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第十八話 転科

 蘭太郎の花屋に行った翌日。


 僕はさっそく、園川さんをガーデニング教室に誘おうと思った。しかし、どうしてか、朝も昼も僕は園川さんを誘うことができなかった。緊張で体が動かない。好きな人を誘うのはこんなにもハードルが高いものなのか。


 よくパフェを食べに誘えたなと、我ながら過去の自分に感心してしまう。あのときは話の流れがあった。でも、今回は違う。なかなか自然な流れで誘うことができなかった。


 それに、前にパフェを食べに行った後の彼女の言葉がずっと頭に引っかかっていた。


『私、手術を受けようと思う』


 彼女に声を掛けようと思うと、この言葉が思い出されその度に体がかたまってしまう。


 いったい何の手術だろう。聞くことができなかった。彼女がそう告げた際、詳しく聞こうと思ったところ、待たせていたタクシーが来て聞けなかった。


 タクシーの中でも聞いていいのかわからず、他愛のない話しかしなかった。それで結局、今も聞けていない。


 手術。

 考えられるのは病気、もしくは――


 いや、本当はわかっているはずだ。彼女は目の手術をしようとしているのだろう。


 最近は、自身の細胞を移植し、目が見えるようになった人もいるぐらい医療が発達している。


 彼女は前に進もうとしているのだ。それがなぜだか、心が引っかかっている。どうして引っかかっているかわからない。いや、もしかしたら心の奥底でその答えは出ているのかもしれない。それでも、僕はその気持ちを否定している。見て見ぬふりをしている。


だから、自分自身でもその気持ちと向き合わず、わからないままでいた。


 そのようなことを一日中考え、頭を抱えているうちに、いつの間にか帰りのホームルームが終わっていた。さすがにこのままではまずいと思い、ついに立ち上がった。


 僕の斜め前方の席、園川さんの席を見る。しかし、彼女の姿は見当たらなかった。


 辺りを見渡しても他の生徒もすでに帰ってしまっているようだ。

 今日は帰るか、と僕が諦めかけていたところ教室の前の扉が開いた。


 そこには、組長、もとい特別支援科の担任教師、あずま先生がいた。


『なんだ水瀬、まだ帰っていなかったのか』

『すみません。すぐに帰ります』


 東先生は手に鍵を持っていた。僕が出ないと教室を閉められない。僕は急いで身支度を整える。東先生が近づき、僕の前の席に座る。


『最近はどうだ?』


 どう、とは特別支援科の生活が苦になっていないかということだろう。東先生は僕が普通科にいたことから気にかけてくれていた。僕が特別支援科に転科の相談をしたのも、そんな気にかけてくれた東先生が一番最初だった。


『まあ、ぼちぼちですね』

『そうか。心配でな。お前は何もかも自分で抱え込む』

『欠点です』

『自覚してんなら及第点だ。でも、しょうがないよな。自分の言いたいこといっても相手に伝わんなきゃ意味がない。どうせ伝わんねえなら、言う必要もない。だからお前は気持ちを表に出さず、抱え込む』

『しょうがないから、どうしようもないですよ』

『ああ、でも今のお前は違う。ちゃんと自分の意思を尊重し、行動している。大したもんだ。俺がお前くらいのときは、何もかもビビっちまって何もできなかったのによ。ハンデを抱えててもそれでも自分の意思に従って行動してる』

『よく見てますね』


 僕が園川さんに積極的に話しかけているのを見ていたのだろう。


『そんぐらい先生ならわかんだよ。で、だ。お前の意思を聞きたい』

『なんですか改まって』


 東先生は紙を一枚取り出す。その紙には、〈転科願〉と題目がある。僕は目を見開く。


 見たことがある。僕が普通科から特別支援科に転科をする際に記入、捺印をした用紙だ。


 なぜいまそれを僕に見せるのだろう。


『いまのお前ならきっと、普通科に行っても上手くやれるだろう。前みたいに全部抱え込んで、潰れたりはしない』


 東先生の目は真剣だ。冗談で言っているわけではないようだ。


『でも……』

『普通科に行けば前のクラスメイトと同じクラスになることもあるだろう。それが嫌なのはわかる。でもな、今のお前にはそれを乗り越える力がある。その力があれば、おまえが望むものも手に入れられるはずだ』


 僕が望むもの。普通の高校生になること。


 特別支援科に転科するときに、僕が東先生にいったことだ。


『僕は普通の高校生になりたくて、普通科に入りました。でも、やっぱり無理でした』


 一年ほど前のことを思い出す。何もかもに自信がなく、普通科にいることにより溜まった劣等感から逃げ出した。


 でも、園川さんに出逢い、僕は少しだけ変わった。

 自分から、自分のしたいことをするようになった。それを東先生は見たのだろう。


 僕の念願を叶えるために、きっとこの提案をしているのだ。


 でも、どうして――


『どうして、今なんですか?』

「…………」


 東先生は何も言わない。何も言わなければ、何もわからない。


『僕はいま、幸せです。それはこの特別支援科にいるからです』


 そして、園川さんに出逢えたから。そこまではいわない。


『ああ……』


 東先生は何かを言い淀んでいる様子だ。


『たしかに前までは普通科の生徒として、普通の高校生活を夢見てました。でも、今は違います。だから、この書類は受け取れません』


 僕は机に置かれた〈転科願〉を東先生につき返す。


『……答えは急がなくていい』

『だから! 僕は――』


 僕が強く否定しようとしたところ、東先生は席から立ちあがった。


『付いてこい』

『どこにですか?』

『いいから』


 東先生は僕の鞄を持ち上げ、歩き始める。


『ちょっと! 待ってください! どこに行くんですか』


 東先生の後を追い、教室から出る。廊下を出て、階段に差し掛かる。特別校舎には、体の不自由な人のためにエレベーターが設置されている。東先生はエレベーターに入り、僕もしぶしぶ乗り合わせる。


 四階を押し、デジタル表示された数字が二、三,四と上がってゆく。四階に到着し、東先生はエレベーターを降り、歩みを進める。廊下の奥まで進むと、大きな教室があった。扉の前に立ち、上を眺める。


 そこには〈音楽室〉とある。


 こんなところに連れてきてどうするつもりだろうか。僕にはもっとも縁遠い場所で、あまり好きな場所ではない。東先生はそのまま音楽室の前に立ち、振り返る。


『入れ』

『え、先生は?』

『俺が入っても仕方がない。お前だけで行け』


 えぇ……、いったいなんだっていうんだ。


 東先生はその言葉を残し、その場から去ってしまった。このまま帰ってやろうかと考えたが、東先生も何か考えがあるのだろう。僕は、恐る恐る音楽室に入っていった。


 音楽室は広く、教室三部屋分ほどある。


 普通の教室と違い、床は灰色のカーペットが敷かれ、真ん中の方には合唱用のためか段差になっている。今日は吹奏楽部などの部活をやっていないみたいだ。

 音楽室を見渡す。すると、手前右から人の気配がした。


 誰かいるのか……?


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