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第二十八話 言う

 なんとか瞭綜大学付属病院にたどり着いた。


 正直しんどい。

 今にも意識を失いそうだ。


 瞭綜高校から近くあるとはいえ、さきほどいた桜並木の道からは走っても十分以上はかかる。いままでの人生で十分以上、全力で走ったことがないため体力が限界だ。


 視界が揺らぐ。

 濡れた拳で顔面を思い切り殴る。余計に気を失いそうになったが、気合いは入った。


 病院に入る。

 十七時ぎりぎりということもあって、患者は少なく、ロビーは閑散としていた。

 僕は正面の受付に行く。


「――――――――?」


 受付の女性が全身びしょ濡れの僕に驚きながら、何やら尋ねている。

 僕は急いでポケットからスマホを出し、でんごんくんを開こうとする。しかしスマホはさきほどの雨で壊れたのか、充電が切れたのか、操作をしても真っ暗な画面のままだ。


 くそっ! こんなときに!


「!」

「――――――――?」


 園川さんの病室がどこか必死にジェスチャーできくものの、受付の女性は要領を得ない。

 何か伝えられるものがないかと体中を探す。


 白い袋を開けても、手紙と紫のアネモネ、それと東先生のメモしかない。


 あ、メモがある!

 このメモを取り出し、ペンを借りて筆談をすればいい。

 僕は思いつき、すぐさまメモ用紙を取り出した。


 すると、メモ用紙には綺麗な字で何かが書いてあることに気が付いた。


『園川は、瞭綜大学付属病院入院棟六階の六二八号室にいる』


 つい笑みが零れてしまった。


 親子そろって、僕の背中を押すのかよ!

 僕は受付から走り出し、入院棟へ向かう。


 受付の女性や、他の人から何か注意されているように気がするが、どうだっていい。


 聞こえない。雑音は僕には届かない。

 生まれてはじめて、耳が聞こえなくよかったと思う。


 ロビーにあるフロアガイドを見て、すぐさま目的地まで走る。

 階段を駆け上がり、倒れそうになる。そのたびに脚を思い切り殴る。


 息を切らし、尋常じゃないほど、胸が痛む。


 それでも僕は走り続け――

 やっと、目的地に着いた。

 

 ここが、入院棟六階六二八号室でいいんだよな……。


 全身が雨か汗なのかわからないほどびしょ濡れになっており、水滴が床に落ちる。

 水滴が落ちた瞬間に僕は意を決し、扉をノックする。三秒ほどして部屋に入った。


 病室の奥に、彼女はいた。


 会えた。やっと、会えた。


 ピンク色の病院着を着た園川さんがベッドに座りながら、不安げな表情でこちらを向いている。


「――――?」


 園川さんは何かを口にする。僕はポケットに手をやり、スマホを掴む。


 ああ、そうだ。今はスマホが使えないんだった。


「――――――?」


 僕がどうしたものかと悩んでいる間にも、園川さんは何かを必死に問いかけている。


 その姿が愛おしく、僕はたまらず近づき、園川さんの左手を取った。

 彼女はビクッと驚いたものの、すぐに僕の手を握り返した。

 相変わらず、冷たく、細い。

 とても安心する。園川さんに会えた喜びで泣きそうになる。


 しかし、先に泣き出したのは彼女だった。

 大きな瞳から涙が頬に伝い。病院のベッドに落ちる。


 彼女は握っていない方の右手で目をこすり、ベッドに付属している簡易机に置いてあるペンを持ち、置いてある紙に書きだす。


『みなせくん あいたかった』


 何も言葉を発しなくても、僕だとわかってくれている。

 それがとても嬉しく、愛おしかった。僕は気持ちを伝えるように強く彼女の手を握る。

 彼女もそれに反応し、強く握り返す。


 再び紙に書く。


『もう あえないかとおもった』


 彼女は見えないながらも必死に文字を書き、僕に思いを伝えてくれている。


『うそついて ごめんなさい』


 ベッドに涙が零れ落ちる。彼女の思いに答えたい。でも、でんごんくんはない。


 思いを伝えることは、できない。

 僕にはできない。でも、関係ない。


 思いを伝えようとすることに意味がある。


 それを教えてくれたのは彼女だ。

 

 彼女はきっと、ばかにしないでいてくれるはずだ。


 僕は喉に手をあて、つばを飲み込む。


「た……だ、い……じよ……うう」


 彼女は驚き、僕の方を向く。


「だ……いじぃ……ようぶ」


 ちゃんと伝わっているだろうか。

 僕は喉に手を当て、喉の振動を感じながら言う。


「ぼ、くあ、きぃと、いっしよに、いあえれ、ば、そえ、でいい」


 彼女は僕が言葉を発するたびに一生懸命頷く。


「ぼ、は、きぃお……かけ、て、しわせ、だぁら」


 話すというのはこんなに疲れるものなのか。よくみんなこんなことを平気でやってのける。でも、少し慣れてきた。


 練習した甲斐があった。

 僕が息切れをしていると彼女はペンを持つ。


『わたしも きみのおかげで しあわせだよ』


 彼女は笑顔をこちらに向ける。

 その際、瞳から涙がこぼれる。


『ありがとう さいごに あいにきてくれて』


 さいご、最後か。

 僕は彼女を引き止めることはできない。

 笑顔で彼女を応援することもできない。


 じゃあ、僕には何ができるのか。僕は病室を見渡す。

 病室は個室になっており、ベッドの他には大きなトイレルームがある。ベッドの近くには椅子が二つと物置台がある。物置台には花瓶があった。


 僕は物置台に近づき、花瓶にささっている花を手に取る。

 園川さんに近づき言う。


「ぼ、う、も、きみ、に、ごえ、めん、あ、さい」


『なに』


 彼女は首をかしげる。

 僕は手に取った花を彼女に渡す。


「ぼぅ、うぉ、つ、いた」


『うそ』


「ん」


 彼女がいま手に持っているのは、僕がお花見の後に渡したアネモネだ。


『なんの うそ』


「ぼ、きぃ、わあし、た、はな」


『すごく うれしかった』


 彼女は笑みを浮かべ、大事にするようにしてアネモネを持つ。


「しぉい、はな、て、いっ……ぇど、うぉ……ご、ぇん」


 彼女は僕の声が伝わったのか、驚き戸惑っている。

 花を触り、何の花か確かめている。


『あねもね じゃないの』


「あ、ぇ、ぉね……だよ、でぉ、しろ、じやあく、ぇ、」


 緊張で声が震えている気がする。


 かっこ悪いかもしれない。

 それでもいい。


 僕の気持ちを伝えるんだ。


「あか、お、あぇ、も……ぇ、あん、だ」


 赤のアネモネの花言葉は〈君を愛す〉。


 僕はう。


「すき、だ」


 ちゃんと伝えられただろうか。

 わからない。

 彼女は赤いアネモネを手にし、見つめているような気がした。


 僕には彼女に想いを伝えることしかできない。

 それが正しいことか間違っていることかはわからない。

 でも、それが僕の意思で、それが僕の望んだ世界だ。


 彼女はしばらく赤いアネモネを見つめ、その後、アネモネを机に置いた。

 何か書こうとしているのか、僕は彼女を手伝おうとペンを彼女に近づけようとする。


 すると、体に衝撃が走った。

 彼女は僕に飛びついた。


 濡れたYシャツにも関わらず、彼女は力一杯僕を抱きしめる。抱きしめているので顔は見えないが、彼女は泣いているようだ。


 僕も力一杯抱きしめる。

 離れたくない。このままずっと一緒にいたい。

 もし、その気持ちが一緒ならどれだけ幸せだろう。


 一緒にいることが僕にとっての幸せだ。

 でもそれと同じくらい、彼女が夢を追う姿を見ること幸せだ。


 結局、僕は選べなかった。

 彼女と別れることを泣いて、悲しんで、想いを伝える。

 それしかできなかった。


 彼女はしばらくすると僕から離れ、ペンで書く。


『いきなり ごめんね』


 僕は彼女の手を握り、大丈夫だよと伝える。


『いまでも しゅじゅつ すごくこわい』


 彼女の手は震えていた。

 彼女は俯き、僕の手を強く握る。

 怖くて当然だ。

 それでも、彼女は前に進むためにこの道を選んだ。


 目が見えるようになれば、今までよりも多く、ピアノのことを学べるだろう。

 そうすれば、彼女の立派な夢に近づけるかもしれない。

 でも僕は、それを素直に喜べなかった。


 彼女が僕からすごく遠い存在になってしまうような気がしたからだ。

 僕の欠けている部分は、彼女によって補われ、幸せになれた。


 それができたのは、彼女自身の欠けている部分を僕が補い、互いに支えあっていたらからだ。でも、もし彼女の目が見えるようになったら、補う必要はなくなる。


 それは彼女にとってとても有意義なことであるのは間違いない。


 でも同時に僕らの関係は終わりになる。そんなの僕の都合で、わがままだ。


 彼女の有意義な人生を素直に肯定できない自分の器の小ささに嫌気が差し、逃げ出した。


 でも、それが自分で、自分の世界なんだ。

 僕の世界にはどうしても彼女が必要なんだ。


 彼女が必要な理由。それは、僕はいまの彼女に惹かれているからだ。


 ハンデを抱えて、困難なことも勇気を持って前に進み、怖くても全力で自分の夢を追う。


 そういう彼女が、僕は好きだ。

 そう。

 僕は、いまの彼女が好きだ。

 だから――


「か、ぁる、い、つよう、あいよ」


 彼女は顔を上げ、僕の方を向く。


「いぁ、お、きぃ、あか、ら、ゆめ……かなぇ、ら、れる」


 変わらなくていい。普通じゃない自分を否定しなくていいんだ。


 僕は普通じゃないから、見ず知らずの人のいじめに介入した。

 それが正しいか間違っているかわからないけど、それを正しいと言ってくれる人がいた。


 僕は普通じゃないから、学校で馴染めず、孤独になった。でも、そのおかげで親友に出逢うことができた。


 僕は普通じゃないから、特別支援科に入った。


 そして、きみに出逢えた。


 普通じゃない、特別な日々をきみと一緒に過ごすことができた。

 普通じゃないことは、決して間違っているわけではない。

 普通じゃないことは、特別な誰かを救うことができて、


 好きになることができるんだ。


 だからきみは、普通になろうとしなくていいんだ。

 きっと変わらなくていいんだ。


 たしかにハンデを背負うことは、自分のやりたいことへの負担になるかもしれない。


 でも、そのハンデを抱えているからこそ、自分の気持ちは色褪せず、強く持ち続けられるのではないだろうか。普通じゃないからこそ、普通じゃない人たちに、より強い思いが伝わるのではないだろうか。


 明確な答えはきっと、ない。

 でも、これだけはハッキリと言える。


「いぁ、の、ぃみ、が、すき、だ」


 僕が想いを言うと、彼女は書いて伝える。


『わたしは かわらなくていいの』


「ん」


 僕は頷く。


 もしかしたら後悔するかもしれない。

 あのとき、手術を受けていたら、綺麗な景色を見ることができたかもしれないのに、と。


 これから先の人生で、いっぱい綺麗な景色、世界があるだろう。

 それらを見ることができないのは悲しいことかもしれない。


 でももし、そう思ったら、

 僕がいる。


「おく、が、きぃ、の、め……に、な、る、から

きぃ、あ、ぼく、の、みみ、い、なっ……え、ほしぃ」


 僕がきみの傍らで、綺麗な景色をきみに届けるから、

 きみが僕の傍らで、美しい音色を僕に届けてほしい。


 そうやって、ふたりの世界をつくってゆこう。


 彼女は涙をこぼしながら、笑顔で頷いてくれた。


『すき』


「すき、だ、よ」


 僕も彼女と一緒に泣きながら、笑顔になった。


 これから先、どんな未来が待っているだろう。


 見たくないもの。

 聞きたくないもの。

 見えないもの。

 聞こえないもの。

 色々あるだろう。


 でも彼女と一緒ならば、何も怖くない。普通じゃない、特別で幸せな人生を送れるに違いない。離れ離れになるときもあるだろう。


 でも、ふたりの想いがある限り、僕たちはずっと一緒だ。

 一緒に手をつなぎ、歩んでゆこう。


 そう僕たちは誓い、手を、想いを繋いだ。


 僕たちは前に進む。でも、それは今の自分を否定するのではなく、変えるのではなく、

 今の自分を受け入れて、前に進む。


 欠けていると言われても、そんな欠けている存在でいい。ありのままでいい。

 僕たちはその答えにたどりついた。


 今の僕たちだからこそできることがあるんだ。


 だから、僕は普通科に転科しなかった。

 

 そして、彼女の手術は中止になり、盲目のまま――

 フランスへと旅立った。


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