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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter3】猫とトカゲのゲーム
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(4)

 二十分後、救急車でセントレア市民病院のERに運びこまれたときには、ショックパルスによる筋肉の麻痺は解け、視覚も聴覚も回復していた。だが頭痛は激化していて、頭のなかで巨大な二頭の象が死闘を繰り広げ、脳味噌がぐちゃぐちゃにかき回されている、そんな感じだった。間違いなく、生涯で最悪の頭痛だ。できることなら首を切り離してしまいたかったが、そうもいかない。当然、ものを考えることは不可能だった。

 レイは鎮静剤で眠らされ、目覚めたときは病室のベッドに横になっていた。頭痛はまだひどく、体を起こそうとするとめまいがした。

「寝てなきゃだめだよ、三日間入院で絶対安静だって」

 付き添ってくれていたらしく、エイミーがベッドのそばの椅子を立ちながら言った。

「三日? 冗談――」

 言い終わらないうちにまた頭が殴られたように痛み、レイは仕方なくベッドに体をあずけた。エイミーが手を腰に当て、身をかがめてレイの顔をのぞきこむ。

「家族に連絡するって主任が言ったんだけど。ハルがさ、それは本人に訊いてからにしてくれって頼んでたよ」

「先輩が?」

 意外だった。ハルは、家族へのぼくのつまらない意地を気にかけてくれていたのか。

「知らせてあげれば? どんな事情かは知らないけどさ、家族なら当然、心配すると思うし」

「その当然が通用しない家なんですよ」

 レイは痛む頭を手で押さえた。

「いいです。ぼくが脳死状態になって、臓器提供の承諾書にサインが必要なときには連絡してください。あの人たちは慈善が大好物なんで、ふたつ返事で同意しますから」

「……なんつーか、大変っぽいね」

 エイミーは首をかしげ、看護師の呼び出しボタンを押してから椅子に戻って腰かけた。

「鎮痛剤を処方してもらえば楽になるよ。たぶん」

「ありがとうございます。……先輩は?」

「きみのバイクを回収しに行ってる。現場検証も終わったようだから、そろそろ……って、噂をすればだ」

 ドアを開けて入ってきた看護師の後ろから、黒い開襟シャツとジーンズ姿の男が病室をのぞきこむ。

「じゃ、あたしは帰るね。また来るよ」

 エイミーは跳ねるように椅子を立った。ドアのところでハルと軽く手をタッチして病室を出ていく。看護師はレイから症状を聞き、ドクターを呼んでくると言って立ち去った。

「バイクを回収してくれたそうですね。ヘルヴァはおとなしくしてましたか」

 ハルはゆっくりとベッドに近づいてきて、さっきまでエイミーが座っていた椅子に腰を下ろした。

「ああ。ドライバーはおまえ限定だと言って乗せてはくれなかったが、運搬には応じた。ヘルヴァに礼を言うんだな。おまえを助けたのは彼女だ」

「え?」

「サラ・オルドリンはおまえを気絶させてから、乗ってきた車を隠さないとまずいと気づいたらしい。で、バイクに不用意に手をかけてヘルヴァにショックパルスを浴びせられた。またもや過剰防衛だ、訴えられても俺は知らんぞ」

 ハルはにやりと笑う。レイはこみあげてくる笑いを抑えようとして頭痛に見舞われ、思い切り顔をしかめた。

「でも、ヘルヴァのショックパルスには人を気絶させるほどの威力はありませんよ。ミズ・オルドリンがそのまま引き下がったとは思えませんが。かなり凶暴な人でしたからね」

「威力はなくても、驚かせるには十分だったんだろう。猫女は家に戻ろうとして階段を踏みはずし、足首をひどく捻挫した。動けずにうずくまっているところに俺たちが到着したというわけだ」

「先輩たちはどうして来たんです。ぼくは――」

 ハルは一転、険しい顔になり、人さし指でレイの顔を指した。

「適宜連絡を入れろと言ったのに、おまえはデータを送ってきただけ。それも変なオヤジがヤれてないふざけた動画と、どう見てもイカレた女のプロフィールだ。女のナイトクラブに連絡してみたら、ここ数か月様子がおかしい、この数日は店も休んでると言う。ヤバイ予感がしたんでおまえに電話したが反応がない。GPSの位置表示は三十分も動いていない。……主任にレッドカードを出してもらった」

「レッドカード……」

 レイは息をのみこんだ。レッドカードとは、捜査官のDフォームを強制的に本署側でコントロールすることを指す。Dフォームには機密情報が多く含まれるので、捜査官が死亡あるいはそれに準じた状態の場合は、その状況を見極めて、強奪や悪用を防ぐ措置を早急に講じなければならない。非常手段としてDフォームを自己破壊させるすることもある。

 レッドカードを出されるのは任務遂行に失敗したという証明であり、捜査官としてはこれ以上ない屈辱だった。

「命があってめっけもんだと思え、くそったれが」

 ハルは吐き捨てるように言い、脚を組んでから髪をかきあげた。

「……Dフォームのカメラを動かしたら、おまえが猫女の家のなかで昏倒してるらしいとわかったんで出動した。この件は以後アルファの担当だ。研究所関係のデータも奴らがさらってった」

 そして、「事情聴取で絞られるぞ。覚悟しとけ」と、いかにもいやそうな顔で続けた。

 当然、聴取は特捜班のほかのメンバーにも及ぶ。レイを監督する立場だったハルも責任を問われる。自分の犯したミスがどれほど大きなものだったかに気づかされ、レイは呆然とするばかりだった。ショックのあまり、いっとき頭痛も忘れた。

 ドアが開き、医師と看護師が病室に入ってきた。薄いグリーンの制服を着た壮年の医師は、椅子から立ち上がったハルを見てけげんな顔をした。

「デイビス、きみにここで会うとはね。ちょうどいい、話があるから帰る前にわたしのところに寄ってくれ」

「わかりました。で、俺の後輩の具合はどうですか」

「個人情報だ。本人と家族にしか教えられないよ」

「先生、かまいません。家族は来ませんから」

 レイが淡々と告げると、医師はレイとハルの顔を見比べ、肩をすくめた。

 その脳神経科医の説明によれば、各種のスキャンによる画像診断ではいずれも脳全体に腫れが認められ、最低三日は入院して経過を観察しなければならないとのことだった。経過が悪ければ入院を延長すると言われ、レイはさらに落ちこんだ。

 医師が出ていき、看護師も鎮痛剤の点滴をセットして病室を去り、ドアが閉まった。時刻は午後八時になっている。窓の外がいつもより暗いのは、空がハリケーンの先触れの雲に覆われているせいだ。

「明日は雨だとさ。ゆっくり寝るには最適だ」

 窓の外へ目をやって、ハルが言った。

「俺でよければおまえの家に行って、入院に必要なものを取ってくるが?」

「……売店で適当に調達します」

「わかった。バイクは本署の地下駐車場だ。退院するまで置いておくが、いいか?」

 レイはうなずいた。

「よかったら先輩が使ってください。指令を出して、乗れるようにしておきます。ヘルヴァが先輩にジョークを聞かせたいって言ってました」

「ジョークか。AIにどれだけ冗談が理解できるのか興味はあるが」

「鍛えてやってくださいよ。ヘルヴァは案外、先輩が好きなんだと思います」

 苦笑して、ハルはドアのほうへ向かった。

「俺の好みはやわらかくてむちっとした女だ。ヘルヴァのケツは硬すぎる」



 ひとりになると、レイは改めて自己嫌悪に浸った。鎮痛剤が効いてきて頭痛が和らぎ、代わりにクリアになった思考がぐるぐると頭をめぐる。

 どこで間違ったのだろう? ミズ・オルドリンを説得しようとしたことか。訪問する前に、彼女が危険な人物だと見抜けなかったことか。猫好きに悪い人はいないという思いこみが甘かったのか。そもそも、この事件を自分が担当することに疑問を抱いたのがいけなかったのか。

 レッドカードを出されたという事実が、胸に重くのしかかった。消せない汚点だ。

 警察学校に限らず、学校の成績はいつもトップだった。根拠のない自信が過信に繋がったということか。自分がこんなに無能だとは思わなかった。

 無性に祖母の声が聞きたくなる。いつもは私用の携帯電話を使うが、いまは署のロッカーに入っている。点滴が終わったらロビーの公衆電話へ行こう。そう考えたところで、レイは眉間にしわを寄せた。だめだ。病院の診察着姿なんて見せられない。女に殺されかけてレッドカードを出されたなんて、情けなさすぎてとうてい打ち明けられない。

 深いため息をつくが、気持ちは晴れなかった。


 ◆


 翌日、風雨のなかを事情聴取に訪れたアルファ班のブランドン・ベスターは、意外にもレイに同情的だった。サラ・オルドリンはレイへの暴行と研究所の所長への脅迫・強要は認めたものの、反省はしていないという。あくまでも猫のためだと主張し、早く家に帰らないと猫が寂しがるからと、保釈を要求している。

「使ったのは護身用のショックパルス銃だけだし、殺人未遂には問えそうにないな」

 聴取を終えると、ベスターはいかにも残念そうに言った。市警察は仲間意識が強いので、仲間である捜査官が襲われたとなると凶悪犯罪扱いになり、アルファ班が担当するのが通例だ。

「変な事件が多いよ、まったく。今年の夏がことさら暑いせいかな。バージェス社長の件といい」

 ベスターはあくびを噛み殺した。

「すみません。事件続きで大変なのに、ぼくのことでまた手間を増やしてしまって」

「まったくだ。容疑者に不用意に接触するなよ。女だからと侮ったのかもしれないが、ただ話し合うにしたって記録を残すのは基本だぞ。おかげで証拠固めに苦労させられる」

「……すっかり失念していました」

「まあ、新人だしな。注意しないデイビスが悪い」

 それは違う、と思ったが、レイは口にはしなかった。ハルとベスターにはなにか因縁がありそうだった。刺激するのは賢明ではない。

「バージェス社長は自殺だったんですか?」

「うん。事件性はないってことで片づいて、うちはよかったけどな」

 メイド服で自殺するなんて、俺は死んでもごめんだね。そう矛盾した見解を述べながら、ベスターは立ち上がった。

「オメガも変な事件ばっかりだよなぁ。しかもあのデイビスと組まされるとは、おまえも運がない」

 同情に満ちた口調に、レイは思わずむっとしたが、顔には出さなかった。

「俺からの忠告は、ほどほどにやっとけってことだ。あいつにまともにつきあっても損するだけだぜ」


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