第10話 さよなら
この街へ来て、たぶん半月くらい経った。おじさんと話をしたのは三日くらい前。もし七代目を継ぐのなら、もし洋菓子に転向するのなら、もし和菓子一筋に生きるのなら。自分が一番したい事、次にしたい事、したくないこと。そんな自問を続けている。
あれからおじさんには何度か会ったけど、互いに会釈をして通り過ぎるだけ。中央広場で時間を潰すことも、なぜかしなくなっていた。気がつくと、丸一日雪道を歩いている。同じ道を何度も何度も通って。その先にあるのは決まって自分の部屋。歩きながら考えて、考えて。そしてついに結論、というか、考えがまとまったのは、この街を出る前夜だった。
結局、それしか選択肢は無い、ってわかった。”やるしかない”っていう、選択肢が無く、崖に通じるとわかっていても選ばないといけない状況とはまるで違う。いくつかの選択肢はあったはず。それが何なのかが始めはわからなかった。それがだんだんと見えてきて、選ぶ段階になった。でも、選ぶ段階にあっても選ぶ余地なんて本当は無かったんだ。心の頭の中でいくつもあった選択肢が自然と消えて・・・ううん、違う。消えたんじゃない。私自身が”ここ”って選んだんだ。道はいくつもあるのに、そのうちのひとつが自分が行くべき道だ、って、感じたんだ。道が消えたわけじゃなく。そして、感じた道を選ぶと決めた。それが今の私。まるで近所のコンビニから自宅へ戻る分かれ道を何も考えずに迷わず進むような感じ。ほんとうにごく自然に、でも確実に、選んだ。
それは同時に、この街から出ることを意味している。
半月もいたので少しは愛着もある。静かに降る雪、人の流れに沿って回る小さな風車、古い街並み。いまだにここがどこなのか、風車がどこから出てくるのかはわからないけど、とても貴重な体験をしたことだけは間違いない。
翌日。起き上がって支度を済ませると、紙に言付けを書き、入口のドアに貼った。
「ようこそ。ここは無人です。あなたが自由に使ってください」
暖房を消し、ふとんも直した。コーヒーカップも洗った。温もりが少しずつ消えて、外の冷たさが伝わってくる。
コートを着て、かばんを持ち、靴を履く。見回して、忘れ物は無いことを確認して入口を開ける。最後に振り向き、一礼してドアを閉めた。
確信があった。今日だ、って。
部屋を出て、放射の道から中央広場に出る。中心はすでに雪が積もり、反対側は見ることができなくなっている。そのためか、ベンチに座る人も、中央広場を歩く人も減っているように見える。ベンチには座らず、空を見ながら時を待つ。灰色の空の向こうに行けるのか、その先には何があるのか。楽しみと不安、嬉しさと寂しさが心の中を占めている。
やがて、風車が人も通らない状態で少しずつ回転を始める。人々は放射の道へと急ぎ、私の周りには誰もいなくなってしまった。放射の道の一つから視線を感じるけど、相手の顔は見えない。以前の私のように、行く末を眺めているんだと思う。風が来るまで、ここを一周する時間の余裕はあったかもしれない。ほかに誰かいるかを確認することはできたかもしれない。ただの好奇心で見るのことはなんとなくためらわれたので、ほかのところを見るのは止めにした。よく考えれば、みんな何かを決心してここにいるはずなのだから、それを見物するのはとても失礼だと思う。反対に広場で直接見られている感じはしない。
風は少しずつ強くなり、コートが風で激しくたなびきだす。すると、上空からうなるような風の音が聞こえてきた。灰色の雲の上に渦のような白い模様ができている。幾重かに重なったその模様は蛇のとぐろのように少しずつ下に降りてくる。徐々に風が強くなり、風車も回転の激しさを増す。腕で風を防がないと前が見えないくらい強くなってきたため、たまらず追い風になるよう向きを変える。背中に強烈な風を受け、少しずつ背中が押し出される。この風になんとか乗らないといけないのはわかりきったことなのだけど、仮にも竜巻である。喜んで乗ろうという方が間違っている。でもここまで来たのだから乗る以外はなんのしようもない。風で足が踏ん張れなくなると、足を動かして再度踏ん張ることを繰り返す。意味のない抵抗は五歩目であえなく陥落。ちょっと滑って転びそうになると、風に押し倒されてついに足が地面を離れ、風に乗った。
最初こそジェットコースターに乗ったようなものすごいスピードがでたけど、だんだんとおさまり、メリーゴーランドのようなゆっくりした回転に変わっていく。不思議と建物も避けているのでぶつかることもない。前の方には何人かが同じように風に乗っている。風に吹き飛ばされたのか、風車も何本かともに風に乗っている。中心は雪を巻き込み、舞っている雪の粒でできた真っ白な柱を作っている。まるで水族館にある円柱状の水槽に沸き立つ泡のように、きれいに上空まで延びている。
十周ほどして、ついに風は上昇をはじめる。ふたたびスピードが上がり、バッグを腕の中で抱えるだけで精一杯になる。地上から足が離れていき、建物と同じくらいの高さになる。数周するうちに、風が雪の柱に突っ込み、その回転にまた乗る。今度はまさに吹雪の中で目があけられなくなるくらい雪の粒が体や顔にかかる。その粒の間から”冬の街”が見え隠れする。この雪の柱は街の真ん中にあるので全景が見渡せる。六方向に伸びる放射の道と中央広場の六角形が、まるで雪の結晶のように見える。そうか、こんな形をしていたんだ。これからここを出るんだと思うと、なんだか寂しさが大きくなってくる。
ありがとう。そして、さようなら・・・。
つかの間の感傷に浸りながら、雪や他の人たちと共に雲の中へと突入する。
雲の中は薄暗く、雪の粒も風車も見えなくなっている。しかし風の勢いはそのままで、風の任せるままに雲の奥へと飛んでいく。目はようやくあけられるようになったけど、数人の人影だけの他はもやというか雲がかかって何も見えない。かばんは持ったまま。雪の粒は溶けてしまったのかもう見えない。後ろを振り向こうとしても風の勢いが強すぎて向けない。
そのまま前を向くと、ようやく何かの光が見えてくる。風はさらに勢いを増すと、その光が一瞬のうちに大きくなり、周りごとその光に吸い込まれた。
しばらく真っ白い空間が続いたかと思うとすぐに雲が晴れる。その眼下には光輝く大地が見える。青葉の茂る豊かな森、その森に点在する湖から森の外に至る無数の川が延びている。森の外は緑の平野と街が見え、赤茶色をした色とりどりの屋根がハッキリと見渡せる。
きれい・・・
本当に街を抜けたんだ・・・
少しの感動を少しだけ味わうと、風の勢いがまったくないことに気がついてしまう。
その先は、落下しかない。
私は文字通り、緑の大地へと飛び込んでいった。
ついに冬の街を抜けました。
次回、最終話です。




