第十四話
セミが騒がしく鳴く夏の日中。
アデルは父の執務室へと呼ばれた。
小さな応接机を挟んで向かいの席へと座ったアデルに、父は世間話をする調子で話しかけた。
「カルローニ伯爵家の件だが、カルローニ伯爵は新しく養子を迎えることにしたそうだ」
「あら、そうなのですね」
父の言葉にアデルはうなずいた。
確かにエミールをカルローニ伯爵にするには不安があり過ぎる。
婚約を破棄した今、アデルにとっては関係のない話ではあるが、貴族社会は狭い。
有能な貴族のほうがよいか、無能な貴族のほうがよいかと問われれば、圧倒的に前者である。
「そこでだ。カルローニ伯爵は、養子とお前との婚約を申し込んできているのだが……どうする?」
「お断りします!」
「だよな」
即答するアデルに父であるキャラハン伯爵は大きくうなずいた。
カルローニ伯爵家との繋がりは、商売のことを考えたらメリットが高い。
だがエミールの一件を考えたら、いまの当主であるカルローニ伯爵の手腕にも疑問が残る。
相手を挿げ替えたとしても、一度ケチのついた家と娘との縁談を進めるメリットはない。
「断るのが妥当だろう」
「それよりもお父さま」
アデルは姿勢を正すと、改めて父に向かって言った。
「今回の件についての慰謝料は、どうなりましたか?」
「ん? それについては既にもらっているよ」
キャラハン伯爵は小切手をひらひらと振った。
そこに書かれている額は、商売をする上では大したことはないが、婚約破棄に伴うものとしては破格だ。
「再び婚約を結べば、この金も戻ってくるし、商会同士の繋がりも持てるから。と先方は思っているのだろうが。こちらのメリットがなさすぎる」
「そうですわね」
「ああ。だから婚約の件は私の方から断っておくよ」
「分かりました。で、お父さま。そのお金はどうするおつもり?」
「ん?」
何か変なことを言い出した娘に、キャラハン伯爵は感情の読めない表情を向けた。
「キャラハン伯爵家の予算に入れて適切に使うもりだが?」
「ですが、お父さま。そのお金は私に対しての慰謝料ですわよね?」
「ん?」
「婚約を結ぶとき、慰謝料の桁を二桁上げることと受取人を私に指定すること、この二点をお願いしたはずです」
「確かにそうだが。しかし、この金はお前のものというわけでは……」
「私は一度婚約を解消してケチのついた身の上。しかも既に十八歳と行き遅れの年齢です。つきましては、そのお金をもとでに商売を始めて自立がしたいと考えていますの」
「は?」
初めて聞いた娘の考えにキャラハン伯爵は目を丸くした。
「我が家は伯爵家の上に商売も手広くやっている良家だ。お前が嫁ぐ先などいくらでも……」
「いやですわ、お父さま。嫁ぎ先が見つかったとしても、うんと年上で初婚の方か、うんと年上で再婚の方くらいしか選択肢がないではありませんか」
「いや、そうだけれども……」
確かに次の相手となれば、年頃の合う令息を見つけるのは難しい。
条件が良いか悪いかで言えば、悪くなる可能性はある。
しかしだからといって女性が自立とは。
キャラハン伯爵は娘の提案に戸惑った。
「一度婚約を破棄した十八歳の貴族女性など、需要がないに等しいですわ。だから私は自分で稼いで自立したいのです」
「いや、だが……」
「そもそも慰謝料の宛名は私になっているはずです」
「確かにそうだが……」
旗色が悪いと思ったアデルは、戦術を説得から泣き落としに切り替えた。
「あぁ、お父さま。婚約者に裏切られて傷ついた私の心と名誉は、お金などでは回復しませんのよ? それなのに、あぁ、それなのに。お父さまは、需要のない惨めさも味わえとおっしゃるのね? ああ、なんてこと。そんなことって。そんな血も、涙もない残酷な……」
よよよと大げさに泣き崩れ、わざとらしく悲劇のヒロインを演じ始めた娘に、キャラハン伯爵は目をすがめた。
「私が王立学園へ通えたのは、お父さまのおかげです。ですけれど。私が様々な家柄のお友達を作ったことで、王族および高位貴族の方々との繋がりが深くなり、商売によい影響があったのは事実ですわよね? あぁ、家業にも貢献した私に……そんな、そんな冷たい対応をなさるのですか、お父さま……」
アデルは体をねじり、椅子の背もたれに体を預けて泣き崩れたふりをしている。
が、こちらをチラッチラッと見てくる視線は、抜け目ない商売人のものだった。
「お父さま。私、このままでは婚約破棄の痛手で、屋敷に引きこもってしまうかもしれませんわ。こんな状態では、お友達を通して王族の方や高位貴族の方々に商談を持ちかけるなどとても……」
「あー、わかった! わかったからっ!」
このままだと娘を敵に回してしまうと気付いたキャラハン伯爵は、アデルの提案を受けいれることに決めた。




