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第6話 自己分析

再び部屋に戻る。靴も靴下も脱いで、またコーヒーを淹れる。だれもいない静まり返った部屋で、ひとり、自分自身のことを思い返してみる。


 私は和菓子屋の長女として生まれた。兄弟は四つ上の兄がいる。お店はお父さんで六代目。駅前商店街の奥の方にあり、地元で少しは知られた老舗。お得意さんも結構いる。

 父は婿養子で他の職人さんと一緒に素材と格闘している。経営面は主に母が担当している。

 小学校低学年の頃は、家が店をやっていることにまったく抵抗が無かった。商店街の子供たちがみんな同じ学校だったからだ。クラスは分かれても学年の十人に一人くらいは商店街の子がいて、むしろ羨ましがられていた。高学年になると”家に毎日お父さんがいること”があたりまえではないとなんとなく気付く。低学年の時と違い、そのことを羨ましがる人は少なくなっていった。クラスの集まりがあると、うちのお菓子を提供していたから、他のお父さんよりもうちのお父さんはみんなに知られていた。それは当時の私にとって、自慢でもあり、恥ずかしくもあった。


 中学生になって、他の小学校から来た子が一緒になると、”家に毎日お父さんがいる”率は一層低くなり、お父さんが”うざい”という子が出始め、伝染が始まる。そんな周りの風潮に反して、家で手伝いを始めるようになった。学校で友達が増えたから話す機会は減ったけど、笑店街で呼び込みや売り子をしている同級生を見かけるようになる。お店では主に売り子を担当し、従業員の女性に手ほどきを受ける。数回だけど作業に参加することもあり、そこで職人としての、家では見せたことのないお父さんを見た。その表情は真剣そのもので、それとは裏腹のかわいいお菓子が次々とできあがっていく。時には大きなお餅の塊を縦横に伸ばすダイナミックな所作を見せ、時には素材に色づけをしそれを形作ることで動物や植物を模した”作品”にする繊細な指使いを見せる。常に無言で目の前の素材を一級のお菓子に仕立ててゆく。そんな父の姿を見て、いつかはこんな職人になりたいと、なんとなく考えるようになる。

 中学二年になり、そんな想いは早くも転機を迎える。お父さんお母さんが時給をくれると言ってきたのだ。まだ中学生であることから一定額以上は渡せないが、それ以上に働いた分はしっかり貯金に回しておくとのことだった。お父さんが言うには”お金をもらって働くことを覚えなさい”ということだった。これを機に、急にお店の人から厳しい叱責を受けるようになる。例えば三角きんの結び方や、お釣りの受け取り方、言葉遣いにいたるまで。叱責が閉店後も続くことが何度もあり、ひねくれ始めるまでにそれほど時間はかからなかった。そして夏休み、お盆を過ぎた頃、事件が起きた。

 突然、友達数人から”夏休みも終わりだから遊びに行こう”と連絡が来た。二日後は終日お店で働く予定だったのでお母さんに聞いたら、仕事をしてほしいと言われた。理由を聞いても、先に仕事を入れたのはあなた(私のこと)だから、というだけだった。お父さんにそのことを訴えたら逆に怒られた。そのため初めて両親に対して怒りをぶつけた。どうしてこんなに厳しくされないといけないのかと。今から考えれば幼さ満点だったとは思うけど、当時の私はそんなことは理解できず、”一日くらい遊びに行ってもいいじゃないか”という心境だった。その年の夏は割と忙しく、普段なら一週間くらい旅行するはずが何もなかったから、私としてはとても不満があった。店のことなんて考えず、どこかつれていって、とせがむ日が続いていた。その鬱憤が爆発し、家の中でちょっとした騒ぎになる。その日は結局”いいから明日は仕事しなさい”という父に対して何も言わずその場を離れた。眠れぬ夜を過ごした翌日、親の目を盗んで友達と遊園地に遊びに行った。乗り物に乗ったり、プールに入ったり、食事をしたりして、商店街がほとんど閉店した頃に家路についた。

 家はしーんとしており、誰の声もしない。音もなく玄関に来たのはお母さん。鋭い目つきで私を睨み、ついてきなさい、と言って奥へ来るよう促す。その迫力におされてその通りに広間に行くと、両親と社員の何人かが畳の上に座っていた。

 そこで私は自分がいなかったことでどれだけ迷惑を被ったかを全員から聞かされた。お客さんが多くなり、職人さんも売り子に立ち、結果として商品が間に合わなくなったということだった。そのおかげでクレーム騒ぎもあったらしい。

「確かに今年は例年になく忙しく、どこにもつれていってやれなかった。それは悪いと思っている。だが、それと仕事を投げ出すこととは別問題だ。最初に働くことを覚えてほしいと言ったはずだ。それは責任も覚えろという意味もあったんだ。その責任を放置したお前に、うちで仕事をする資格はない」

 そういい放った父の顔はとても怖かった。

「で、でも、私がいないと困るんじゃないの?」

「甘ったれるな。確かに一人欠けると困るところはある。だが、他のパートさんを雇った方が、やる気に欠けるお前よりよほどいい戦力になる。とにかく、反省するまでお前に仕事は一切させない。店頭にも作業場にも入ることは許さない。話は以上だ。みんな、明日からよろしくたのむ」

 父がそういうと、場は散会した。私の意見に耳を貸してくれる人はだれ一人いなかった。

 一人残された居間で、私は悪くないのになんでこんなに怒られないといけないのかと相手を自分の中で責め立てた。ぶつぶつ言いながら、両親と顔を合わせることもなく、その日は自分の部屋にまっすぐ帰った。もう家の手伝いなんて嫌だ。なんてうざい両親なんだ。私に自由はないのか。たまには遊んだっていいじゃないか。あそこまで責めたてられることじゃないじゃないか。頭の中で両親に対する不満がどんどんとあふれ出てきて止まらない。こんなことはこのときが初めて。自分が何をしたかなんて、どれだけ迷惑をかけたかなんて、まったく考えようとしなかった。そんな私の考えを変えたのは、四つ上の兄だった。高校を卒業して家を出る予定の兄は家のことには無関心で、ミーティングの場にもいなかった。兄は床下で何やら議論が交わされていたのが私のことだとわかり、話を聞きにきてくれた。

「でも、悪いのは君の方だと思うよ」

「ど、どうしてよ! ちゃんと休むって言ったのに!」

「親父は了承しなかったんだろ? だったら無断欠勤と一緒さ」

 その一言で、今度は兄に切れてしまった。

「なんで、なんでみんな私の味方してくれないのよ! お兄ちゃんまでなんでそんなこと言うのよ!」

 感情が止まらない。

「仕事って言うのはそういうもんさ。お金をもらう以上、それはプロであってもなくても同じ。お客から見れば誰がプロかなんて関係ないし、こっちが言わなければわからないだろう?」

「そ、それはたしかにそうだけど・・・」

「すでに決まっていた仕事を放り出して遊びを優先させたお前が許せなかったんだ。お金をもらうってことは、それだけ責任も伴うってことなのさ」

 私の時給は八百円。一ヶ月三万円くらいの稼ぎになる。支給されるのは一万円が上限で、残りは貯金されている。お店を手伝う同級生は確かに多かったけど、お金までもらっている子は少ない。言うまでもなくその一万円で必要な文具や欲しい服などを賄っている。お小遣いなんてないのだ。それでも中学生で月一万は多く、遣いきれないお金は自分の貯金箱に貯めている。

「みんなお前に少なからず期待しているんだと思うぞ。お店の人員としてな。だから、そこで期待を裏切られたらそりゃ怒るよ。お前が悪い。例えば今回お前をさそった友達が、別の用事でキャンセルするって言ってきたらどうだ?」

「それはもちろん嫌だよ。あっちから誘ってきたんだから。・・・あ」

 気づいた。最初こそ自然だったけど、今は自分から働かせてもらっている。しかも、うちのバイトは結構倍率も敷居も給料も高い。その中で居させてもらっている。それをこちらから断った。

「親父は職人だし、お袋も気づいて欲しかったから必要以上に何も言わなかったんだと思う。少しは自分のしたことに気づいたか?」

 気づいてしまった。とっても簡単なことに。両親や従業員のみんなの信頼を裏切ってしまったのだ。そこまで気づいた瞬間、涙がぼろぼろとこぼれてきた。

「泣くのは自分の部屋に戻ってからにしろ。どうしたら許してもらえるか、それを考えてみろ。言葉や表情だけじゃだけじゃだめだぞ」

 わかっている。そんなことで許されることじゃない。兄に相談してしまったことが、そして、みんなを煩わせたことが、今更ながらに恥ずかしく思えてきて、部屋に戻って布団をかぶり、声を殺して大泣きした。泣きながら、どうするべきか、考えた。そのまま一睡もできず朝を迎える。

 早朝、両親が起き出す時間にキッチンに出向き、前日のことを謝罪し、もういちどミーティングを開いて欲しいと懇願。従業員のみんなが許してくれるかはわからないという前提で、夜、再度集まってくれることになった。この日も仕事の予定だったが昨日の今日では店に出られるはずもなく、夏休みの宿題を片づける。そして夜が訪れた。準備ができたら合図するから降りてこいと言われ、そのときをひたすら待った。

 居間で待つ皆さんの前で、正座して深々と頭を下げた。そして、夏休みの間中、店頭に出ず、作業も関わらず、ゴミ出し清掃などの雑用を全部引き受けることを提案した。反対意見もあったけど、その働きぶりを見て評価すると言うことで一応の了承をもらった。その翌日からは非常に辛かった。両親より一時間早く起き、掃除から機器の点検、ゴミ出しを行い、指示に従い素材を出したり注文をし、混みそうな時は交通整理、閉店後は厨房から店頭の掃除まで一手に引き受けた。一日目は惨憺たるもので職人さんから汚いと一刀両断される始末。それでもめげずに掃除から交通整理に明け暮れる。四日目にやっと何も言われなくなった。ほめ言葉なんてこのときは要らないと思っていたので、何も言われないことに満足していた。最後の八日目の夜、再度ミーティングが開かれ、やっと復帰することが許された。もちろん、今度同じようなことがあったら永久に仕事をさせないという条件付きでだ。私は散々な苦労の末に、仕事することの大変さと重さを肌身で感じることとなった。そして、お店を継ぐことを少しだけ、しかしはっきりと自覚し始めた。

 中学三年になりさすがに勤務の日数は減ったけど、それでも週三回は閉店の手伝いをした。

 高校が決まったとき、みんなからきれいな桜を模した和菓子をプレゼントされた。そのときの味は忘れようもないくらい、涙の味に染まっていた。


 私の高校入学と同時に、兄が家を出た。システムエンジニアとして就職が決まったためだ。両親は私たちに店を継ぐことも手伝うことも強制しなかったので、自分のやりたいようにやれた。アナログ派の父はITに進んだ兄にいぶかしさを感じていたが、翌年に兄の提案で進めた会計システムをとても気に入り、近所や銀行にも自慢するようになった。そのことがきっかけで、兄の、会社と父の株が上がったらしい。

 高校生に上がると、時給も上がり、今まで見ていなかった貯金通帳が私のもとにやってきた。通帳には二十万ほどあった。週三回から五回ほど家で働く。さすがに付き合いも多くなったので、休む時は一週間前に売り子の女性に了解を貰う。立場上、ただの店員でしかないので、店主である父や母に直接伝えることは許されなかった。残念ながら自分で気づいたわけではなく、その売り子の女性に言われたことだ。この人は正社員で、ずっとうちで売り子の仕事をしている。中学から働き始めた私から見ても先輩格にあたる人だった。少し口は悪いけどお客さんとの話も合い、彼女を目当てに来るお客さんも来るほど、この店では人気があった。

 さすがに高校二年となると、自分の進路を気にせずにいられなくなる。これまで両親は家を継いでほしいと勧めることは一度もなかった。私が女の子だからなのだろうが、兄にさえ家のことは何も言わなかった。

 私から見たお父さんは、腰を丸めながら素材に向き合う和菓子職人。餅の香りと白衣、粉で真っ白になったごつごつの手のひら。そんなお父さんをずっと見てきた。友達に話すと笑われることが多いのが悔しいけど、それでもその背中が大好き。その背中が、七代目への道を決心させた理由のひとつだ。

 同級生の女の子はみんな、父親をくさいとかうざいとか言っている。下着姿で部屋を歩く、靴はくさい、酔って帰ってくる。それだけならまだいい。一緒のお風呂に入りたくない、一緒に洗濯してほしくない、と、批判しか出てこない。友達に会社を経営している子がいるけど、その子のことをみんな羨ましがっている。うちのお父さんも臭いところはあるし、商店街の集まりで酔っぱらうこともある。厳しいところも情けないところもあるけれど、優しいところもあるし、悪い事は悪いと気付かせてくれる。そんなお父さんが私は好きだ。周りでその話をすると冗談でしょと言われるけど、これは伝わらないけど本気だ。

 お店を継ぎたいもうひとつの理由は、お客さんだ。いろんなお客さんがいることに、最近あらためて気が付く。

 とあるご夫婦は、お彼岸とお盆のときにだけ限定のお菓子を買いに来る。亡くなった娘さんのお墓が近くにあり、常に三人分を求めていかれる。

 初めて来たときはもじもじして商品を指さしただけだった男の子。月に一度だけ百円玉を握りしめて大福を買っていく。その子も中学生になり、部活動の帰りに同級生を連れてきてくれる。

 貫禄のあるお腹をした社長さんと細身の綺麗な秘書さん。うちの和菓子を贈答用に利用してくださるお得意様。社長さんご本人用にも少し買っていかれるのは社員の方には内緒らしい。

 ちょっとコワモテのお兄さん。お客のいない時間帯にこっそりやってきて、甘めの商品を買っていく。いつも急かされるのは、その姿を他の人に見られたくないからだと最近になって気づいた。道端で肩で風を切って歩く姿を見かけることがある。

 こんなお客さんたちに喜んでもらえる仕事をしたい。そんな想いを感じ始めたのが二年前。高校を卒業して、専門学校に通い、和菓子職人になり、七代目を継ぐ。それが私の目標となった。お店の手伝いにもより身が入るようになり、簡単な製造の手伝いならできるようになっていた。


 ところが最近になって、知らなかった世界を知ってしまった。洋菓子の世界である。女の子ならだれでも憧れるパティシエの世界を見てしまった。高校三年の一学期、職業体験の授業で洋菓子店に入ることになったのがきっかけだった。枠の無い素材の範囲、華やかな装飾、豊富な種類と技術に驚かされた。和菓子の世界はどちらかというと素材も商品も種類が限られており、限定品はそれなりの値段がつけられてしまう。現にうちの店でも期間限定品は通常品の倍くらいする。それらを作る技術は決して表に出るものではないし、装飾もほとんどない。地味な中に技術や想いが詰め込まれるのが和菓子なのだ。そんな長年にわたる和菓子の世界を根底から覆され、和菓子が急に地味で野暮ったいものに見えてきた。

新しい価値観に襲われ、お店に入る機会が少しずつ減っていく。夏休みも終わり、進路を決定する時期が近付いている。


  ・・・だから、か。私は、自分の進路で悩んでいる。どちらにすべきかを悩んでいる。だからここにいるんだ。



ちょっと長かったです。すみません。


さて、彼女の迷いの旅はもうすこし続きます。

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