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第十四話 彼女は前に進む

 目的地まではけっこう距離があるので、一旦、お店から駅に戻りタクシーを捕まえて目的地まで向かった。


 道中、タクシーの料金メーターがすごい勢いで上がってゆくのを見て僕は財布を開き、青ざめていた。


 目的地に到着した。タクシーの運転手はスマホで会話する僕に一瞬、不思議そうにしていたが、それよりも目的地に対してさらに不思議がっていた。でも問題ない。ここが目的地だ。タクシーから降りて、僕と園川さんは道路に降り立った。


『水瀬くん、ここはどこ?』

『ここは、僕が毎日通る道だよ』


 そう答えると、彼女は余計に疑問符を頭に浮かべていた。


『どういうこと?』

『園川さん、言ってたでしょ? 普段、親の車で登校してるって。だからきっと、ここには通ったことはあっても、居てみたことはないのかなと思って』

『うん? ということは、ここって学校の近く?』


 そう。僕が彼女と一緒に行きたかった場所は、普段、僕が登下校で通っている桜並木の道だ。


『そうだよ。いま、僕たちの周りにはいっぱい桜が咲いているんだ』


 風が吹き、木の葉が揺れる。彼女にはきっと、木の葉を揺らす音が聞こえているだろう。


 僕には、その音が聞こえない。けれど、僕には花びらの舞う桜の景色が見えている。


 彼女には、その景色が見えない。でも、そんな僕らだからこそ、欠けている僕たちだからこそ共有できるものがあると思った。


『本当だ。いっぱい木があるみたい。それと……これは、お餅? の匂いかな』


 さすがは食いしん坊。


『桜餅かな。よかった。やっぱり、園川さんなら分かるんだね』

『あー、桜餅。わかるってなにが?』

『桜の匂い』

『うん。桜の匂いだね』

『これ、実はあんまり匂いのしない桜らしいんだ』

『へぇ、けっこう匂いするけどね。いい匂い』


 この桜並木の桜はすべて、ソメイヨシノと呼ばれる桜の品種だ。ソメイヨシノの花自体にはあまり香りがなく、一般的に、花は塩漬けにしないとなかなか香りを認識できないらしい。友だちから聞いた情報だ。


 しかし、僕は違った。昔から、この季節になると、このソメイヨシノの花の香りを嗅ぐことができた。秋が金木犀なら、春は桜といった感じで季節の違いを楽しんでいた。


 それは僕だけだった。僕の友だちや、家族は桜の匂いを感じ取れないようだった。

 聴覚が機能していない分、他の感覚、この場合、嗅覚が他の人よりも優れているのだろう。


 僕は、そのことを知ったとき、優越感ではなく、孤独を感じた。


『うん。でもね、僕たちだけなんだ。この桜の匂いを感じ取れるのは』


 でもやっと、共有できた。


『え? そうなの?』

『僕たちが欠けている分、その分、感じ取れる匂いなんだと思う』

『そう、なんだ。そう考えるとすごいね。特別って感じ』


 彼女は前向きにとらえていた。


『僕は特別だとは思えなかった』

『どうして?』


 僕は桜の木を見つめる。


『誰かと違うことができる。そう言えば、聞こえは良いけど、僕にとって、特別っていうのは孤独でしかなかった。特別になりたくて、なったわけじゃないから。僕はただ普通に、誰かと一緒に共有して、一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったり、感動したりしたいだけなんだ』

「……」


 彼女は真剣に聞いている。


『だから僕は、必死に取り繕って普通になろうとした。高校には普通科で入学して、普通に高校生活を送りたかった。でも、ダメだったんだ。やっぱり僕は特殊だから、欠けているから、ダメだと思っていたんだ』

『そんな――』


 彼女が異を唱えようとするのを遮る。


『うん。いま、考えれば、それは僕の単なる言い訳で、少し、勇気が足りなかっただけだったんだと思う。もう少し勇気があれば、僕は自分の世界を変えられたんだ。事実、世の中には僕のような人たち、いやそれ以上に欠けている人でも、普通の人以上に幸せを掴みとっている人たちがいる』


 彼女は優しい否定をする。


『水瀬くんは、勇気がある人だよ』

『ありがとう。でもそれは、園川さんのおかげなんだ』

『そうなの?』

『僕は勇気がなくて、特別支援科に転科した。でも、それを悲観しているわけじゃない。そのおかげで、園川さんと出逢えて、勇気をもらえたから』


 彼女は俯く。


『私はなにも……してないよ』

『そんなことない。僕の誘いを受けてくれて、一緒に駅で集まって、一緒におっきいパフェ食べて、こうして一緒に桜を共有できた』


 これは、園川さんの勇気がなければできなかったことなんだ。もし、きみの勇気がなければ僕はまた、自分を否定していた。きみのおかげで僕ははじめて、自分が特別でよかったって思えた。


『きみのおかげで、僕の世界は変わったんだ』

風が吹き、桜の花びらが舞う。

花びらが彼女の綺麗な髪に乗り、僕はそれをはらう。


 僕は、きみが好きだ。


 まっすぐな気持ちだ。でも、僕はそれを口にすることはなかった。勇気が足りないわけではないと思う。ただなんとなく、上手く言葉では表せないけど、機械を通して言うのは何か違うのではないかと思った。


 僕は決めた。必ず、この気持ちを、僕自身の言葉でう。



 だから今日は、ここまででいい。


『だから、ありがとう。園川さん』


 僕は胸のうちに秘めた言葉をそっと込めた。彼女はそれを聞いて、杖を持っていない方の手を空に彷徨わせ、僕の肩に触れ、その手は僕の腕を沿い、手を握った。


『私も水瀬くんのおかげで、勇気がもらえたよ』

『役に立てたなら嬉しいよ』


 前向きな彼女がさらに自分に自信を持てたならそれに少しでも僕が貢献できたなら、それ以上に嬉しいことはない。今後、彼女はその前向きな姿勢と、勇気をもって、もっと前に進むだろう。できることなら、僕も一緒に前に進みたい。


『本当に、本当に、水瀬くんおかげで私、勇気でた』

『うん』


 彼女は何かを決意をしたように手を強く握る。


『水瀬くん、聞いてほしいことがあるの』

『なに?』


『――私、手術を受けようと思う』


 彼女は、園川奏は前に進むのだ。


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