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第1章 優等生と夜叉 ②


「…で、あちこち見てもここから出口は見つからないし、疲れて座り込んでたらあんたが来た、って感じだ」

「そっか」

 彼女の話に、私は納得と安心を覚えた。


 私はあの時、少女を救うために利き手である右手を伸ばした。しかし、あの時私の視界に映ったのは、少女を突き飛ばす()()の腕だ。

 自分は右手しか伸ばしていないのに、もう一方の手は誰のものだろうとぼんやりと考えていたが、どうやら彼女のものだったらしい。


 そして、あの真っ黒な空間の中私のすぐ隣にいたのは、少女ではなく彼女だったのだ。

 そしてつまり、あの少女は無事だということ。

 私は大きく息を吐き出す。


「…よかった」

 助けられなかったと思っていた。罪悪感に押し潰されそうだった。けれど、彼女の話を聞いて本当に心から安心した。

 あの暗闇の中で、悲しそうに泣いていたのは少女ではなかったのだ。


「……ん?」

 そう思った瞬間、私はとあることに気付き、思わず声を漏らす。


 あの暗闇の中で泣いていたのは、少女ではなかった。ということは……?


 恐る恐る夜叉路木さんの顔を覗き見る。

 彼女は強く鋭い目つきで(くう)を睨みつけていて、とても泣いていたとは思えない。しかしよく見ると、まるで強く擦った後のように目の下が僅かに赤くなっていることに気付いた。


 まさか。あの喧嘩で負けなしと噂の夜叉路木さんが、少女のように泣いていた……?


 とても信じられず、ジーッと彼女の顔を凝視する。

 少しして彼女は私の視線に気付いたのか、こちらを振り返って怪訝そうに眉間に皺を寄せ、不快そうに「なんだよ」と尋ねてくる。


 もしかすると違うかもしれないが、私は恐る恐る口を開いた。

「…あのさ。さっき、もしかして泣いてた?」

「…は、はぁあっ!?」

 夜叉路木さんは途端に大声を上げると、勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤にして怒り出す。


「な、泣く!?あたしが!?そんなわけねぇだろ!て、テキトーなこと言うんじゃねーよ!!」

「ご、ごめん。そうだよね。夜叉路木さんがなくわけないもんね」

「だから夜叉路木って言うな!あたしの名前は矢白木(やしろぎ)!矢白木ユウだよ!!」

 怒鳴りながらも、夜叉路木、もとい矢白木さんは律儀にも名乗る。


 そうだった。矢白木ユウ、それが彼女の名前だった。


 クラス委員になった時、一応クラスメイトの名前を覚えようと名簿を見た時に、私の名前と一文字違いなんだなぁ、と考えていたことも思い出し、今まで完全に忘れていたことが改めて申し訳なくなった。


 …もしかして、私が彼女の名前を忘れていると気付いて、わざと名乗ってくれたのだろうか。よく見ると、矢白木さんは口調は怒っているもののその顔は少し照れているような、恥ずかしがっているような、なんとも言えない表情をしている。


 それだけ見れば、彼女はまるで少女のようだ。鬼のように強いと噂の夜叉路木とはとても思えない。

 私は、急に彼女に親近感を覚え、こんな不可思議な状況下で、なんだか嬉しい気持ちになった。

 きっかけはどうあれ、ここで出会ってなかったら私は、彼女のことを知ることもなく、そもそも知ろうともしなかったかもしれない。


 そう考えると、私の顔は自然と笑みを浮かべていた。

「うん、よろしくね。矢白木さん」

「ん…お、おう……」

 矢白木さんは戸惑い気味にそう答えると、調子を乱されたとばかりに乱暴に頭を掻き、再びストン、とその場に座り込んだ。


「…あんた、こんな状態なのに呑気だね」

「え?そうかな。これでも一応心配はしてるつもりだけど…」

「どうだか」

 呆れるような矢白木さんの言葉に、私は首を傾げる。


 呑気、だろうか?

 確かに慌ててもどうしようもないから、と冷静に振る舞っているが、はたから見れば呑気に見えるのだろうか。

 だが、今後のことを心配していないわけではない。何が起きるか分からない状況で、何も心配がないという人間はいないだろう。


「…これから、どうなるんだろうね」

 独り言のようにそう尋ね、辺りをぐるりと見回す。

 風もなく、暑くも寒くもない。一帯を取り囲むように配置された大きい黒岩と、肘掛け椅子。何も映っていない上空のモニター。それ以外は何もない、不気味とも言える空間。

 私の問いかけに、矢白木さんは「さぁな」とぶっきらぼうに答えるだけで、後は何も言わなかった。


 興味がないのかと思って彼女の様子を見ると、矢白木さんはあぐらをかいて座り、落ち着かないように小刻みに足を揺すっている。

 彼女も、これからどうなるのか分からず心配なのだ。


 私がこの場所に出る前、彼女は出口があるかあちこち見て回ったと言っていた。私も出口らしいものがあるかとあちこち見渡してみたが、隙間なく大きな黒岩が取り囲んでいて間を通ることも乗り越えることも出来そうにない。登れないかと思って自分の背後にある岩を触ってみたが、ツルツルと滑りやすく、足を引っ掛けられるような凹凸もない。


 そもそもこの空間から離れられたとしても、あのどこまでも地平線の中から出口を探そうと思ったら一体何ヶ月、いや、何年かかることだろう。


 考えただけで気が遠くなりそうだ。

 ふと、私の目に中央の肘掛け椅子が映る。


「…そういえば、あの椅子には座ってみたの?」

 肘掛け椅子を指差し、私は矢白木さんに尋ねる。


 アンティークっぽいデザインをした、赤い肘掛け椅子。矢白木さんは私の問いかけに対し否定するように首を振った。

「いや、近付いて見ただけ。さすがに怪しすぎて触ってもねぇよ」

「ふーん…」

 意外と慎重なんだ、とはさすがに口にできなかった。


 私は立ち上がり、椅子に近付いてみる

「おい、気を付けなよ」

「うん」

 椅子の周囲を回るように、グルグルと歩きながら観察する。


 真っ白な地面に、たった1脚だけ置かれた、真っ赤な肘掛け椅子。黒岩に囲まれた空間のちょうど中央に配置されているというのが、怪しさをさらに煽っている。


 身の安全を考えるならば、こういう怪しい物体には触らないのが賢明だろう。

 けれど私には、この椅子がこの空間の鍵になっているような気がしてならなかった。


 恐る恐る座面のクッションを指で撫でてみる。それは程よく柔らかく、少し触れただけでも座り心地が良さそうだと分かる。

 今度は大胆に肘掛けの部分を掴んで、椅子を動かそうと押したり引いたりしてみる。しかし、椅子は地面にしっかり固定されていて、ビクともしなかった。

 足の方を見てみても、固定するようなものは特に見当たらない。それどころか、椅子の足はまるで地面から生えているかのように埋もれていた。


 やはり、ただの椅子じゃない。

 私は好奇心に誘われるように、その椅子に腰掛けてみた。

「お、おい!」

 色を失くしたような矢白木さんの声。途端、私の視界は一気に切り替わった。



 見たことのない天井だ。

 壊れているわけではないがかなり古くて、お世辞にも綺麗とは言えない。そもそも私が住んでいた家は鉄筋コンクリート造なのに、今私の目の前に広がっている天井は明らかに木造だ。


 それに私は、先ほどまで家とはほど遠い場所にいたはずだ。それなのに、これは一体どうしたことか。やはり、あの椅子に座ったのは間違いだったのかもしれない。


 私は急いで立ちあがろうと手を伸ばした。

 と、その時。目の前に映った自分の手の大きさに、私は息を呑む。

 …小さい。

 元々平均より小さい手だと自覚はしていたけれど、それにしても小さすぎる。まるで赤子のようだ。

 指も赤子のように短く、爪も小さい。


「あ…あーう」

 どういうこと?

 そう言うつもりで口を開いた。けれど、声になったのは言葉にならない声。赤子のような声だった。


 私は困惑した。

 とその時、私の声を聞きつけたのか、誰かが私の元に近付いてくる。


 それは、若い女性だった。間違いなく日本人ではない。しかし、外国人だとしても地毛だとはとても思えない髪色をしている。

 アメジストの宝石のような髪色に、はちみつ色の瞳。優しげな表情から悪人ではなさそうだ。


 女性は私の顔を見ると、愛おしそうに目を細めて口を開く。

「カリーナちゃん、お目覚め?」

 カリーナ……カリーナ?

 誰のことを言っているのだろう。私はカリーナじゃない。

「あう、あーう」

 否定しようと声を出すが、しかしやはり言葉にならない。


 女性は私の反応を見てさらに目を細めて微笑み、私の体を抱き上げた。

 私の身長は160センチはあったはずで、女性は私とそう変わらない身長に見えたが、軽々と持ち上げている。


 いや、違う。

 抱き上げられて気付いた。

 私の身体は、記憶よりずっと小さくなっている。


 あの時の少女よりも、ずっと小さく、まだ歩くことはおろか自分で起き上がることも椅子に座ることもできないような身体。


 まさか。


 先ほどは、ほとんど冗談のつもりで「これは異世界転生なのか?」と考えていたけれど。

 まさか、まさか。


 本当に、転生した……?


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