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黎明の風に告ぐ ~刑事ハル&レイ~  作者: 早川みつき
【chapter1】冷めたコーヒーの方程式
1/37

(1)

「セントレア市警察だ。武器を捨てろ、アリス!」

 五メートルほど向こう、低いステージ上に立つメイド服姿の若い女に、レイは警告した。

 こんなせりふを口にするシチュエーションにかつて憧れていたような気がするが、感慨にふける余裕はなかった。相手の手には無骨なショットガン、対するこちらは素手である。

 女は美しかった。肩で切りそろえられたプラチナブロンド、透き通るサファイアの瞳、しみひとつない真っ白な肌。〝人間離れした〟という形容がぴったりだ。年齢は十八くらいか。ほっそりした体は紺色のメイド服に包まれ、定番の白いフリル付きエプロンと白のカチューシャが清楚な雰囲気を醸しだしている。

「ご主人さまの敵はわたしの敵です」

 無表情に告げる彼女の背に隠れるようにして、冴えない風采の中年男が立っている。

「そうだ、アリス! 殺ってしまえ!」

 レイは両手を挙げて武器はないことを示し、女の後ろにいる男をにらんだ。

「アリス、そいつはきみの主人なんかじゃない。きみはだまされて――」

「問答無用です!」

 鋭い声とともに、女の手のショットガンが火を噴いた。

 その一瞬前。レイは横手から突き飛ばされてリノリウムの床に転がった。十二ゲージの散弾が彼のいたすぐ後ろの壁に着弾し、無数の穴があく。

「死にたいのか新人! 説得なんか無駄だ!」

 先輩の捜査官、ハルの手でソファの後ろに引っぱりこまれたレイの耳に、弾が手動装填される音が聞こえた。腹の底に響く発射音と同時に、革張りのソファに着弾する衝撃。部屋の空気が震え、硝煙のにおいが鼻をつく。連続して三発、四発と撃ちこまれ、ふたりは身動きもできずに、ソファの耐久性を危ぶみながら体を縮めているしかない。

「いいぞ、アリス! きみは史上最強、最高のメイドだ!」

 男の勝ち誇った声が響きわたった。

 散弾の発射音が止まった。

「ありがとうございます、ご主人さま」

「弾を込めなさい、かわいいアリス」

「はい、ご主人さま」

 ハルがさっとレイの肩をたたき、数メートル先にあるドアを顎で示した。先ほど彼らが入ってきたままで、ドアは半分ほど開いている。

「弾切れらしい。この隙におまえは撤退しろ。金属弾相手じゃ分が悪い」

 旧式な金属弾による銃撃戦は予想していなかったので、ふたりが着用しているのは通常の耐ショックパルスベストだ。殺傷力の高い金属弾を使う武器は、地球連邦の成立とともに製造販売及び使用が禁止され、四半世紀がたっている。

「先輩は?」

「俺は武装してるし――」

 言い終わらないうちにふたたび連射が始まり、ふたりはまたソファの陰に釘付けにされる。

 ハルが頭部に装着している特殊なバイザー付きの機器を操作してつぶやく。

「密造銃じゃねーな、レミントンM870か」

 行動捜査用の〝Fバイザー〟は内側に極薄の有機ELフィルムが張られていて、使用者の要請でさまざまな情報を投射可能だ。ハルは武器データベースを照合してショットガンの種類を特定していた。

「くそったれが、骨董品持ち出しやがって。弾が劣化してて暴発すりゃいいのに」

 ジーンズの裾をまくり、脛にダクトテープでとめてあったショックパルス銃をはずしつつ、吐き捨てるように言う。

「その発言、勤務評定のマイナス対象ですよ」

「知るか。こちとら武器使えねーんだぞ? 不公平だろ」

 上司からは、女には武器を使うな、丁寧に扱えと厳命されていた。まったく厄介だなと考えながら、レイはハルの手に握られた銃を眺める。

「使う気満々に見えますけど?」

 捜査官に支給されているのは、動物の神経系に作用するショックパルスを発するもので、通常は当たっても体が痺れるだけだ。

「自衛は必要だろ。こんなところで死にたかねーし」

 そのとき、ソファの厚い背を突き抜けてきた散弾のひとつがふたりの顔のあいだを抜け、壁にめりこんだ。

「……そろそろソファがヤバいかも」

 壁から同僚に目を移してレイが言うと、ハルもさすがにこわばった顔でうなずいた。

「次の装填のときがチャンスだ。あと二発で弾倉がからになる」

 だが発射音が響くなか、中年男が部屋を横切ってドアへ走り、大きな音をさせて閉めた。男の片手にオートマチックの拳銃を認め、ハルは舌打ちした。

「骨董銃フェチかよ!」

 男のいる場所からは、ソファの陰に身を潜めているふたりが丸見えだ。男は銃口をふたりに向け、にやりとする。

「動くな! これも本物だぞ」

 ショットガンの発射音がやみ、一瞬静まりかえった室内で、ふたりは中年男とにらみ合った。時間が止まったかのような、その刹那。張りつめた空気が凍りつく前に、レイは低い姿勢で頭からソファの向こうに体を投げ出した。受け身をとって床に転がり、すばやく立ち上がって床を蹴る。その足元に、中年男が放った弾丸が突き刺さる。

 乾いた発射音が連続するなか、レイはショットガンに弾を装填する女に飛びかかって床に組み敷いた。女の手からショットガンを奪ったとき、背後から鋭い悲鳴が響いた。ぎくりとして、同僚のほうを振り返る。

「先輩?」

 目の前にはぼろぼろになったソファがあるだけで、ハルの姿は見えない。撃たれたのか? 心臓がどくんと拍った、次の瞬間。ソファの向こうにゆらりと人影が立ち上がった。

「くそったれが、無茶しやがって」

 バイザーの奥から、黒い瞳がぎろりとこちらをにらむ。ハルは右手のショックパルス銃をおもむろにウエストにはさみ、ドアのほうへ足を踏みだした。その先では中年男がだらしなく床に伸びている。さっきの悲鳴は、ショックパルスを浴びた中年男があげたものだったらしい。

 レイはほっとして息を吐いた。緊張がゆるみ、隙が生じたのは新人だからというよりも、組み敷いていたのが女だという意識があったからかもしれない。丁寧に扱えと上司に言われていたせいもあるだろう。

 気がつけばするりと体を入れ替えられて、自分のほうが女に組み敷かれていた。

「あ、あれ?」

 女は鮮やかなサファイア色の瞳でレイを見下ろした。

「お慕いしています、ご主人さま」

「は? ぼくはご主人さまじゃないぞ」

「でも、わたしを押し倒したでしょう? そうされたら従えと言われています。わたしが従うのは、相手がご主人さまだからです」

「どういう教育をされてるんだ、きみは!」

「ご主人さまを喜ばせるよう教育されています」

 女の美しい顔が近づいてくる。

「ちょっと待て! 喜ばせるって、いったいなにをするんだ?」

 レイは女の肩をつかんで必死に押し戻す。

「恥ずかしくて言えません……」

「恥ずかしいならやめればいいだろう」

「でも、ご主人さまを喜ばせるのがわたしの仕事ですから」

「いやだから、ぼくはご主人さまじゃない――」

「わたしがお嫌いなのですか、ご主人さま?」

 サファイアの瞳が潤み、声が悲しげに震える。途方に暮れて、レイは同僚を呼んだ。

「先輩!」

 黒い開襟シャツとジーンズ、防弾ベストに痩身を包んだハルは、床に伸びた男に手錠をかけ終え、拳銃から弾を抜いている。

「そんなのあとでいいでしょう! これをなんとかして――」

「ご主人さま、仕事をさせてくださいませ」

 女の両手に顔をはさまれて、唇を押しつけられた。むっちりとしてやわらかいが、無機質な感触だ。そして、たとえではなく現実に甘かった。

 ……これはストロベリーチョコレート味か?

 呆然としているレイを見て、ハルがぷっと噴き出した。むっとしながら、レイは女の肩をつかんで乱暴に押し離す。

「新人、そいつは丁寧に扱えと言われてるだろう」

 にやにやしながらハルが言う。

 明らかにおもしろがられている。レイはさらにむっとして体を起こしたが、立ち上がる前にメイドに後ろから抱きつかれて、おんぶをしている格好になった。彼女の腕が首に巻きついて苦しい。

「アリス、やめろ! 言うことを聞かないと――」

「わたしはご主人さまを喜ばせる仕事をします」

 ふぅと耳に息を吹きかけられ、レイは思わず叫び声をあげた。

「なにするんだよ!」

 必死に女の腕をほどこうとするが、ほっそりとした両脚までが女性らしからぬ力で腰に絡みついてきて、どうにも離れてくれない。毒づきながら同僚のほうを見ると、ハルは腹をかかえ、遠慮もなくげらげら笑っていた。

「先輩! 助けてくれないなら内務調査班に規則違反報告しますよ?」

 涙が出てきたらしく、ハルは目尻を指でぬぐいながら、「怒るなよ、悪かった」と言った。

 悪いなんてかけらも思ってないくせに、とレイは歯ぎしりする。

「ショックパルスの出力、マックスにしてるでしょう」

「パトロールモードなんかで手加減してたら、こっちが危ないだろーが。耐ショックパルスベストで威力半減しちまうんだし」

 ハルはしれっと言って、女を背負った格好のレイのそばに近づき、しゃがみこんだ。

「だからってマックスにするのはどうなんですか」

 捜査官は通常、ショックパルスの出力を手足が痺れるレベルの十五、いわゆるパトロールモードにセットするよう定められている。それをハルは最大出力の四十五にしているのだ。一発で気絶するのはもちろん、下手に急所に当たると致命傷になる可能性もある。

「向こうは金属弾なんだぞ? 四十五だって足りないくらいだ」

 そう返すハルの口調には、ためらいなどみじんも感じられない。この男に規則を説いても無駄だと、会ってわずか四時間にして、レイは悟っていた。

 ハルは目の焦点をFバイザーの内側に合わせ、なにか情報を読み取っている。そして軽くうなずき、女の肩に手を置いた。

「ちょっと我慢してろよ」

「それ、誰に言ってるんです?」

「おまえに決まってる」

「は? どういう意味――」

 質問が終わらないうちに、ファスナーが下ろされる音がした。女の悲鳴とともに、レイの首に回された両腕に力がこもった。喉が締めつけられ、呼吸ができない。彼は必死に声を絞りだす。

「せ、先輩、苦しいです」

「内務にチクるなんて言うからだ。裏切り者には死を、ってなんの映画だったかな」

「……ゴッドファーザー?」

「考える余裕があるなら大丈夫だな……あった、これだ」

 ぷち、と小さな音がした。刹那、女の体が硬直し、ぴくりとも動かなくなった。

 ハルが女の腕をつかんで少しだけ広げる。拘束がゆるんで喉が解放され、レイは深く息をついた。

「まったく、非常用オフスイッチは額の真ん中とかのわかりやすい位置につけるべきじゃないか?」

 ハルは独り言のように言いながらFバイザーを操って本署と通信し、指示を仰いだ。それから、しかめっ面をレイに向けた。

「主任から伝言。こいつは無理に動かすと壊れるから、くれぐれも大事に扱えとさ。超高額商品だからな。壊したら俺たちの命の保証はしないそうだ」

「ひどいな。機械とぼくらの命とどっちが大事なんですか」

「愚問だ、高額機械に決まってるだろ」

 ハルは女のメイド服をはだけて背をあらわにした。Fバイザーに映した取り扱いマニュアルを参照しつつ、背に埋めこまれたコントロールパネルを開いて操作する。

「これで関節を動かせるはずだ」

 ハルが慎重に女の腕をつかんで広げ、レイは自分で女の脚を押し広げて、ようやく拘束から逃れた。

 この女は精巧に作られたマシンドールだ。スキンはソフトシリコンに人工皮膚を張った一体成形で、触らないかぎりは本物の人間に見える。会話の内容はぎこちなかったものの、発声はなめらかで、違和感はなかった。

 レイは立ち上がり、スラックスの埃を払った。腰に手をあてて、硬直したまま床に転がされているマシンドールを眺め下ろす。

 昨今の人型ロボットの技術の進歩には目をみはるものがある。だが、このアリスについては進歩の方向性がどこか間違っているような気がした。

「こんな精巧なマシンの仕事が男への奉仕だなんて、釈然としないな」

「需要があるから供給されてるんだろう。俺には理解できないが」

 床にかがみこみ、乱れたメイド服を整えはじめたレイに、ハルがいらだった声を投げる。

「殺人マシンに情けなぞいらんだろ、新人」

 レイは肩をすくめた。

「大事に扱えって指示ですからね。彼女、キスがストロベリーチョコレート味でした。ぼくはレモンかミントが好みだな」

 まだ濃厚な甘さが残っているような気がして、レイは指先で唇をぬぐった。

「おまえの好みはどうでもいいが。味つきのキス程度に大枚払う奴の気が知れん」

「まあ、キス以外のエロいこともたぶんうまいんでしょう。モニターの評価によれば、一度味わうと病みつきになるってことらしいし」

「どれだけエロ上手だろうが、このイカレ人間もどきのレンタル料が月額一万UDって妥当だと思うか? ルナホープを往復できる額だ」

 唐突に出てきた月都市の名前に、レイはいぶかしげに眉を上げた。

「月か。子供の頃、シャトルの荷物室に潜りこんで密航しようと、本気で計画したことがあったな」

 ハルは苦笑してうなずいた。

「俺もだ。だが荷物室は低温だし酸素が薄い」

「空港での出迎えが検死官ってのは、ちょっといやですよね」

 ハルは渋面になり、「あいつにY字切開されるのは勘弁だぜ」とつぶやいた。記録していた動画をいったん本署に送信してから報告する。

「セクシャルアンドロイド・タイプ〇一五A〝キューティ・アリス〟回収完了。これより本署に戻ります」

 通信を切ってFバイザーを額の上に押しあげ、現れた黒い瞳をショットガンのあけた壁の穴に向ける。それから、床に伸びている中年男をぎろりとにらんだ。

「なにがご主人さまだ。女を支配して主人面とは、まったく反吐が出る」

 切れ長の目には険悪な光が宿っている。

 なんだ、先輩だってアリスを女として見ているじゃないかと、レイは内心でにやりとする。

「それより許せねぇのは俺に金属弾をぶち込もうとしたことだ。たっぷり後悔させてやるから覚悟しとけ」

 口調には楽しげな気配さえあり、レイは床で昏倒している中年男に心から同情した。


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