深海艇
コーヒーを淹れ、昨日のピザを食べる。相変わらず何回食べても冷えたピザは不味い。最後の一ピースを口に放り込み、残りのコーヒーで無理やり飲み込んだ。歯を磨き、顔を洗う。どうも鏡に写る自分が自分ではない気がする。最近、自分の姿をうまく想像できない。まぁ、そんなことを気にしてしても何も始まらないが。今の自分に不満はない。好き勝手に生きているだけだし、何かに困っているというわけでもない。そう思って忘れることにした。ただ、何かが足りない気がする。結局のところ、人は何かに拘束されることを望む生き物なのかもしれない。不自由な中にある自由というか、そんな感じのものでしか、満たされた感覚を感じることができない類の生き物なのだろう。僕は何かと理屈をつけて納得しようとする。悪い癖だ。でも、そんな自分が嫌いではないし、この自分をやめる気もない。半ば意地のようなものだ。これまでの生き方を否定したくはないのだ。自分はとことん頑固なやつだなと鼻で笑って、ジャケットを羽織り地下鉄へ急いだ。
仕事が終わり会社を出たときには、既に午後十時を回っていた。僕は行きつけの飲み屋でピーナッツをつまみながらハイネケンを飲んでいた。今日は風が強く天気が冴えないせいか、客はまばらでカウンターには僕と一組の男女しかいない。こんな日はどうせ目ぼしい女性客が入るわけもなく空振りだろうから、暇つぶしに最近新しく見つけた店にかえて、一人でウィスキーでも飲もうと思った。
外は相変わらず風が強かった。春という季節は穏やかな印象が強いが、実際はそうでもない。ちょうど梅雨に入る直前の時期は、天候が安定しない日が多い。駅のほうを見ると帰宅を急ぐ人の波が、地下にぽっかり空いた空洞に吸い込まれていく。明かりのついた家族の待つ家に帰る人もいるだろう。しんと静まり返った部屋に帰り、自分で明かりをつける人もいるだろう。どちらがいいかはわからないが、どうしても僕は温かい家庭というものがイメージできない。なにか気持ちの悪いもののように思えてしかたないのだ。そして、ふと自分の育った家庭が頭をよぎった。
僕には母親はいるが、父親がいない。母親は朝から夜遅くまで働いていて、僕は家にいる大概の時間を本を読んで過ごした。母親はバイタリティーのある強い人で、弱音を吐いたことはなかった。母親は精一杯僕にしてくれたと思っているから、父親がいてほしいと思ったことなどない。父親がいないのが僕にとって普通だったし、それ以外の家族の姿はイメージできないのだ。家庭に恵まれなかった人は、よい家庭を育めないという。どこかで聞いたことのある台詞だ。「よい」という言葉の意味がまずよくわからないし、結局のところ結果論でしかないように思う。一般的に片親で育った僕のような人は、家庭に恵まれていたとは言えないのだろうから、僕はよい家庭を築けないということになる。少し考えたあと、僕みたいな身勝手な人間は、家庭などということに、ああだこうだと考えを巡らせても意味がないなと思った。
ウィスキーの入ったグラスを傾け、喉に流し込む。喉から順に身体が侵食され、脳が解き放たれていく感覚。自分がアルコールに侵され朽ちていき感情が洗われていく。この感覚にもう少し身を委ねていたい。店内の落とされた照明と、小奇麗に並べられ光に照らされたボトルのコントラストが夜の情景を演出している。
しばらくして、僕は飲むペースを落とそうと煙草に火をつけ、店に流れる音に耳を澄ました。一口吸う度にじりじりと燃えていく煙草は気がつくとあっという間に灰になった。僕は続けて二本煙草を吸った。
バーテンダーがシェイカーを振る音、氷がグラスにあたる涼しげな音、客の話し声、店内に流れる音楽、すべての音が微妙なバランスを保っている。何一つ不必要な音はないし、足りない音もないように思う。外の喧騒から隔離されたこの地下の空間で、僕はぼんやりこの不協和音を聞いていた。なんだかこの空間が海深くに潜って航行している深海艇のようにも思える。感情の奥深くに沈んでいたものを探すために進む深海艇のような空間。今まで思ってもみないような感情が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。とても不思議な感覚だった。
そのとき、扉の向こうから近付く足音が聞こえ、古びた扉が開いた。一人の客が入ってきて、僕から二つ離れたカウンターに座った。