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第9話 おじさん 後編

街のあちこちに挿してある風車は、人にぶつかったり風で揺れながら少しずつ回転する。赤や黄色や緑といった、街の外観には無い色を補っている。街には彩り、人には癒しを与えてくれる風車。中央広場にもいくつかあって、人通りが多くなるにつれてその音が響きわたる。話し声もほとんど聞こえないからよけいにそう思うのかもしれない。

 しばらく、そんな歩く人と回転する風車の光景をじっと見つめていた。私が何かを見つければ、彩りのある世界に行ける。白と黒だけの世界ではない。様々な色、様々な可能性のある世界へと戻ることができる。そのためには、何かを決心しなければならないことは、ずっと前から気づいている。それが何かを見つけることが、今の私がするべきことなんだと思う。

 いつしか、ベンチは私の隣以外は埋まってしまっていた。別に求められれば断る理由は無いから座ってくれればいいのにと思うけど、誰も座ってはくれない。男の人の一人半分くらいの幅は残っているんだけどな。

 そう思ってとある方向を向いて向き返したら…

「き・・!」

 きゃっ、という言葉をとっさに飲み込んだ。タバコのおじさんがすぐ隣に座っているのだ。その驚きが伝わったのか、タバコを出そうとする前におじさんが私の方を向いた。刈り上げでおでこが少し広く見える。たぶん三十代前半だと思う。雪のついた無精ひげを生やし、しっかりと角のある目をしたおじさんが、目の前にいる!

「…なに?」

 は、話しかけられた! ど、どうしよう!? なんだか急に慌て加減が増したような感じ。

「あ、い、いえ、その…」

「どうしたんだ?そんな驚いた顔して?」

 確かに目をずいぶん開いていたという感覚はあった。それとともに表情も強張っていたのだと思う。いきなり人がいてびっくりしたんだもの、と言いそうになったのだけど、なぜか声が出ない。驚きのほうが勝っているみたい。

「…ああ、そうか。振り向きざまに俺がいたから驚いたのか。そりゃマズかったな。ごめんごめん」

 おじさんはそういって笑いながら私を視界から外し、タバコをしまって携帯電話を出す。自分の世界に戻ったおじさんを見て、私も私の世界に戻る。


 ふたりの接点がなくなった。話を進めればよかったのに。でも何を話すの? 話したかったことでもあったんじゃないの? 今までとは別の考えが頭に浮かんでくる。別にこのおじさんが好きになったわけでは全然ないのに。たんに目立って気になっただけ。そう、それ以上の感情は何もない。そして、その対象がすぐ隣にいる。なぜか、こんなチャンスは無い、という想いが降ってわいた。何のチャンス? 彼に何をしようって? 自分で想っててわけがわからない。ずっと雪に埋もれた地面と対面しながら考えてる。

 おじさんの側からはキーをたたく音が聞こえる。正直、考え事をしている状態でこの音は聞きたくない。そう思うと、自然に顔が上がり、言葉が出た。

「あ、あの…」

 何かを打ちこんでいる人を見る。表情は真剣で、目を見開き眉をつりあげて画面を凝視している。私の声が聞こえていないみたいだ。

「あの! あの!」

「ん? なんだ? さっきから? 今度はどうした?」

 何かを妨害されたという感じで優しさや笑顔など微塵もない表情。私に対する嫌悪感がなんだか伝わってくる。俺は忙しいんだ、声をかけるな。そんな言葉が聞こえてきそう。

「あ、あの…こ、ここ、け、圏外…です、よ…」

 言ってしまった。

「え? そうなの? 困ったな…。ねえ君、電話通じるところか、公衆電話知らないか?」

 私に向き直り、その表情のまま聞いてくる。でも、そんなもの、あるわけない。

「ここには無いですよ。私の電話も通じませんし、公衆電話も無いです」

「なんだよ、そうなのか? 困るなあ」

「あの、おじさんはここにきてどのくらい経つんですか?」

「どのくらい、って、どういうことだ?」

「え? 何日くらいいるのか、って…」

「いや、目が覚めたら突然ここにいたんだ。いったいどこなんだここは。早く電話しないといけないのに…」

 おじさんのイライラが伝わってくる。本当は”そんなの無駄だよ”って言いたいけど、それを言うと逆に怒られそう。

「まずは落ち着きませんか? そのほうがいいですよ」

 同い年の大人でここのことを知っているなら、携帯電話を取り上げるくらいはするかもしれない。でも、私はただの女子高生。そこまではできない。

 大人の人とは何度も店頭で会話をした。だから、その感じで落ち着くことを勧めてみた。おじさんはギロッと私を睨みつける。でもすぐに

「ふぅーっ…。なあ、たばこ吸っていいか?」

「あ…え、ええ、どうぞ」

 当然、ここには吸い殻入れは無い。なのにこの人はタバコとライターを出してタバコを吸いだした。

 少し間をおいて、おじさんから話が始まる。

「なあ、ここは何なんだ? 電話は通じないし、出口はないし。君はいいかもしれないけど、俺は仕事があるんだ。すぐに電話しないといけない案件があるんだ」

 なんだかちょっと腹がたった。イライラしてるのはわかるけど、本音が出たみたい。いくら大人でも言っていいことと悪い事がある。

「わ、私だって学校があります! ここから出なきゃいけないんです!」

 ちょっと感情的に早口で言いきった。おじさんは火のついたタバコを持ったまま固まってしまう。この人から見れば子供の私に怒られるなんて想像していなかったという感じだ。そのうち灰がポロっと落ちておじさんの手の甲にあたる。

「あ…うわっちちち!」

 あわててタバコを離し、雪で灰の付いた個所を冷やしている。こすられてまた地面が黒くなる。

「だいじょうぶですか?」

 自分で言うのもなんだけど、とてもその気のない心配気なセリフ。

「ああ、大丈夫だ。消しとかないとな」

 といって、左手でポケットから携帯灰皿を出し、その中にタバコを押し込めている。

「ふう。あ、ごめんな。イマドキの女の子って生意気ってイメージがあるからさ。変な態度取っちまった。すまない」

「あ、いえ…。手、大丈夫ですか?」

 今度はちゃんと心配して同じセリフを言った。私が怒鳴らなければやけどせずに済んだんだから。

 正直、このおじさんにはあまりいいイメージは持っていなかった。この人から見れば私は”イマドキ”なのかも。いけないイメージだ。

「もし知ってたら、ここのこと、教えてくれないか? 来たばっかりで何も分からないんだ」

 おじさんを見たのは二日前だからちょっとおかしいな、と思ったけれど、私が知っている限りのことをおじさんに話すことにした。

 うなずきながら真剣に話を聞いてくれる。仕事以外で大人のひとがこんな真剣に話を聞いてくれたのは初めてかもしれない。

「なるほど…。迷っている、か…」

「心当たり、あるんですか? …あ、ごめんなさい」

「いや、いいんだ。そうか…。たしかに、迷ってる。そんな暇がないくらい忙しかったが、奥底では悩んでたってことか…」

 再度、タバコを出して吸い始めると、話が止まってしまった。切り出すタイミングがつかめない。何かが進む気がしたんだけど。

 雪はまだまだ降り続いている。私たちの話し声は聞こえているはずだけど、きき耳をたてている人は誰もいない。関心が無いみたい。みんな自分の事で忙しいのだろうか。目の前を足早に通り過ぎてゆく。話し声がなくなると雪を踏む音と風車の開店する音しか聞こえない寂しい街。こんなに人がいるのに寂しいと感じるなんて。下を向き始めて少し経ち、煙を吐き出す声が数回する。ふう、とため息がすると、おじさんのほうから話しかけてきた。

「なあ君、よかったら、俺の話、聞いてくれないか?」

「えっ?」

 顔を上げると、すでにたばこは匂いだけになっていた。

「俺の悩み、聞いてくれないかな。なんか、誰かに話したくなったんだ。だめかな?」

 急に弱気というか、優しくなるおじさんが気味悪くもあったけど、

「は、はい」

 と、返事をした。そして、おじさんは、自分の事を話し始めた。


 おじさんは営業をしているサラリーマン。利益第一主義、実力主義、結果がすべてという会社で、他人を蹴落とす、同僚の電話を取り次がない、客の獲りあいは日常的。先日も部長が自分の客を獲り売上のいくらかを持って行かれたうえ、自分自身は実力不足と部長から判定された。それでも売上では三十人いるチームの十位以内に常に入っている。

 自分自身も同僚の客を獲ったことがある。その同僚は他に客を獲得しては同僚に奪われ、精神的にボロボロになったうえ、生活費のための借金も負ったまま、会社を追われた。その後しばらくは罪悪感に苛まれたこともあったが、数日で忘れて客の獲りあいに没頭している自分がいる。これが単に融通しているのならまだ救いようがあるが、自分が会う予定のないときに同僚がクライアントに会い、優良な契約を勧めるという他社との競争のような原理が自社内で働いていることにとても違和感を感じている。

 残業時間は月に百時間を超えない月は無いが、実際に申請できるのは一日一時間。休日出勤などという言葉も無い。二ヶ月休みなしで出勤して給料が二ヶ月で二十万だったこともある。会社を辞めようものなら、客を奪った同僚のようにボロボロになるしかなく、同業他社に転職しようとすると無言電話や求職先への低評価アピールなど執拗な嫌がらせが入る。

 人間関係にも実力主義にも疲れ果てて、自殺を考えたことが何度もある。その勇気もなく、いたずらに時間を過ごし、また客の獲りあいに興じる。

「会社は生活の為には必要なんだ。でも、このままだと本当に殺されてしまう。あいつのように何もかも失って出て行くなんてごめんだ。だけど、もう限界だ。社内で信用できる人間はだれ一人いない。優しく寄って来る人間を疑いの目でしか見られない自分が情けなくて怖いんだ。そして気付いたらここにいて、君に??咤されたってわけさ。さっきの話を聞かなければ君に対しても疑いの目を持った。なんだか恥ずかしいよ。人を信じられなくなるなんてな。誰かと会う時、その人を値踏みするんだ。利益があるかどうかをね。無いと思えば適当に話を済ませて帰るし、あると思えば執拗に追いこむんだ。そういう目でしか人を見られないって言うのは、悲しいよ」

 だんだん目を背けて下を向いてしまうおじさん。この人なりの苦労がすごくあるんだっていうのは感じた。うちのお店のお客さんは気さくな人が多い。職人さんは怖くて厳しいけどちゃんと指導してくれる。学校のクラスメートはいろんな人がいるけど、疑いの目って言うのは無いと思う。大人になるとそういう目を持つことになっちゃうのかな。こういう疑うことしか知らない人にはなりたくないな、って思うけど、今の私にはそれがいいことなのか悪い事なのか、はっきりとした判断ができない。ただ、初対面の、しかも自分の娘さんくらいの女の子、しかも直前まで疑っていた子の前でここまで言ってくれることが、なんとなく嬉しかった。悩みを打ち明けてくれる友人は少ないけどいる。その子たちは私に感情をぶつけてくる。頼ってくれていると感じてはいるけど、反面、関わりない人に話すだけ話してスッキリしようという思惑が見受けられることだってある。こういうときは、思惑はどうでも何らかの形で私は頼られているんだと、前向きに考えることにしている。だからこそ、私は私の意見を言うべきなんだ。

「おじさん」

「んー?」

「こっち向いて」

 私なりに真剣な目でおじさんを見る。何かを感じ取ってくれたのか、おじさんも私のほうを見てくれる。

「私の家は和菓子屋で職人さんが何人かいるの。その職人さんや、お店にだって実力主義ってあるんだと思う。お客さんが減るとかね。でも、おじさんの言うように別のお店や職人さんを蹴落としたり中傷したりすることは決してしない。互いに高めあうとか、心を通じ合わせるとか、そういうのが通じない世界ってあるんだね。でも、辞めたらそこで頑張ってきたことのいくらかが消えてしまうんじゃないかな。お客さんを別の人に渡すことにもなっちゃう。一度部長さんと話をしてみたらどうかな。私に話してくれたようにさ。会社のことはよくわからないけど、ボロボロになる前に、部長さんと議論することはできると思うよ。辞めるのはその後だっていいと思う。いま、再就職って大変だって聞くよ。やれることは、やってみたらいいんじゃない?」

 言った。言ってしまった。この人の苦労を何も考えずに、言ってしまった。そんなのできたら苦労しないよね。

 その証拠に、私の事を睨んでいるような感じがする。やな意見を言ってしまったかな。

「うん…君の、いうとおりだと思うよ。うん。俺はそういう言って言われる関係が一番いいと思ってる。会社を嫌って辞めるのは簡単だ。だけど、その前にやるべきことはやっておいたほうがいいんだよな。それから辞めても遅くはないか。そのとおりだよ。いや、ありがとう。本当に。なんだか少し悩みが晴れたようだ」

 沈んでた声が少しだけ明るくなった。よかった。何か解決できたんだ。これで出られるね。

 ここに来て、初めて何か喜んだという感じがする。少しだけ心が晴れ、表情がゆるむ。

 おじさんに意見しているうちに、それが自分で自分に対してのもののような感じにもなった。

 おじさんは更に話を続ける。しかしそれは私にとって驚くべきことだった。

「もし君の言う通りなら、君のおかげでもう少しでここから出られそうだ。お礼と言っては何だけど、君の事も聞かせてくれないか? 大人目線の生意気なことを言ってしまうかもしれないけど、言わないよりはマシかもしれないぜ」

 え! 自分の事を話す? 自分は聞いておきながら、思っても見ないことだった。ただ、これはチャンスかもしれないと即座に思いなおす。私がおじさんの話を聞いて意見をして、おじさんは少し立ち直った。そのおじさんの状態に、私もなれるかもしれない。最初で最後のチャンス。そう思って、見ず知らずのおじさんに、自分のことを話し始めた。

 和菓子屋の娘であること。職人さんに鍛えられてること。いつかはお店を継ぎたいこと。両親から継いでほしいという話が無い事。洋菓子の世界に魅せられてしまったこと。自分のしてきたことと新しい世界のどちらが正しいのかわからなくなってきたこと。和菓子の職人とパティシエ、ふたつの境界で揺れていること。いろんなお客さんと触れあいたいこと。

 おじさんみたいにわかりやすくは話せず、言いたいことを小出しにするような感じになった。それでも、街の事を説明した時のようにちゃんと耳を傾けてくれている。私なりに懸命に説明をしたつもり。

「私、自分の世界がわからなくなっているのかも。生まれた時からお店はずっとあって、そのお店で働きだして、自然に後継ぎだと自分で思っていて、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも私も、私がお店を継ぐものと思っている。でも、和菓子の世界は洋菓子に比べるととても狭くて、制限のない世界に羽ばたいてみたいってすごく思うようになってる。洋菓子の道に進むならお客さんもお店も捨てないといけない。お店は六代目で終わりか、血のつながらない七代目が継ぐかのどっちかになる。でも、私にだって歴史の重みみたいなものはわかっているつもり。毎年来るお客さんの顔を見ていたい想いもあるんだ。どちらにつけばいいのか、ほんとうにわからないんだ…」

 おじさんは、”そうか…”といって腕を組んで考え出す。そのさまを私がじっと見ている。

「ひとつ言えるのは、君がしたいようにすればいいってことかな」

 この一言は、すごく上目線。意見になってない。そんな雰囲気を察しているようだ。

「あ、ごめん。ちょっと違うかな。自分のしたい事を第一に考えればいいんじゃないか、ってこと。結局君が選んだ道は君にしか責任取れないんだから。伝統だとか歴史だとかに縛られちゃだめだ。君の時代を君が作るんだからね。ご両親が何も言わないのは、ちゃんと選択をするって信じてるのと、それを言ってきてくれるのを待っているんだと思う。もし七代目を継ぐとなったとき、君はどうしたいか考えてみたらどうかな。どんなお菓子を作りたいか、とかね。それが目標になって、君の悩みを消すきっかけくらいにはなるよ。そしてそれをご両親にぶつけてみなよ。どんどん進んで、どんどん転んで、どんどん成長しなよ。前に進むのは誰だって怖い。俺だって怖い。けど、その先にあるものを掴むためには、前に進んでみるのが一番いいのさ。俺くらいの歳になって選択肢が限られる前に、いろんな選択肢に挑戦しな。それが明日の君を作ると信じるんだ。…あ、くさいこと行っちまったかな…」

 たしかにくさいことばかり言われてる気がする。でも、私の心にすごぐ響いた。

「ううん。そんなことないよ。七代目になる、って言葉の重さだけしか見ていなかったかも。七代目になってどうしたいか、か。そうだよね。それがあるから前に進めるんだよね」

 大きくうなずくおじさんに、手を差しだした。なんでかわからないけど、手を出した。

 するとおじさんも手を出し、私の手を握ってくれた。固くて、冷たくて、大きい手。

「お互い、がんばろうぜ」

「…はい」

 お互いに笑顔が出た。私たちはベンチから腰を上げて、中央広場を去った。

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