(2)
翌々日の月曜。ハルが本署に出勤すると、エイミーが開口一番に尋ねてきた。
「おかえりハル! ビーチで豚拾ったんだって?」
「拾ったんじゃない、闘ったんだ」
「分署のみんなとバーベキューしたって聞いたよ。いいな~あたしも呼んでくれれば――」
「してねーよ! 拾得物を食ったりしたら背任で懲戒免職になる」
ハルはアルジャーノンのケージへ行き、扉を開けた。腕を差し入れると、止まり木にいたトカゲがぴょんと跳び移る。そのまま肩へよじのぼってきたところを、喉を撫でてやった。アルジャーノンはケケッと鳴いて気持ちがいいと知らせる。
自分の席へ歩きながら、ハルは後ろからついてくるエイミーに言う。
「ったく、どっからのガセネタだよ。遺伝子組み換えで巨大化させた、一トンもある黒豚だぞ? 突進されてきてみろ、半端なく怖いんだぜ。養豚業者を尊敬したよ。次にバーベキューするときは業者に感謝の祈りを捧げてから食う」
「で、どうしたの?」
「ショックパルスで仕留めた。マックスで三発必要だったぞ」
「うわ、動物愛護団体から訴えられるよ?」
「知るか。だったらてめーらがビーチで暴走する化け物豚を止めてみろってんだ」
「でもさー、なんでそんなのがビーチにいたわけ?」
「沖合一キロばかりのところに、パラレルワールドに通じる扉があるんだよ。年に一度、夏至を過ぎて最初の大潮のときにそいつが開くのさ。んで、いろんなものがこの世界に迷いこんでくる」
エイミーはまじまじとハルの顔を見つめた。
「……ほんと?」
嘘に決まっている。答える気にもならず、ハルはエイミーのおでこをぴんと指ではじいた。
「いったぁい!」
ぶつぶつ言いながら、エイミーは自分の席に戻っていった。
アルジャーノンが肩の上で羽を広げ、羽づくろいをする。骨折した場所はまだテープを張ってあるが、だいぶ回復が早いようだ。交番勤務のあいだは本署への出入りも禁じられていたので、アルジャーノンの世話も他のメンバーにまかせていた。
「よしよし。頑張れよ、アルジャーノン。今日は俺がつかまえてきた大物だ」
ハルは机の上にトカゲを置き、その向かいに、広口ペットボトルから出した大きなカマキリを置いた。緑色の二匹の生き物は、互いを警戒してにらみあう。
「人生、刺激も必要だからな」
「先輩、そういうイベントは人の迷惑にならないところでやってくださいよ。食べ残しのカマキリの頭がそのへんに転がってるとか、想像するとぞっとします」
机の脇に立ったレイがひょいと腕を伸ばし、片手でトカゲをつかんだ。もう片方の手でカマキリをつまみあげて窓際に運び、両方一緒にケージに放りこむ。その様子を唖然として見ていたハルに、不敵にほほえんでみせた。
「一週間もあれば慣れますって」
「ずっとレイが世話してくれてたんだよ。ちゃんとお礼言いなよ、ハル」
斜め向かいの席から、エイミーが口をはさんだ。
「……おう、サンキュ」
「どういたしまして。そもそも悪いのはぼくだし」
「違いない」
そのひと言がいつもよけいなんですよ、とレイは怒った顔をした。
そういえば、土曜にこいつがなにか言いかけていたなと、ハルは思い出す。パラグライダーに突っこまれたあとは後始末に手間取り、レイとは話をできないままだった。日曜も分署に出勤して報告をさせられた。休みなしはさすがに疲れる。
ため息をついたところでアーケイディアに呼ばれ、彼女のオフィスに入った。キャビネットから出した捜査用DフォームとFバイザーのケースをハルのほうに押しやって、上司は探るようにハルの顔を見つめた。
「デイビス、赤ちゃんを虐待したって本当?」
「濡れ衣ですよ! 本物の赤ん坊じゃなくマシンドールだったんです」
ハルは上司の机からDフォームを取り、ベルトにとめる。
「このあいだのアリスを見ても、人間そっくりじゃないですか。赤ん坊なんてしゃべる必要もないし、泣き叫んで手足を振り回してればいいんだからもう、人間以上の完成度ですよ。ピュアドールズ社の製品でした。けっこう売れてるらしいです」
答えながら、オフィスに入ったときにおぼえた違和感の原因を考えた。なにかが足りない気がする。
「黒豚のバーベキューはおいしかった? 呼んでくれればよかったのに」
もう否定するのも面倒だ。彼はバイザーのケースをとった。
「カロリーを気にしないなら、次回はお呼びします」
アーケイディアは顔をしかめて、机上のディスプレイに表示されたフォルダを指ではじいた。
「お黙り。仕事をなさい、デイビス」
熊だ。ハルがそう気づいたのは、上司のオフィスを出て、廊下に貼られた市警の警察官募集のポスターを見たときだった。
違和感の正体。先週は上司の机の端に置かれていた制服を着た熊のぬいぐるみが、今日は見えなくなっていた。あれはサイモンがアーケイディアに贈ったものだ。サイモンの影が少しずつ薄くなっていく。去る者は日々に疎しということか。
ぼんやりとたたずんでいたところに、背後から声をかけられる。
「デイビス」
振り向くと、マッキンタイア署長がしかめっ面で立っていた。
「拾得物の船の上でバーベキューをしたというのは本当かね?」
このパターンははじめてだ、などと感心している場合ではなかった。どうも、悪意に満ちたでっちあげが意図的に流されているようだ。
「船は沿岸警備隊に引き渡しました。彼らがそこでなにをしたかは知りません」
ハルは務めて平静な声で返した。
「ちなみに赤ん坊はマシンドールでしたし、黒豚は生きたまま養豚所へ返しました」
「勤務中にパラグライダーで遊んでいたとも聞いたよ?」
「遊んでませんよ! もてあそばれていたのは否定しませんけど」
にやりとして、署長はぽんとハルの肩をたたいた。
「冗談だよ、冗談。沿岸警備隊の隊長がきみの対応を褒めていたよ。漂着船舶は危険だからね、いち早く規制テープを張って保全してくれて助かったって。わたしも鼻が高かった」
「……ありがとうございます」
「黒豚の件も観光客に怪我人が出なくてなによりだった。ぶつかられて打撲したと聞いたが、大丈夫なのかい?」
「はい。もう痛みはありません」
「セントレアはなんといっても、安心安全が売りだからね」と、署長はにっこりした。
次の市長選に出馬するという噂は本当らしいなと、ハルは考えた。各方面にいい顔をして、票集めに勤しんでいるのだろう。ピュアドールズ社やクローンアニマル研究所など、有力企業に恩を売る努力も欠かさないとは、じつにまめだ。
「クラークのこともね、お父さんのミスター・クラークはきみを責めるどころか感謝していたから。あんまり気にしなくていいよ」
「感謝ですか?」
理由がわからず、ハルは首をひねる。それにしても、署長はクラーク家とも繋がりが深いのか。市長選にはまたとない援護になりそうだ。
「まあ、また本署でしっかり働いてくれたまえ。ああ、ドクター・バロウズがカウンセリングを勧めていた。専門家としてわたしも勧めておくよ。気持ちをリセットするのは大切だからね」
じゃあ、と言うと、署長は豊かな腹をゆすりながらアーケイディアのオフィスに入っていった。いつもは署長室に呼び立てるのにとけげんに思いながら、ハルは歩きだした。それにしてもと、顔をしかめる。署長が精神科医の資格を持っているのは知っていたが、絶対にカウンセリングをしてもらいたくはなかった。
特捜班の島に戻ると、机の上にフライングアイが置いてあった。下のメモには大きく×印が書いてある。斜め向かいの席に目をやったが、エイミーの姿はない。出所は突き止められなかったということらしい。
机にはもう一枚メモがあり、木曜日のカウンセリングの時間が総務から指示されていた。通常のメールでは無視されると思ったのか。たしかにメモでもらうほうが切迫感は増す。
ハルはうなじを撫で、首を回して凝りをほぐした。相棒のレッドカードやら懲戒勤務やらで〝心の負担〟が増えたと判断されたに違いなかった。バロウズ医師の心づかいはありがたかったが、よけいなお世話というものだ。
ハルはメモを丸めてそばのくずかごに捨て、胸のポケットから青いガラス片を出して机に置いた。
結局、黒の革張りケースとマリッジリングは拾得品を紛失したという扱いになり、始末書を書かされた。盗まれた可能性が高いとハルは思ったが、監視カメラの視界は野次馬とパラグライダーの翼に遮られて、巨大カジキの腹のなかにある交番の机はよく見えず、誰か近づいたかどうかさえわからなかった。
パラグライダーは落とし物、ガラス片についてはゴミとされ、処理されることになった。パラグライダーは翌日、パイロットが分署に来て引き取っていった。着地を失敗したのが恥ずかしくて逃げてしまったそうだが、まったく迷惑な話だ。ガラス片は捨てるならともらってきたのはいいが、どうするあてもなかった。
椅子にかけ、Dフォームをディスプレイに繋いで上司から渡された案件を表示させる。向かいの席ではレイが一心になにか作業をしている。青い目は真剣で、男前が二割増しに見える。
人間はみな平等だなんて幻想だ、とハルは嫉妬まじりに考えた。持っている奴は当たり前のようにすべてを持っているのだ。
そのとき、レイの頭の上にひょっこりと緑色の生き物が現れ、翼を伸ばして悠々と羽づくろいをはじめた。
アルジャーノン、おまえもか。
険悪な視線に気づいたのか、トカゲは動きを止めてハルを見た。ひとつ首をかしげてから大きくはばたき、レイの頭を蹴って、多少乱暴にハルの机に降り立つ。翼をたたんで青いガラス片をひょいとくわえ、机を渡ってレイのほうに戻っていく。
「よかった。はばたきができるようになったんだな」と、ハルはため息とともにつぶやいた。
レイがディスプレイから目を離して、トカゲにいとおしげなまなざしをそそぐ。
「骨はもう繋がったって、さっき医務室の先生が言ってました。あと一週間もすれば飛べるようになるだろうと」
アルジャーノンが机に置いたガラスを指でつまみあげる。
「最近、いろんなものを持ってくるんですよね。これって貢がれてるんでしょうか」
まんざらでもなさそうなレイに、ハルはむっつりと返す。
「そいつは雄だぞ」
「愛があれば性別なんて」
愛ときたか。変われば変わるものだとハルは心中で嘆息する。だがアルジャーノンを医務官に診せる心づかいはありがたかった。
「ところでなんですか、これ? ガラス?」
青いガラス片を窓のほうにかざして、レイが訊いた。
「ゴミ。少なくとも分署じゃそう判断されて、処分するというからもらってきた」
「へえ。きれいですよね。透かすときらきらして」
「気に入ったならやるよ。おまえの目と同じ色だ。縁があるんだろう」
レイは驚いたようにハルを見た。一瞬、少年のようなはにかんだ笑みが浮かぶ。
「大切にします」
思ってもいなかった反応に、ハルは面食らった。ただのガラスのかけらだ。資産家のぼんぼんが、そんなものをありがたがるはずがない。
「ゴミだから。飽きたら捨てろ」
「捨てませんよ。せっかくもらったのに」
「だったらやらん。返せ」
「なんですか、それ」
「レイ、準備できてるか?」
オフィスの入口のほうからディックが近づいてきて呼びかけた。レイは振り返り、椅子を引いて立ち上がる。
「はい、もう行けます」
「じゃあ……って、おいおいおい、なんだそれ? なんでおまえがそんなもの持ってるんだ?」
ディックはレイの手のなかのガラス片を見て目をむいた。レイの手を両手でつかんでガラス片を目の高さにあげ、感極まったように叫ぶ。
「うおおおお! すげぇ! 本物をはじめて見た!」
「い、痛いです! 手を離してください!」
だがディックの耳には入っていないらしい。食いつかんばかりにガラス片を見つめ、ごくりと唾をのみこんだ。
「譲ってくれないか? 三千UDでどうだ?」
「三千? マジですか」
「やっぱり不足か。そうだよな。五千……いや、七千出そう」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「ええい、九千八百だ! これ以上は無理!」
あっけにとられてやりとりを見守るハルの肩に、アルジャーノンが這いのぼってくる。
ディックが苦悩に満ちた表情で告げた。
「よし、九千九百八十UDだ。これで手を打ってくれ」
呆然としているレイの手からガラス片を取り、額に押しいただいた。
「じゃ、わたしはお先に失礼するよ。みんなに幸運を!」
いそいそと帰りかけるディックの腕を、われに返ったらしいレイがあわててつかんだ。
「ちょっと待った! それはぼくが先輩からもらったんですよ。九千九百八十UDって、なんの冗談です? というか帰るんですか? まだ午前十時ですけど?」
「ハルから?」
そこでようやくディックは、ハルがいることを認識したようだった。ハルが軽く手をあげてみせると、ディックは机についているハルと立っているレイを見比べた。
「ちょっとしたハプニングがあってね。俺が分署から引き取ってきたものだ。もとは拾得品だよ」
「ああ、じゃあ落とし主が半狂乱で探してるな、きっと」
がっくりと肩を落とし、ディックは背中を丸めて深いため息をついた。手のなかのガラス片に視線を落とす。
「いま九千九百八十UDって途方もない額を聞いた気がしたが、空耳か? まさか、そのがらくたにルナホープの往復チケットに匹敵する価値があるのか?」
「がらくただと? なんて罰当たりなことを!」
憤然として、ディックは体を揺すった。
レイがあきれた顔で口をはさむ。
「そのガラス、いったいなんなんですか?」
「ガラスじゃない! マンダラ・クリスタルだよ」
「マンダラ・クリスタル?」
「まさか、知らないのか? 次元を超えた宇宙の深遠で揺らぐグレートコスモスの鼓動を安定させ、第三銀河の果てにある四次元生命体の放つ高周波エネルギーを受け止めて、人類のDNAに共鳴する〝誇り高き光〟を第六のチャクラ、サードアイに導き……」
半眼になって視線を宙に泳がせ、とうとうとしゃべり続けるディックを横目に見ながら、レイがハルのそばに来て体をかがめた。
「話の内容がまったく理解できないんですが」
「奇遇だな、俺もだ」
「何語をしゃべってるんでしょうね?」
「四次元生命体語、だろう。たぶん」
「……という崇高なる意志が及ぼす〝中心を貫く黎明〟を理解し、自身を解放してさらなる次元への架け橋を……」
ハルの肩で片翼を伸ばしたトカゲの背を、レイが撫でる。アルジャーノンの喉の奥からもれる気持ちよさそうな声に、ハルは頬をゆるめた。
「ディック、もういい。そいつがなにやらすげー価値のあるものだってことはわかった」
「そうか」と言って、ディックは長広舌に終止符を打ち、まばたきした。
異次元世界から戻ってきたようだ。ハルは立ち上がり、ディックに手を差し出した。名残惜しそうに、ディックがそのてのひらにガラス片を載せる。
「持ち主を探してやってくれ。貴重なものだからな」
「了解」
そうは言ったものの、納められていたケースは行方不明だ。
「探すヒントはないか?」
「マンダラ・クリスタルの母と呼ばれる導師がいる。彼女の手で活性化されたクリスタルは高次元に目覚めて誇り高き光の共鳴が――」
「名前を教えてくれ」
ぞんざいに遮り、ハルはディックが口にした名前をメモしてレイを見た。
「悪いな、そういうわけだからあきらめてくれ」
「仕方ないですね。残念だけど」
レイは肩をすくめ、さっきアーケイディアから渡された三件の資料が表示されているハルのディスプレイをのぞきこんだ。
「持ち主を探すの、ぼくも手伝いますよ。どうせ時間外にやるんでしょ?」
「いいよ。おまえだって忙しいだろう」
「わかりました、言い直します。手伝わせてください。一度はぼくがもらったものだし、行方を見届けたいから」
「……おう、じゃあ頼む」
にやりとして、レイはディックともにオフィスを出ていった。
どうも調子が狂う。ハルは髪をかきあげ、椅子に腰を下ろした。耳のそばでアルジャーノンが羽づくろいをはじめる気配を心地よく聞きながら、彼はディスプレイに注意を向けた。