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第11話 春

 「冬の街」での不思議な体験から七年もの月日が経った。私は今、実家で働きながら新商品の開発案を出している。ちなみに、といっては申し訳ないけど、両親も兄も元気だ。

 街を抜け、雲を抜け、プールにでも飛び込むように、放物線を描きつつ大地めがけて突進していった私。視界が平野だけを捉え、大地と接触せんとする状況にあっても怖さがなかったのはとても不思議。ふつうなら激突してぺしゃんこになってもおかしくないのに、何らかの形で助かるという確信があった。その緑一色の視界はいつのまにか闇の中に変わっていった。

 たどり着いたらしいその場所は、なぜかとても温かく、このままでいさせてほしいような感じを受ける。意識がだんだんはっきりしてくると、体勢がどこかおかしいこと、おでこが少し痛いことに気づく。足が背中のほうで上向きになっていてうまく立ちあがれず、体自体も何かで拘束されているようで動かない。地面はとても固く、間に何かがクッションになっているためあまり痛くなくてすんでいることがわかる。この状況、どこかで……そうだ! と思った瞬間、下半身が動いて上半身と同じ地面に落下し、腰を少し打った。

「いったー!」

 激痛と言うほどではないけど、あわてて腰をおさえたくなるくらいの痛さはある。そこでようやく、今の状況を認識できた。まずは拘束されているものをいっきに外す。温度差から急激な寒気に襲われ、同時に眠気が覚め、拘束していたものが布団だとわかった。ベッドから落ちたのだ。

 外はまだ薄暗いけど、部屋の状況をわずかに確認するくらいの明るさはある。机とベッド、そして収納だけの小さな部屋。

 ベタだけど、頬をつねってみると痛い。帰って来たんだ……。嬉しさとともに、残念さもこみあげてくる。あれが夢だったということも、同時に確認できたからだ。

 布団をベッドに戻して明かりをつける。

 机の上には進路希望の紙と湯呑み。中身が少しだけ乗っていたので冷たいまま飲む。かなり渋いせいか、さらに目覚めを助長させた。

 時計とカレンダーで時間と日付を確認する。三者面談は明後日。もう、あまりいろいろと悩んでいる時間はない。冬の街で決心したことを実行しなければならない。しかしそこに行き着くまでにはまだいくつものステップが必要。

 そのひとつは、両親への相談だ。自分の決意を打ち明けないといけない。もちろん今は忙しくなる時間だからだめだ。私だって学校があるし。夜の時間をあけてもらうように頼むのだ。

 ゆっくりと階段を下りてリビングへと向かうと、お父さんとお母さんが簡単な食事を摂っていた。声をかけるのはとても気が引ける。バイトには出ていたけど気もそぞろで身が入っていないって自分でもわかっていた。進路のことで悩んでいると悟ってくれたのか、最低限の仕事をしていれば一応何も言われなかった。助かった半面、気遣いが痛い。

「お、おはよ……う」

 廊下からおどおどと顔を出し挨拶をする。挨拶自体は毎朝してるけど、方や仕事中、方や学校という立場で、だ。お店をやっている子にとって、一人で家にいたり食事を摂るのは決して珍しい事じゃない。兄はいるけど家を出ている。何より私は高校生だし、女の子だ。留守番や食事の用意くらいできる。これでも食べ物屋の娘なのだ。

「ん? おはよう。今日は早いな」

「あら、どうしたの? こんなに早く」

 娘が早起きするのがそんなに珍しいか。でもそのリアクションに納得してしまう自分もいる。

「う、うん、ちょっと目が覚めちゃって……」

 話題をそらしたいというのが見え見え。こんなことを言いに来たんじゃない。お願いに来たんだ。それを言おうとすると、二人とも私の顔をじっと見ている。

「な、なに? なにかついてる?」

「あ、いや、そうじゃないんだが……。本当にどうしたんだ?」

 お父さんの発言と、すぐみそ汁をずずっと飲むしぐさにちょっとむかつく。

「私が早起きするのが珍しい?」

 感じを読んだのか、お椀を置いて釈明する。

「あ、すまん。そうじゃなくて……」

「お父さんはね、何かいいことでもあったのか聞いてるのよ」

「え?」

 あったと言っていいのだろうか。

「なにかふっきれたというか、なあ?」

「ええ。今のあなた、とてもいい顔してるわよ」

 二人とも手を止めて、不思議そうな視線を私に送っている。

「い、いい顔って?」

「昨日までのお前は仕事には身が入っていないし俺たちと話す時も下向きだった。それが普通に顔を上げている。久しぶりに顔を見た気がするよ」

「一晩で顔が変わってるのよ。どうしたのかって不思議に思うじゃない」

 私のしたいことが実現するのなら、これからこの二人は師匠になる。その師匠は私の事を何か見抜いた。さすがすぎる。

「う、ううん、な、なにもないよ」

 上ずった声で答える私。自分で”何もないわけないだろ”とツッコミを入れたくなる。

 そこから先の言葉が出なくなった。二人は黙って食事を再開する。何の脈絡も無いけど、言うしかない!

「あ、あのさ! 今夜時間作ってくれないかな。しし、進路のことで相談があるんだ」

 そのとき、お父さんの箸が止まった。そしてすぐ残っていたご飯をかきこみ、一息つく。

「わかった。お前もいいか?」

「ええ。わかったわ」

 よかった。決戦は、夜に決まった。

「ありがとう。学校のしたくしてくるね。いつも御苦労さま」

 さすがにてれ臭さが頂点に達して音を立てながら二階に駆け上がった。両親が顔を見合わせて笑っていることにも気付かず。


 この日のことはよく覚えているけれど、授業の内容や天気はよく覚えていない。たしか夕ご飯を食べてからリビングで私の話を聞いてもらったんだと思う。

 私がしたいこと。それは、和洋折衷のお菓子を作ること。七代目を継ぎ、和菓子職人になる。ただし、洋菓子などの技術も採り入れて、新しい和菓子作りに挑戦したい。例えば、あくまで例えばだけど、お餅にメロンやチョコレートを入れてみるとか。もちろんそんな単純なもの以外にも、新しいお菓子を作っていきたい。当然、今までの伝統的な商品も受け継ぎつつだ。

 予想していたけど、両親の返事は「反対」だった。

 私にそんなことできるわけがない、今までの私を見て、そんな困難なことをやり遂げられるとは思っていないし、伝統を曲げることも許しがたいということだった。

 ”冬の街”を訪れる前の私なら、ここまで説得力のある反対意見を言われたら引き下がっていた。今の私は違う。反対されたからと言って、簡単には引き下がらない。今までの修行で得たことや、お客さんへの想い、そして、今後のお店についての夢を語った。きっと、みんなの納得してくれるお菓子を作る。今はまだだめだけど、やり遂げたい、やり遂げて見せる、だから、進路を認めてほしい。立って頭も下げた。親としてではなく、師匠として。自分の目標を伝える。

「本当に、それでいいんだな? お前の言ってることは簡単じゃないぞ?」

「わかってます。でも、お店を継ぐには、それが必要なんです」

 父の最終確認にもおれぬ心を主張する。母は黙って三つの湯呑みにお茶を注ぐ。そのお茶を父が飲み干す。

「おまえがそんなに言うなら、やってみろ」

 最後には折れてくれた。思えばこの時が、初めて自分で自分を主張した瞬間だった。


 三者面談の日。両親ともお店を置いて来てくれた。

 先日の主張をひたすらに繰り返す。先生は腕を組みながら聴いている。

「おまえなあ、ダブルスクールがどんなに大変かわかってるのか? ただの精神論じゃ乗り切れないぞ。学習の濃度は倍になるが、それぞれのことに対して勉強できる時間は半分になるんだ。それぞれに講義や実習や試験があるんだからな。下手をしたらそれぞれに四年かかってしまうかもしれない。それでもやるのか?」

「やります。たとえ二年以上かかっても、やり遂げたいです」

「ご両親はどう思われてるんですか?」

「娘の人生は娘が責任を取ります。我々にできるのはそれを後押しすることです」

 父の言葉が重くのしかかる。本当の意味で納得してくれているらしい。

 先生は何かを思いついて席を立ち、鏡を持ってきた。そして再度私に確認させる。

「卒業後は和菓子と洋菓子のダブルスクール。それでいいんだな?」

 私は静かにうなずいた。すると、先生が鏡を顔の前に差し出した。今の私が映っている。鏡の向こうから先生の声が聞こえる。

「おまえ、クラスの誰よりいい顔してるぞ。なにがあったか知らないが、今言った自分の顔をよく覚えておけ。その顔のまま、自分の道を貫くんだ。」

 鏡を両手でつかんで自分の顔をまじまじとみる。自己催眠でもかけるように、自分の想いを心の中で唱える。そして、先生の言うとおり、今の表情をじっと見つめ、瞼に焼き付けた。


 実は片方でもいいかなという想いはちょっとあった。一年ずらす方法だってあったかもしれない。それを許さなかったのは、父と母から受け継いだ職人の血だと思う。妥協を許さないDNAが茨の道へと私を引き込むことになる。


 和菓子と洋菓子の双方にそれぞれ通う。それはそれは地獄の日々が始まった。基礎講習に始まり、器具の使い方、お菓子の歴史、実習、学校の試験、調理師の試験。

 投げ出したくなる時も、実際投げ出したこともあった。自分で自分の行いを悔やんだこともあった。そのたびに、誓ったときの顔を思い出し、虚勢を張り続けることができた。しかし、父の言ったとおり、精神論ではどうにもならなかった。

 たった一年で挫折を経験した。二年で二つとも卒業するはずが、和菓子のほうで留年が決定。洋菓子はどうにか、本当にどうにかペーパーテストだけはクリアした。しかしこの先、実技で赤点なら即留年と言われ、そして二年になって見事に留年決定。そのせいで、さすがに二ヶ月ほど学校に行ったり行かなかったりの日々が続いた。三者面談の時、職人の血だ何だと思っていたけど、単に頑固なだけだった。”これをやる”ということも”これをやらない”ということも、頑なに考えてしまう。遅れを取り戻そうと言う気概もなく、ただ何も考えずに街をふらふらする日々が続いた。それでも、学校の事や夢の事は頭の中から離れず、どうしたらいいのかと、自問をしつづけた。答えの出ない自問を。

 すれ違う同年代の子たちは友達と歩きながら楽しそうに会話をしている。それに比べて、なんて暗い青春を過ごしているのか。ひたすらに修行にあけくれ、自分で選んだ道も貫けず、こうしてただ歩いている。自分で自分が嫌になる。少しイラつき始めたとき、何かと衝突し、袋のがささっという音が響く。振り向くと、私より少し背の高い女性の肩にぶつかったらしい。その人は尻餅をついて、背負っていたブランドものの袋も道に転がってしまった。まずい!とすぐに女性のもとに戻った。 

「あ、す、すいません! 大丈夫ですか!?」

「いたたたた・・・・・・だ、大丈夫だよ、っててて・・・・・・」

 大丈夫に聞こえない。とりあえず放られてしまった袋のひとつを拾って彼女に届けた。そして肩を貸して起きあがってもらう。

「申し訳ありません。怪我はありませんか? 袋とか大丈夫ですか?」

 女性は袋の中身を確認して、大丈夫と言ってくれた。どうやら怪我も無いらしい。よかった。肩を貸さなくても立ち上がれるようになったのでお別れしようかと思ったとき、彼女の方が私を呼び止めた。

「ちょっと待って。あんた、どっかでみたような・・・・・・」

 見覚えがない。

「どなたです???」

「・・・・・・あっ! 思い出した! あんた、あたしに引っ張り込まれたこと、あるでしょ!?」

 そういわれても・・・・・・・という間もなく、記憶が一瞬にしてよみがえる。もしかして、冬の街で出会ったお姉さん?

「・・・・・・うそ! まさかそんな! ”お姉さん”ですか?」

「うっわー。なんてことだろ。信じられない。夢だと今までずっと思っていたからね。起きたときの落胆っぷりは今でも覚えている。」

「ほ、ほほ、ほんとうに?」

「あんた、頭を打ったみたいだけど、治ってるみたいだよね。あのときとは逆になったみたいだ。これでおあいこってところかな」

 間違いなさすぎる。

「こんなところで会えるなんて」

「とりあえず、どっか入ろうか。話聞きたいし。時間いいかな?」

 うなずき、袋のひとつを持って一緒に喫茶店に入り、コーヒーを頼む。お姉さんは、やっぱりブラックをそのまま飲んでいる。

「やっぱりブラックはいいね」

 私は私で、ミルクと、少なめに砂糖を入れて、少しだけ口に含む。やはり苦いのは苦手。

「お姉さんはいま、どうしているんですか?」

「今も派遣をやってるけど、ドラマのあの人に少し近づいた感じかな。あれから学校行ったり資格取ったりして時給を上げていって、なんとか今に至ってる。時々こうして買い物もできるようにはなったね」

 お姉さんは笑いながら自分のことを話してくれる。今の私にそれはできないと思った。

「で、あんたは今どうしてるんだい?」

「え、わ、わたしは・・・・・・その・・・・・・」

 急に振られ、言葉に詰まった。夢が破れかけてるなんていえない。

「もしかして、またなんか悩んでるの?」

「え、ええ・・・・・・」

 お姉さんの顔をまとも見られなかった。

「よかったら相談に乗るよ。あのときあんたの相談には乗れなかったからね。そのお返しってことで。言うだけ言ったらスッキリすることだってあるかもよ」

 そういわれて、少し顔を上げてお姉さんを見る。きれいな人にみえるけど、大きな瞳から放たれる眼力を強く感じる。この人になら話せると確信し、導かれるように自分のことを語りだした。

「なるほどねえ。自分で選んだ道だけど、それが予想以上につらくてうまくいかなくて悩んでる、ってことか・・・・・・」

 何か答えをくれる、ううん、ほしい。きっかけでもいい。願いながら、お姉さんをずっと見続けている。そのお姉さんは、深く息を吐いてコーヒーを飲み、つぶやく。

「あんたは、ぜいたくだ」

「・・・・・・へ?」

 思いがけない言葉が返ってくる。

「あんたはたぶん、あたしに救いの手をさしのべてほしいと思ってたんじゃないか? 甘ったれちゃだめだ。あんたはまだ若い。選択肢はいくつもある。判断は早い方がいい。生きることしか選択肢がないあたしに比べたら、あんたは夢を貫くかあきらめるか、選択肢がある。どちらでも生きることができる。だから、ぜいたくだ」

「そ、そんな、私だって私なりに・・・・・・」

 贅沢なんて冗談じゃない。反論しようとしたけど遮られる。

「悩んでんのはわかるよ。でも、自分で選んだ道だよね。自分にも周りにも苦労をかけるかもしれないってわかっててダブルスクールを選んだんだろ? だったら、あんたにはそれを貫く責任がある。たとえ二校で四年かかったっていい。白い目で見られても、ひたすら自分の道を歩く責任があると思う。あきらめるんだったらそれもいいだろ。しょせんそれがあんたの限界だったんだから。」

 限界? その言葉に強い抵抗を覚えた。今の私が限界? いやだ。絶対にだめだ。こんなことで終われない。今は夢を叶える前段階じゃないのか。卒業さえしていないのに何を言ってるんだ私は。全身にムカつき感がこみあげ、立ち上がりお姉さんを怒鳴りつける。

「私は限界じゃない! まだできる! こんなところであきらめられない! 勝手なこと言わないで!」

 喫茶店で大声をあげてしまった。恩のあるお姉さんを怒鳴りつけてしまった。

「・・・・・・よくいった。その意気だ」

 お姉さん、わざと私を怒らせた? 衆人環視のなか、黙って座る。

「今、あたしに怒鳴ったその気概を覚えておくんだよ」

「あ、あの・・・・・・すみません」

「謝らなくていいよ。言ったことはあたしの本当の意見だからね。それにあんたは本気で抵抗した。それでいいんだよ」

 口調が優しくなる。半分以上残ったコーヒーを一気に

飲み干し、告げる。

「私、取り戻します。この分だとまだ卒業にかかりそうだけど、這いあがります」

「うん。いつか、あんたのお菓子、ごちそうしてよね」

「ぜひ。別腹まで満杯にして差し上げます」

 ふたりで大声で笑い、またしても注目を浴びてしまった。

 お姉さんもコーヒーを飲み店を出て、互いに握手をして別れた。そしてその足で和菓子の学校へと急行する。最初は相手にしてくれなかった先生は、一人で一品を作り教室の生徒に食べさせ評価次第で復学と補習を受けてよいと約束してくれた。

 三日経って、お餅にコーヒーを練り込み、ビターチョコをくるんだ大福を持ち込んだ。甘くなく、男女ともに受け入れてもらえる大人のお菓子を目指した。教室のトップ十人のうち、六人が私を支持してくれ、結果復学と補習を許された。ふたたび、職人の入口へと足を踏みいれた。

 洋菓子の学校は一ヶ月休学させてもらった。その間に和菓子のほうで可能な限り補習を受けた。学校に泊まって課題のお菓子を作ることもあった。実家のお店にでることは、もう完全になくなっていた。体重とは反比例に知識と技能を詰め込んで活かすすべを頭でなく体で覚えた。

 ふたたび和菓子と洋菓子の二足のわらじを履くことになった。和菓子はなんとか三年半で卒業が許された。

 洋菓子は、卒業製作で小豆をスポンジ生地に練り込んだショートケーキを発案した。学校直営のケーキショップで歴代五位の売上を叩き出した。学校では劣等生だった私が大きな売上を出したことは先生たちも衝撃だったようだ。おかげで成績はともかく四年で和洋双方を修めることができた。両親にも迷惑をかけてしまった。しかしこれからは職人の卵として実家でさらなる修業を積むつもりでいた。


 父、いえ、店長から命じられた仕事は、知り合いのお店への出向だった。外の世界を見ること、それを吸収すること、実家以外で多く負担した学費を稼いで返還することを求められた。

 そのお店は洋菓子店。パンからケーキまで取り扱う。実家の三倍はあるかなり大きな店だ。ここで見習いから修業させていただくことになった。

 調理師の免許を取ったとはいえ、すぐに商品づくりに携われるわけじゃない。この中で私は一番の下っ端なのだ。洗い場、ゴミ捨て、酵母の用意、店内外の掃除、忙しいときには売り子もやる。商品知識は資料だけはもらったけど、誰も教えてはくれない。自分で覚えるしかない。商品名、値段、材料、材料の産地、アレルギー。問われれば即答しなければならない。時には店の残り物をもらって商品研究もした。半年ほど経って、忙しいからと厨房で

ケーキ作りに携わる。ここでやっと、父がこの店に修業に出した意味がわかった。洋菓子の現場と技術を学べという意味だったのだ。父も母も、お店にいる職人の先輩方も、みんな和菓子。和洋の”洋”を教えてくれる人がいない。両親は私の夢を少しは認めてくれたと勝手に解釈することにした。本格的に学ぶチャンスは今後多くはない。必死になって味を盗み、改良を加えては店長や職人さんに食べてもらった。このお店にいた二年で、新メニューを四つ開発し、うち二つは今も残っている。ひとつはさらしあんを利用したショートケーキ、ひとつはアレルギー対策で卵を使わずよもぎを練り込んだ和風生地で作ったロールケーキ。おかげで男性客が増えだしているらしい。


 二年ぶりに実家に戻り、本格的に、和菓子と七代目としての修業に入る。道具を使って形を整えたり調理したりすることの多い洋菓子に対して、和菓子は手作りの部分が多く繊細だ。それに、コストなど経営面のことも少しずつ考えていかないといけない。もちろん、まずはうちの製品すべてを自分で作れるようになることから始めなければならない。先輩職人に教わりながらひとつひとつ丁寧に作っていく。失敗に次ぐ失敗もあったけど、一年でどうにかすべて作れるようになった。一人辞める先輩の穴埋めとして製作に携わることになったのが今年からだ。

 手で作っていると毎日触る同じ食材でもまったく違うことが分かる。季節、気温、天気、自分自身。いろいろな要因で感じるものが違うようだ。その感覚も少しずつ慣れてきた。人間が変わるように、素材も変わるのだ。そうしてできあがったものをお客様に召し上がっていただく。それが私が目指すもののひとつ。次の目標は、新製品だ。半年ほどしてから試作品を作るようになり、毎月、下手をすれば毎週のように、両親や従業員の方々に試食をしてもらった。先輩職人は見た目からチェックが厳しい。食べるまでもなくNGを出されることもあった。十三回目のチャレンジでようやく満足してもらえるだけのものができた。

 新製品は二つ。ひとつは雪の結晶を模したどらやきのようなもので、小麦粉に白あんを混ぜ、中は固形の白餡を入れた。全身真っ白、六角形の”雪焼”。もうひとつはケーキのような三角形を四つ合わせ、餡や紅麹で色を出した四色の”かざぐるま”。

 ふたつともそれなりの手間がかかるもので、まずは私一人で限定品として作ることになる。限定百個ずつにした。最初は五個程度だったが、三ヶ月もすると閉店までには売り切れる盛況をみせる。その盛況ぶりをみて有名百貨店からお誘いを頂いたが、全て断った。地域密着にこだわる私としては自分の店で出すのが筋と考えていたから。そうこうしているうちにさらに一年が過ぎ、”冬の街”の体験から九年が過ぎようとしていた。

 その日も朝から盛況で、いつのまにか看板商品となってしまった”雪焼”と”かざぐるま”は限定百五十個になり、新たな問題をはらみ始めた。既存商品が影をひそめてしまうのだ。共存させているつもりではいても、どうしても限定品を作ることに没頭させられてしまう。そんなとき、またも衝撃的な出会いが訪れた。

 いつものように、といっては失礼だが、とある営業さんが新商品目当てにやってきた。今度近くにできるビルの一階に店を出さないかと言う話だった。営業時間を過ぎてから近所の喫茶店でそ会ったのだけど、タバコの微妙な匂いとおでこの広さは変わらない。冬の街で最後に出会ったあのおじさんだった。

「あーーーーっ!」

ふたり顔を見合わせて大声を出したのもいい思い出だ。ブレザーにカジュアルコートの私しか知らないおじさんは、白衣の私を見てもすぐには気付かなかったようだ。もっともそれは私も同じなのだけど。

冬の街を出てから、おじさんは部長に直談判したそうだ。しかし、まったく話を聞かれることも無く、そのまま状況は変わらなかった。悩んだ末、うつ病になってしまい退職。その後職を転々として現職に就かれた。雑誌で店の事は知っていたけどまさか私だとは思わなかったそうだ。

私もそれなりの苦労の末に今があることを話した。

「君のお菓子を見て、実際食べさせても貰った。もっとこのお菓子が広まる手助けをしたいんだ。いろんなお店の商品が並ぶそのひとつに、君のお菓子を並べられないだろか」

 その言葉を聴いて、チャレンジしてみる気になった。地元だし、既存商品に迷惑をかけることも減るだろうと考えた。その辺りを含めて店長に相談した。支店を出すなんて冗談じゃないと猛反対されたけど、わずかでも本店で出し、残りを支店に出すと言う条件で快諾をしてもらう。

その後支店がオープンすると、いろんな人が買いに来てくれた。限定の2商品だけなのに、時には午前中には売り切れてしまうほどの人気になった。

さらに嬉しいことに、本店に訪れる客も相乗効果で増え、懐かしい顔もみえた。

一番最初に会った男の子が大学生になって来てくれた。私の顔を見てピンときたらしい。今はエンジニアになるため勉強の毎日。うちの甘くないお菓子がとても気に入ってくれ、月に一度は買いに来てくれるようになった。

そして学校をさぼっていた私に喝を入れてくれたお姉さんは、なんと子連れでやってきた。仕事は続けながら子育てもがんばっているらしい。お菓子を見ながら冬の街のことを想いだし、辛い時はこれらを食べて元気になってくれるという。

最後におじさん。うちの支店のおかげでビル全体に相乗効果があがり、今度昇進が決まったと話してくれた。

みんなそれぞれの体験を経て、自分の道を歩き始めている。私も次の夢に向かってもっともっと修業したい。

私……いえ、私たちはようやく冬を越し、春を迎えた大地に降り立つことができた。

と、いうことで、完結です。

読んでくださった方、拙い文章を読んでくださり、お疲れさまでした。

前にも申し上げましたが、この作品は短編処女作で、最初は原稿用紙12枚でした。いくつかのアドバイスを経て長くしつづけ、なんと105枚と8倍以上に膨れ上がりました。ロングバージョンを書いてみようと思ったのは、どれだけ話を膨らませられるかがひとつのテーマでした。結構できるものです。でも、質は推して知るべしです。描き直すことは基本せず、次の作品に活かしたいと考えています。


もしよろしければ感想等頂ければとても嬉しいです。

ありがとうございました。

あると

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