第六話 光明
『ちょっとはマシな顔になったじゃん』
菜穂は歯を見せ笑う。
『で、ダウンロードはしてくれた? そのアプリ? だっけ?』
『うん。できたよ、ほら』
菜穂は僕にスマホを渡す。
画面を見ると、〈でんごんくん〉という文字が表記されており、紙コップをさかさまにし、かわいらしい表情をしたキャラクターがいる。
『なにこれ』
僕が怪訝な目で菜穂を見ると
『さっきナホが使ったでんごんくんだよ。かわいいでしょ! そのキャラクターと名前はナホが考えたんだー』
『なんで紙コップ?』
『糸電話をモチーフにしてるの!』
『へー』
『まあ、どうでもいいことは置いといて、孝則くんが作った素晴らしい〈でんごんくん〉について説明するよ。画面をタッチすると、文字を入力する画面が出るでしょ。そこに文字を入力して、画面下にあるスピーカーボタンを押すの。やってみて』
僕は菜穂に言われた通り、画面に文字を入力してスピーカーボタンを押す。すると、微かにだがスマホに振動が走る。何か音声が出ているようだ。
『菜穂は横暴な妹です』
菜穂に無言で睨まれる。無事に伝わっているようでよかった。
「――――――――」
菜穂がスマホに向けて何か言う。すると一瞬で画面に文字が勝手に入力される。
『で、こうやってスマホに向けて話しかけると、文章が自動で入力されるわけ』
おー、すごい。会話が成立している。これなら、手話を知らない人とも円滑にコミュニケーションがとれるかもしれない。
つい、感動してしまいテンションが上がる。
『すごいなこれ! 大発明なんじゃないか⁉ これを使えば手話を使わなくても人と話せるってことだよね』
『そう! もしこれで友だちできたら何かご褒美ちょうだいね!』
菜穂は楽しそうにいう。
でも、こればかりは仕方がない。成果に見合った報酬は払わなければならないだろう。
『わかったよ。でも……これで、どうやって友だち作ればいいんだ?』
人と話す手段があっても、話すきっかけがなければ宝の持ち腐れだ。
『うーん、とりあえず適当に使ってみればいいじゃん。周りの反応も変わるだろうし。それに、お兄ちゃん好きな人とかいないの?』
痛いところを突いてくる。僕は一瞬で、園川さんの顔が浮かんだ。彼女とコミュニケーションをとるのは至難の業だ。僕は耳が聞こえないし、園川奏は目が見えない。
これで、どうやってコミュニケーションをとればいいのだ。
いや、待てよ……?
この〈でんごんくん〉を使えば園川さんとコミュニケーションが取れるのではないか?
機械を通して会話することに多少、抵抗があるが、そんなことはいっていられない。
暗やみの海の中から光明が差した。
『菜穂! やっぱ、この〈でんごんくん〉最高かもしれない! ありがとう、菜穂!』
菜穂が微笑む。
『お兄ちゃんが喜んでくれて、よかった』
『うん。喜んでるよ。当たり前じゃないか』
そう僕がいうと、菜穂は髪をくるくるといじる。
『さっき、お兄ちゃん、ナホのこと羨ましいっていった』
『ああ、そうだね』
さきほど菜穂はその台詞に激怒し、外に飛び出していった。どうして怒ったのか、理解できないままだった。
『お兄ちゃんはそういうけど、ナホは、ずっとお兄ちゃんが羨ましかった』
『え? どうして?』
『お兄ちゃんは、ナホの憧れなの』
『そう、なのか』
僕のどこに憧れを抱いているのか本気で分からない。
まさか、僕の過去のことを言っているわけではないだろう。
『だから! お兄ちゃんをバカにするのは、お兄ちゃんであろうと許さないから!』
『わかったよ、ごめん。僕が悪かった』
菜穂は頬を膨らませる。
『違う。謝ってほしいわけじゃない』
誤ってほしいわけじゃない。だとすれば――
それがわからないほど、僕は鈍感じゃない。
僕は、手のひらを菜穂の頭に乗せた。
『ありがとう、菜穂』
「――――――――」
菜穂は顔を紅潮させ、手を頭の上から払う。そして、僕のスマホに何かを叫び、パソコンとスマホ、それらをつなぐケーブルを持って僕の部屋から飛び出していった。
スマホには文章が入力されていた。
『お兄ちゃんのばーかっ! お兄ちゃんはバカなんだから、何か困ったことがあったらナホに頼りなさい!』
スマホを見て、つい笑みが零れる。妹にここまでやってもらって、頑張らないわけにはいかないよな。僕はスマホの画面を消し、見つめる。
映るのは、希望を手にした自分。
絶望に打ちひしがれる自分はもう、ヒビ割れていなくなっていた。