第四話
エクレア食べたい。
マグマのような色をした料理をペロリと完食することができた。
普通の人ならここでトイレに行かなければ大変なことになるだろう。きっと上からも下からもじゃーばじゃば出るに違いない。
だが私の腹は違う。辛さを耐えうる強靭な胃腸を生まれつき持っている。
小さな頃、チリソースに出会った私は一リットルを飲み干した。流石に小さな私には耐えられなかったのか倒れてしまった。そこで、もっともっと耐えられるようにしようと決めたのだ。辛さとは痛さであるとはよくいうもので、食べまくれば痛覚も少しは鈍くなりもっと辛いものを食べられるにではないかと考えた次第だ。
その結果、デ⚪︎ソースを飲み干しても平気な体になった。
なってしまった。
足りない、足りないのだ。
ブートジョロギアもソースも何か物足りない。もっとだ、もっと欲しい。この私を失神させてしまうような伝説の辛さが。
この世界にも存在しないのか……。フッかふかの椅子にもたれかかる。
「お腹いっぱいー?」
「腹はたまったんだけどね、まだ足りないのよ。辛さが」
「さっきの赤ーいやつ?」
「そう。まだ足りない。口から火がふくほどのものが欲しい」
「あるよ」
「へ?」
ある? この世界に私を超えられる辛さが? 本当に?
「それどこにあるの?」
「おっきい魚の卵!」
「……明太子?」
「なあにそれ?」
明太子は人工で辛くするものだ。忘れていた。
「ううん、なんでもない」
「卵持ってきてあげよっか?」
「でもどうやって?」
エクレアは窓を指差した。
一緒に窓際へ赴き、外を見る。
目の前に広がっていたのは、悠然と広がる青い海。
エクレアがバーンとガラス扉を開けると、いい潮風が私の髪を揺らす。
しょっぱい、牡蠣のような匂いはここが海であると証明しているようだった。
「ここに来る前はあそこに住んでたんだぁ! 真緑の魚とか、ピンク色の長ーいやつとか、うんとたっくさんお魚がいるんだよ」
「周りの人に見つかったら、今度こそ食べられてしまうかもしれない。それにどうやって戻ってくるつもり?」
「あそこ!」
エクレアが指差したのは先ほどのお風呂場だった。
「お風呂? そういえばどうやって逃げ出したのか聞いてなかったわね」
「長ーい筒、えっと配管だったかな。水が通ってるとこ! それが海に繋がってるの。たまーに海に逃げ帰ってくる子がいて、その子から聞いたんだ」
水道管だろうか。水洗式トイレもシャワーもあるのだからきっとそうだろう。逃げてきた子は下水道かな。
「少なくていいから、両手いっぱい持ってきてくれる?」
「はーい! どう? 人間っぽい?」
「どうしたの急に。ナマコだから?」
「助けてくれたら、その人を助けてあげるのが人間って聞いたから!」
「ならあんたは一番人間しているわ。他の誰よりもね」
ここに来る前のことを思い出す。決していじめられていたわけではないし、苦しい生活をしていたわけではないけれど。
電車で、高齢者に席を譲ったのに叱責されている人。
お礼すら言わずに無言で立ち去る人。
動画のネタにしようとする人。
そのほかたくさん。
助け合いをしましょう。人は助け合わないと生きられないのです。
小学校の道徳で学んだことを一体何人の人が、その時答えた当たり前の回答通りに動いているのだろうか。私ですら、余裕がない時は軽く会釈をするくらいしかできなかったりした。
見ず知らずの私に助け合いをしてくれる人を人間と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
たとえ中身がナマコだとしても、私ははっきりと人間だと答える。
「じゃぁ、行ってくる!」
窓辺に手をかけたエクレアが、振り向いた。
「行ってらっしゃい」
手を振ると、エクレアは窓から飛び出して海へダイブ。あっという間に見えなくなった。おそらく本来の姿に戻ったのだろう。
しばらく暇つぶしでもするか。
そういえば、この世界の言葉は日本語だったけれど、文字はどうだろう。
勇者(仮)として召喚されたものの、何が強化されてチートになったのかは全くわからないし、この世界の神様にだって会っていない。絶対ろくな目にあうから、会いたいとも思わないけど。
本棚にある比較的薄めの本を選ぶ。分厚いと辞書とか図鑑とか小難しいものを引いてしまう可能性があるからね。
古本の洋書のような見た目の表紙をめくり、適当な場所を開く。
「うーん」
読めない。
インダス文字とヒエログリフを混ぜ込んだような、古代の粘土版に彫ってありそうな文字。
声に出せば自然に出るかと思って試しにあーとかうーとか言ってみるが、ちっとも変わらない。どうやら言語系のチート能力は授けてくれなかったらしい。てかそもそもこんな私にチートとかあるのだろうか。なさそうな気しかしない。体育の評価2よりの3だし。
じゃぁ音楽はどうだろう。
部屋を見渡しても楽器らしきものは見当たらない。ピアノくらいあってもいいじゃないか。まぁ猫ふんじゃったしか弾けないけど。ただ召喚された部屋というか施設?が教会のような場所だったので、おそらく聖歌くらいはありそうだ。ラテン語とかギリシャ語の歌だったら翻訳できないけど。
ベッドについている天蓋のカーテンを閉めてみる。分厚い遮光カーテンのようで、ベッドの中は一気に暗くなる。天井を見ても何もないのがちょっと悲しい。光る星空とかあったら幻想的なのに。こういうところが現実的なのはちょっと悲しい。にしても、実に快適な気温だ。春くらいだろうか。薄い長袖がちょうどいい。あぁこの時期に一番恐ろしいものがあった。
花粉症だ。
重度の花粉症患者である私が、鼻水を一滴も垂らしていないのだから少なくとも杉の脅威がここには存在していないことだけは確かだ。海に近いこともあるだろう。海といえばヤシの木だが、窓から先は見渡す限り海のなので、木が見えない。ここまでくる間にもろくに見ていないなぁ。
目の前にある食事には野菜が入っているから、ないことはないのだろう。塩害とかで難しいのかもしれない。あぁ桜が恋しい。
生クリームたっぷりエクレア。