしろかったし」
「俺は全然おもしろくなかったぞ。あんな玉虫色の占い、誰だって思い当たることのひとつやふたつある。それで当たってるとか思うほうがアホだぞ?」
「それでも、背中を押してもらう効果はあると思うんですよ。……先輩、これから少し時間ありますか?」
レイの言葉にいつもとは違う遠慮が感じられ、ハルは前の男のヘルメットに包まれた後頭部を眺めた。風になびくしっぽはなにも語ってはくれない。
「ああ。どうせ帰っても今日の試合の録画見るくらいだし」
《本日のマーリンズは四番ホーガンの不調が響き、一対〇で惜敗しました》
ヘルヴァが自慢げな声で割り込んでくる。
「なにネタバレしてんだよ、ヘルヴァ。録画見る気が失せるだろーが」
《はっ。もしかして、これが〝よけいなお世話〟というものでしょうか》
「わかってんじゃねーか。試合の結果とかミステリー小説の結末とか、相手が知りたくないのに教えると嫌われるぞ?」
《勉強になります、ミスター・デイビス》
レイがくすくす笑いのあとに、改まった口調で言った。
「時間があるならちょっとつきあってください。紹介したい人がいるんです」
「いかした女なら歓迎だ」
「そりゃもう、最高にいかした女性です」
きっぱりと言い切って、レイは私用の携帯端末でどこかへメールを送った。
◆
風が吹いている。潮を含んだ夜風は重く、ひとけのない砂浜に響くのは、ただ波の音だけだ。ハルは明かりもまばらな海岸の風景を見まわし、首をかしげた。
「最高にいかした女はどこにいるんだ?」
ふたりは市街地を離れ、セントレアの北のはずれにあるビーチに来ていた。
「あそこに」
レイが上を指さす。ハルは空を見上げた。満天の星。南の市街地のほうは明るいが、今夜は月もなく、銀河もきれいに見える。ハルは視線を下げ、私用の携帯端末を調整しているレイにうろんなまなざしをそそいだ。
「……おまえも第三銀河の四次元生命体と交信できるとか、言い出すんじゃないだろうな?」
「ぼくにはその手のインスピレーションはなさそうです。……よし、オーケイ」
レイは視線を下に向けて大きめの石を拾い、平らな面を上にして、携帯端末を置いた。
「座ってください、先輩」
ハルの手を引っぱり、砂浜に腰を落とさせる。自分も隣に座り、カメラがこちらを向くように調整した。
レイの携帯端末は最新型で、広い仮想ディスプレイが前面に立ち上がる仕様になっている。そこに表示されたアイコンから、衛星電話だとわかった。
レイが仮想ディスプレイに軽く指を走らせて電話を繋いだ。
「おばあさま」
画面に現れた女性が、満面の笑みを向けてくる。
「レイモンド! 待っていたわ」
白くなった髪をきっちりと後ろで束ねており、外見は八十歳に近いと見える。だが笑みはまるで少女のように溌剌として、周囲を明るく照らす華やかさがあった。
背景には大きな窓があり、その向こうにはスカイブルーの地色に白いかたまりの浮かぶ、曲線を描く天体――地球が見える。
「軌道ステーションか?」
ハルが訊くと、レイはうなずいた。
「祖母は宇宙ホスピスで暮らしてるんです」
軌道ステーションは、地上四百キロメートルの軌道域を回る大型施設だ。直径一キロにも及ぶリング状の居住域を回転させることで人工的に重力をつくりだしている。月面や軌道域を回る宇宙工場への渡航の拠点であると同時に、それ自体が観光施設でもある。宇宙から地球を眺めるには、軌道域からがいちばん美しいと言われる。ステーション内のホテルに滞在して地球の眺めを満喫したり、低重力エリアでの無重力体験を楽しんだりするツアーも人気だ。
そこには病院もある。
女性は手にした小型のカメラをこちらに示した。
「ちょうどよかった。まずこれを見て!」
画面が切り替わり、地球が写った。カーブを描く地平線上に、淡いブルーの大気層が見える。白い雲の刷いた上空を、透明なグリーンのリボンが揺らめいている。うねり、絡み合い、またほどけ。揺れるリボンは地球の両極を冠のように取り巻いて、幻想的なダンスを続ける。
オーロラだ。
地上から見るものは、ハルもさまざまな映像で知っている。しかし、宇宙からこうして生で見せられるのは初めてだった。
「いまね、極近くでオーロラ爆発が起きているの。いつ見てもきれいで感動するわ」
太陽から放たれた太陽風が地球の磁場の影響で見せる絵巻は、太陽風が強いほど色も輝きも、動きも派手になる。下には乱雲があるのか雷のフラッシュが明滅し、ときおり流星がそこに彩りを添える。
大気圏と宇宙の境目がこれほど賑やかだとは、ハルには予想外だった。
「オーロラは毎日のように見るけれど、そのたびに色も形も少しずつ違って、同じものには二度とめぐりあえない。でもね、見逃してもまた違うものに出会えるから、嘆くことはないのよ。太陽があって、風が吹いていれば。明日が来て、また新しい一日に会える」
画面が室内に切り替わった。カメラが誰か病院のスタッフに渡されたらしく、老婦人の全身が映る。
「さあ、オーロラはおしまい。お見合いタイムの始まりよ」
丈の長い赤のチュニックにゆったりしたズボン姿で展望室を漂い、くるりと優雅に回ってみせた。
「どうかしらね、レイモンド? めいっぱいおめかししたのよ」
「いつもどおり絶世の美女ですよ、おばあさま」
「ああ、残念だわ。五十年前だったらもっと美人だったのに!」
ふふふ、と少女のように笑う。
「そろそろ紹介していいですか? こちらがぼくの先輩」
「はじめまして、ミセス・クラーク。ハル・デイビスです」
かしこまって、ハルは挨拶した。
「お会いできて光栄だわ、ミスター・デイビス」
画面のなかで、レイの祖母は軽く手を振った。
「でもはじめましての気はしないのよ。いつもレイモンドから話を聞いているから。孫がいろいろとお世話になって、感謝しているわ。ご迷惑もかけているみたいで。もうおわかりだと思うのだけれど、レイモンドはちょっと、というかかなり抜けたところがあるのよ。何度も助けていただいたそうで――」
「おばあさま」
マシンガントークを、レイが遮る。
「いいじゃない、本当のことだもの」
「そうじゃなくて。いっきにしゃべるから、先輩がびっくりしてますよ」
「あらごめんなさい、ついいつもの調子で」
無邪気に言って、改まった表情になった。カメラに手招きして合図すると、顔がズームされる。
「自己紹介がまだだったわね。わたしはメアリー・デイジー・クラーク。レイモンドの祖母よ」
ハルは言葉を失い、画面から目をそらして、隣にいる金髪の男の顔を見た。視線が絡むと、レイは軽く肩をすくめた。
「すてきな名前でしょう?〝デイジー〟」
「……そういうことだったのか」
「どうしたの? わたしがあまりに美人すぎて困惑してしまった?」
老婦人はレイと同じ海の色の瞳をいたずらっぽくきらめかせて、また笑った。
「レイモンドから日本のコインの話を聞いたのよ」と、楽しげに言う。
「調べたら、穴のあいたコインは〝五円〟というのですってね。縁があるようにというお守りだと。日本語で〝縁〟は絆や運命を表すと知って、感動してしまった。出会いは縁だというのは、わたしがいつも言っていることと同じでしょう? ね、レイモンド?」
ハルがいぶかしげなまなざしをレイに向けると、訳知りな笑みが返ってきた。
「祖母の口癖なんですよ。〝どんな経験も出会いも、人生を前へと進むための大切なステップ〟……まさに〝縁〟ですよね」
ハルは身分証からコインを出し、カメラに掲げてみせた。
「祖母からもらったものなんです。長いこと持っていながら、そんな意味があるとは知りませんでした」
「物事はね、すべて繋がっているのよ。人生、過去、未来、時間、空間……生も死も、すべて〝縁〟なの。そして〝円〟には完全という意味もある。そのコインには宇宙があるわ、ミスター・ハル・デイジー・デイビス」
老婦人はほほえみ、ゆるりと宙返りをしてみせる。
「あなたとミドルネームが同じなのも、きっと縁なのよ」
五十年前に会っていたらわたし、あなたに交際を申しこんでいたわ。そう言っていたずらっぽくウインクをする老婦人に、ハルは苦笑して首を振る。
「残念です。俺ももっと早くあなたに会っていれば……」
花の名前を嫌うこともなかっただろう。運命は変わっていたかもしれない。
老婦人は顔をしかめて、人さし指を振ってみせた。
「過去を否定してはだめよ。道は常に、必要なときに前に現れる。過去に選んだ道も、あなたに必要なものだった。いま在るあなたをつくるために」
わたし、あなたにとても感謝しているのよ。自分と同じ名前を持っている男性に会うなんて! しかもその人が、大切な孫息子の恩人だなんて! 人生はいくつになっても驚きと発見がいっぱいね?
どこまでも楽しげな口調に、この祖母がいたからいまのレイがあるのだなと、ハルは納得した。
「恩人というのは違います。むしろ……」
そこだけは、譲るわけにはいかない。だが老婦人は首を振った。
「あなたにはわからないと思うわ。レイモンドが、父親と一緒に電話をくれたときのわたしの気持ちは。クリスマスのプレゼントを五十年分いっぺんにもらったようだった!」
「おばあさま」とレイが口を出す。
「もう恥ずかしいからやめてくださいよ」
「……そうね。でも……本当にうれしかったの。それだけは伝えたくて」
短く息を吐いて、ミセス・クラークはほほえんだ。
それから五分ほど話したところで、ドクターストップがかかったらしく、老婦人は残念そうに別れの言葉を口にした。元気そうにふるまってはいるが、実際は無理をしているのだろう。顎に緊張がうかがえる。
「会えてよかったわ、ミスター・デイビス」
レイモンドのこと、これからもよろしくお願いね、と続けて、老婦人はまたほほえむ。けれども、今度の笑みは明らかな寂しさに支配されていた。
祖母はもう長くないんです。電話を切ると、レイは淡々とそう告げた。
「もともと脚が悪くて。ああいう人だから、病院で寝たきりで最期を迎えるのはいやだと言って、宇宙ホスピスへ行ってしまったんです。地球では車椅子だったけど、ホスピスではああして自由に動けるのがいいって。楽しんでますよ、昔からマイペースな人なんだ」
こちらにいるときは、祖母は気ままに趣味のソフトウェアプログラミングをしたり、絵を描いたりして過ごしていたと、レイは話した。趣味といってもプロ級で、プログラミングではセントレア大学の機械工学の教授と組んで仕事をし、特許もいくつも持っていた。ヘルヴァの基本プログラムは祖母の手になるものだ、と。
ハルはうなずいた。
「遊び心のある知り合いってのは、あのミセス・クラークのことだったのか。妙に納得した」
「でしょ? ヘルヴァは祖母の分身なんです」
「見舞いに行かないのか」
レイは首を振った。
「見栄っ張りなんですよ。弱ってる姿を見せたくないんでしょうね。見舞いには絶対に来るなと」
父親には相当反抗していたらしいレイだが、祖母に対する様子はどこにでもいるような〝おばあちゃん子〟なのが、ハルには意外だった。
「……言えばよかっただろう」
「なにをですか?」
「俺のミドルネームのこと。おまえのおばあさんと同じだと知ってれば、俺だってあんなふうには――」
「デイジーの花言葉、知ってますか?」
いきなりそう問われ、ハルは面食らった。
「んなの知るわけねーだろ」
「でしょうね。〝平和と希望〟です」
「平和と希望……」
あまりにも自分には不釣り合いで、しばし呆然としてしまう。
「ぼくらは似てますよね」
レイは砂浜に仰向けになり、夜空を見上げた。
「どこがだ」
「おばあさんと仲がいいところ。先輩もでしょ? 日本のコインをもらっているくらいだし」
今夜は月が見えないなと、レイは残念そうにつぶやく。
ハルは空を見上げた。
「俺の名前はばあさんがつけたんだよ。俺が八つのときに死んじまったんだけど。ハルは日本語で、春という意味だそうだ」
ハルの祖母は二十歳まで日本で暮らし、その後北米に移った。スペイン系移民の夫と別れ、教師をしながらひとり息子であるハルの父親を育てた。
「春? 全然イメージじゃないんですけど。名前倒れだな」
「うるさいよ」
ハルは腕を伸ばしてレイの頭をこづく。
「セントレアには四季なんてないようなもんなのに、四月生まれだから春って言われてもね。しかも、ハルだけじゃ寂しいから花の名前を添えたっていうから、わけわからん」
「で、からかわれるから花の名前が嫌いなわけですか?」
「理由は……それだけじゃない」
促すようなまなざしで見上げられる。つい答えてしまった理由は、自分でもよくわからなかった。
「その名前のせいで、家族を失ったからだ」