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Beyond the Silent Code:影の残響  作者: Rishas
第三章:枷を嵌められた真実
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第一部:失われた世界の残響

 アリアを秩序審問庁に引き渡した後、サイファーは束の間の休日を得た。


 街はいつもと変わらぬ、鈍く退屈な「秩序」に満ちている。


 目立つ変化といえば、せいぜい、監視カメラに雨粒程度のささやかな波紋が時折映るくらいのものだ。しかし、その静寂は、彼の耳にはもはや偽りの響きにしか聞こえなかった。


 大通りを、どこか疲れた表情をした人々が足早に通り過ぎていく。


 彼らは安全と引き換えに、心の自由を差し出した。かつてのサイファーも、この光景に何の疑問も抱かなかった。だが、今は違う。彼の心の中には、アリアが残した「幸せな世界」の記憶が、小さな火種のように燻っていた。


 彼の能力「シャドウ・コール」は、レリック・スカヴのゲート事件以来、制御不能なまでに暴走していたが、アリアの記憶に触れたあと、不思議と静穏を取り戻しつつあった。


 以前のような鋭敏さは失われ、街の雑踏の中で無数の思念が流れ込むことはなくなったものの、特定の対象に意識を集中すれば、その過去の「強い感情の残響」を読み取ることが可能になっていた。それは、彼の能力が、アリアの「歌」を通じて、より洗練された新たな段階へと進化したことを示唆していた。


 部屋の静寂の中で、サイファーは目を閉じ、その「歌」の記憶を何度も反芻する。


 温かい日差しが差し込む小さな庭で、アリアが屈託のない笑顔で家族と談笑している。食卓には、ありふれた家庭料理が並び、楽しそうな声が聞こえてくる。薄暗いバーで、仲間たちと未来について語り合う声。声は熱を帯び、夢と希望に満ちていた。


 そして、何よりもサイファーの心を強く揺さぶったのは、魔法が織りなす都市の光景だった。


 ビルの合間から見える空を彩る、虹色の光の川。それは空中に架けられた公共交通機関であり、色とりどりのエーテルの粒子が輝き、人々を乗せた光の船が滑るように進んでいく。


 商店のウィンドウは、立体的な魔法の映像で飾られ、人々は指先ひとつで空中に浮かんだ商品情報を操作していた。まるで生きているかのように蠢く、エーテルの輝き。子供たちは、魔法でできた小さな鳥を追いかけながら、楽しそうに笑っていた。


 それは、秩序審問庁の厳格な統制下で、わずかに残された魔法の痕跡しか知らないサイファーが、一度も見たことのない、美しく、そして温かさに満ちた世界だった。


 これらの記憶は、サイファーが信じていた「秩序」が、どれほど多くのものを犠牲にして成り立っているのかを、残酷なまでに突きつけていた。彼が当然だと思っていた「静寂」は、実は多くの色彩と、多くの笑顔が奪われた結果だったのだ。


 サイファーはゆっくりと目を開けた。


 そこにあるのは、無機質なコンクリートの壁に囲まれた、静かな部屋。窓の外には、単調な灰色の空が広がり、都市の建物は、画一的なデザインで隙間なく並んでいる。


 公共交通機関はレールの上を規則的に動き、商店街には整然と商品が並べられ、人々は表情を変えることなく買い物を済ませていく。子供たちが、道端で気ままに遊んでいるということもない。ここには、アリアの記憶の中にあったような温かい光や、生き生きとした魔法の輝きは、微塵も存在しなかった。


 そして次の日、サイファーは、魔法を無効化するエーテル抑制装置が施された地下の尋問室にいた。


 凍てつくような静寂の中、ガラスの向こう側、冷たい光に照らされたアリアの姿は、まるで彫像のようだった。彼女の表情は動じず、その瞳は、嵐の前の海のように静かだった。しかし、サイファーが彼女に語った「記憶のかけら」は、心の奥底で小さな波紋を広げていた。


 主席監督官ケイロンが尋問室に入っていくのを見届け、サイファーは同じフロアにある傍聴室へと向かった。そこにはすでに、監督官サイレン、相棒のスパーク、そして、アトラスとシーカーのペアが集まっていた。部屋の中央に置かれた大型モニターには、尋問室の様子がリアルタイムで映し出されている。


 今回、アリアを尋問するのは、ケイロン一人だった。その精緻な顔には、白銀の鱗がわずかに見え隠れし、銀色の瞳は鋭い眼光を放っていた。彼の立ち振る舞いは「大暴走」以前から生きる長寿種族であることを雄弁に物語っていた。


 彼はアリアをじっと見つめ、静かに口を開く。


「お前の『歌』は、美しい。しかし、その美しさは、破滅への誘惑だ。我々が築き上げた秩序を、再び混沌へと引きずり込もうとしている。お前は、この世界の真実を忘れたのか?」


 アリアは、冷ややかな視線をケイロンに向けた。深く青い輝きを持つその瞳は、彼の言葉を冷静に分析している。


「真実を忘れたのは、あなたの方です。私の『歌』は、破滅への誘惑などではない。あなたは秩序という名の檻の中で、過去の悲劇に囚われている。あの輝かしい時代を、ただ恐ろしいものとしてしか見ていない。それは、お前たちが奪い、塗りつぶした記憶を呼び覚ます、ただの希望よ」


 彼女は、静かにそう語る。その声には感情の起伏がなく、まるで古の記録を読み上げるかのようだ。


「あなたが美しいと感じるのは、それが真実だから。しかし、真実は、時に残酷な痛みをもたらす。あなたは、その痛みを恐れるあまり、人々に考えることをやめさせ、その無知のまま安全に生きていくことを強いている。それは、真実を知る権利を放棄し、生ける屍を量産するに等しい」


 アリアの口元に、わずかに皮肉な笑みが浮かぶ。彼女は、ケイロンの信念が、いかに脆く、そして悲しいものであるかを確信している。


「この世界を壊したのは、不均衡に偏った、お前たちのような愚かな傲慢さ。そして、それをまた繰り返そうとしているのは、私の『歌』ではなく、お前たちのその秩序なのです」


 アリアのその言葉に、ケイロンはわずかに顔をしかめた。感情を込めずに言葉を紡ぐ彼女とは対照的に、ケイロンは静かに、しかし有無を言わさぬ威圧感を放っている。


「愚かな……お前の瞳は、未だあの時代の幻影に囚われているようだ。お前が希望と呼ぶものは、欲望に満ちた人々が、制御不能な力に手を伸ばす姿を再び生み出すだけの誘惑だ。私が見たのは、その美しき世界が、いかに容易く世界を灰燼に帰すか、その醜悪な結末だ」


 ケイロンは、一歩も引かず、アリアの言葉を真っ向から否定した。彼の声には、経験と歴史の重みが宿っている。


「真実を知る権利、か。人々は、真実を知った上で、安寧と静寂を選んだのだ。我々が守っているのは、お前のような理想論者には決して理解できない、この世界の悲痛な選択だ。イグニスの悲劇は、秩序がもたらしたものではない。あれは、お前が唱える『覚醒』の先に待つ、必然の結果に過ぎない」


 彼は、アリアの言葉を冷徹な論理で切り捨て、自身の信念を揺るぎないものとして突きつけた。その表情には、一切の迷いが見られない。


 そして、尋問は一旦の区切りを迎えた。アリアの考え方を変えることは、初めから難しいと思われていた。


 傍聴室のドアが開けられ、サイファーは無言で立ち上がった。スパークが心配そうに彼を見るが、彼はその視線に気づくことなく、ただ一点を見つめていた。その瞳には、尋問室の光景と、アリアの記憶の中の鮮やかな世界が交互に映し出されているようだった。


 魔法と技術が発展したあの時代、それを破壊した「大暴走」は、自我を持って暴走したAIが、人間の魔法の技術を利用し、世界を滅ぼした。それが、ケイロンを始めとする秩序審問庁の者たちが、そしてこの世界のほとんどの人々が固く信じてきた歴史だった。


 しかし、サイファーが見た「記憶のかけら」の断片は、その定説に鋭い刃を突きつけた。イグニスが召喚した炎の精霊のような存在を、AI自身が操っていたという光景。それは、単なるAIの暴走などではなかった。そこには、明確な意思と、計算された操作が見て取れた。


 ケイロンの語る「欲望の末の醜悪な結末」と、アリアの記憶の「幸せな世界」、そしてイグニスの最期とゲートの「記憶のかけら」。


 三つの真実が、サイファーの心の中で激しく衝突する。どれが正しいのか、あるいは、どれも真実を語っていないのか。


 技術と魔法が発展していった、その先の光景を暗示するような、この矛盾こそが、この世界の真実を明らかにする糸口となるのだ。


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