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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter4】千の風と百億の星
22/37

(1)

 暑い。

 ハルは青い制帽を取り、髪の生え際に浮いた汗を手の甲でぬぐった。サングラスを通してさえ、強い日差しに目を焼かれる。

 セントレアは冬でも最高気温が二十五度以上あるが、今年の夏は三十五度以上になる日も多く、温暖化の影響が深刻化しているようだ。それでも客足は衰えていない。さすがに十五年前のハリケーン・ジャネットの被害時は観光客の数が落ちこんだものの、翌年にはカジノもビーチも営業を再開し、もとのにぎわいを取り戻した。いまでは洪水の痕跡などどこにも見られない。

 九月半ばまではバカンスシーズン、つまり市にとってはかき入れ時だから、海岸線に沿っていくつもあるビーチやネオ・エルドラドの近辺では、警邏の警察官の数を増やし、手厚くパトロールする。観光客に安心して楽しく遊んでもらい、市に金を落とさせようというわけだ。

 いまハルが詰めているのは〝交番〟と呼ばれる分署の出張所だ。市内でも有数の長さを誇るクアレンタ・ビーチの入口近くに設けられ、一、二名の警察官が常駐している。交番は東アジアが発祥らしいが、こういった人の多い場所では警察官の姿がいつも見えるだけで市民が安心し、犯罪が減るという。

 まあ、犯罪は減るだけであって、なくなりはしない。ここには置き引きや盗難、酔っぱらい同士の喧嘩をはじめ、落とし物、迷子など、あらゆる種類の〝事件〟があふれている。

 まぶしい太陽を仰いで、あと半日、とハルは考えた。青空にはカモメと戯れるように、パラグライダーが何機か舞っている。

 そそりたつ巨大なマーリン――カジキをかたどった奇抜なデザインの交番の建物は、大仰な外観の割になかは狭い。小さな机と端末に椅子が一脚、壁にはビーチの地図とセントレア市全域の地図。赤い星で警察署の本署と分署、それに交番の位置が示されている。ドアは開けっ放しだから、なかも暑い。

 ハルはカジキの腹のなかに戻ってサングラスを取った。端末に向かい、午前中に届いた落とし物の受付票をつくりはじめる。一週間で百個近い落とし物が届いたが、ビーチというのはトワイライトゾーンかと疑いたくなるような内容だった。大きなものはグァテマラから流れ着いた漁船や生きている巨大な豚、小さなものは赤ん坊タイプの愛玩用マシンドールから名前と日付入りのゴールドのマリッジリングまで。

 どんなものでも、市民の頼れる味方・市警のおまわりさんとしては、にっこりして受け付けるしかない。漁船はふつう沿岸警備隊へ届けるだろうなんて、市民に文句を言ってはおまわりさん失格なのだ。

 だがマシンドールにぎゃあぎゃあ泣かれたときは、ほとほと困り果てた。非常用オフスイッチを探してマシンドールをひっくり返したり逆さにしたりしていたら、警官が赤ん坊を虐待していると善良な市民に通報されてしまい、分署長から怒られた。

 とにかく、今日の五時で交番勤務も終わりだ。ハルはいったん手を止め、スチールの椅子の背に体をもたせかけて伸びをした。

 安易に事件を新人にまかせ、非常事態に陥ったことについては、さすがのハルも反省してまじめに懲罰勤務に就いていた。主任の信頼を著しく損ねてしまい、捜査用のDフォームとFバイザーもとりあげられて身動きがとれず、CVを使う準備もできない。焦りはあるが、もとはといえば自分が悪いのだから仕方がなかった。

 サラ・オルドリンの屋敷に踏みこんで、床に倒れているレイを見たときは、一瞬頭が真っ白になった。Dフォームのバイタルモニターのデータで心拍があるのは確認していたが、やはり実際に脈をとるまでは納得できないものだ。おまけに、目が見えないと聞いたときの背筋が凍るような思いといったら。もう二度と味わいたくない。視力に影響は残らなかったらしく、本当に幸いだった。

 レイには経歴で見るより子供っぽい部分があることを、わかっていたはずだった。彼は偽のはばたきで自分を大きく見せている、巣立つ前の雛鳥だ。産毛の抜けきらない体には、自分の力をまだ客観的に見極められない、あやうい自尊心が潜んでいる。

 それを自分の都合で、見て見ぬふりをした罪は大きかった。いみじくもレイに言われたように、先輩風を吹かせるならそれらしくふるまわねばならなかったのだ。レイを子供っぽいと責める資格はない。

 ハルは短くため息をついた。落とし物の詳細を記録するため、画像を撮ってからじっくり眺める。一辺が七センチほどの、宝石のついたリングを収めるような黒の本革張りのケースだ。四つの番号を合わせる旧式のダイヤル錠がついている。朝早く、四十がらみの禿げかけたサングラスの男がビーチで拾ったと届け出たものだ。

 蓋を開けようとしたが、開かなかった。彼は顔をしかめ、四つの数字の組み合わせは何通りあるだろうと考えた。……考えるまでもなく一万通りだ。またため息をつき、ふと思いついた数字を合わせてトライした。

 開いた。

 超ラッキー! 今日はなにかいいことがあるかもしれない。

 白のビロードで内張りされたなかにはリングではなく、親指の先ほどの青いガラス片が鎮座していた。砂浜によく埋まっている、荒波にもまれて角がとれたガラスのかけらと似ている。つまりがらくただ。

 がらくたにしては、ケースが豪華すぎてアンバランスに思える。ハルはガラス片を取り出して、さっき拾得品として届いたばかりのマリッジリングを入れてみた。あつらえたようにぴったりだ。リングに刻まれていたキャリーという名の女性も喜ぶに違いない。ガラス片を捨ててしまえば拾得物の報告書が一枚減ると、頭の隅で悪魔がささやいた。

 蓋をしてダイヤルを回す。これで中身がなにかはわからなくなった。錠は開かなかったことにして報告書をつくれば……。

 しかし、それは清廉な法執行官のする行為ではない。断じて。

 ハルは首を振り、日光の下で見てみようと、ガラス片をつまんで建物の外に出た。もしかしたら価値のあるものなのかもしれない。

 陽に透かすと、ガラスのなかに細かな粒子が浮いてきらきらしているのがわかった。色は明るい青で、レイの海の色の瞳を連想させた。

「おまわりさん、おまわりさん」

 声をかけられ、ハルははっとして視線を落とした。五歳くらいのサマードレス姿の少女が、彼が身につけている警邏隊の白い開襟シャツの裾を引っぱっていた。

「なにかな、お嬢ちゃん?」

 目が合うと、少女は明らかに怯えた顔になって一歩あとずさった。ハルはガラス片を胸のポケットにしまい、腰をかがめて少女に顔を近づけた。

「どうかしたの? お兄ちゃんに話してごらん――」

 いきなり少女が泣き出し、きびすを返して駆け去った。ハルはその場にしゃがみこみ、制帽をとって頭をかく。

 俺の顔はそんなに怖いか?

 抑えた笑い声が車道のほうから聞こえてきて、ハルは顔をそちらに向けた。

「主任も無茶ですよね。先輩みたいな人相の悪い人に交番勤務をさせるなんて」

 えんじ色の無骨な車体にメタルのマフラー。さわやかな海辺には不似合いな暑苦しい大型バイクが止まっている。歩道をゆくビキニ姿の女性たちが、もの珍しげに眺めながら通りすぎる。

 ハルは体を起こし、顔をしかめて制帽をかぶった。

「新人、冷やかしに来たなら帰れ」

 レイはサングラスを額の上に押しあげ、マッハ・ダイナスティを歩道に入れた。交番の建物の脇に止め、サイドボックスからコーラのボトルをとってハルに放る。

「ご挨拶だな。今日は待機休日なんで差し入れに来たんですよ」

 ボトルはきりりと冷えている。

「しょうがないな、もらってやるよ」

「素直にありがとうって言えないんですか?」

 マーリンズのロゴ入りTシャツにジーンズ、スニーカーという格好のレイは、自分もコーラのボトルを手に建物の前に来る。そして、大地にそそりたつ巨大なカジキをしげしげと眺めた。

「ある意味、立派ですよね。なんかプライド捨ててるっていうか」

「悪趣味でも目立てばいいって発想なんだろう。あるいは建築会社が都市計画部のお偉いさんに賄賂を払いすぎて、設計に回す金がなくなったのかもしれん」

 ハルはコーラのキャップをとり、いっきに半分ほど流しこんだ。渇いた喉にコーラがしみわたる。息を吐き、レイのほうを見た。

「怪我の具合はどうだ。後遺症は出てないか?」

「大丈夫です。おかげさまで」

「べつに俺のおかげじゃないさ」

「社交辞令ですよ」

 かわいくない奴だ。だがこいつらしいと、ハルは胸の内で苦笑する。レッドカードはこたえていたようだが、すっかり立ち直ったとみえる。

 レイはコーラのボトルを傾けた。喉を鳴らして飲み、ボトルをからにして、盛大に息を吐いた。目を正面のビーチのほうへ向けたまま、手の甲で口元をぬぐう。

 海は凪いでいて青い。土曜の昼下がりのビーチには、大勢の観光客があふれている。

 レイはバイクに戻ると、サイドボックスからもう一本コーラをとった。バイクを置いた場所はちょうど巨大カジキに遮られて直射日光が届かない。彼はバイクに腰をもたせかけ、しばらくうつむいて手のなかのボトルをもてあそんだ。

「じつは、先輩に……」

 彼は言葉を切り、顔を上げてハルを見た。そして目を見開いた。

「先輩、上!」

 ハルは何事かと上空を振り仰ぐ。その視界を、後方斜め上から迫ってきた影が覆い尽くした。パラグライダーだ。レイにタックルされて転がされ、あやういところでパイロットとの衝突は避けられたものの、翼の大きな布ともつれたロープに巻きこまれて、レイとともにがんじがらめにされた。全身が布で覆われてしまい、周囲が見えない。

「なにこれ、どうなってるんですか?」

「俺が聞きたいよ! このくそいまいましい脚をどけろ!」

「ロープが絡まってて……先輩の警棒が邪魔なんですよ。はずしますよ?」

 身動きした拍子にレイのかかとがみぞおちに極まり、ハルはうめいた。

「きさまっ……!」

「わざとじゃありませんって!」

 組んずほぐれつしてようやく脱出したときには、ふたりとも肩で息をしていた。群がってきた野次馬の何人かが手を貸してくれて助かった。ハルは周囲を見まわした。

「パイロットは無事だったのか?」

「姿が見えませんね」

 布とロープの山を分けると、パイロットのつけていたハーネスが現れた。

「……捨てていったんでしょうか」

「落としたんじゃないことを祈るね。拾得物の報告書は書き飽きた」

 憮然として建物のなかに戻り、机を見て、ハルは違和感にとらわれた。なにか足りない気がする。

「……あ!」

 思わず声をあげた。


 見も知らぬ女性、キャリーのマリッジリングを入れた黒革のケースがなくなっていた。


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