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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter2】カサンドラは未来の夢を見るか
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(8)

 ここはクリスチャン・キングの経営するカジノ、ルナ・アスールだ。スペイン語で青い月を表す店名は、月が青く見えるのがまれであることから、「稀有な」「ふたつとない」といった意味を持つ。カジノのほかにレストランやホテル、スパも備えている。

 警備員は不審げにハルの全身を眺めてから建物の内部と通信し、ガラスドアを開けてくれた。ハルが入ると、ドアはまた後ろでぴたりと閉ざされた。店内は開店の準備中で、大勢の制服姿のスタッフが忙しそうに行き交っている。その隙を縫うようにして、タイトなスーツ姿の若い女性がハルに近づいてきた。

 キングの秘書と名乗ったその女性に導かれ、三方がガラス張りのエレベーターに乗りこむ。宙に浮いているような頼りなさを感じるが、階が上がるにつれて視界が開けるのは爽快だった。ネオ・エルドラドのカジノ群、その向こうに市の中心街、おもちゃのようなモノレールの軌道、彼方にはセントレア湾と港、マリーナ、沖合のハミルトン島の影も見える。

 最上階で降り、カーペット敷きの廊下を歩いて案内された広いオフィスの奥、どっしりしたスチールの机の向こうでクリスチャン・キングが立ち上がった。

「デイビス――ハル、ここで会うのは初めてかな」

 グラマラスで、いかにもキングが好みそうな容姿の秘書が下がるのを待って、ハルは奥の机に歩み寄った。キングが、まあ座れと来客用の革張りのソファを示すが、ハルは断った。

「長居をするつもりはないんだ、クリス」

「捜査官として来たんじゃないってことか。その割には盾をかざしてるようだが」

 ハルのベルトで鈍く光る盾のエンブレムを目で示し、キングはからかうように言って、机を回ってハルのそばに来た。親しげにハルの肩を抱き、壁の全面がガラス張りの窓のほうへ導く。

「そんなに急がなくてもいいだろう。まだ日も高い」

 雄大な景色が広がっていた。白波の立つ沖合はるか、水平線の向こうには雲が差してきて、ハリケーンの予兆を伝えている。

「俺は急いでるんだ。このあとにも用事がある」

 ハルはキングの手をゆっくりと肩から払いのけ、一歩離れて、年上の男を横目で見た。

「ケントのオフィスの件なら、本当にわたしは関わっていないよ」

「それはもういい。アーサー・ケントは不起訴になった。今日ここに来たのは、カサンドラ・ビジョンの件だ」

 キングは片方の眉を上げた。医療拘置所で会ったときと服装は同じだが、耳の片方にはダイヤモンドのピアスが光っている。

「あのゴミまがいのおもちゃは、わたしには関係ないよ」

「わかってるくせに。はぐらかすな。カサンドラ・ビジョンとはうまいネーミングだな、クリス」

 ギリシア神話で語られるトロイの王女、カサンドラは、神から授かった予知の力で、国に破滅をもたらす事象を予言する。だが誰もそれを信じず、防衛手段は講じられずに、国は滅び去る。

「破滅を呼ぶ幻視とはね」

「ああ、もう五人も死んだらしいね」

 キングは軽く肩をすくめて、部屋の隅に据えられたバーカウンターのほうへ歩いた。

「薬ののみすぎだろう? ネットのうさんくさい情報を真に受けて死ぬのは、そいつの欲が深すぎたせいだ。予知なんてたわごとを信じるところからもう、破滅への一歩を踏み出している」

 カットクリスタルのダブルショットグラスにスコッチを半分注ぎ、ハルのほうに掲げてみせる。ハルが首を振ると、キングはそのグラスを自分の口元に運び、いっきに傾けた。からになったグラスをカウンターに置き、また半分、琥珀色の液体を注ぐ。

「まあ、あのゴミは目障りだから排除を検討中だよ。だが、それが知りたくてここに来たわけじゃないよな。いままで十年も、とことんわたしを避けてきたおまえだ」

 カウンターにもたれかかったキングは、スコッチのグラスを揺らして香りを楽しみながら、気のない調子で言った。

 ハルは絶景の広がる窓に背を向け、大股でキングのほうへ近づいた。スーツ姿の男の手からグラスをとりあげ、カウンターに置く。

「本物のカサンドラ・ビジョン――CVを分けてほしい。昔のよしみで」

 キングはからになった手で顎を撫で、挑むようにハルの目を見つめた。

「破滅の予言が欲しいのか、ハル・デイビス」

「俺が欲しいのは真実だ」

「人は信じたくないものを真実とは認められないものだよ。おまえさんは幻滅する勇気があるのか?」

「……どういう意味だ?」

 キングはにやりとして、カウンターからショットグラスをとり、口に運んだ。

「サイモン・スタージョンの死に疑問を持っているんだろう。わたしはなにもしていないよ、信じてはくれないだろうが」

「……だったらかまわないはずだな。CV――あんたらがどう呼んでるのかは知らないが、その薬を俺に譲ってくれ。一回分だけでいい。金は払う。分割払いになるが」

 長いあいだ、キングはグラス越しにハルの顔を見つめていた。やがて、グラスの中身をいっきに干し、視線を窓のほうにさまよわせた。

「金はいらない。うなるほどあるからね」

「代わりに肉を一ポンド差し出せとでも?」

 シェイクスピアか、とキングはばかにしたように笑う。

「血も一リットルつけてもらうかな。肉だけを切り取るのは難しい」

「いいぞ。契約書を書こう」

「……やめておく。カニバリズムの趣味はない」

 グラスをカウンターに置いて、キングはスコッチのボトルをつかんだ。もう一杯飲むかどうか考えたようだが、結局お代わりは注がずにボトルから手を離した。

「臆病だな、キング」

「用心深いと言えよ。そんな契約書を書いたと世間に知れたら、人でなしだと思われる」

「事実だろう」

「その事実をうまく隠しているから敬意を払われてるのさ」

 にやりとして、キングはカウンターに寄りかかった。

「代価は……そうだな、おまえさんが得た真実とやらをわたしに教えるってことでどうだ?」

 ハルは探るようにキングの目を見つめた。キングが半眼になってハルを見つめ返す。

「わたしもサイモン・スタージョンの真実を知りたいんだよ。あの薬は使用者を選ぶ。残念ながらわたしには適性がない。しかし、おまえさんなら……」

「なぜサイモンのことを知りたいんだ?」

 その問いには答えず、キングは、話は終わりだというように手を振った。

「五分で手配する。帰るときに玄関の警備員から受け取れ」

「……感謝する。じゃあな」

 ドアへ向かったハルの背中から、キングの声が追いかけてくる。

「来てくれてうれしかったよ、ハル」

 ハルは肩越しに振り返り、キングに冷たい一瞥を投げた。

「これが最初で最後だ、キング」


 ◆


 警備員から渡された封筒には、アルミパッキングされた錠剤が一錠入っていた。なんの変哲もない、薬局で売られている薬と同じに見える。だが実際は、薬品として国の認可を受けていない非合法薬物だ。

〝カサンドラ・ビジョン〟――CVと闇の市場で呼ばれている薬があることを、ハルは睡眠学習機の捜査の過程で知った。麻薬と称される覚醒剤やマリファナ、LSDなどとは違い、高揚感や多幸感を引き起こすものではないから、一般市民のあいだには流通しない。主な使用者は金融機関やカジノのディーラー、競馬やスポーツ試合の予想屋だ。

 人間の潜在的な〝予知能力〟を引き出す。それがCVの〝効能〟だという。

 入手のルートはごく限られる。どうやら元締めはクリスチャン・キングらしいと知ったとき、彼のカジノ、ルナ・アスールのディーラーに優秀な者が多い理由が納得できた。

 ハルは封筒を無造作に折ってジーンズの尻ポケットに押しこみ、錠剤のパックは市警のエンブレムのついた身分証の裏ポケットに収めた。身分証をベルトに戻し、立ち寄った公衆トイレから出る。壁に立てかけておいた自転車にまたがり、大通りを走り出す。市警の自転車は目立つ青色で盗難防止装置も派手だから、さすがに盗もうという猛者はいない。

 私用で署の備品を使うのは規則違反で、ばれるとまた勤務評定にマイナスがつくが、ハルは気にしなかった。昨日盗まれた自分の自転車も防犯登録はしてあるから、見つかって連絡が来る可能性もある。しばらくは望みを託して待つつもりだった。

 ハルは恩人の形見の腕時計に目をやった。次の約束の時刻まであと二十分だ。

 ペダルをこぐ足に力が入る。

 カサンドラ・ビジョン――トロイの王女の破滅の予言。

『幻滅する勇気があるのか』と、キングに訊かれたことを思い出す。奴がサイモンのことでなにか知っているのは確かだ。だがその場で問いたださなかった自分は、やはり真実を知ることを恐れているのかもしれなかった。


 ◆


 エレベーターで一階に降りたときには、時刻は八時半を回っていた。受付の警備員に預けていた銃とサバイバルナイフの返却を待つあいだに、ハルはふと、受付の横に立つマシンドールに目をとめる。薄いピンクの看護師の制服が、めりはりのある体を引き立てている。

《ようこそ、セントレア市民病院へ。午後の受付は終了しました。ご質問をどうぞ》

 AIの声は落ち着いた雰囲気のソプラノで、口調は単調だが、声質はハルの好みだった。

「あんたのスリーサイズを教えてくれ」

《そのご質問に対する答えは用意されていません。次のご質問をどうぞ》

「彼氏はいるのか? 俺とデートしない?」

《ようこそ、セントレア市民病院へ。午後の受付は終了しました。明日またお越しください》

 振られたことにちょっと傷ついた自分に腹を立てつつ、ハルは警備員から武器を受けとり、出口へ向かった。アリスにしても看護師にしても、マシンドールのAIなんてこの程度だ。その点、ヘルヴァはよくできている。

 レイのマッハ・ダイナスティのAIとの会話を思い返して、ハルは苦笑した。病院のマシンドールにこそ、もっと気の利いたマンライクな対応が必要ではないか。口調も楽しげなものにして、冗談くらい返せるように。そうすれば、気が滅入らずにはいられない宣告も、多少は受け入れやすくなる……かもしれない。

 昼間の熱気が残る戸外に出て、Dフォームを確認する。返信をしないでいるうちに、エイミーとディックから合わせて十本もメールが届いていた。新人からは一本もないのは、怒っているからなのか。ハルはうなじを撫で、首を回した。病院に来るといつも肩が凝る。

 高層ビルの隙間に、満月が顔を見せている。ハルは駐車場から自転車に乗り、市の北部にあるディックの家を目指してペダルをこいだ。


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