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記録の勇者のリブート ―改ざんされた世界で、僕だけが“真実”を覚えている―  作者: 妙原奇天


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第2話 王都史館の誤記

 王都史館は、朝よりも夜がよく響く。

 古い梁が呼吸し、紙の束が寝返り、綴じ紐が夢を見る。そんな場所だ。


 午下がり、リオは監督官バルドの執務机の前に立っていた。樫材の机は金具まで磨かれ、分厚い判例集が鎧のように積まれている。髭面の巨躯の男は、リオが差し出した写しに一瞥すらくれず、羽根ペンで忌々しげに空を突いた。

「“誤記だ”だと? 三代前の王統譜に書体の齟齬? 若造、写本は戦乱でいくらでも混じる。お前の仕事は埃を払って綴じ直すことだ。歴史を穿つことじゃない」

「ですが、原本の紙目が途中で変わっています。綴じ穴のピッチも——」

「黙れ」

 バルドの声は扉を震わせた。「史館の原本は王権の延長だ。疑うことは王を疑うのに同じ。記録の勇者とて例外ではない」

 ぽん、と机の端に封蝋が投げられる。封蝋の紋章は、監督官の朱。「年代記整備 継続」とだけ。

 リオは喉に重い塊を飲み込むと、頭を下げた。部屋を辞すると、廊下の端に影が立っていた。夜警の帯剣を腰に、胸甲の上から白い司書衣を羽織る若い女だ。澄んだ短い瞳。頬に紙埃の白。

「昨夜、あなたの帳面、光っていました」

 その一言に、リオの足が止まる。

「見ていたのか」

「見ました、見なかったことにするには眩しすぎて。……セラ・ブレイ。司書騎士。夜間の目録管理と警邏が仕事です」

 彼女は短く名乗ると、踵を返した。「夜になったら北翼の四列目。誰も来ませんから」


 午後いっぱい、リオは無言で背表紙の塵を払った。剣や槍なら一突きで片が付くのだろう。けれど、彼の武器は紙だ。紙は遅い。遅いぶん、確かだ。……そう信じたい。

 王統譜から戦時日誌へ、討伐副本から通行証の発行簿へ。めくるたび、微かな波紋が指先を走る。たとえば昨日の討伐報告には「北門での損失七、王女指揮で再編」とある。今朝届いた“同一番号の副本”には「損失四、王女は城内にて負傷者対応」とある。発行印も、日付も、筆致も——すべてが“正しい”。

 どちらも正しいなら、何が誤りなのか。


 夕刻、城下の酒場がざわつき始めた。

「王女が前線を見捨てたってよ」

「兵は見殺し、殿下は城で晩餐だとさ」

 黒い噂が泡のように増殖し、夜の気配を早める。街角に貼られた号外は太い赤文字で踊っていた。

 ——が、夜明けの鐘が鳴るより少し前、風向きが変わる。

「殿下は自ら救援に向かわれた」

「北門に立ち、退路を護られた」

 同じ号外の号数で、見出しだけが逆転した二種類が、同じ広場に散っていた。紙には同じ印刷工房の刻印、同じ活版の傷。違うのは、主張だけ。二枚の紙が向かい合って互いを否定する。拾い集めた人々が顔をしかめ、誰かが吐き捨てる。「昨日の今日で逆って、どういうこった」


 その頃、史館北翼の四列目。

 セラは衛兵詰所から内密に取り寄せた“古い写し”を机に広げ、手招きした。灯は低く、影は長い。

「通行証の発行簿。昨日の午前までの原本の写し。——この行、王女殿下の外出記録が“抹消”ではなく、“存在ごと差し替え”になってる」

「抹消ではなく、差し替え?」

「紙が嘘をついているんじゃない。紙に宿る“正典”が入れ替わってる」

 セラの指先が紙の余白に触れる。彼女の革手袋の縫い目が、古紙の毛羽立ちに沈む。

 リオは《世界記録書》を開き、深く息を吸った。

「——参照権を、仮で繋ぐ」


 床に膝をつき、ペン先で石目の間に薄い曲線を刻む。線は紋様へ、紋様は回路図へ。蔵書の配置そのものを導線に見立て、年代別・起点別に符を置く。ぱち、と燭の火が跳ねた瞬間、リオの記号が薄く発光し、書架の影が一斉に“文字の形”に結晶化していく。

 セラが目を丸くする。「回路……? 史館の床に、そんな層があったのね」

「違う。僕が『描いた振りをして、もともとあった層をなぞってる』。ここは世界の記憶倉庫——なら“接続”する穴も、きっと」

 言いかけたとき、帳面が小さく震えた。余白の奥に、薄い階層が増える。“注釈層”だ。注釈の上に注釈を重ね、余白がひとつの目次のように脈動する。

 リオはペン先を垂直に立て、余白へと微細な円を描いた。円は吸い込み口のように縮み、すりガラスの渦を形づくる。

「リンク、参照開始——」


 視界が薄水色に反転した。

 書架が透明な板に化け、紙面の行が糸となって空間に張り巡らされる。遠いところで鐘が鳴り、近いところで人の囁きがする。

 渦の向こうから、誰かの声が聞こえた。

〈分岐点:王女叛逆〉

 脳髄を火花が走る。こめかみが焼け、膝が砕けた。ペンが床に転がり、線が歪む。

「リオ!」

 セラの腕が肩に回り込む。その腕は鍛えられていて、温かく、よく動く。

「戻って。深く潜りすぎた」

「……見えた。過去側のアーカイブが——」


 渦の向こう、幾つもの“王女エリシア”が並んでいた。

 一つは、王城のバルコニーで手袋を外し、剣を掲げながら「退位を宣言する」と書かれた羊皮紙を高く掲げるエリシア。

 一つは、北門の木橋で槍を逆手に持ち、兵の盾列に背を預けて前へ進むエリシア。

 一つは、城の地下で傷兵に手ずから水を配り、鎮痛の詩を唱えるエリシア。

 どれもが“原本”の顔をしている。

 そして、どれにも上から薄く、見慣れぬ印が押されていた。

 ——校了印。

 編集の終わりを告げる、小さな最終承認の刻印。

 そこに記された文字は、ただひとつ。


 《正》。


 叛逆しない歴も、叛逆する歴も、どちらも“正”。

 選ばれた“正”が世界に降り、選ばれなかった“正”は影の層に沈む。

 胸が潰れそうになる。

「……この世界には、“編集者”がいる」

 自分の声が、誰かの声に重なった気がした。


 渦が微かに粗暴さを増す。誰かが向こう側からこちらの回路を乱暴に叩いたのだ。床の符がひとつ、弾け飛ぶ。

「切る!」

 セラが短剣の柄で回路の一部を叩き、導線を断つ。光はばらばらの砂になって、足元に降り積もった。

 息を吐く。肺に戻ってきた空気が、熱い。


 短い静寂。

 セラが袖口で汗を拭い、低く言った。

「“編集者”。誰がそんなことを」

「史館の外だ。号外も、通行証も、討伐副本も……正典の“版”が日を跨ぐたび差し替わってる。痕跡は消える。けど——」

 リオは落ちたペンを拾い、余白に指で触れる。注釈層が、心臓の鼓動に合わせてちいさく脈打っている。

「僕の《記録書》は、痕跡の“外側”を記すことができる。なら、編集者の手癖もどこかに写ってるはずだ」


 史館の最奥に、年に一度しか開かない扉がある。

 “断章室”。

 失せた原本、宙づりの書、出所不明の断片——世界のどの棚にも収まらない紙が、仮置きされる場所。

 その扉が、夜半に限って開くという伝令が来た。許可印は青。王女の個印だ。

 バルドは渋面で通達を読み上げ、吐き捨てた。「殿下の命なるものが、どこからともなく降ってきた。——夜半、断章室を開ける。閲覧は“記録の勇者”ひとりに限る」

 監督官の視線は氷のように冷たい。「何を見ても、ここからは一字たりとも持ち出すな」


 夜。

 扉は、音を立てずに開いた。

 中は空気が新しく、古い。矛盾する匂いが同居している。細い机が並び、油皿が等間隔に吊られ、紙の束がガラスのように整然と重なる。

 最初の束に「エリシア退位宣言(案)」と墨書きがある。存在しないはずの文書。王位は安定しているはずで、いかなる危機にもそんな案が公式に作られることはない——はずだ。

 触れた。瞬間、帳面が強く輝いた。

 紙魚のような微細な光粒が、紙面からふわりと立ち上がって宙に舞う。薄い羽根の群れが室内を満たし、油皿の火が白く見える。

 〈分岐点:王女叛逆〉

 声が直に脳へ刻まれる。

 頭蓋の内側で、文字が軋む音がする。痛い。

 膝が折れる前に、肩が支えられた。

「リオ、戻って」

 セラだ。彼女は扉の影に身を残しながら、ぎりぎりの線で付き添っていたらしい。

「規定違反だけど、あなたひとりには潜らせない」

 リオは息を詰め、筆先で余白に円を描いた。

 小さな渦が紙面に開き、そこから逆流する“時”が指先に絡みつく。微小な時間の繊維が、ペンの金具を軋ませる。

「——参照深度、ひとつだけ上げる」


 浮かび上がる。

 “案”のさらに上に、別の“案”。

 退位宣言と見せかけて、それを却下する赤字。

 赤字の上から、無色の校了印。

 印の縁には、髪の毛より細い欠け。円は完全ではなく、ほんの僅かな歪みを孕んでいる。

 それは、編集者の“手癖”。

「見つけた……この印、微かに欠ける位置が同じだ。どの文書でも」

 セラが目を細める。「つまり、同じ者が“正”を押してる」

「うん。そして“押す”だけじゃない。“押しかえる”こともできる。昨夜は『撤退命令=正』、今朝は『救援出陣=正』。——どちらも正で、どちらも世界に降る。けど、世界は一度にひとつの正しか持てない。だから、どちらかが消え、どちらかが残る」

 言葉にして初めて、その残酷さが胸の裏側を切った。

 消えた正には、泣いた兵がいたかもしれない。

 残った正にも、笑わなかった誰かがいるだろう。

 “正”とは、いつも誰かの遺影の上に立つ。


 と、断章室の奥から風が来た。

 風のはずなのに、紙がめくれない。むしろ紙は風を見ていた。

 背筋が粟立つ。

 渦の縁が暗く沈んだ。向こう側からの“視線”。

 いる——こちらを“編集”している誰かが、いる。

 リオは渦の口を絞る。ペン先がきい、と鳴いて火花を散らした。

 床の回路が一斉に悲鳴を上げ、油皿の火が逸れる。

「切断!」

 セラの短剣が符を断ち、渦は唐突に閉じた。光粒が雨のように降り、机の上で溶けて消える。

 静寂。外の鐘の音だけが現実だと証明するように、遠くで規則正しく鳴っている。


 セラは大きく息を吐き、剣を鞘に戻した。

「戻った。……あなたの顔色、紙より白い」

「紙は元から白い」

 言いながら、リオは笑えた。震えたけれど。

 帳面の余白に、ひとりでに一行が刻まれる。


 ——《記録:断章室第一次閲覧》

 ——《所見:正典の“編集者”は一者、あるいは“同じ印”を共有する複数》

 ——《識別子:校了印〈縁欠け・北東位〉》


 ペン先が止まる。

 ふと、扉の外に立つ影に気づいた。

 柔らかな影。白金の髪を、灯が輪にする。

 王女エリシアが、こちらを見ていた。

 感情の読みづらい瞳。でも、その奥で何かが確かに燃えている。

「ようこそ、断章室へ。記録の勇者」

 彼女は薄く唇を結び、卓上の「退位宣言(案)」に視線を落とす。

「それは“存在しないはず”の文書。にもかかわらず、時々ここに現れる。あなたの帳面は、それに反応した。——やはり、あなたは“読むだけ”の人ではない」


 リオは真っ直ぐに王女を見返した。

「殿下。訊きたいことがたくさんあります。昨夜の命令は撤退か、救援か。号外はどちらが先で、どちらが後か。——そして、あなたは《編集者》を知っているのか」

 エリシアは首を横に振った。「“知らない”と言えば嘘になる。“知っている”と言えば、足りない」

 それは肯定にも否定にも聞こえた。

「ただ一つ言えるのは——」

 王女は机の角に軽く指を置く。

「私は、私の言葉に責任を持つ。正が差し替えられるなら、差し替えられぬ“証”を残す必要がある。そのために、あなたを史館に回したのよ、バルドの反対を押し切って」

 セラがわずかに目を丸くする。「殿下が?」

「ええ。記録の勇者は“読む”だけではなく、“再現する”。私の言葉の“再現”が可能なら、編集者の手では届かない場所に、私の“正”を打ち込める」


 リオの胸に、微かな熱が灯った。

 彼の武器は、紙だ。

 紙は遅い。けれど、鍛えれば剣より鋭く、槍より届く。

「……殿下。僕に、やらせてください」

「お願いするわ。まずは城下の噂から。明朝、広場に“第三の号外”が落ちる——そう《記録》しなさい」

 エリシアの瞳が、炎のようにわずかに笑った。

「見出しは、あなたが決めて」


 断章室の油皿が、ひときわ高く燃え上がる。

 帳面の余白が風に揺れるように波打ち、リオはペンを構えた。

 この世界に“編集者”がいるなら——

 こちらは“著者”になる。


 ペン先が、最初の文字を刻む。

 夜はまだ深い。けれど、夜明けを決めるのは、今だ。


次回予告:


第3話「第三の号外」

——『王女、退位宣言(案)を焼却』『王女、北門で盾列を抜く』『王女、地下にて祈る』。三つ巴の“正”がぶつかる朝、広場に落ちるのはどんな一行か。

記録は武器になりうるか——リオの一筆が、世界の版を割る。

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