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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter2】カサンドラは未来の夢を見るか
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(7)

 アーサー・ケントのオフィスは全焼し、ショットガン乱射の証拠はすべて灰になった。ハルが撮影した画像は本署のデータベースに残っているが、そもそも容疑者のアーサー・ケントの精神状態が正常ではなく、責任能力は問えないと思われるとの意見調書がバロウズ医師から寄せられたため、銃刀法違反と殺人未遂容疑での起訴は見送られることになった。ピュアドールズ社では盗難訴訟はしないという。

 ハルはアーサー・ケント関係の資料と書類を自分の端末から削除した。ジョナサンの行方が気になったが、事件が終わった以上、調査すると連邦の個人情報保護法に違反する。

「無罪放免か。くそおもしろくもない」

「先輩、そこでトカゲに餌をやるの、やめてもらえませんか」

 向かいの席から、レイが言った。

「ずっとケージのなかじゃかわいそうだろう」

「だからって、机の上でバッタを食べさせるのはどうなんです?」

「おまえ以外は気にしてない」

 ハルはペットボトルの餌入れからまた一匹、バッタを取り出した。待ちきれないというように、アルジャーノンが食いついてくる。

「こら、俺の指を食べるなよ、かわいい奴め」

 われながら親バカだ。レイが始末に負えないという顔をしたが、無視した。トカゲはレイのガス車ほど地球環境に影響を与えていない。

「だったら完食するようにしつけてください。そいつ、ぼくの机の引き出しに食べ残しのバッタの脚を入れるんですよ」

「仇だってわかってるからな。利口なんだ、アルジャーノンは」

 そう言われれば、レイは返す言葉がない。ハルはにやりとして、もう一匹餌を与えてからアルジャーノンをケージに戻した。その後、主任から振られた事件の捜査準備にかかる。三件は多すぎるだろうと内心で毒づき、昨日とりやめた予定を今日こなす手段を考えた。

「新人、猫は好きか?」

「好きです。実家には五匹いて。かわいいですよね、猫。そばにいると和みます」

 レイの目尻が下がった。

 こいつ、トカゲと昆虫は苦手なくせに猫は好きなのか。ハルも猫は好きだったが、飼ってはいない。公務員宿舎ではペットの飼育は禁止されている。

「いまはひとり暮らしだから飼ってませんけど。仕事に慣れてきたら――」

「猫の事件、おまえにまかせる。手に負えないようなら手伝うから言ってくれ」

 ハルは資料をレイの端末に送った。マッキンタイア署長から下りてきた案件で、例によって怪しさ満点で資料の精度がとことん低い。だが新人だって、捜査前に補ってとりかかるくらいの判断はできるはずだ。なんといってもエリートなのだから。

「ぼくがひとりで? でも主任は――」

「ひとりじゃ無理か。そうだよなぁ、やっぱり。じゃあ――」

「できます」

 だんだん新人の操縦方法がわかってきた。ハルは心のなかでほくそ笑み、別件の資料を眺めた。

「あと一件、資料を送るから至急目を通してくれ。打ち合わせして捜査にかかろう。早くやっつけて、熱々のピザと冷えたコーラにありつく」

「ぼくはビールがいいな」

「べつにかまわんが、コーラとの差額は払えよ」

「太っ腹じゃなかったんですか」

「おまえの飲み代出してやるほど裕福じゃない」

「なになに、飲みに行くの? あたしもあたしも!」

 横からエイミーが口を出してくる。

「そーいえばさ、昨日は険悪な雰囲気だったから歓迎会しようとか言えなかったんだけど。今日はいい感じ? 仲直りしたの? ピザならニコラがいいよね? あ、残念! ネットで調べたら今夜は予約でいっぱいだった」

「じゃあうちに来いよ」と、エイミーの向かいからディックが言った。

「今日は俺も定時にあがれる」

「やった、それいい! じゃニコラのピザ、テイクアウトするね。スペシャル、ミラノスタンダード、ミラクルチーズ、あとなにがいい?」

「インディアンホットカレー」とディック。

「あれは先月の限定。今月の限定はジャパニーズテリヤキチキン」

「じゃそれでいい」

「おっけー、注文完了! あたしが受け取って、六時にディックのうちに行くね! 主任にもメールして、と。やったぁ! 久々に死ぬほど飲めるぅ!」

 エイミーは両手を突き上げた。赤毛のポニーテールが揺れ、大きなヒマワリの髪飾りがうなずいているように見える。

 レイはただ呆然として成り行きを見守っていた。

「なあエイミー、新人の歓迎会なんだろ? まず本人の都合を訊いてやれよ。俺たち、いまの仕事を片づけたらってことで話してたんで、今夜はどうかわからないぜ?」

 ハルが言うと、エイミーは両手を頬に当てて「ムンクの叫び顔」をした。それから両のてのひらを顔の前で合わせ、頭を下げた。

「ごめん! てっきり今夜だと!」

「……いいですよ、今夜はとくに予定ありませんし。うれしいです」

 レイは、本当にうれしそうに笑った。

 それを見てしまったら、俺は行けないとは言いにくかった。非常に間が悪いが、先約があるのだから仕方がない。用事が済んだら追加のビールを持って行こうと、ハルは考えた。その頃にはみんな酔っぱらって、ピザの箱は全部からになっているだろうが。

「ハル、あんたは手ぶらでいいよ。車ないんだしね」とエイミーが言った。

「助かる」

 ハルはただ短く答えて資料の読みこみに戻った。レイとの打ち合わせで別件の捜査の方針を決めて、午後四時半に机を片づけた。椅子を立ち、レイに声をかける。

「前からかかってる事件の捜査が残ってるんだ。おまえは猫の件を進めておいてくれ。俺は今日はもう戻らないから」

「わかりました。じゃああとでディックの家で」

「ああ」

 軽く手をあげ、ハルはオフィスをあとにした。一本電話をかけてから地下駐車場に行き、パトロール用の青い自転車に乗って建物の外に出る。まだ太陽がまぶしく、彼はサングラスをかけた。照りつける日光に肌がじりじりと焼かれる。常夏のセントレアでも、やはり八月がいちばん日差しがきつい。

 ビルが落とす濃い影と日差しが縞模様をなす道路を、南へ走る。ネオ・エルドラドに入るといったん脇道に寄り、アーサー・ケントのオフィスが入っていたビルを遠くから眺めた。二階は全焼と聞いていたが、三階もすっかり焼けてしまったようだ。テナントは入っていなかったはずなので、それは救いだった。周囲にはまだ規制テープが張られて現場検証が行われており、消火剤とものの焦げたにおいが入り交じった、火災現場独特の臭気がここまで漂ってくる。

 ハルは自転車を大通りに戻し、また少し南に下った。目指すのは遊興地区の中心、一番通りカジェ・ウノに面したカジノだ。

 競泳のレースができそうなほど広い方形の噴水を過ぎ、十段ほどの階段は端に設けられたスロープをのぼって、ようやく二十五階建ての高層建築にたどりつく。強化ガラスを多用し、暗くなるとガラスの内側に巨大な青い月が浮かび上がる先鋭的なデザインだ。

 まだ開店前で、大きなガラスドアはしっかりと閉ざされている。市警の自転車で乗りつけたハルを、大柄な黒人の警備員が威嚇するようににらみつけた。ハルは自転車を降り、ベルトにとめた市警のエンブレムを警備員に示した。

「ミスター・キングに会いに来た。アポイントメントはとってある」


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