第一話
なんだ。この茶番。
アデル・キャラハン伯爵令嬢は大きな目をすがめた。
午後のお茶の時間を使って行われた婚約者との初顔合わせの場だというのに、少々賑やかすぎる。
彼女は朱色の天鵞絨を張ったソファに優雅に腰を下ろし、静かに応接室で繰り広げられている騒ぎを見守っていた。
「結婚するのは私なのに、なぜ当人の意見を無視するのですか⁈」
「お前の意見など関係ない。結婚は家同士の問題だ」
アデルの視線の先では、婚約者となるエミール・カルローニ伯爵令息と、その父であるカルローニ伯爵が熱い舌戦を繰り広げていた。
婚約者となるべき男は怒りに体を震わせて自分の父親と対峙している。
一方、父親の方も一歩たりとも引く様子はない。
男同士の諍いは、親子といえども起こり得る。
問題は、ここはキャラハン伯爵家の応接室だということだろう。
アデルの父であるキャラハン伯爵は、彼女と同じく椅子に座って言い争う親子を見ていた。
アデルの赤い髪も茶色の瞳も父譲りだ。
キャラハン伯爵は、地味ではあるが整った顔に感情の読めない微笑を浮かべ、冷静にカルローニ伯爵親子の諍いを眺めている。
婚約にあたり、どのような契約が結ばれたのかアデルは知らないが、少なくともキャラハン伯爵は彼女の嫁ぎ先として認めているようだ。
こんな恥知らずの行いを目前で繰り広げられても受け入れてしまうとは、どのような裏取引があるのだろうかとアデルは思った。
キャラハン伯爵家は手広く商売をしている関係上、色々としがらみがある。
だからといって娘の婚約を商談のように進めるのはどうだろうか。
はなはだ疑問である。
アデルは十八歳で、この春に王立学園を卒業したばかりだ。
この年齢まで婚約者を持たない令嬢も珍しいが、これもまた父であるキャラハン伯爵が決めたことであり、アデルに罪はない。
アデルは赤い髪を丁寧にハーフアップへとセットし、細身の体をくすんだ赤いドレスで包んでいた。
大胆に開いた襟元を補うかのようにスカート部分にはたっぷりの生地が使われているドレスは、フリルやレース、刺繍で華やかに飾り立てられている。
婚約者となる男性との初顔合わせということで、夜会でもないのに煌びやかなネックレスやイヤリング、髪飾りとアクセサリーもふんだんに使っていた。
だというのに。
「なんで私が、こんな地味な女と一緒にならなければいけないのですかっ!」
婚約者となる男が立ったままこちらを指さし、体を震わせて騒ぎ立てている。
本日は婚約者との初顔合わせということで、メイドたちはアデルを念入りにドレスアップさせた。
華やか過ぎるというのならともかく、地味だとは。
なんという言い草だ。
婚約者であるエミール・カルローニ伯爵令息が、金髪碧眼のスラリとした美形だったとしても許せる発言ではない。
「お前がどう思っていようと構わん。婚約は調ったのだ」
エミールの父であるカルローニ伯爵も、立ち上がって息子に負けじと声を張り上げていた。
いや確かにカルローニ伯爵令息がどう思おうと構わないが、コッチには一言謝ってしかるべきではないか。
アデルはそう思ったが、彼女への気配りが出来る男はココにはいなかった。
父であるキャラハン伯爵は、椅子に腰を下ろして長い足を優雅に組んだまま、苦笑を浮かべて二人の姿を見ている。
抗議する様子はない。
この国では、貴族といえども女性は低く扱われる。
父が受け入れている以上、アデルが物申すわけにもいかないのだ。
他家の応接室で男同士が大声張り上げあって見苦しい、と突っ込んであげたいところだが、それは女性の身であるアデルには過ぎた振る舞いとされるのだ。
それに実際、アデルは地味な女性である。
貴族らしく整った顔立ちはしているし、その赤い髪は艶やかで美しい。
だが貴族というのは整っているのが普通で、もうひとつパンチのある特徴が求められる。
特に女性は。
しかしアデルは残念ながらありきたりな茶色の瞳をしている上に、身長も160センチほどと平均的。
体格も貴族女性としては珍しくもないスレンダーな体つきをしている。
不細工ではないが、これといって特徴がない。
「だからって、こんな地味な女を妻にするなんてっ!」
エミールが叫ぶ気持ちも分からないでもないが、ぶっちゃけ失礼だろうとアデルは思った。
「この婚約を受け入れないなら、お前とは縁を切るっ!」
カルローニ伯爵の剣幕にエミールは言葉に詰まって反論できず、仕方なくといった様子で婚約を受け入れた。
別に親子なんだから揉めたって構わないが、せめて自宅で済ませてきてくれないだろうか。
アデルはそう思ったが、嫁ぎ先となる予定の家の男二人に反省する様子はない。
彼女はため息を吐いた。
失礼過ぎるにもほどがあると彼女は思ったが、父であるキャラハン伯爵は笑顔でカルローニ伯爵と握手を交わし、娘の婚約を受け入れていた。
しかし、このままでは流石に腹に据えかねる。
アデルはメモ用紙に一筆書くとメイドに渡し、父に向って目配せをした。
貴族の婚約や結婚には契約がつきものだ。
言われるがままの契約では彼女の得にはならない。
メイドから渡されたメモを見た父がこちらを振り返ってにっこりと笑った。
どうやらアデルの意見は取り入れられたようだ。
アデルはほっとため息をひとつこぼすと、椅子の上で姿勢を正した。
茶番が始まるのは、ここからかもしれない。