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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter3】猫とトカゲのゲーム
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(3)

 サラ・オルドリンの住まいは、建物はさほど大きくないものの、敷地は広大だった。庭の手入れは行き届いておらず、裏手は熱帯植物の生い茂るジャングルの様相だ。何本もの椰子が丈高く育ち、ハリケーンの影響で強くなってきた風に葉がざわめいている。

 海面はうねり、沖合には白波が目立っているが、今朝の予報ではハリケーンが超大型になることはなさそうだった。ビーチでは命知らずの若者たちが、高波で刺激を増したサーフィンを楽しんでいる。

 レイは不用心にも開いていた門からマッハ・ダイナスティを乗り入れ、荒れたアスファルトの私道を走った。門のところでインターホンを通じて、本人の在宅は確認していた。

 家の前でバイクを降り、ペンキのはげたポーチの階段をのぼる。きしむ玄関ドアを開けて出迎えてくれたオルドリンは、ファイルで見た顔よりも頬の肉がそげ、やつれた印象で、年齢より十歳は老けこんで見えた。

「こんにちは、セントレア市警察のレイ・クラークです」

「サラ・オルドリンよ。ピートの話だったわね。どうぞ、入って」

 玄関ホールに足を踏み入れたレイは、思わずその場に立ちすくんだ。壁一面に、猫の写真や絵がかけられていたからだ。

「ピートよ。かわいいでしょう? 美しいでしょう? とても利口な子なのよ。わたしが名前を呼ぶと、必ず返事をするの……」

 ピートの寝ていた猫ベッド。ピートの使っていたトイレ。ピートの好きだった猫じゃらし。家のなかは愛猫のものだらけだ。だが床には薄く砂が刷き、家具は埃をかぶっていて、しばらく掃除をしていないようだった。サラ・オルドリン本人の着ているものもどこかくたびれていて、数日着替えをしていないのかもしれない。エアコンは動いているが、室内は淀んだにおいがした。

「いまはちょっと休んでいるけれど、じきに戻ってくるのよ」

 広い庭に面したリビングの真ん中には、不自然にスチール製の小型冷凍庫が置かれている。オルドリンに訊かずとも、なかになにが入っているのかレイには予想がついた。女性は冷凍庫を守るように脇に立ち、レイにそばのソファに座るよう勧めた。

「それで刑事さん、ご用はなにかしら」

「どうぞあなたも座ってください、ミズ・オルドリン」

「いえ、わたしはここがいいの」

 度を越した愛情。この中年女性が心の平衡を失っているのは明らかに思えた。

「そこにピートがいるんでしょう? 会わせていただけませんか」

 レイが冷凍庫を目で示すと、女性はかすかにかぶりを振った。

「死んではいないのよ。休んでいるだけなの。そうよ、ちょっと休んでいるだけ……」

「わかりますよ」

 ゆっくりと立ち上がって、レイは女性に近づいた。ドアを開けるよう、手振りで促す。

 オルドリンはためらいつつも、冷凍庫のスライド式のドアに手をかけて、じわじわと開けていく。

 レイは冷凍庫のそばに行き、上からのぞきこんだ。予想どおり、ビニール袋のなかにピートの白い毛皮が見えた。だが冷凍庫に入っていたのは、ピートだけではなかった。その下、さらにその下にも、合わせて三体の猫の遺体が入っていたのだ。

「みんなピートなのよ」と、オルドリンはささやくように言った。

「みんな休んでいるの。でもじきに戻ってくるわ。研究所に頼んでいるから。最初はすぐに戻ってきたの。次は二回目で。でも今度は少し長くて、十二回待ってもだめだった。待ち切れなくなりそう」

 最初のクローン体をつくったときには偶然、模様がごく似ていたのだろう。だから彼女は、二代目のピートが死んだときにもまたクローン製造を依頼した。幸運にも二回目で、模様のごく似たクローン体――三代目のピートを得た。そのピートも亡くなり、今回の悲劇が起きたのだ。

 三代目ピートまでは、同一の個体につき三体というクローン製造制限内であり、隣の州で可能だった。サラ・オルドリンは四体目の製造を見越してセントレアに移住したのかもしれない。ペットのクローン製造を請け負う会社は少なく、セントレア・クローンアニマル研究所は北米内でも大手だ。

 猫に限らず、動物を飼っていれば死に立ち会うことは避けられない。たいていのペットたちは人間よりずっと寿命が短いからだ。レイも実家で暮らしているあいだに、何頭もの猫を見送った。悼む気持ちは痛いほどわかる。

 けれども、同じDNAを持つ個体を得て、亡くなった子に〝再会〟したいと考える人の気持ちはわからなかった。体を構成する遺伝子は同じでも、クローン体はもとの動物とは別ものだ。〝再会〟ではなく、新たな出会いにすぎない。四代目のピートになり損ね、生をまっとうできずに研究所の冷凍庫に眠っている子猫たちが哀れでならなかった。

 冷凍庫のドアを閉めようとした女性の手を、レイはそっとつかんで止めた。

「もうピートを……埋葬してやってはどうです。これほどあなたに愛されて、ピートは十分に幸せだったと思いますよ」

「そうね。ピートは十分に幸せだわ。わたしにこれほど愛されて」

「ええ。ですから――」

「でも、ピートがいないとわたしが不幸なの」

 オルドリンはレイの手を振り払い、冷凍庫のドアを閉めた。

「あなたはもう、十三匹もピートを殺してるんですよ? それはどう考えるんです」

「あの猫たちはピートじゃなかった。だから研究所に返したの。殺したのはわたしじゃない」

 女性はにっこりして、いとおしげに冷凍庫を撫でた。

「ピートが戻ってきたなら、わたしにはわかるわ」

「……では仕方ありませんね。研究所の所長を脅迫し、クローン体製造を強要した罪で、あなたの逮捕状を取ります」

 所長の体面など、レイにはもうどうでもよかった。そもそも脅迫事件ということだったのだし、文句を言われる筋合いはない。この女性は、ほうっておけば永遠にピートの身代わりを求め続け、罪のない子猫を殺し続ける。連鎖を断ち切る必要があるのだ。

「二時間後にまた来ます。そのあいだに署に出頭すれば罪が軽くなる可能性もありますよ。ここへは分署の警察官を呼んで監視させますから、出頭する場合はその者に伝えてください。それでは」

 厳しい口調で告げ、レイはきびすを返した。そして歩きだした瞬間、背に激痛が走った。衝撃に体の芯が貫かれ、筋肉が硬直して、たまらず床に膝をつく。

「くっ――」

 ショックパルスか。ゲージは二十程度、護身用だ。そう冷静に分析できるのに、体は言うことをきかない。後ろを振り返ることもかなわず、前のめりに床にくずおれる。

 彼女が銃を隠し持っていたのに気づかなかったのは迂闊だった。

「もうじきピートが戻ってくるの。わたしはここを離れるわけにはいかないわ」

 頭上から声が聞こえた直後、後頭部に殴られたような衝撃をおぼえ、意識が飛ばされた。


 ◆


 ホテル勤めの母親とダウンタウンの小さなアパートメントで暮らしていたころは、近所に友達も大勢いて楽しかった。金はなかったが、笑いは余るほどにあふれていた。

 母親が亡くなった翌日、葬儀はレイと父親だけでひっそりと営まれ、その夜からレイはセントレアの東に位置する高級住宅街の屋敷で暮らしはじめた。義理の母親になった女性はレイを一瞥しただけで声をかけもせず、猫以下という扱いだった。三人の兄はすでに高校生と大学生で、突然現れた幼い弟に明らかにとまどっていた。長兄はなにかと気をつかってくれたが、すぐに結婚して家を離れてしまい、下のふたりの兄たちは義理の母親と同様で冷たかった。

『いい子にして、かわいがってもらうのよ』

 母親のその願いに応えようと、自分なりに努力はしたのだ。勉強も必死でしたし、上流社会の一員としての行儀や作法も覚えた。だが義理の母親も異母兄たちも、父親でさえ、一度も褒めてはくれなかった。彼らにとって自分は永遠に、目障りな浮気相手の子なのだった。

 研究所の冷凍庫のなかの子猫に、レイは自分を見た気がしていた。

 要らない子。厄介者で期待もされず、嫌われることさえない、ただ無視されるだけの存在。

 いくら頑張っても無駄だ。

 ようやくそう悟ったとき、レイはいい子を装うのをやめた。

 大学を一年スキップして卒業し、警察学校に入ると伝えると、父親は大反対した。一族の男ならグループの金融会社に入れと、ふだんの冷たさからは考えられないほど熱くなって怒った。それまで一貫して無関心だったので、激しい反応は意外だったが、耳を貸す気はなかった。

『サイラスはあなたを心配しているのよ』と、祖母は言った。祖母の父親、つまりレイの曾祖父にあたる男性が警察官で、若くして殉職していたからだ。

『わたしだって心配よ、レイモンド。でもあなたが選んだのなら止めはしない。道は常に、必要なときに前に現れるものだから』

 二十歳を過ぎれば、警察学校に入るのにも親の同意は要らない。自分の思う道を思うように進む。

 死ぬのは怖くなかった。自分が死んだってサイラス・クラークは泣いたりしない。だが祖母はきっと悲しむ。せめて祖母の命があるあいだは死なないようにしよう。それが恩ある祖母への孝行というものだ。


 ◆


 意識が戻ったとき、なぜ父親の顔など思い浮かべたのかと、レイは自分に腹を立てた。前夜に父親の招きを断ったのが胸に引っかかっていたのかもしれない。別に、葬式にだって来てほしくはないのに。

 目を開けたが、視界が暗くてよく見えなかった。おそらく頭部にショックパルスをくらい、視神経をやられたのだ。頭が割れるように痛む。ボディにショックパルスを浴びる訓練は警察学校で受けたが、頭部はさすがに初体験だった。ショックが強すぎて後遺症が残ることがあるのだ。

 平気で子猫を殺せるような人間に銃を持たせるのは危険だ。携帯許可の条件を厳しくすべきじゃないかと考えながら、レイは耳を澄ませた。蜂の羽音のようなうなりが聞こえるのは、やはりショックパルスの影響か。体はうつぶせのまま動かせず、そばにサラ・オルドリンがいるのかどうかもわからない。

 まったく、かっこ悪いったらない。ひとりでできるなんて見栄をきったくせに、このまま死んだらいい笑いものだ。ハルになんて言われるか。

 意地悪くほほえむ男の顔が、目の前に浮かんだ。

 ――死ねない。

 レイは目を閉じて十数え、深呼吸をした。それから無理やり体を動かしてみて、かろうじて手首から先は動くことを確認した。いいニュースだ。とりあえず脊髄損傷はないらしい。だが悪いニュースもあった。どうやら後ろ手に手錠をかけられている。状況からして自分の装備品の手錠だろう。

 最悪だ、とつぶやいたところで、耳鳴りにまじっていくつかの足音が聞こえるのに気づいた。

「クリア!」

 ハルの声だ。そうわかったとたんに、全身から力が抜けて気が遠くなった。

「大丈夫か、新人」

 間近からハルに呼びかけられ、また目覚める。首筋に指を当てられ、脈を探られる。いつのまにか手錠がはずされて、ハルの膝に上体をかかえあげられているようだった。

 危険がないことを確認した「クリア」という女性の声が遠くから響いてくる。エイミーも来てくれたらしい。身動きしようとすると激しい頭痛に見舞われ、レイはうめいた。

「……すみません、しくじりました」

「だな。あとでたっぷり説教してやるから楽しみにしてろ」

 怒りを含んだ声に、レイは悄然とする。明らかに自分の油断が招いたことで、なにも言い返せなかった。泳がせた目の動きが不自然なのに気づいたらしく、ハルがけげんそうに訊く。

「目をどうかしたのか?」

「……見えないんです。頭を撃たれて――」

「なんだって? くそ猫女が!」

 汚い言葉を吐き散らすハルを、レイは遮る。

「ミズ・オルドリンは?」

「外でディックが確保した。いま救急車が来る。すぐ病院へ運んでやるからな」

 現行犯逮捕になるのか、とレイは考えた。捜査官への暴行、傷害容疑だから実刑は確実だ。もっとも、彼女に必要なのは刑よりも精神のケアだろう。


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