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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter3】猫とトカゲのゲーム
21/37

(7)

 レイは市中心の行政地区でモノレールを下り、市警察の地下駐車場に行ってマッハ・ダイナスティにまたがった。

「ヘルヴァ、これからグリーンヒルの家に行く」

《了解しました、マスター。到着予定は二十二時三十五分です》

 考えてみると、このバイクで実家に乗りこむのははじめてだ。父親はきっといやな顔をするだろう。レイはにやりとする。父親にはちょっとした手土産もあると思い出し、さらに意地の悪い笑みを深めた。

 金融市場の動向に常に神経をとがらせている父親は、カサンドラ・ビジョンを使っているらしい。このあいだ電話で呼び出されたとき、机の上に箱が乗っているのが見えたのだ。詐欺商品だと教えるのは、捜査官の守秘義務違反になるのだろうか?

 いかめしい顔からは想像がつかないが、父親はあの手の怪しげな新製品が好きなことを、レイは知っていた。指摘すると不機嫌になるので、ふだんは見て見ぬふりをしている。ピュアドールズ社の資料で大株主にクラーク・グループの銀行名を見つけたときも、父親なら興味を持ちそうだなと密かに納得していた。

「自分で運転する。手動走行モードに切り替えて」

《了解しました、マスター。新しいジョークをいくつか仕入れましたので、聞いていただけますか》

「そういえば、このあいだの伯爵夫人ネタは先輩に受けたのか?」

《くすっとしていただけました。神より司祭、伯爵夫人より王妃のほうがスキャンダル度が高くなると、アドバイスしてくださいました》

「……意外だ、あの人がそんなネタを真剣に考えるなんて」

 レイの入院中にマッハ・ダイナスティを使ってくれと、ハルには言ったのだが、ハリケーンが来たこともあって路上には出なかったとヘルヴァから聞いていた。その代わり、ハルは毎日駐車場に様子を見に来て、話し相手をしてくれたという。

 レイはバイクを駐車場から出し、大通りを東へ折れた。ヘルヴァから披露された新ネタはピンク系に偏っていて、笑うというよりは赤面するほうが多かった。理由を訊くと、そのほうが受けるとハルに言われたのだと、AIは答えた。

「いやまあ、下品なのが受けるってのはあるけど、男限定だ。というかおまえは女なんだから、上品にしたほうがいい」

《了解しました、マスター。上品なジョークを探します》

 まったく、ヘルヴァに変な知恵をつけないよう先輩に釘を刺しておかないと。などと考えているうちに、実家のある高級住宅街、グリーンヒル地区に着いた。

 名前のとおり、この一帯の家々はどこも広い庭を美しく整えていて、緑があふれている。夜も建物や庭がライトアップされ、見てくれと言わんばかりなのに、フェンスには高圧電流が流れ、家の門は警備員で固められているのがなんともちぐはぐだ。

 スライド式の実家の門が開けられるのを待つあいだに、レイは息苦しさを感じた。それを振り切るように、門を抜けてからガソリン走行で私道を走る。うなるエンジン音に身を浸し、完璧に手入れされた芝生を大型バイクで蹂躙すると、退廃のもたらす快感に背筋がぞくぞくした。

 ここには市交通局の監視カメラもない。レイは気の向くままに敷地を何周かしてうさを晴らし、バイクをガレージには入れず屋敷の玄関前に止めた。長居をする気はない。

 門の警備員から連絡を受けていたのだろう、執事が玄関ポーチに立ち、しかつめらしい顔でレイを迎える。絶対に誰にもバイクに手を触れさせるなと執事に念を押して、レイは実家に足を踏み入れた。

 ただ大げさなだけの、おもしろみのない家だ。落書きにしか見えない現代絵画に、スチールとガラスの無機質な家具。祖母のいた東翼の二階だけが、唯一くつろげる場所だったのだが。祖母もいなくなったいま、実家はレイにとってただの他人の住まいだった。

 執事に、父親の書斎に案内される。南側が全面ガラス張りの窓になっていて、昼間は遠くに海も望めるが、夜はグリーンヒルのほかの屋敷の明かりがぽつぽつと見えるだけだ。

「レイモンド、なんだこんな夜遅くに。常識を考えろ」

 紺色のローブ姿の父親が、革張りのソファからうっそりと立ち上がる。

「お久しぶりです。急にあなたの顔が見たくなって」

 心にもないことをしらっと口にできる自分も、かなり性格が悪いなとレイは考える。

「そうか」

 まんざらでもなさそうな表情に見えるのは、気のせいだろうか。レイは、「社交辞令ですよ」などと混ぜ返すのはやめておいた。どこからか太ったぶち猫がやってきて、レイの脚に体をすりつけてくる。

「ソニー、元気だったか?」

 体をかがめて撫でてやる。家を出て四年になるハルのことを、猫たちはまだ覚えてくれているのがうれしい。父親がその猫を、慣れた調子でひょいと抱きあげる。

「おばあさまの猫は、あなたの部屋に移ったんですか」

 意外に思って尋ねると、父親は猫を抱き直しながら肩をすくめた。

「仕方がないだろう。捨てるわけにもいかない」

 そうか、とレイは納得した。つまりこれが、サイラス・クラークという人なのだ。自分も父親にとっては、〝捨てるわけにもいかない〟子供だったのだろう。

 会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が落ちる。

「その変な髪はまだ切らないのか」と、父親が訊いた。

 レイは襟足を伸ばしてまとめた髪にわざとらしく手をやる。

「もう慈善パーティに出ることもないし。かまわないでしょう」

 警察学校に入って以来、その類のイベントはすべて無視している。事実上、クラークの家とは絶縁状態だ。周囲もそれは知っていて陰で噂などしているのだろうが、もうどうでもよかった。

「仕事の具合はどうだ」

 今朝、署長から聞いたはずだろうと、レイは心のなかで突っこみを入れる。家族なのに、こうしていちいち相手の真意をはかる必要があるのがもどかしい。

「なかなか思うようにいかなくて、へまをして三日ばかり入院する羽目に。同僚にも迷惑をかけてさんざんです」

 父親は驚いた顔になった。レイが自ら失敗を認めたことが意外だったらしい。だがすぐに表情を改め、「大丈夫なのか」とどうでもよさそうに訊いて、喉を鳴らす猫を撫でた。レイとは目を合わせず、青い目は腕のなかの太った猫に向けられている。

「平気ですよ、クビにはなりません。評価が下がるだけで――」

「そうじゃない! 頭を怪我したというから……」

 鋭い口調に猫が驚き、ぱっと父親の腕から離れて床に下りた。

 心配してくれていたのか。目が合うと、父親は気まずそうにまた視線をそらし、ローブのポケットに両手を入れた。

「……もうなんともありません」

 レイは脚にすり寄ってきた猫を抱き上げ、父親に押しつける。

「ソニーが肥満してますよ。おやつを与えすぎてませんか?」

「仕方ないだろう、欲しがるんだよ」

 ポケットから両手を出して猫を受け取り、父親は、少し飲まないかと遠慮がちに誘った。

「アルコールはだめなんです。次の精密検査で異常がないとわかるまでは」

「そうか……そうだな、じゃあまた」

 残念そうな顔に見えた。

「ぼくにはジンジャーエールをください」

 父親は、探るようにレイの目をのぞきこむ。

「ちょっと話したいこともあるし。それに先週、あなたもなにか話があると言っていたでしょう」

「ああ……そうだった」

 ふっと口元がゆるんだのは、笑ったのだろうか。

 自分もほほえんでいるのに気づき、レイはあわてて表情を改める。

 父親は猫を下ろして、部屋の隅にしつらえたバーカウンターのほうへ歩いていった。その後ろ姿を見つめ、父親はこんなに背が低かっただろうかとレイは考えた。

 ふたりで母親を見送った日のことを思い出す。隣に立っている男は山のように大きくて、不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。それでも、母親が亡くなったいま、頼るのはこの人しかいないのだと思い、レイは男の黒いジャケットの裾を必死につかんでいた。

 あのとき、頭の上に置かれた男の手の感触を、長いあいだ忘れていた。慰めるように撫でてくれたのは一度きりだったけれど。

 今夜なら訊ける気がした。たとえ短いあいだでも、ぼくの母を愛したことがあったんですか、と。

 わかっていた。いままでも訊く機会はあったのにそうしなかったのは、ノーという答えが怖かったからだ。自分の存在だけでなく、この世に生を受けた意味まで否定されたら、生きていけなくなる。

 レイは自分もゆっくりとバーカウンターに歩み寄り、カウンターに頬杖をついて、グラスにジンジャーエールを注ぐ父親を眺めた。

「お父さん」

「なんだ?」

「ぼくを特捜班に配属させたのは、あなたの差し金でしょう」

 父親はちらりとレイを見てから、透明な琥珀色の液体を満たしたグラスをレイの前に置いた。細かな泡がはじける音が、耳に心地よい。

 なにも答えず、父親はショットグラスにスコッチを注ぐ。いつもはシングルなのにダブルで注いだのを、レイは見逃さなかった。

「マッキンタイア署長に賄賂でも贈りましたか?」

「カートは昔からの知り合いだ。賄賂は贈っていないさ」

 じゃあなにを贈ったのか。日本製の新車か? まあいい、とレイは息を吐く。

「責めてるんじゃありませんよ。むしろ感謝してるんです」

 グラスを取り、父親が手にしたグラスに合わせると、澄んだ音が響いた。

「逆効果だったわけか」

 苦笑して、父親はグラスを口に運んだ。少しだけ飲み、苦いとでもいうように顔をしかめる。グラスを置いてなかの液体の表面を眺めながら、静かに言った。

「……おまえのお母さんの――ローレルの希望だったんだよ。将来はクラーク一族の男として、グループ会社で働かせてほしいと頼まれていた」

「母さんの……」

「おまえには才能もあった。高校生のときは先物取引でずいぶん稼いだだろう」

「あなたや兄さんたちに認めてもらいたくて、必死でしたからね」

 炭酸のきついジンジャーエールは、舌に苦く感じられた。レイはグラスを置き、カウンターに背を向けて寄りかかる。

「兄さんたちにはそれが脅威に映ったらしいな。自分のポジションを奪われるんじゃないかと」

 父親はつぶやくように言う。

 当時は長兄でさえレイに冷たくなって、会えば嫌味を言われたものだ。楽しい思い出ではない。

「まあ、おかげで暮らす金には困らないし、ガス車にかかる法外な税金も払える。いまとなれば感謝してますよ」

「おまえの才能が生かされないのは惜しい。グループにとっても大きな損失だ」

 それをもっと早く言ってほしかったと、思わなくもなかった。五年前に言われていれば、人生は違っていただろう。

「いまからでも遅くはない。レイモンド、戻ってこないか?」

 肩越しに振り返り、父親と目を合わせる。自分と同じ色の青い瞳に映りこんだ己の顔を、レイは見つめた。

「〝道は常に、必要なときに前に現れる〟」

「母さんの口癖だな」とつぶやき、父親は肩を落とした。

 猫のソニーがカウンターにひょいと飛び乗ってしっぽを振り立て、会話の邪魔をしておやつを要求した。父親が冷蔵庫からチーズを出すと、ほかの猫たちも集まってくる。

 これでは太るわけだと、レイは納得した。

「母さんからもらった信託財産はどうするんだ?」

 猫たちにチーズを与えながら、父親が訊いた。

「別にどうも。金に興味はありません。クリックひとつで何万UD稼いでも、充実感はなかった」

「いまは充実しているのか」

「〝どんな経験も出会いも、人生を前へと進むための大切なステップ〟」

「それも母さんの口癖だな」

 レイはにやりとした。

「おばあさまの孫でよかったと、日々思っています」

 これから一緒に電話をかけませんか。そう誘うと、父親は笑って首を振った。ノーという意味ではない。困ったなとでもいうような、照れの仕草だった。


 ステップはのぼるばかりではなく、下るときもある。それでも、ひとつ前に進んだような気がした。

 ふと、ハルはいまどうしているのだろうと考えた。


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