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第2章 鬼の涙 ①

「おい、一条!」

 あたしの声だけが辺りに響く。返答はない。


 先ほどまで何も映っていなかったはずのモニターに、知らない若い女が映っているが、あまりそちらには興味が湧かない。

 そんなことより、肘かけ椅子に座った一条優香が、目を閉じたまま何の反応も示さないことの方があたしにとっては大事(おおごと)だった。

「一条!おい、起きろって!!」

 強く肩を揺すり、声を荒げる。しかし、やはり反応はない。


 どうなっているんだろう。

 焦りから、一条の肩を揺らす手に力がこもる。


 いっそ、一発平手打ちでもした方がよいのだろうか。いやいや、落ち着けと首を振る。冷静になれ、と心の中で言い聞かせながら、一条の様子を観察する。

 一条はぐったり、という様子ではなく、肘かけに軽くて触れ、自然な姿勢でただ座っているようにしか見えない。胸は規則正しく上下していて、呼吸にも問題はなさそうだ。


 しかし、やはり目だけは閉じていて、ピクリとも動かない。

 他に問題がないのに、声かけに反応せず、目も開けないというのはやはり異常だ。


「どうすれば……」

 混乱しながらも冷静に、冷静に、と心に言い聞かせる。言い聞かせなけれならない時点で、既に冷静ではないのかもしれない。


 一条が恐らく意識を失くす原因となったであろう肘かけ椅子を見回し、何かこの状態を変えるものがないかと探す。

 触るのは危険だと思って触れずにいたが、触れるだけでは何も起こらない、ということは一条の行動から分かった。どうやら座る、という行為がトリガーとなっているらしい。


 ならば、無理やりにでも椅子から引きずり降ろした方がいいのだろうか?

 いや、もし無理やり降ろして、一条に何かあったら……。


 …怖い。


 『鬼のように強い夜叉路木』。そう呼ばれているものの、本当のあたしはただの臆病者。

 ピアスも、金髪も、臆病な自分を隠すための鎧でしかない。高校に入るまでのあたしは、今のように『夜叉路木』と呼ばれるような人間ではなかった。


 …怖い。

 怖い……けど。

 このままにして、一条がずっと目を覚まさなかったら、その方がずっと怖い。


 わけの分からないこの場所で、唯一かもしれない顔見知り。いなくなってしまったら、あたしは怖くて狂ってしまいそうだ。

「…あー、くそっ!!」

 やるしかない!

 意を決して、あたしは一条の右手を握る。一条の腕を自分の肩に回させて、背負いあげるようにして椅子から離す………と、頭の中で強くイメージする。


 しかし、臆病者のあたしの身体は、一条の手を握ったまま冷たく、固くなってしまった。

 …あの事故の時のように。


 あの時は、一条が先に動いたから、つられてあたしも動くことができた。けれど今は、一条を動かすためにあたしが動かないといけない。

 あの時の一条の行動は、無謀だけど勇気あるものだったんだ。


「…一条……」

 …やっぱり、怖い。

 どんなに鎧を纏っても、どんなに自分を奮い立たせても、元々の臆病な自分はそうすぐには変わらない。

「…一条、一条!!」


 起きて、お願いだから。

「一条優香!!」

 ひとりに、しないで。




 ――一条優香!!


「あいっ!」

 はいっ!

 必死な呼びかけが頭の中に響き、私は思わず返事をする。


 学校でもないのにまるで教師から叱咤されたような、強く緊張感のある呼びかけだった。

 だが、ここに教師はいないし、声の主は教師ではない。声色も叱咤というよりも、ひどく焦るような色を失くしたような声だ。


 私を抱き上げていた若い女、恐らく赤子(わたし)の母親と思われる女は、私が急に大声を上げたかからか驚いたように一瞬身体をビクッと震わせ、目を丸くする。が、すぐに再び微笑み、クスクスと楽しそうに笑いながら口を開く。

「あらあら、おっきな声が出たねぇ、カリーナちゃん」

 穏やかで優しい声。頭の中で響いた声は、私を「カリーナ」と呼ぶ目の前の女性ではないようだ。


 ――…一条?聞こえるのか?


 伺うような声が、再び私の頭から響く。

 強いが、少し不安げな声。

(……夜叉路木さん?)


 ――矢白木だ!!


 恐る恐る、確かめるように尋ねると、強い口調で返された。

 やっぱり彼女だ。しかし、確認できるのは声のみで姿が見えない。

(矢白木さん、どこにいるの?)


 ――…それはこっちの台詞なんだけど。あんたこそ、それ一体どこなの?その女の人誰?


 矢白木さんの問いに、私は女性の顔をジッと見る。

 はちみつのような瞳、アメジストのような髪。わずかに焼きたてのパンのような匂いもする。

(…多分、《お母さん》、かな?)


 ――は?何だよ、それ。


 困惑するようなた矢白木さんの声。だが、困惑しているのはこちらも同じだ。


 どちらも言えない場所にいたと思えば、そこにあった椅子に座ったら自分の身体は赤子そのものになっていて、赤子(わたし)をカリーナと呼ぶ《母親》らしき女性がいる。


 ここかどこか確かめようにも、口を開けば「あー」だの「うー」だのという声しか出ず、どうやらこの身体はまだ首も座っていないらしく、見える範囲はかなり狭い。

 かろうじて木造の家の壁と、開けっ放しの窓……いや、窓枠のような四角い穴があるだけでガラスなどは一切ない窓の外に、広い庭と遠くに畑のようなものや、小屋のような小さな家々がポツポツ見える。


 私が住んでいた町はどちらかといえば都会の方だったので、本物の田舎を見たことはないが、それにしてはここは田舎すぎる。この家もそうだが、遠くに見える家々は全て木造だ。見える限りに道路と呼べるようなものもない。道のようなものはあるが、舗装もされていない砂利道とも言えないような道だ。

 こんなど田舎、日本にはないのではなかろうか。今時日本の数少ない村でも、集落の細道以外はほとんど舗装されている。


 私は一体、どこにいるのだろうか?

 …というか。

(矢白木さん、どこから見てるの?こっちの様子が分かるの?)


 ――あ?…あぁ、あんたが椅子に座った途端、モニターに映像が映ったんだ。多分、そっちが見てるものが映ってるんだと思うけど…。


(そうなんだ)

 あの真っ黒だったモニターが、私が椅子に座った途端動き出すとは、やはり椅子があの空間の鍵だという考えは正しかったらしい。


 なら、私がこちらで目を閉じたら、再びモニターには何も映らなくなるのだろうか?

 そんなことを考えていると、まるでタイミングを図ったように母親らしき女性が赤子を寝かしつけるように静かに、ゆっくりと上下に揺れ、背中の辺りをポン、ポン、と同じリズムで優しく叩く。


 女性のやり方が上手いのか、それとも赤子の身体のせいか、私は徐々に瞼が重くなり、睡魔に誘われるまま閉じた。


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