第二部:都市グリッドの追走劇
アリアの尋問から数日後、サイファーとスパークは新たな任務に就いていた。それは、都市の裏路地で急速に広まる、未承認の違法サイバネティクスを巡る事件だった。
今回の任務はさらに特殊で、そのサイバネティクスは、装着者の身体能力を一時的に飛躍的に向上させるものの、その制御は極めて不安定で、しばしば装着者を狂気に駆り立て、無差別な破壊を引き起こすという。
二人が最初に訪れたのは、薄暗い地下にある死体安置所だった。
そこには、違法サイバネティクスを装着して暴走した結果、秩序審問庁によって制圧された容疑者の遺体が安置されていた。案内されたドワーフの検視官は、彼ら特有の髭ずらの、疲労困憊した男だった。
「ひどいもんだ。骨格がねじ曲がっちまって、筋肉組織が異常に発達してるんだ。無理な力を引き出した代償だな。普通のサイバネティクスなら、ここまでの負荷はかからん。おそらく、使用者の生命維持システムを無視して、出力だけを最大化したんだろうて」
ドワーフ検視官は、遺体を覆う白い布をめくりながら淡々と語った。
遺体の腕には、有機的な線状の模様が黒く焼け付いていた。それは、体内の骨格が異常な方向へ曲がったことで、肉体を突き破り、そのまま固まった跡のようだった。
スパークは遺体から目を離さず、持参した特殊な機器で慎重にスキャンを始めた。遺体は、サイファーの「シャドウ・コール」には意味不明な意識だけが反響し、何の情報も得られなかった。
「ワイヤレスか……」
スパークの口から、低く呻くような声が漏れた。
通常のサイバネティクスは、必ず何らかのケーブルやポートを経由して身体と接続される。しかし、この違法なものは、装着者の神経系に直接エーテルパルスを送り込む、旧時代の技術を応用したもののように見えた。
サイファーは、スパークの様子に違和感を覚えた。彼の表情は、いつもと違い、険しく、苦痛に満ちているようだった。
「どうかしたか、スパーク?」
「……いえ、なんでもありません。ただ、この技術、どこかで見たことがある気がして……」
スパークはそう言って、再び機器を遺体に向けた。
だが、彼の精密機器は遺体から発せられる微弱なエーテルの残滓を拾い上げ、解析を進めるうちに、彼の顔色はさらに蒼白になっていった。
その夜、スパークは秩序審問庁の研究室にこもって、死体安置所で得たデータを必死に分析していた。
違法サイバネティクスの核となる技術は、彼がかつて、大学のグループで共同研究していた技術に酷似していた。装着者の体内に流れるエーテルをパルスで安定させ、身体組織を活性化させるというアイデア。
それは、人の可能性を広げるための夢の技術のはずだった。しかし、エーテルパルスの安定性が確保できず、制御不能な暴走のリスクがあるとして、スパークたちが開発を断念したはずのプロトタイプだった。
「誰だ……誰が、これを……」
怒り、失望、そして深い責任感。スパークの心は、激しい感情の嵐に襲われていた。
自分たちの手で生み出されたはずの、美しい夢の欠片が、最も醜悪な形で悪用されている。自分の技術が、罪なき人々を傷つける道具と化している。それは、彼にとって、技術者としての誇りを根底から揺るがす、耐え難い屈辱だった。
そして次の日、二人は都市の闇に潜む闇市場へと足を踏み入れた。
遺体の足取りをさかのぼり、都市の外郭グリッドの路地裏にひっそりと佇む廃ビルが、違法サイバネティクス取引の拠点の一つだと突き止めたのだ。
入り口には、全身をローブで覆い隠した、いかにも怪しげな男が立っていた。サイファーが近づくと、男は警戒するように身構える。
「なんだ、お前ら? ここに何の用だ」
男の言葉に、サイファーは冷たく返した。
「違法な技術を漁るネズミを捕まえに来た。大人しくしろ」
男は鼻で笑うと、懐に手をやった。それは廃ビルの中の仲間に連絡を入れる装置だった。だが、サイファーはその動きを予測し、装置が起動する前に男の懐から装置を奪い取り、床に叩きつけた。男は一瞬の隙を突かれ、サイファーに拘束された。
男の背後にある重厚な扉を開け、二人は闇市場へと侵入する。そこは、薄暗い照明が灯る、広大な地下空間だった。
違法改造されたボルトガンや、エーテルエネルギーを利用した怪しげな装置が、どう見ても価値のないものに混じって、所狭しと並べられている。怪しげな取引が行われ、ざわめく人々の熱気が、地下の空気を重くしていた。
スパークは、その光景に眉をひそめた。
「ひどいな。まるで旧時代の遺物の見本市じゃないか。社会の倫理を完全に無視している……」
「わかっている。だが、今はそれどころじゃない。目的はあくまで容疑者の確保だ」
二人は、闇市場の奥へと進む。すると、一番奥のブースで、違法サイバネティクスを装着した男が、その力を誇示するように、デモンストレーションを行っていた。男の筋肉は異様に膨れ上がり、手に持った鉄骨をいとも簡単にへし折る。人々は、その光景に歓声を上げていた。
「あの男だ……!」
スパークは、手に持った端末に映し出されたデータと、デモンストレーションを行っている男を重ね合わせた。間違いなく、死体安置所で見た容疑者と同じ種類の違法サイバネティクスを装着している。
サイファーとスパークは、男に声をかけ、身柄を確保しようとした。だが、男は二人の存在に気づくと、狂気に満ちた表情で周囲を威嚇し、その隙に逃走を図った。
容疑者は、強化された脚力で軽々と跳躍し、闇市場の天井にある換気口を突き破って、廃ビルの屋上へと逃げ出した。サイファーとスパークは、廃ビルの入り口で待機させていた二人乗りの四輪駆動車『グリフィン』に飛び乗った。
グリフィンは、秩序審問庁の技術部門が開発した高機動車両で、都市の外郭グリッドの複雑な地形を走破するために設計されていた。エーテルエネルギーを動力源とするその加速力は凄まじく、電子制御された四輪独立駆動システムが、どんな悪路でも路面を掴み続ける。
スパークは、このグリフィンを自らカスタマイズし、車内のモニターには容疑者の生体反応を追跡する専用のシステムが組み込まれていた。スパークは、慣れた手つきでハンドルを握り、狭い路地裏を高速で駆け抜けていく。
「屋上を飛び移りながら逃げている! 次のビルの屋根へ向かうぞ!」
助手席のサイファーは、容疑者の姿を追いながら、手元の双眼鏡で彼の動きを捉えた。その双眼鏡には、グリフィンのシステムと連動したロックオン機能が搭載されており、一度捕捉した対象の動きを自動で追尾し、その位置情報をグリフィンのシステムに送信する。
「ロックオン完了。スパーク、奴は時速40キロで移動、次のビルへのジャンプを予測。進路は北東だ!」
サイファーの報告を聞き、スパークはグリフィンのハンドルを鋭く切り、彼のサイバネティクス義肢と連動した巧みな運転技術で追跡を続けた。車内のモニターには、容疑者の移動経路がリアルタイムで表示され、スパークはそれを頼りに、ビルの合間を縫うように疾走する。
屋上を飛び移りながら逃げる容疑者と、地上を車で追跡する二人。追走劇は、都市の外郭グリッドを舞台に繰り広げられた。容疑者は、違法サイバネティクスの力で、常人では考えられないような跳躍を見せ、次々とビルの屋上を越えていく。
「くそっ、速すぎる……!」
スパークは、ハンドルを力強く握りしめ、アクセルを踏み込んだ。グリフィンのエンジンが唸りを上げ、車はさらに加速する。
次の瞬間、スパークは容疑者の動きを予測し、縁石を利用してグリフィンをジャンプさせた。
車が空中に舞い上がった直後、容疑者が次のビルへと飛び移ろうとした瞬間、サイファーは車のルーフから飛び降り、彼の進路を塞ぐように立ちはだかった。
戦闘が始まった。
容疑者の動きは、人間離れした俊敏さと力強さで、サイファーの機動力をはるかに上回る。サイファーの「シャドウ・エッジ」は避けられ、防戦一方となって、じりじりと追い詰められていった。
コダ・パルマから放たれるボルトは、容疑者の強化された肉体にはほとんど通用しない。容疑者の一撃をギリギリでかわしながら、サイファーはスパークに助けを求める。
「スパーク、何か手はないか?」
その問いに、スパークは冷静な声で答えた。
「サイファー、奴の動きにはパターンがある! 奴のサイバネティクスは、自動反応で動くように設計されている。奴が攻撃を仕掛ける直前、わずかに右腕のサイバネティクスが過負荷を起こしている!」
スパークは、容疑者の微細な動きと、そこから発せられるエーテルパルスの波形を、義眼で瞬時に解析していた。それを聞き、サイファーは、容疑者の右腕に向かってボルトガンを撃つ。
「そこだ!」
スパークは、用意していた小型のドローンを射出する。そのドローンは正確に動き、容疑者の右腕が反応した直後、強力な電磁パルスを放出した。
ドローンからの電磁パルスを受けた右腕のサイバネティクスは、わずかに誤作動を起こし、容疑者の動きが一瞬だけ止まる。
その隙を、サイファーは見逃さなかった。彼は素早くコダ・パルマの弾倉を交換し、スパークが事前に準備した「特別対応」のEMPボルト弾を装填する。EMPボルト弾は、サイバネティクスを一時的に機能停止させるために開発された、非殺傷性の特殊弾だ。
サイファーは、容疑者の右腕に狙いを定め、引き金を引く。ボルトは正確に命中し、一瞬の閃光と共に、容疑者のサイバネティクスは機能を停止した。
容疑者は、突然の機能停止に身体のバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。スパークは、自身の技術が悪用されたことへの悔しさ、そしてそれを克服した安堵の入り混じった表情で、グリフィンを寄せる。彼の技術者としての才能は、今回もサイファーを助けたのだった。