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旅する熊

作者: 千葉



 この辺りは道幅が狭いわりになかなか車の交通量が多い。おまけに小さな工場が建っているせいで、そこへ出入りする大型のトラックまで頻繁に通行している。歩行者である我々は、危ない思いをすることも度々だった。無論車の方も、何度も冷や冷やさせられているであろう。


 ある日のことだ。私は駅へ向かいぶらぶらと歩いていて、工場の前に差し掛かった。併設された駐車場に、トラックがバックで入ろうとしているところだった。運転手は窓から身を乗り出して、周囲の安全を確認している。トラックが実際にバックし始めるまでには、まだほんの数瞬、間がありそうだった。今の内に急いで通り抜けてしまおう。私は小走りでトラックの後ろを通り過ぎようとした。運転手からは死角であるから、もたもたしてはいられない。大きな車体の後ろを通り過ぎるそのとき、がつん、と、肩に提げていた鞄を通して小さな衝撃が私に伝わってきた。しかし慌てていたために、無視して通り過ぎてしまった。トラックの後ろを通過し、安全な位置まで来てから漸く、事の真相を確かめるべく後ろを振り返った。そしてトラックの荷台の、扉の開く辺りにある突起に、先程まで私の鞄にぶら下がっていたはずの熊の人形が引っ掛かり、揺れているのに気が付いた。強行したために、紐が千切れてしまったようだった。取りに戻るべきか悩んでいるうちに、トラックはいよいよ後退を始めた。こうなってしまっては、トラックに取りすがって外すわけにもいかない。別段思い入れのある品でも、高級な品でもなかった。それに、私はそれなりに急いでいるところだった。

 私はすっぱりと、その熊を諦めることにした。これも何かの縁なのだ、さらば熊よ。


 その晩私は夢を見た。納豆工場のマーク(あの通りにある小さな工場というのは納豆の工場なのだ)が描かれた大きなトラックの運転席に、私の鞄から旅立って行ったあの熊が座り、丸いてのひらでしっかりとハンドルを握りしめているのだ。トラックはあの通りよりもずっと広い、立派な道路をすいすいと走っていた。熊は今にも鼻歌でも歌い出しそうに見えた。高速に乗って、どこかの街へ納豆を納品に行くところだろうか。もしかしたらあの熊はトラックに揺られて、私よりずっといろんな土地を見て回ることになるのかも知れない。あいつは旅する熊として、日本全国を行脚するのだ。日々の生活に追われ、旅行も満足に出来ない私を残して。

 サービスエリアに寄ろうと、熊が短い腕を使ってハンドルを切り始めたところで唐突に夢は終わった。余りにも唐突だったので、側で鳴っている目ざましの音が、すぐにはそれと認識出来なかった。熊は、私の知らないところへと行ってしまったのだ。


 その日も私は狭苦しい通りを歩いた。乗用車が二台擦れ違おうとしていて、そのさらに横を自転車がすれすれのところで通り抜けて行った。見ている方まで冷や冷やする。

 納豆工場からは今日も大豆の香りが濃密に漂っていた。私はそれを嗅いで、豆ご飯が食べたいなと思う。トラックが三台、駐車場に停まっていた。熊の姿は無かった。今頃は、どこを旅しているのだろう。






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― 新着の感想 ―
[一言] 読みやすかったですし、読後にじんわりとした余韻が残りました。 『旅する熊』っていうタイトルがまたいいですね。 これからもがんばってください。
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