第九話 自分で世界を未完成にしているだけ
『ごめん。すごく魅力的な提案だけど、遠慮しておくね』
終わった。視界がどんどん灰色の砂嵐に覆われ、見えなくなる。前後不覚。なにも分からない。絶望という単語では言い表せない。
真っ黒な闇もない。色も、音もない、ただ何もない穴へと吸い込まれてゆく。その様子が伝わったのか、園川さんはゆっくり口を開く。
『ごめんなさい。その……やっぱり、パフェ、すごく食べに行きたいの。でも、私と一緒だと、水瀬くんに迷惑かけちゃうから』
しどろもどろになりながら言う彼女は嘘をついている様子はなかった。
『迷惑なんかじゃない!』
みっともないかもしれないけれど、僕は必死になってくらいつく。
『迷惑だよ。だって、私、ひとりで学校に行くこともできないんだよ? 毎日、親に車で送ってもらわなきゃ、自分の身の安全も確保できない。それなのに、親でもない誰かと外出するなんて……無理だよ』
彼女は唇を噛んでいる。悔しそうに言っているのが声を聴かなくてもわかる。
『無理、かもしれない』
『うん』
僕も、自分は他の人と比べて、欠けている部分があるから無理だと諦めたことはこの人生で数え切れないほどある。つい最近も、好きな女の子に話しかけることすらも、僕は自分の欠点を理由に諦めようとした。
それを、僕は園川さんという希望があったから前に進むことができた。でも、それは本当に偶然で、奇跡だった。偶然で勝ち取った希望を、他人に押しつけるのは傲慢なのかもしれない。
そんな傲慢じゃ、僕たちの障壁は越えられない。
僕たちが、人が大勢いる街に出て、危険があるのは事実だ。彼女にそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。それはわかっている。
僕たちは欠けている。
でも、欠けているからこそ――
『だからこそ、一緒にいたいんだ』
『え』
彼女は困惑した表情を浮かべている。
『たしかに、一緒に外出するのは危険だ。ただでさえ、外出するのは危険なのに、同伴者が僕だとなおさら不安だと思う』
「……」
彼女は否定も肯定もしない。
『でも、だからこそ、僕たちが行くことに意味があるんだ』
『どういうこと?』
『僕は、自分が欠けている人間だと思ってる。だから、自分が生きている世界も他の人とは違う未完成な世界なんだ。そう、思っていたんだ』
自分の感覚をただ、そのまま表す。相手に伝わるかどうかを一切、考えていない。ただ、思っていることを吐き出す。
『うん、わかるよ』
そんな自分よがりな言葉を、彼女は受け入れてくれている。
『でも、それは違うんだって最近気づいたんだ。偶然だけど、奇跡だけど、僕は今まで自分がする資格なんてないって思っていたことができたんだ。すごく嬉しかった。僕にもそれをする資格があるんだって、僕の世界は未完成なはりぼてじゃなかったんだって気づいた。自分自身で世界を未完成にしていただけで、ちょっとだけ勇気があれば世界は変えられる。未完成じゃない、完成された本物にできるんだ』
彼女は俯き、呟く。
『勇気……』
『それを、園川さんと共有したいんだ。それを共有できるのは、他の人じゃない。僕たちだからこそ、欠けた未完成の世界に生きる僕たちだからこそ、それを補って、完成させて、本物の、ありきたりな日常を一緒に過ごしたいんだ』
自分勝手で、他人の気持ちを一切考えない押しつけだ。それでも、僕は信じたかった。僕が自分の生きている世界を未完成だと思うように、彼女もきっと、自分の生きている世界と他人が生きる世界には明確な線引きがされていると、その線引きがとても、寂しく、孤独であることを。その孤独を知る人間同士だからこそ、僕たちは理解しあって、共に、前に進みたい。
僕は彼女と、世界を共有したい。
「…………」
園川さんは俯いたまま、何も言わない。
『急に訳のわからないことを言ってごめん』
彼女は顔を上げ、少し無理して笑っている。
『ううん。ありがとう。なんとなく、わかるから。でも、ごめんなさい。少し、考えさせて』
『うん。返事は、無理にしなくてもいいから』
こういう問題は考えるだけでも水深くに潜るほど疲れる。ここまでいっておいていえる立場ではないが彼女を追いつめたくはない。
ゆっくり、彼女は頷く。
『ごめんね』
『それじゃ、また』
そう言葉を残して僕は、自分の机と椅子を動かし、自分の席へと戻った。また、なんてあるだろうか。
人付き合いというのは本当に難しい。近づかなければ、接することもない。しかし、近づきすぎると、今度は以前よりも距離が遠くなってしまうことがある。それを恐れて、一定の距離を保ち、関係を継続するという方法もある。お互いが抱える闇に一切触れず、表面上だけで付き合う関係も悪くない。
でも、僕はそれを選ばなかった。
なあ、未来の僕。教えてくれ。未来の僕は、また後悔するのか。何度同じ過ちをすれば気が済むんだと。答えは出ない。ただひたすら今を、がむしゃらに生きるしかない。
でも、それがきっと、僕の生きたかった世界なんだと思う。後悔と興奮が交錯する。汗でYシャツが肌にはりつく。せっかく、園川さんと一緒に昼食をとったのに、
サンドウィッチの味は、覚えていない。




