(二)
気が付くと、私は草原の上に立っていた。頭上には雲ひとつない真っ青な空。まるで太陽が今にも溶け落ちてきそうなほどに暑い。目の前では長嶋奈津美が私を見つめている。彼女は優しく微笑むと、私の手をとり、まどろみの世界へと誘っていく……。
「あーっ、寝てる」
功太のその声に驚き、私は事務所のデスクから飛び起きた。
「惣さん寝てたよ。やった~、今日のお昼はハンバーガーに決定」
「何を仰います。私は寝てなんかいません。ただ目を瞑って考え事をしていただけです」
「でもイビキをかいてたよ。ねっ、多喜さん」
「はい。確かに完全に寝てらっしゃいました」
「はいはい。分かりました。昼近くなったら買ってきます。そもそもこの陽気で、更にこんなにも暇なのに、寝るなって言うのが間違っているんですよ」
既に私の言葉は耳に入っていないのか、歳の差70歳の男女はハイタッチで喜んでいる。
「多喜さん何食べる? 僕、ガーリックチキンMIXサンド」
「私は金平牛蒡と豆腐ハンバーグの和風サンドに致します」
この2人は何故だかファストフードが大好きで、仕事中に居眠りをした人はハンバーガーを他の人に奢らなければならない、などという事務所内のルールを勝手に作り、私にもそれを強要しているのだ。そしてどういう訳か、いつも居眠りしてハンバーガーを奢るはめになるのは必ずと言っていいほど私。さすがの私もこれには何かトリックがあるのでは、と考え始めている。例えばそもそも功太は若さゆえに体力があり、体が眠りを求めない、とか、多喜さんは御老体ゆえに居眠りをしない為の何か知恵のようなものを知っているとか、そういったものが。極論でいうならば私のコーヒーに微量の睡眠薬が入れられて……、などということも考えられる。そんなことは妄想である、と分かりつつ、私はデスクの上に置かれているコーヒーの味に変化がないかを確かめてみた。
するとそんな茶番劇の終わりを告げるように、1本の電話のベルが事務所内に響き渡った。多喜さんは自分のデスクへと急いで戻り、電話にも関わらず居住まいを正すと、受話器に手を伸ばした。
「はい、加賀探偵事務所でございます。あら、御久し振りでございます。はい。いらっしゃいますよ。少々お待ちくださいませ」
少しだけ嫌な予感がした。多喜さんの親しげな口調、そして直接私に取り次いでくれ、と催促する電話の相手。おそらく私はこの電話の主の依頼を何度か受けているはずだ。
「惣さん、祖父江さんからお電話です」
やはり祖父江であったか。祖父江鎌次警視。埼玉県警刑事部の捜査一課長にして、私にいつも捜査協力の依頼をしてくる祖父江。私の探偵としての能力は多少評価しているようだが、何故か秘めたる力の方は信じていないらしく、いつも私を小馬鹿にするような態度を見せる。
「はい、お電話かわりました』
『おお、美少女。元気にしてたか?』
「ふざけるなら電話切りますよ、祖父江さん。また私に捜査協力の依頼ですか?」
『いや、今のところまだそれは保留中だ』
「保留中?」
『ああ、それよりも今日はお前に聞きたいことがあって電話した』
「何ですか?」
『お前、秋山楓という男を知っているか?』
「秋山楓さん? 全く聞いたこともない名前ですね。誰ですかそれ?」
『ネットに動画を乗せ、広告収入を得るYouTuberと言われる部類の奴だ。ネットではかえぴょんと名乗っているらしい』
「ああ、かえぴょんさんなら知っていますよ。本名を窺っていなかったので分かりませんでした。楓という名前だから、かえぴょんさんだったんですね」
『やはり知っていたか。秋山がお前の名刺を所持していたから、もしや、と思って電話をかけてみたんだ』
「そうでしたか。でも知っている、って言っても、会ったのは一度きりですよ。それも少し話を窺ったことがある、っていう程度です」
『お前が秋山と会ったのはいつだ?』
「確か2週間前の金曜。夕方でした。依頼人の家へ向かう途中でかえぴょんさんを見かけたので声をかけました」
『奴と何を話した?』
「大した話はしていません。YouTuberの収入のことだとか、苦労話だとかを聞きました。スマホで撮ったばかりの動画とかも見せてもらいましたよ。思ったよりいい人だと感じたのを覚えています」
『そうか。それにしても、お前がYouTuberなんてものに興味があったなんて知らなかったな』
「人は見かけによりませんから」奈津美が声を掛けていた姿を見て、かえぴょんさんのことが気になった、という本当のことは伏せておいた。私の彼女への思いを他人に語る気はなかったし、下手に彼女の名前を出したくはなかったからだ。
「で、そのかえぴょんさんがどうかしたんですか?」
『今朝、桶谷の矢野望公園で遺体となって発見された』
「えっ、遺体って、かえぴょんさんが殺された、ってことですか?」
『ああ、今朝犬の散歩をしていた近所の老人が発見したそうだ』
「いったいどうして、かえぴょんさんがそんなことに?」
『悪いが今はまだ詳しい説明はできない。ところでお前、昨日の夜どこにいた?』
「えっ、それってアリバイってことですか? もしかして私、疑われているんですか?」
『そう騒ぐな。怨恨の可能性もあるし、動画内で秋山に驚かされたり、からかわれたりした奴が復讐のために秋山を殺害した可能性だってある。だからお前を含めた、これまで秋山の動画に出てきた奴らを順番に洗っている、って訳だ。調べればお前への疑いはすぐ晴れるから安心しろ』
「だから捜査協力は保留中ってさっき言ったんですね。はいはい、分かりました。アリバイですね。昨日はここを19時30分くらいに出たと思います。それから役所の前の宮崎食堂で金目鯛の煮つけ定食を食べました。おばちゃんがコロッケをサービスしてくれたので聞いてみてください。そのあとは風呂とマッサージ目的で、職安通りのスーパー銭湯に20時30分くらいに行きました。スーパー銭湯を出たのは22時30分くらいだと思います。最後に自宅付近のコンビニに寄って、23時前には部屋に戻りました。移動は全て自転車です。あっ、そう言えば、コンビニの中から自転車に乗った、パトロール中と思われる警察官の姿を見ました。昨日はそんなところです」
『分かった。もしかしたら、また捜査協力も頼むかもしれないから、そうなったらまた電話するよ』
「私の容疑が晴れたら、ってことですね。そもそも私が犯人な訳がないじゃないですか。かえぴょんさんとは付き合いはありませんでしたが、それでも私の質問に親切に答えてくれた人が殺されたなんて聞けば、私だって少しくらいは悲しい、という感情くらい抱きます」話していて、自分の話に何か引っかかるものを感じた。
『まあ、そう言うなって。今度飯でも奢ってやるからさ』祖父江のおそらく社交辞令であろう話を聞き流しながら、私は先程自分が口にした言葉を頭の中で再び唱えていた。
「それでも私の質問に親切に答えてくれた人が殺されたなんて聞けば、私だって少しくらいは悲しい、という感情くらい抱きます」そうか分かった。悲しい、という感情だ。かえぴょんさんが殺されて、私よりも悲しむ人がいるではないか。彼女は彼の死をもう知ってしまったのだろうか? 彼女は大丈夫なのであろうか。
「祖父江さん。この事件ってもう公開捜査になっているんですか?」
『いや、まだだが、どこで嗅ぎつけたのかSNSなどでは既に拡散し始めているらしい』
「そうですか」ならば奈津美の耳にかえぴょんさんの訃報が届くのも時間の問題だろう。しかし私にはどうすることも出来ない。ならばせめて彼女の悲しみが少しでも早く癒えるように、と私は祈っていようと思った。
電話を終えると、様々なことが一気に押し寄せてきたダメージからか、体が酷く重く感じられた。何もしたくない、というような気だるさが全身を覆っている。だがそれに反するように、頭の中では手持ち無沙汰のような、何か行動を起こさなければ、という思いがめぐっていた。まるで心と体が別々の物になってしまったような、気持ちの悪い感覚。
このままここに座っていては、私の精神がおかしくなってしまうような気がした。特に用事がある訳ではないが、少しでも気晴らしになれば、と考え、私は外出することにした。
「多喜さん、ちょっと出てきます。何かあったら私の携帯に電話してください」
「かしこまりました。お気を付けて」
「惣さん、どこに行くの?」
「これ以上ここにいたら、あなた達に何個ハンバーガーを奢ることになるか分かりませんから、散歩がてら、足長おじさんの正体でも探ってみるつもりです」
「足長おじさんって、キャミーの?」
「はい。昼までにはハンバーガーを買って帰って来ますから、待っていてください」お互いのデスクでガッツポーズをとる2人。意外に気の合うこの2人の姿を見ていると、気持ちが安らぐような気がするから不思議だ。私は窓枠に置いてあるキャミーのフィギュアを1つ手に取り、ポケットにねじ込んだ。
自転車を押しながら、奈津美の働くコンビニの前を通る。やはり今日は土曜日でも日曜日でもないからか、コンビニの中に彼女の姿は確認できない。しかしそれに対して特に思うことはなかった。このコンビニの前を通る時は彼女の姿を捜してしまう、という行動は、私にとって半ばルーティーンのようなもので、日常的な習慣に過ぎないからだ。
足長おじさんの正体でも探ってくる、とは言ったものの、手掛かりはキャミーのフィギュアしかなかった。しかもフィギュアと言っても、マニアがコレクションするような大層なものではない。スーパーなどで、1つ2百円前後で売られている、親指くらいの大きさのソフトビニール製のものだ。大概飴やラムネなどと一緒に同梱されているが、どちらがメインかと言えば、それは商品のパッケージから見ても一目瞭然だろう。
私はこのフィギュアのキャラクターを知らない。犬なのか、猫なのか、兎なのか、はたまた何かのアニメのキャラクターなのかさえ。うちの事務所内ではキャミー、という名前で呼ばれてはいるが、それは私の親しい友人によく似ていることから、私が勝手にそう呼びだしたもので、フィギュアのキャラクターの本当の名前をうちの事務所内に知っている者はいない。
そして1番の謎は、どうしてこのフィギュアが私の元に現れたのか、ということ。
ちょうど1週間前のことだ。私は毎朝、誰よりも早く出社し、事務所の鍵を開ける。その日も最初に事務所へとやってきたのは私だった。すると、あることに気がついた。事務所の自動ドアの下に何かが落ちていたのだ。手にとってみると、それは何かのキャラクターと思しきフィギュア。見覚えのないキャラクターではあったが、アニメなどでありがちなキャラクターといえば、そう思えなくもない。私はおそらく功太か依頼人の誰かが落としたものだろう、と判断し、それを事務所内の窓枠に置いた。しかし功太も多喜さんもこのフィギュアには見覚えがない、ということであった。結局その日は落とし主を名乗る依頼人などが現れることもなかった。
翌日、自体はあらぬ方向へと転がっていく。
私が翌朝出社すると、昨日と同じキャラクターのフィギュアが、またもや事務所のドアの前に落ちていたのだ。いや落ちていた、というよりは誰かによって置かれたものだろう。このようなことが2度も偶然起きるとは考えにくいし、誰かが意図的に置いている、としか考えられなかったからだ。フィギュアはキャラクターのポーズが違うことから、昨日の物とは別の物だと直ぐに分かった。
誰が、何の目的でこのようなことをしているのであろうか。何かのメッセージが隠されているのか。しかし結局その日もフィギュアについては何も判明せず、フィギュアを置いたと思われる、謎の人物からのコンタクトもなかった。
フィギュアはその日以来、毎日置かれるようになった。毎回キャラクターは同じだが、ポーズや、着ている服の違っているフィギュアが。そして、それは昨日の朝まで続いた。
事務所内の窓枠には、計六体のフィギュアが並んでいる。まるで妖精からのプレゼントのように毎日届いていたフィギュア。いつからか多喜さんが、フィギュアを届ける謎の人物のことを足長おじさん、と呼ぶようになった。
不可思議な出来事ではあったがフィギュア届かなくなると、それはそれで、少し寂しいような感情を抱くから不思議である。
私は手掛かりがフィギュアしかないことから、このフィギュアから何か情報を引き出せないかと考えた。するとある秘策が頭に浮かぶ。だが秘策を試すには落ち着いた場所が欲しかった。ちょうど今いる場所の近くには行きつけの喫茶店がある。私は迷うことなくその喫茶店へと向け自転車を走らせた。
いつもの右奥の席に腰を下ろし、コナコーヒーを注文する。私はポケットからフィギュアとスマホを取り出した。
私が思い付いた秘策。それは通販サイト、アマゾンの携帯アプリだった。以前アマゾンで買い物をした際に、便利だと思ったのを思い出したのだ。アマゾンの携帯アプリで商品を検索する際には、普通に検索フォームに文字を入力するパターンと、音声で検索するパターン、そして商品や写真などをカメラに写して検索する三通りのパターンが選べる。つまりカメラに写して検索をかければ、このフィギュアからでも商品を検索できるのだ。これでこのフィギュアの詳細や販売している店などが割り出せるはずだ。
私はアプリを起動すると、検索フォーム横のカメラのマークをタッチした。次いでテーブルの上に置いたフィギュアにスマホのカメラを向ける。直ぐに商品が見つかりました、という文字と共に、テーブルの上に置いたフィギュアと同じものの画像が表示された。
フィギュアの画像下には商品の様々な情報が載っている。まず目に止まったのはその価格。どの店も中古のみではあったが、千円~五千円と言う値段が設定されていた。あまりにも想像とかけ離れた値段に驚き、急いで『説明』という欄を読む。記載された内容によると、これは『玩楽堂』という店のみで販売されているオリジナルフィギュアで、全部で365種類あるという。それを1年に分け、毎日1種類ずつ販売しているというのだ。定価は800円。つまり桁外れの価格は限定販売ゆえにプレミアがついた価格ということになる。キャミーと良く似たキャラクターは『玩楽堂』のオリジナルキャラで、名前を『珠代』というらしい。この愛くるしいキャラクターで『珠代』というのもどうかと思うが、これが中々の人気者らしい。
私はアプリを終了すると、スマホの検索フォームに『玩楽堂』と入力した。すると、なんと玩楽堂は私の家から直ぐ近くのショッピングモールの中にあるという。急いでコーヒーを胃袋に流し込み店を後にすると、私は自転車で玩楽堂を目指した。
玩楽堂までは時間にして20分足らずで到着した。店主に事情を説明し、持参したフィギュアを見てもらう。するとこのフィギュアが6日前に販売されたものだということが判明した。
「うちの事務所には、これと違う種類のものが他にもあと5つあるのですが、フィギュアのリストのようなものはありませんか?」
「ええ、ありますよ」アニメや小説の影響が大きいのだろう。探偵と聞くと、警察と共に捜査している、というイメージが強いのか、一般人は概ね協力を惜しまない。そしてそうと分かっていて、名刺をこれ見よがしに見せる私も、そのイメージの恩恵に与っている、といっても過言ではない。
「これがそのリストです」店主が見せてくれたリストによると、うちの事務所の前に置かれていたフィギュアは、7日前から一昨日までに販売されたものだと分かった。正確に言うならば、全てが販売された翌日に、うちの事務所の前に置かれていた、ということになる。となると、足長おじさんは少なくとも7日前から一昨日までの6日間、玩楽堂へと毎日通い、珠代のフィギュアを購入していたことになる。
「毎日購入しにくる人はいるのですか?」
「結構いらっしゃいますよ。まあ多いとは言っても15人ほどですけど」
「このフィギュアをいつも買いに来る人達の顔を確認させて欲しいのですが、お店の防犯カメラ映像などを見せいただくことは出来ませんか?」
「お困りのようですからいいですよ。レジ前を撮影しているカメラがありますから、それならば確認出来ると思います」
「ありがとうございます。でも防犯カメラ映像の中から常連さん達を捜すのって、結構大変な作業ですよね?」
「いや、それがそうでもないんですよ。毎日このフィギュアを買いに来る方々は、皆さんこれをコレクションとして集めている方々です。このフィギュアは1日に10体のみの限定販売ですので、買い逃してしまうと来年まで手に入らない、ということになります。ですから皆さん、開店前にはいつも店の前に並んでおられます」
「つまり朝一番の防犯カメラ映像だけを確認すれば、その方々が全て映っている、ということですね」
「はい。そのはずです」
私は店主に案内され、店舗奥の事務室へと向かった。
「これが昨日の映像です。この方々が毎日珠代のフィギュアを購入しに来られている方々です」店主はモニターに映る1人1人を指さしながら、丁寧に教えてくれた。映像に映る、珠代を求める常連客は全部で17人だった。
「これで全員揃っていますか?」
「はい、多分揃っていると……あれ? あっ、昨日は眼鏡の彼が来てないですね。そう言えば今日も見かけていないような気がします。ちょっと待ってください」店主はパソコンを慣れた手つきで操作すると、一昨日の朝の映像にモニターを切り替えた。
「最近来るようになった人で……あっ、この人がそうです」店主が指をさした男はジーンズに赤いシャツ、そして確かに眼鏡をかけていることが確認出来た。
「分かりました。お忙しいところありがとうございました」
「えっ? もう宜しいんですか?」
「はい。もう分かりましたから」間違いない。足長おじさんはこの眼鏡の男だ。モニターに映し出された眼鏡の男。その顔には間違いなく見覚えがあった。眼鏡こそ掛けてはいるが、その顔は今朝遺体で発見されたという、かえぴょんさんに他ならなかった。