第8話 おじさん 前編
中央広場での竜巻を見て、そしてお爺さんがどこかへ飛ばされてから、およそ一週間が過ぎた。眠って起きてを七回繰り返したのでそう認識しているっていうだけなんだけど。天気は曇りか雪、そして風のいずれか。晴れることも、夜になることもない。やっぱりここは不思議な街。でも、現実・・・なのだろうか。やっぱり。
今にして思えば、外側の道で立ち尽くしていた私は、あのときお姉さんに助けられたんだ。いてもたってもいられずに何も考えず風や竜巻に身を任せていたら、お爺さんと同じことになっていたんだ。できたらお姉さんにお礼を言いたかった。けれどこの一週間、彼女の姿を見ていない。大きい街ではないから歩いていればまた会えると思っていたんだけど。
ここで会う機会は、もうない。なんとなくそんな予感がしている。
この二日くらいから、外に出て帰るまでの半分ほどを中央広場で過ごすようになった。ずっと歩いていても疲れるだけなので、ちょっと腰かけたことがきっかけだった。目を合わせないように周りをみると、同じようにベンチに座っている人をちらほら見かける。木製のベンチはいつ来ても溶けた雪に覆われていて、金属部分はもちろん木の部分もかなり冷たい。座ればお尻から冷気に襲われ、お腹の調子が悪くなるのでずっと座っている人はほとんどいない。座らない人はみな広場を何周かしてどこか放射の道に入り姿を消す。そしてまた中央広場に戻ってくる。そんな人の行き来を見渡しながら時を過ごしている。
ベンチはひじかけや一人分の仕切りはないけど、3人くらいは座れそうな幅はあった。降った雪がうっすらと積もり、少しずつ水滴となり、その色を白から透明に変えてゆく。水滴はベンチを濡らしながら隙間から地中に落ちる。そのまま座るとその冷たさがコートを通して染みてくるので、用意のいい人は、ちゃんとコートを着て、座る前にハンカチで軽く雪と湿気を払ってから座る。
立ち止まる人たちが訪れるこの街で、こうして立ち止まっている私はいったい何をしているのか。何をすべきかもわかっていない私は何をすればよいのか。自分の悩みを解決させなければならないのはわかっている。でも、解決させる術がわからない。わからないから立ち止まる。立ち止まるからわからないまま時が流れる。そしてまた悩む。ベンチの冷たさが気にならないくらい、あまり物事を考えられなくなっている。ずっとこのままかもしれないと不安にかられる自分と、このままでもいいやと妥協する自分がいる。どっちであるべきか、なんてわかりきったことだけれど、その片方を選べずにいる。選ぶ理由が見つからないからだ。動かないと見つからないのに動かない。動けない。いろいろな悪循環に陥っている。そんな自分が恥ずかしく、歩いている間じゅう、下を向くようになっていることに気づいたのはさらに二日ほど経ってから。さすがにもう寒さにも慣れてしまい、街の冷たさもそれほど感じなくなっている。
私、どうしたらいいんだろう・・・。
いたずらに時間が過ぎて、ひとつの変化を見た。右へ二つ目のベンチに座っている人に気がついた。なんとなく周りに目をやっていただけのことだけど、私同様に長いこと座っているらしい人がいる。肩からひざ下にかけてのロングコートを着て、首にネクタイを締め、髪を刈り上げているせいかおでこが広く見える。傍らに黒いバッグを置いている。どうやらサラリーマンらしい。正面の石畳が黒くくすんだ色をしているのは、いくつもタバコをふかして雪に吸い殻を埋めた跡だとすぐわかった。それが長時間座っている証拠となることも。
彼は私に気付く様子もなく、まじめな顔をしてひたすら携帯電話をいじっている。ずっと圏外だって気づくまでは、その人のように画面を見ては残念がることを繰り返していたので、笑うに笑えない光景。これがもし普通の世界の普通の公園だったら、自主休暇で公園に来て暇をもてあましているようにしか見えないと思う。
あんまり見ているとこちらの視線に気づかれてしまいそうなので、今日はこれで帰ることにした。それにしても、タバコと携帯電話って、おじさんの典型だよね。そう思うと、下を向きながらも笑ってしまった。
翌日から、ベンチに座っては、そのおじさんが来るのを待つのが日課になった。サラリーマン風の人は他にもいるし、みんな同じように暗い顔をしている。同じような背広とで冷たい空気が入らないようにコートをすぼめて、それでも寒がりながらひたすら足早に歩いている人がほとんど。お店に来るサラリーマンのおじさんとはあまり似ていない感じがする。お客さんたちはみんな出るときには明るい表情だし、少なくともここの人たちのような、どうしようもない暗さは感じない。それでいて足早にあちらこちらへと移動していく。暗さと早さはここの人たちでは一番かもしれない。そのなかでおじさんを見つけることは、できなかった。どうしてそのおじさんだけに注目したんだろう。それは、そのなかで一人だけ、なぜかベンチにいて、携帯電話をいじったり、じっとしたり、座っていながらも落ち着かない様子のおじさんがなんとなく目立ったからなのかも。
おじさんは私が座って三十分ほど経ってやっと現れた。いつものようにタバコを吸っては床に落とし、雪の地面を黒く汚している。それも翌日になれば白くなっているのだけど、彼がいなくなってからそこだけカビでもはえたように濁った黒と透き通る白が混在している。正直、タバコの吸い殻を捨てるというのはあまり好きじゃない。うちのお店ではタバコは匂いがつくからとお店全体が禁煙だし、店員同士でチェックもしている。お父さんを含めてタバコを吸う人はいるけど、仕事の日は一切タバコを吸わないくらいみんな徹底している。そのおじさんは五本目を地面にこすりつけてやっとベンチから離れた。タバコで黒くなった部分に靴で雪を重ねて隠してその場を去った。見ていてなんだか気分がわるくなったので、私も席を立ってふらふら歩きを続行することにした。
さらに二日ほど経った。いつものように中央広場に行ってみると、なんだか様子が違っている。人通りが少し多く、全体的に広く見える。その理由はすぐにわかった。中心の雪の塊がなくなっているのだ。それはすなわち、竜巻が発生したことを意味している。誰かが脱出したんだと思うけど、当然だれだかはわからない。タバコを雪で消していたおじさんかもしれない。
なんとなく、太陽の見えない曇り空を見上げる。はやく私もあの雲の上に行きたい。でも、そのきっかけすらつかめていない。
・・・だめだだめだ。見上げるとまた心までどんよりしてしまう。まだ平地の中央広場を見ていたほうがいい。そう思い起こして首だけを傾かせて視界を地上に戻す。六角形の広場、石畳、六つのベンチ。見慣れた光景だけど、別の街に来たような感じがする。広場の全景が遮られること無く見られることと、塊のあった中心を人が歩いて行き来がしやすくなっていることから、そう感じるんだと思う。
放射の道から広場に出れば、六つのベンチすべてが見える。塊があったときは二つ程度だったから。中央広場の名前通り、すべての場所に道が通じるようになった。ベンチに座る人も増えている。六つのうち空きがあるのは二つだけ。ベンチに座っている人は、会話も無く、じっと座っているだけ。歩いている人が多くなっても、うつむき加減はみんな変わらない。私もその一人かと思うと、さみしくて、情けなくなってくる。中央広場を出て、残雪で滑りやすくなっている放射道から周回道に入る。人が通り過ぎたときの風で風車が少しだけ揺れる。時折白い粉雪とともに弱い風が吹き、街のと心の寒さを助長している。
いくつもの道を抜けては中央広場に戻ってくるうち、ベンチのうち四つが空いていることに気がつき、同時に足も疲れかつ冷えてきたので、そのうちのひとつに座ることにした。普段より歩いたせいかどっかりと腰を落としてしまった。
「痛っ!」
思わず声が出て、道行く人の足が止まる。
今までとは違う意味で恥ずかしくなり、一度きちんと座りなおして下を向いた。私が何もしないことを確認すると、立ち止まった人たちはまた歩き出した。
少し佳境に入るので一旦切ります。
元は12枚、目標原稿用紙40枚で修正版を書き始めました。そのなかでついに50枚突破。
このままいくと、あと最低3話、最高5話で終わる予定です。