第二十二話 ファーストキス⁉
花屋の裏は壮大な景色が広がっていた。
大きな桜の木が何本も連なり、桜のもとにいると広大な青空がピンクの花びらに覆われる。土も綺麗に整備されており、石ひとつない。茶色の土には、風が吹くごとにピンクのカーペットに染まる。その上に十人が余裕で入れるほどのシートが敷かれる。
敷いているのは僕がよく知っている人間、この花屋の息子、花宮蘭太郎だ。
僕は蘭太郎に近づき、話しかける。
『蘭太郎、お疲れ様。何か手伝えることはある?』
蘭太郎は明るい笑顔を向ける。
『おお! お疲れ! 歩はお客さんなんだから大丈夫だよ。どうだったガーデニング教室は』
『いろんなこと知ることができたよ』
『そりゃよかった。そんで? 歩の好きなやつっていうのはあの人?』
そう言って、蘭太郎は少し離れたところで菜穂と話す園川さんを指さす。
『……まあ、そうだといっても嘘にはならない』
『紛らわしいな。なに、付き合ってんの?』
『付き合ってないよ!』
『えー? だって休日にわざわざ異性のクラスメイトと遊びに行くか?』
『そっか、蘭太郎にはそういう経験ないもんね』
『真顔で俺の心を傷つけるな……。ま、いいんじゃねえの? 青春を楽しめ少年』
『同い年が言うなジジイ。きょうだい揃って青春好きなの?』
『え、姉ちゃんも同じこと言ってた?』
『うん。私にはもう青春が二度と来ないとか嘆いていたよ』
『なあ、歩』
僕の肩を掴み、真剣でまっすぐな目を僕に向ける。
『なに?』
『姉ちゃんをお嫁に――』
『断る』
『判断が早い』
僕と蘭太郎が他愛のない話をしているといつの間にかお花見の準備が整ってきた。
僕は園川さんと菜穂のもとに行き、シートの上に座る。すると、紫織さんがシートから立ち上がった。
『ではみなさん、存分にお楽しみください』
そう言って紫織さんはお店に戻っていった。蘭太郎もお花見を一緒にできるとのことだったが、ガーデニング教室の後片付けがあるので後から来るそうだ。
シートの上には大量の料理があった。唐揚げにハンバーグ。サンドイッチに桜餅。ポテトフライにおにぎり等多種多様の料理が並べられている。
ふと園川さんを見ると、彼女はお腹を手に当て、顔を赤くしていた。
『どうしかした園川さん?』
『ち、違うの水瀬くん! これは! いっぱい頭使ったから、それで――』
『うん? 何のこと?』
何のことかわからず、頭の上に疑問符を浮かべていると、菜穂が笑いながら言う。
『奏さん、大丈夫ですよ。お兄ちゃんには聞こえてませんから』
『あ、そっか。よかった……』
『なんの話?』
菜穂に問う。
『気にしないで。乙女には色々あるの』
『なんのこっちゃ』
『とにかく食べよ! いただきまーす』
菜穂は結局、何があったか教えてくれないまま合掌をする。
いただきます、と僕も心の中で唱える。
園川さんがとなりで何か呟いている。
でんごんくんには『よかった、お腹の音聞こえてなくて』と表示されているが見なかったことにしておこう。
みんなが食べ始めた。園川さんが目を輝かせる。
『ふぁ~唐揚げの匂いがする! 水瀬くん! 唐揚げどこ⁉︎』
唐揚げにテンションが上がる園川さんがかわいい。
そのかわいさに見とれていて、一瞬反応が遅れる。
『ああ、待って。今、取り皿にわけるから』
『ありがとう!』
僕は手近にある紙皿を手に取り、菜箸で唐揚げを乗せる。
『はい。園川さん』
『うぅ~食べていいの?』
『いいんだよ』
つい笑みが零れる。
『お兄ちゃん、食べさせてあげなよ』
『え?』
僕と園川さんが固まる。
『ほら、こぼしちゃうともったいないし』
どこかできいたことがあるような言い回しだ。僕は園川さんとパフェを食べに行ったときを思い出す。あのときはその場のノリで園川さんにパフェを食べさせたものの、周りに誰もいないからできた。
でも今は周りに人ばかり。菜穂はにやにやする。
『いや、園川さん、自分で食べられるから』
『え~でも、せっかくなら、ねえ、奏さん?』
菜穂は園川さんを促す。馬鹿め。菜穂は一緒に食事したことがないからわからないだろうが、園川さんの空間把握能力はピカ一だ。
わざわざ人の手を借りなくたって――
『うん、そうだね。ごめん、水瀬くん。食べさせてくれないかな?』
『ええ⁉︎ でも――』
僕が戸惑っている間に唐揚げの乗った皿を渡された。
『嫌だったら、いいけど……』
『ほらお兄ちゃん』
『え、でも、いいの? 人前だよ?』
『…………大丈夫。嫌、かな?』
ここまで言われて引き下がるのは男が廃る。据え膳食わぬは男の恥というものだ。いや、僕が食べさせる側なんだけど。
『じゃ、じゃあ』
僕は割り箸を割って、唐揚げを掴み、園川さんに近づける。前回のパフェは机越しだったため、若干距離があったものの、今はすぐ隣にいる。
なんだかいけないことをしている気がする!
僕は意を決して、園川さんの口に唐揚げを運ぶ。園川さんは口を開く。相変わらず綺麗な歯並びとピンク色の舌。温かい吐息が僕の腕をくすぐり、体中が熱を帯びる。
ゆっくりと唐揚げを口に入れる。園川さんは口を閉じ、割り箸の先まで咥える。
僕は箸を引き、少し湿った割り箸を見つめてしまい、余計に背徳感を覚える。
その様子を菜穂はちょっと頬を赤くしながら、笑って見つめる。
園川さんは唐揚げをゆっくり咀嚼し、のどを動かす。
『美味しい!』
『それはよかった』
当の本人は僕の苦労も知らず、食事の喜びを感じている。
『ん~! 美味しい! 美味しいです! なんか、恥ずかしさが飛んでしまうぐらい美味しい!』
よほど美味しかったのか、ハイテンションでいる園川さん。
『そんなに美味しいならお兄ちゃんも食べてみなよ』
菜穂が僕に促す。
そんなこと言われなくても、そうする。
『あれ、箸どこだろう?』
手近にあった割り箸がもうない。
菜穂が何かを後ろに隠したような気がするが、まあ、今はそんなことはどうでもいいか。
『今度はほら、お兄ちゃんが食べさせてもらいなよ、奏さんに』
『な、なんでそうなる! というか、それは意味がわからない!』
そんなことができるなら最初から僕が食べさせる意味がない。
そんな恥ずかしいこと園川さんだって嫌なはずだ。
『うん! 菜穂ちゃんの言う通り! 唐揚げ! すごく美味しいから』
園川さんは唐揚げの美味しさをいち早く理解してほしいのか、興奮冷めやらず、僕が持っていた割り箸と皿を見えているかのように素早く取る。
『ちょっと待って!』
僕の制止をものともせずに園川さんは皿にある唐揚げを割り箸で掴み、僕の顔まで近づける。
うぅ、恥ずかしい。いや、それ以上にこの割り箸はさっき園川さんが食べるのに使った割り箸だ。僕がその割り箸で食べたら、か、間接キスになってしまう。
それは園川さん的にもまずいのではないのか?
『ほら、水瀬くんいくよ。あーんして』
園川さんは止まらず僕の口元に濡れた割り箸、いや! 唐揚げを近づける。
園川さんはそういうこと気にしないのか? いいのか?
菜穂は遠目で口元を抑えて、興奮気味に様子を見ている。
ダメだあの妹。
覚悟を決めるしかない。僕は、意を決し目を閉じ、口を開ける。
口に香ばしい香りが広がる。僕は唐揚げに歯を当て、掴む。
そして、そのまま唐揚げを箸から引き抜く。
『どう? 美味しいよね?』
園川さんは僕の葛藤を知る由もなく、興奮し尋ねてくる。
唐揚げを咀嚼し、飲み込む。
『……うん、すごく美味しいよ』
正直、味なんてほとんど分かっていなかった。
『だよね! ホント美味しい! もっと食べよ~』
そう言って園川さんはそのまま唐揚げを食べ続ける。菜穂がニヤニヤとしながら僕の傍に寄って来る。
『お兄ちゃん、ファーストキスの味はどうだった?』
僕は動揺を悟られぬよう、平静を努める。
『残念だったな菜穂。僕は間接キスはしてない』
『は? どういうこと? してたじゃん』
『いや、僕は箸に口が触れぬよう唐揚げを咀嚼した』
僕が自信満々に答えると菜穂は肩を落とす。
『はぁ~……意気地なし。で、奏さんにはいつ告白すんの?』
『な、なんで急に告白の話になるんだよ』
『はぁ~、お兄ちゃん自分が告白されると思ってんの? これだから最近の若者は草食でいかんね』
お前に若者扱いされてたまるか。
告白か……。告白の練習はしている。でも今、僕は彼女に告白していいのだろうか。
あらゆる可能性が頭をよぎる。手術を受けるという大変な時期に、余計な負担になってしまうのではないだろうか。僕が前を進むことは、彼女の進む道を邪魔することになってしまうのではないだろうか。
僕は彼女のことが好きだ。だから、一緒にいたい。だから、彼女の力になりたい。
でももし、そのふたつの希望が相反するものだったらどうしよう。僕は、どちらかを選ぶ状況になったらどうしたらいいんだ。いや、僕は彼女の背中を押すと決めたんだ。
たとえそれが僕のもうひとつの希望を踏みにじることになったとしても、それでも僕は彼女が普通の幸せな日常を歩んでほしい。
そうだ。それでいいんだ。
『ちゃんと自分から告白するよ。いつかな』
そういうと、菜穂は笑顔になる。
『なにそれ。まあ、お兄ちゃんならきっと大丈夫だね』
『ああ、ありがとう』
菜穂の頭に手を乗せる。菜穂が僕の力になるように、蘭太郎が僕の背中を押してくれたように、僕は、彼女を幸せにしてあげたい。
菜穂が僕の手をどかす。
『触んな。ほら、ナホたちも食べよ。早くしないと、全部奏さんに食べられちゃうよ』
菜穂と僕が園川さんを見ると、すごい勢いで食べ続ける園川さんがいた。
たくさんあった唐揚げは残りわずかになっており、他の料理も半分以上たいらげてしまっている。僕と菜穂は急いで戻り、蘭太郎も合流した。
園川さんと菜穂に蘭太郎を紹介し、4人で騒ぎながらお花見を楽しんだ。
友人と家族と、好きな人とこうして笑いあい、バカ騒ぎしてときに傷つけあい
それでも結局最後は笑いあう。それは僕が望んだ日常だった。
ずっとこの時間が続けばいいと思う。でも、幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。
時は必ず流れて、二度と同じ時間を過ごすことはできない。
それでも、僕は今日この日の幸せな時間を忘れることはない。
忘れなければ、僕のなかで幸せはあり続ける。彼女の記憶には、残るだろうか。
幸せな日常を一緒に過ごしたことは、なくならないだろうか。
もし彼女も幸せだと思えたなら、それでいい。
それで、いいんだ。
シートの上にあった料理はすべてなくなり、お花見もお開きという流れになった。
紫織さんがお店からきて、挨拶をする。
『みなさん、また機会がございましたらいつでもお越しください。私たち一同、お待ちしております』
お辞儀をして、お花見は終わった。蘭太郎は片づけをするとのことで別れた。
桜の木の下。僕と園川さんと菜穂が残された。
『いや~楽しかったですね奏さん! もうお腹いっぱいですよ』
園川さんは微笑む。
『うん、すごく楽しかった! まだまだ食べ足りないよ。これからご飯でもどう? 菜穂ちゃん』
菜穂の顔が青ざめる。
『ちょっとお手洗い行ってきていいですか……?』
園川さんと僕が笑いあう。
『なに? なんなの⁉︎』
『ふふっ、なんでもない。冗談だよ。また今度一緒にお食事しよう?』
『ぜひぜひ! そのときはお兄ちゃん抜きで!』
『なんでだよ。ひどくない?』
『ガールズトークってものがあんの』
『はあ』
よくわからないが、園川さんもまんざらでもないようなので仕方がない。
『じゃあ、今日はこの辺で帰りますか~』
菜穂が寂しさを紛らわすように明るい調子で言う。
『あ、ごめん菜穂。先に帰ってて』
『なんでよ。一緒に帰ろうよ』
『ちょっと用事があるんだよ。それでごめん、園川さんは少し待っててもらっていいかな?』
園川さんは戸惑いつつも、頷く。
『な~に~私だけのけもの? ま、いいけど』
菜穂は不満げに言うものの、僕の意図を察してくれたのか笑って了承する。
『じゃあ、行ってくるよ』
僕はそういい残し、花屋の店内に向かった。




