第二部:禁じられた遺物の行方
やがて、彼らは目的の保管庫にたどり着いた。
重厚な扉は、巨大な爪で引き裂かれたかのように歪み、内側から開け放たれていた。保管庫の中は荒らされ、いくつかの棚が倒れ、中身が散乱している。
しかし、最も重要な中央の台座は空だった。
「盗まれたのは、これですね」
スパークが、台座に残された微かなエーテル残滓をデータパッドで分析しながら言った。その残滓は、秩序審問庁が検知した「強力な魔法」の痕跡と一致していた。
サイファーは空の台座を見つめた。何が、なぜこれほどまでに厳重に封じられ、そして奪われたのか。その「何か」は今、彼らの監視を嘲笑うかのように手の届かない場所へと消え失せた。
「彼らは、この場所の秘められた重要性を知っていたのか?」
サイファーが静かに問うた。
「秘められた重要性、ですか……?」
スパークはデータパッドから顔を上げ、首を傾げた。
「レリック・スカヴがこれほどの労力をかけてまで手に入れたなんて、まったく、ただのコソ泥の分際で、とんでもないことをしでかしましたね。残された強力なエーテル反応から見ても、どうやら相当な魔法の代物だったみたいです」
「魔法、か」
サイファーは呟いた。彼の職務は、まさにその魔法が均衡を乱すことを防ぎ、常に警戒を怠らないことだ。
「奴らが、遺物を何に使うつもりなのか。そして、次にどこへ向かったのか」
スパークは再びデータパッドを操作し、残されたエーテル残滓の拡散パターンを分析し始めた。
「この反応の広がり方から推測するに、奴らはここから位相転換装置で直接移動した可能性が高いです。ですが、これほどの強力なエーテル反応を伴う転移となると、追跡は困難を極めます。通常のシステムじゃノイズとして処理されて、痕跡がすっぽりと消えちまいますね」
「通常のシステムでは、な」
サイファーはそう言って、懐から手のひらサイズの薄い金属板を取り出した。それは、審問庁の標準装備品とは明らかに異なる、古めかしい意匠が施されている。表面には複雑な回路が刻まれ、中央には鈍い光を放つ小さな水晶が埋め込まれていた。残響探知機と呼ばれる、旧時代の遺物だった。
「これは…まさか本物を見る日が来るとは!」
スパークが目を丸くして言った。
「しかも、審問庁から持ち出しが許可されていたとは驚きです」
サイファーは無言で、その装置を床に置いた。水晶が微かに脈動し、周囲の空間に目に見えない波紋が広がっていく。
スパークのデータパッドの画面に、これまでノイズとしてしか認識されなかったエーテル残滓が、鮮明な軌跡として浮かび上がってきた。それは、保管庫の中心から、通路を抜け、壁を貫通して、地下のさらに深部へと続いている。
「これで彼らがどこへ行ったか、正確にわかるだろう」
サイファーの声には、一切の迷いがなかった。
サイファーとスパークは、残響探知機が示す軌跡を辿り、地下深くへと続く暗い通路を進んだ。
通路は次第に狭まり、人工の構造物と自然の岩盤が混じり合う奇妙な様相を呈していた。湿った空気が肌にまとわりつき、サイファーのライトが照らす範囲だけが、かろうじて現実の輪郭を保っている。
「この先、エーテル反応がさらに強まっています。どうやら、奴らはこの奥で何かを……起動させたようです」
スパークの声が、静寂に満ちた地下空間に響いた。彼のサイバネティック義肢の発光も、この闇の中では頼りない。
「起動、か」
サイファーは短く呟いた。彼らの追う盗賊が、ただ遺物を持ち去っただけでなく、この深部でさらに何かを企んでいる可能性に、警戒を強める。
やがて、通路は巨大な空間へと開けた。そこは、天井がはるか高く、まるで地下に埋もれた大聖堂のような場所だった。
空間の中央には、黒曜石のような光沢を放つ巨大な構造物が鎮座している。それは、見る者を畏怖させるような威容を誇り、表面からは微弱ながらも強力なエーテルが脈動していた。
「これは……まさか、旧時代のエーテル炉心ですか!?」
スパークが息を呑んだ。
「データベースでは理論上の存在とされてましたが……まさか、こんな場所に実物が!」
サイファーは、その巨大な構造物から目を離さなかった。エーテル炉心。それは、かつて「大暴走」を引き起こしたとされる、無限のエーテルを生み出す装置だ。それが、なぜこんな場所に、そしてなぜ今、微弱ながらも稼働しているのか。
残響探知機の画面が激しく点滅し、エーテル残滓の軌跡が、その炉心へと吸い込まれていく様子を示していた。盗まれた強力な『何か』は、この炉心の起動に必要だったのだろう。
「レリック・スカヴは、これを何に使うつもりだ?」
サイファーの問いは、闇の中に吸い込まれていく。
「このエーテル反応は尋常じゃないです。炉心は完全に覚醒していないみたいですけど、それでも旧時代の記録にある大暴走時の初期段階の反応と酷似してます。このままだと、周囲の空間にエーテルの歪みが拡大し、現実そのものが不安定になる可能性がありますね」
スパークの声には、いつもの自信に加えて、わずかな焦りが混じっていた。
「奴らは、こいつの危険性を理解していないようだな」
サイファーは静かに言った。
「おそらく、彼らはこの炉心の真の力を引き出す方法を知らないか、あるいは意図的に小規模な稼働に留めているかのどちらかです。」
スパークはデータパッドの画面をサイファーに向けた。
「でも、この反応の広がり方から見て、彼らがこの場所で何かを準備しているのは間違いないです。おそらく、炉心からさらに奥へ、制御装置か、盗んだ『何か』を完全に起動させるための場所へ向かったのでしょう」
画面には、エーテル炉心から伸びる新たな軌跡が、通路のさらに奥、地下の深淵へと続いていた。その軌跡は、これまで以上に強力なエーテル反応を示しており、その先には未知の領域が広がっていることを示唆していた。
サイファーは無言で、その軌跡を見つめた。
応援を呼ぶべきか否か。サイファーは一瞬、思考を巡らせた。
審問庁のプロトコルは、即座の増援要請を義務付けている。だが、この場所の深部でエーテル炉心が稼働しているという事実は、審問庁のデータベースにも存在しない情報だった。
迂闊に応援を要請すれば、大騒ぎになるのは間違いない。それに、レリック・スカヴが何を企んでいるのか、その全貌を掴む前に彼らを刺激してしまうリスクも無視できない。
この任務は、極秘裏に進めるべきだ。何よりも、この「何か」が完全に起動する前に、自分たちの手で迅速に阻止しなければならない。
「追うぞ、スパーク」
サイファーの声は、静かでありながら、確固たる決意に満ちていた。
「承知しました!」
スパークは即座に返答し、残響探知機を手にサイファーの後を追った。
彼らの足音だけが、エーテル炉心の脈動する音と共に、闇の中へと吸い込まれていく。