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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter3】猫とトカゲのゲーム
16/37

(2)

 猫は、多いときは十一匹飼われていた。すべてもとは捨て猫や野良猫だった。屋敷の東翼の二階が祖母の暮らす場所で、そこに行くといたるところに猫がいて、寝そべっていたり、喧嘩をしていたり、撫でろ、遊べとすり寄ってきたりしたものだ。

 祖母にすれば、自分も捨て猫のようなものだったのかもしれないと、レイは思う。

 母親が病気で亡くなる直前、病室の枕元で打ち明けられた日のことは、いまも忘れられない。

『ごめんなさい、レイ。わたしはもうあなたのそばにはいられない。……あなたのお父さんに連絡したの。すぐに迎えにくるわ』

 父親は自分が生まれる前に死んだと聞かされていたので、当時六歳だったレイは仰天した。

『ずっと黙っていて悪かったわ……。あなたのミドルネームはね、お父さんからもらったものなのよ』

 驚きがおさまると、期待が芽生えた。父親が金持ちなら、母親もいい治療を受けられて、病気が治るかもしれない。母親の違う兄も三人いるのだと聞いて、期待はさらにふくらんだ。きっと母親も元気になる。休日には家族で野球を観にいったり、ドライブに行ったりできるのだ。なにより、いままで知らなかった父親や兄というものを持てることがうれしかった。

 だが翌日、初めて会った父親の目は冷たかった。DNAのマッチングは済んでいて、生物学的な親子関係は証明されていたが、そんなものは愛情に微塵も影響を与えはしない。自分と同じ金髪で青い目。サイラス・クラークが父親なのは、遺伝子と外見だけだった。

 いい子にして、かわいがってもらうのよ。愛してるわ、レイ。

 数日後、そう最期に言って、母親は息を引き取った。

 ひどく酔っていたせいとはいえ、母親との思い出をハルに語った自分が、レイは信じられなかった。いままで、祖母にしか話したことはなかったのだ。

 祖母にはなんでも話せる。ゆうべもアパートメントに帰ってから電話をして、日本の古いコインの話をしたらかなり興味を持っていた。こんなふうに祖母と話せるのもあとわずかだと思うと涙が出そうになり、すぐに電話を切ってしまったのが、今朝になって悔やまれた。

 クラークの屋敷に祖母がいなかったなら、いまの自分はないだろう。東翼の二階はレイにとって聖地であり、最後の避難場所だった。

 ふと、古いお守りのコインをハルに渡した祖母というのは、どういう人だったのだろうと考えた。

 反りの合わない相棒は向かいの机の上で、総務課の車両係からもらったというコオロギをトカゲに与えている。レイは昆虫が噛み砕かれるぞっとするような音にもだいぶ慣れて、とりあえず目をそらしていれば背筋が震えることもなくなっていた。

 いま考えるべきなのは猫のことだ、とレイは自分に言い聞かせて椅子を立った。

「先輩、これからクローン動物の研究所に行ってきます」

「了解。帰ったら別件の天文学者のところに行くから、適宜連絡を入れてくれ」

 ハルはレイのほうを見もせず、昆虫にかぶりつくトカゲをうっとりと眺めながら、昼食のサンドイッチの包みを開いた。

「わかりました」と口では言いながら、レイは、食事中のトカゲの前で食事をできる人の気持ちがわからないと考えた。


 ◆


 マッハ・ダイナスティで通りを西に向かい、郊外にあるセントレア・クローンアニマル研究所を目指す。その道中でヘルヴァが、自律学習機能でネットからジョークを拾ってきたので聞いてほしいと頼んできた。ハルとのやりとりで、冗談というものに目覚めたようだ。

《〝ある生徒が国語の時間に、おもしろい小説には四つの要素を入れるとよいと習いました。その四つとは、宗教、上流階級のゴシップ、ミステリー、セクシャルなネタです。生徒はすべての要素を入れ、渾身の小説を書き上げました。――『ああ、神さま!』伯爵夫人は叫んだ。『わたしのおなかの子の父親は誰ですか?』〟》

 レイがつい噴き出したのは、AIであるヘルヴァがこれを選んだという点がおかしかったからだ。

「ヘルヴァ、おまえはそのジョークのどこがおもしろいと思うんだ?」

《おもしろい小説は一行で書ける、と皮肉っているところでしょうか。しかし、要素だけ入れてもおもしろい小説は書けないと解釈すべきなのか、理解しかねています》

 自信のなさそうな言葉に、レイはうなずく。

「まあ、答えはひとつじゃないからな。今度先輩に話してみろよ、反応が知りたい」

《マスターに笑っていただけてよかったです。ミスター・デイビスも笑ってくださるとよいのですが。……そろそろ目的地です、マスター》



 研究所の建物は三階建てで、玄関ホールの壁にはさまざまな種類の犬や猫の写真が飾られ、アドスクリーンには〝当研究所の安心のお約束〟なる映像が流れていた。ここではペットは犬と猫、家畜は牛と馬をメインにしたクローン動物の研究と製造を行っている。

 待合室には疲れた顔の老女がひとり、ソファにぼんやりと座っている。ペットを失ったばかりなのだろうかと考えながら、レイは受付で所長と会う約束があると告げた。

 最上階にある所長室へ案内されると、中年の院長は挨拶もそこそこに、まず問題のクローン猫の実物を見せると言ってレイを地下の冷凍室に連れていった。

「模様のある個体のクローン作成は難しいのですよ。DNAは同じでも、毛皮の模様はまったく同じにはなりませんからね」

 ペットを失った人間が落胆のあまり無気力状態に陥るのはよくあることだ。なかには、死んだペットの細胞を使ってDNAがまったく同一のクローン体をつくり、失った〝わが子〟をもう一度得ようとする場合もある。また、疾患等で子孫を残せないペットの〝後継ぎ〟が欲しいという人もおり、この研究所はそういった要望に応えている。

 動物も人間と同様で、個性を育むのは環境の要素も大きく、遺伝子だけで性格が決まるわけではない。人なつこい猫のクローン体が必ず人なつこいかというと、そうではないのだ。だが、事前の説明とカウンセリングによって、外見が元の動物と似ていればクライアントはほぼ満足し、〝双子の片割れのようなもの〟と認識して受け入れる。ところが、毛皮の模様が違うと同一の個体と認識できず、違和感が先立って、ひどいときにはクローン体を殺してしまうクライアントもいるのだと、所長は説明した。

「模様は胎内の環境でも変化するのです。ですから再現は難しいと説明していますし、カウンセリングで元の個体への執着が強すぎると判断すれば注文を断ることもあります。しかし、どうしてもと言うので依頼を受け、生まれてみると〝これは違う〟と……」

 スーツ姿の院長は首を振り、壁際に並んだ冷凍庫のひとつのドアを開けた。ビニールに包まれた子猫の死骸がずらりと並んでいて、レイは背筋がぞくっとした。袋は十以上ある。納められているのはいずれも白地に茶色のぶちのある猫だが、模様の位置がそれぞれ違う。

「全部同じ猫のクローンなんですか」

「ええ。まったく同じ模様の子ができるまで続けると言うんです。契約書には同一の個体のクローン作成は計三体までと条項がありまして、このクライアントにもそう伝えたのですが、脅迫されて仕方なく……。しかしついに昨日、次に生まれる子に満足できなければわたしの秘密を公にすると、最後通牒を突きつけられて」

 所長は首を振った。

「思い余り、マッキンタイア署長にご相談したのです」

 レイが捜査資料として受け取った書類の中身とは、だいぶニュアンスが違った。どうやら予想よりも倫理的に重たい案件のようだ。

 ペットのクローン体は、連邦のクローン動物に関する法律によって、作成を依頼した飼い主以外に譲ることが禁じられている。もし飼い主が亡くなればクローン体も処分される。動物愛護団体からは悪法だと非難ごうごうだが、安易なクローン体の製造を規制するには有効だと評価する向きもある。

「では、脅迫の中身を具体的に教えてください。あなたの秘密とは?」

「あの……言わなければいけませんか?」

 脅迫の中身を知らないで、どうやって捜査しろというのだ。レイはいらだちつつも、我慢強く答える。

「捜査上で知り得た内容には守秘義務がありますから、しかるべき者と機関以外にもれることはありません。安心してお話しください」

「はあ……」

 たっぷり三十秒ほどためらったのち、所長はようやくレイの耳元に口を寄せ、ささやくように言った。

「クライアントの女性とナイトクラブで会いまして……まあ、いろいろと、ナニでアレなことを」

「……はっきり言っていただかないとわからないのですが」

「あなたも男なら察してくださいよ、刑事さん。ナニでアレですよ」

 察したくなかった。要するに、自分はこのスケベ所長の破廉恥な行為の尻ぬぐいを手伝わされるということなのか。レイはとがった声で返す。

「そのナニでアレな現場の動画でも撮られたんですか?」

「ええ、まあ……」

 所長の言葉は歯切れが悪い。

「なにかほかにまずいことがあるんですか? 正直に言っていただかないと、事件の解決が難しくなりますよ」

「その……できなかったんです」

 消え入りそうな声で言い、所長は肩を縮めた。

 ああ、それはもう、男として絶対に誰にも知られたくないだろう。知人にばれたりしたら、恥ずかしさで軽く死ねる。だからといって、同情などもちろんしないが。

「その脅迫行為で起訴すると、中身も盛大に周囲に知れ渡りますが」

「それはちょっと、いやかなり避けたいです」

「でしょうね」

 レイは深いため息をついた。冷凍室の寒さで鳥肌のたった腕をこすりながら、処分された子猫たちの遺体を眺めてやるせなさに浸った。

「処分したのは研究所のスタッフですから、動物愛護法の殺傷に関する二十条の適用はできませんね。監護を怠ったということで二十八条なら適用可能と思いますが、そうなると、この数まで処分を受け入れていたこちらの研究所の姿勢も問われることになるでしょう」

 検察と検討してまた来ると告げ、レイは猫の遺体の写真を撮り、問題のクライアントの個人情報とクローン体製造の履歴を記録したフォロディスクを受け取った。いやがる所長を説き伏せ、ディスクには脅迫のもととなったナニでアレな動画も入れさせた。こっちだって頼まれても見たくないが、捜査に必要なのだから仕方がない。

 研究所を出てマッハ・ダイナスティにまたがると、レイは、はたしてこれは自分が扱うべき事案なのかという非常に根本的な疑問にしばし頭を悩ませた。脅迫・強要罪に問えないなら、民事で解決するのが筋ではないだろうか。あいだに人を立てて双方で話し合い、示談に持ちこむのがベストに思える。

 こんな案件がマッキンタイア署長から直接下りてくるなんて、信じられなかった。署長は脅迫の内容を知っていたのだろうか? 詳しく聞きもせず、知人が困っているから助けてやろうと、軽い気持ちで引き受けたのではないか。

 ハルが言っていたように、特捜班は〝便利屋〟なのだ。

 アリスの件といい、事件が全部この調子だったらどうしよう。前途に暗い予感をおぼえつつ、レイはヘルヴァに発進を命じた。運転をAIにまかせ、作業を始める。フォロディスクをDフォームに挿して中身をコピーし、本署のデータベースに送る。フォロディスク本体は手順どおりに証拠品パックに納め、封をしてバイクのサイドボックスに入れた。

 その後、マッハ・ダイナスティにのんびりと運ばれながら、問題のクライアントのファイルに目を通した。

 サラ・オルドリン、四十二歳、未婚。豊かなブルネットの、なかなかの美人だ。ネオ・エルドラドでナイトクラブを営んでいる。記録によれば、五年ほど前にビーチ沿いに一軒家を購入し、隣の州から移住。資産家だが、家は地味な二階建ての家屋だ。くだんの猫は名をピートといい、小柄で目は金色、毛は右の耳に茶のぶちがあるだけで、その他は真っ白だ。

 いま時刻は午後二時。ナイトクラブのオーナーならこの時間はまだ在宅かもしれないと、レイは考えた。猫好き同士だ。起訴とか裁判とか面倒なことをしなくても、話し合いで解決するのではないだろうか?

「ヘルヴァ、行き先を変更する」

 ビーチ沿いの家の住所を指示すると、バイクはゆるやかに進路を南に向けた。


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