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第2章 鬼の涙 ②


「わっ」

 眠っていたのは、ほとんど瞬きの間だったと思う。

 目を開きかけた途端、何かに右手をグンっと強い力で引かれ、私の身体は正面に垂れ込むように椅子から落ちた。


「いっ…たく、ない?」

 固い地面に正面衝突した、と思ったのだが、あまり痛みを感じない。むしろ柔らかい。覚悟に近い予測をしていた私は、全く別の感覚に目を丸くした。


「…いっ、てぇ……」

 代わりとばかりの苦痛の声に、私はハッと我に返る。声は、私のすぐ真下で聞こえてきた。慌てて両親を地面につき、身体を起こす。

 矢白木さんは私の体に押し潰されるように倒れていて、苦しそうに顔を歪ませていた。


「ご、ごめん!すぐどくね」

 私はバネのように矢白木さんの上から勢いよく跳ね起き、彼女の隣に座って辺りを見渡す。


 目の前には、たった今私が降りた、というか降ろされた赤い肘かけ椅子。取り囲むように並ぶ黒岩と、椅子に向き合うように浮かぶ何も映っていない真っ黒なモニター。

「…戻って、きた」

 安堵のため息を吐いてから、いや、戻った、は違うかと首を振る。

 この場所も、先ほどの場所も、私が生まれ育った場所とは別世界なのだから。


「…おい、一条」

「うん?」

 乱暴に呼びかけられて、私は振り返る。私を椅子から引きずり降ろした張本人、矢白木さんは私をジト、っと睨め付けていた。

 その顔は怒っているように見えるが、よく見ると、心配の色が伺える。

「…えっ、と。ごめんね。気を付けろって言われてたのに」

「……大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。心配かけてごめんね。ありがとう」

「べっ、…別に心配してねーし」

 矢白木さんはそう言うと、プイッとそっぽを向く。言い方は乱暴だが、耳がわずかに赤くなっている上、頬が少し緩んで見える。


 噂の中の彼女は、鬼のように強い夜叉路木。けれど実際に見た限りの彼女は、慎重で心配性で、ツンデレな矢白木ユウ。私にとっては、噂の中の彼女より、こちらの方がずっと親しみやすいと感じる。


 言葉と相反する彼女の反応。

 …心配はしたけれど、無事で安心した。ということだろうか?


 思わずクスクス笑うと、矢白木さんは話を逸らすように真剣な顔つきになり、口を開く。

「ところで、さっきは何があったの」

「えっと……」

 説明しようとしたところ、辺りに女性の優しい声が響く。


『おやすみ、カリーナちゃん』

 先ほどの、母親らしき女性の声。眠った赤子を起こさないようにするためか、囁くような小声だ。モニターには相変わらず何も映っていないが、声や音、匂いはこちらに届いてくるらしい。ほんのりだが、焼きたてのパンの優しい匂いがする。

「……カリーナ、って誰のこと?」

「多分私……()()()のこと、かな」

「は?何、どういうこと?」

 困惑するような、不安そうな矢白木さんの声。


 そんな反応をするのも無理はない。

 私は自分が分かっている範囲で、彼女に説明した。

 椅子に座った途端、どこか分からない田舎の家にいて、自分の身体は赤子そのものになっていて、見知らぬ女性にカリーナと呼ばれていたこと。


 そこから推測するに、恐らく私は、()()()は《カリーナ》として先程の世界に転生したのだろうということ。

「…てん、せい?」

 矢白木さんの目が、激しい動揺で泳いでいる。その奥には恐怖のような色も見えたような気がする。彼女が何に対して、何故恐怖しているのか分からず、私は首を傾げる。


 矢白木さんは震える声で続ける。

「転生、って…なん、だそれ。マンガじゃあるまいし、そんな……」

「…私も確信してるわけじゃないけど、そうとしか説明できないし…」

「そ、そもそも、じゃあここは何なのさ。その《カリーナ》とやらの身体の中とでも言うわけ?」

「身体の中、というよりは…」

 頭の中。

 カリーナという子供の精神の中ではないのか。私は、そう考えている。


 矢白木さんはまだ信じられないのか、目を激しく泳がせながら続ける。

「て、ていうか、あたし達二人なのに、二人が同じ人間に転生って、おかしいでしょ」

「…多重人格、みたいなものかな?」

 カリーナの身体と私たちはこの肘かけ椅子で繋がっていて、椅子に座ることで身体を操ることができるのではないか。


 以前、解離性同一性障害の人を取り上げたテレビ番組を見た時、その人は人格交代をスポットライトに例えていた。一つのスポットライト、その周りに人格が存在し、スポットライトの下に出た人格が表に現れるのだと。

 この場所では、この肘かけ椅子がスポットライト、ということなのではないか。

 もしも私と矢白木さんが《カリーナ》の人格だとしたら、主人格である《カリーナ》がどこかにいるはずだが、それらしい人物はどこにもいない。


 身体がまだ生まれたばかりの赤子だから、まだ自我とも言える人格ができていないのかもしれない。

 もしこの推測が正しければ、私だけではなく同じくこの場所にいる矢白木さんにも、《カリーナ》を操ることはできるということだ。

 確証はない。だがこの仮説を証明する方法なら分かる。それは、矢白木さんにこの椅子に座ってもらうことだ。


「ねぇ、矢白木さ……」

 言いかけて、私はギョッと目を見開く。

 自分の目に映ったものに、今度は私が信じられない気持ちになった。

 矢白木さんが、《夜叉路木》さんが、目からポロポロと涙を零して泣いているのだ。


「…ど、どうしたの?」

「やっぱり…、…たんだ……」

「え?」

 よく聞き取れない。

 彼女の掠れるような声を聞き取ろうと、半ば前のめりになりながら耳を傾ける。


 彼女は、か細い声で繰り返した。

「やっぱりあたし、死んだんだ……」

「あ……」

 先程までとは打て変わった小さな声。


 ようやく分かった。彼女の瞳の奥にあった、恐怖の意味が。

 彼女は、自分自身が死んだことを認めたくなかったのだ。


 いや、気付かない方がおかしかった。

 自分の死を、「あぁそうか」と淡々と受け入れられる人間の方が珍しいのだ。

 自分が転生したことを認めるということは、自分は既に一度死んだことのだということを認めるということ。それは彼女は私の話の先を恐れたのだ。


 これは、私の配慮が足りなかった。

 私のように、元の世界に未練を持たずにすんなり新しい世界を受け入れられる人ばかりではないのだ。


「…ごめんね」

「…なんであんたが謝るの」

「泣かせちゃったから」

「…………泣いてねぇし」

「……そっか」

 誤魔化すように右手で目を擦り、鼻を啜る矢白木さん。


 聞き覚えのある、泣き声。


 やはり、あの暗闇の中で、矢白木さんは泣いていたのだ。

 自身の死を悼んで。


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