第二十五話 親友だからだ
暗澹とした雲が空を漂う。
降水確率は四十%。今朝は晴れていたので傘は持ってこなかった。
ぼーっとしながら空を眺める。なんの感情もなく、ただひたすら流れゆく雲を見つめる。
『久しぶりだな、こうして屋上で会うのも』
『うん。そうだね』
放課後、僕は一般棟の屋上に足を運び、親友の蘭太郎と一緒にいた。
『園川さんに歩取られちゃったからな。今日は彼女と一緒じゃないのか?』
蘭太郎が花の様子を確認しながら、問うてくる。
『今日は休みみたい』
『ふーん、そっか』
太陽がまだ顔を出していた早朝、僕は希望と緊張を胸に抱き登校した。
お花見の後渡したアネモネ。
その意味を彼女が知ってしまっていたら、どうしよう。
どんな顔して会えばいいのだろう。不安が渦巻いた。
でも、彼女に会いたい。
会って、他愛のない話をして、笑って、ごく普通の楽しい日常を過ごしたい。それで、放課後は雨が降ってるからと親に迎えに来てもらう。その間、園川さんと放課後、時間を共にし、よければまた音楽室で演奏をききたかった。
でも、なにひとつ自分の思い通りの理想にはならなかった。
今日は放課後まで時間が長く感じた。
園川さんがいるときは、お昼どうやって誘おうとか、誘ったらどんな話をしようとか、放課後少し話せるかなとか、そういうことを考えているうちにいつの間にか一日が過ぎ去っている。
でも今日は違った。彼女はいない。
体調でも悪いのだろうか。だとしたら、お見舞いにでも行きたい。迷惑だろうか。
もしかしたら彼女が僕の気持ちに気づいて、それが原因で学校に来なかったのではないだろうか。
いろいろな思考が交錯し混ざってゆく。
水彩画を描くときに用意する水の容器のように、黄緑色の水がゆらゆらと僕の頭の中を揺らいでいる。
最近はあまり感じなかった感覚だ。
僕の瞳に映し出す世界ははりぼてで、何もかもがつまらない偽物のように感じる。
またか……。
『そういやあの花、園川さんに渡せたのか?』
蘭太郎が切り出す。
あの花とは、先日のお花見の後に渡したアネモネのことだろう。
あのアネモネは蘭太郎にラッピングしてもらった。
『うん。渡せたよ。でも――』
『そうか! 渡せたならよかった! 反応はどうだった?』
蘭太郎がいきいきとしている。
『ありがとうって言ってくれたよ』
『それで?』
『それだけだけど』
『そうか』
『うん』
『……どうした歩。暗い顔して。振られでもしたか?』
真剣な表情を向けられる。
『いや、そういうわけじゃないと思うけど……』
『じゃあなんでそんな暗いんだよ? 俺にならなんでも話せよ』
『……園川さん、どうして今日休みなんだろう』
空を見上げても答えは返ってこない。灰色の雲が僕を見下げているだけだ。
『聞いてみたらいいじゃん』
蘭太郎は簡単なことだといわんばかりに言う。
『園川さんとは連絡とれないよ』
園川さんの電話番号は知っている。
でも、電話をしたところで僕は話せない。話せなければ、彼女と意思疎通はとれない。
『いや、そうじゃなくてよ。普通に先生に聞けばいいんじゃねえの?』
『……その手があったか』
『思いつかなかったのかよ』
蘭太郎は苦笑する。思いつかなかったわけじゃない。でも、どうしてかききたくなかった。
嫌な予感がする。
それをきいてしまえば、残酷な現実が待っているような気がしたのだ。
『園川さん、目の手術をするみたいなんだ』
『え⁉︎ マジ⁉︎』
蘭太郎は飛び上がり、驚く。
『うん』
『そんじゃ、その手術を今日してるってことか?』
『いや、わからない。手術の日程は決めてないって前に言ってたから。それが本当かどうかわからないけど』
蘭太郎は僕の前に座り、僕の肩を掴む。
『じゃあ、確認しなきゃだろ』
真っ直ぐ見つめられる。僕は目を逸らす。
『蘭太郎がそういうこと言うのは珍しいね』
蘭太郎は僕が悩んでいるときには、あえて何も言わない。そして、僕が道を選んだら背中を押してくれる。こうして、僕自身の問題を強要することは今までになかった。
『お前はふわっとした性格のわりに、自分の意思を強く持って、それに従って行動できる勇気のある人間だ』
『そんなんじゃ、ないよ……』
『でもな、それはお前が常に、正しいと思うことを考えられる人間だからだ』
『…………』
よく意味がわからない。
僕は蘭太郎の言う勇気のある人間でも、強い意思を持つ人間なんかじゃない。
『お前はいま、考えてるか。自分がなにをすべきかを。いや、きっと考えたんだろうな。お前は人一倍無駄に考える人間だもんな』
『……無駄は余計だ』
言い返せてもどうしようなないことしか言い返せない。考えたさ。
僕は、いま、現実に向き合うべきだ。でも、向き合ってしまったら、今僕の手のひらにある希望の光がこぼれてしまいそうなんだ。
『なら、いまお前がすべきことはわかってんだろ』
蘭太郎は今もなお、僕を真っ直ぐ見つめる。
『今のお前のことは、応援できない』
『え?』
顔を上げる。
『俺はお前の意思を絶対に否定しない。でもな、意思のないお前のことは絶対に肯定しない』
蘭太郎は淡々と、しかし力強く言う。
僕の耳には届かないけれど、蘭太郎の意思は僕の心に響き渡る。
『大丈夫だ。お前なら絶対、前に進める』
僕の瞳を真っ直ぐ見つめる。僕を、信じてくれている。
蘭太郎はちょっと過大評価だけど、ちゃんと僕のことをわかってくれているんだ。
『どうして……』
『ん?』
『どうして蘭太郎は、僕にそこまでしてくれるの? 僕は、蘭太郎にそこまでしてあげていなのに』
蘭太郎は顔をしかめ、頭を掻く。
『そんな簡単なこと聞くなよ』
『ご、ごめん』
『親友だからだ』
蘭太郎は淀みなくはっきりと言う。僕はつい、笑ってしまう。
『なに笑ってんだよ!』
『いや、ごめん。ありがとう。親友って今までいたことないからわからなかったよ。本当に、ありがとう。僕の親友でいてくれて』
『礼を言われる筋合いなんてねえよ』
『そっか』
親友同士笑いあう。ちょっとして再び、蘭太郎は真剣な表情をする。
『たぶんだけどな、おまえにとってつらい選択が待ってるかもしれない。でも、どんな選択でも、親友が決断したことは絶対に応援してやる。だからビビるなよ』
『うん』
蘭太郎は僕に手を伸ばす。僕はその手を掴み、立ち上がる。
『行ってこい、親友』
『うん』
蘭太郎は僕の背中を強く押す。
押す力が強く、転びそうになるのをなんとか堪え、その勢いのまま僕は走り出した。




