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日本消滅2036  作者: 青山
4/4

4,消滅

 事前に予期されていた事とはいえ、かつて世界屈指の経済大国だった日本の没落は世界中の経済学者たちの格好の研究対象となった。

 プロ、アマ関係なく様々な意見が学会を始めインターネット上にも溢れた。


「消費税は、誰もが負担する公平な税だといって開始された。しかし、本当にそうだろうか?

 消費税が10%の場合。年収が100円の人が10円消費したら89円しか残らない。対し、150円の人が倍の20円消費しても128円残る。200円の人は50円消費しても145円残る。100円の人と比べたら56円も差が出る。

 少々乱暴だが、こんな税制度が公平なわけがない。格差が拡大したのは当たり前だ。」


「国の借金が1000兆円を超えたとか言っているが、これは政府の債務の事ではないのか? それなら何の問題があるのか? 

 客が店で100円払って商品を買ったら、客の手元から100円無くなるが、代わりに店の資産が100円増える。これと同じことが国と民間の間で起きるだけだ。給付金を国民全員に10万円配ったら国民の財布は+10万円の黒字、政府の財布は-10万円。そして、民間のお店と違い政府はお金を生み出すことが出来る。出来ないというなら、日本人が使っていた通貨円は何だったのかということになる。なら、政府の赤字は国民の黒字だ。

 誰かの赤字は誰かの黒字。これさえ理解出来れば日本に財政問題など存在しなかったことがわかるはずだ。」


「2021年時点で、日本円の購買力が1970年代に逆戻りしてしまった事を日本人は認識していた。 

 にも拘わらず、何の手立ても打たれなかったこと。一部を除いて話題にすらならなかったことは驚きだ。日本の経済学者や政治家たちは、何を見ていたのだろう?」


「国民の実質賃金が下がり続けているにも関わらず、財務省は2021年度の税収が過去最高の64兆円弱と好調だったと自らの成果を自慢した。2021年と言えば、コロナ渦で経済がボロボロだった時期だ。そんな時期に、税収が過去最高だったと誇るなんてどうかしている。国民が一番大変な時期に税でお金を巻き上げたという事ではないか。国民負担率が5割に達し、自由に使えるお金が収入の半分しかない状態でどうやって消費しろと言うのだ? 消費出来ない社会で、どう経済成長を果たすつもりだったのか、理解に苦しむ。」


「2022年に、時の衆院議長が「月の歳費が100万しかない」と言って問題になったが、ある意味でこの発言は正しいと思う。

 日本が順調に経済成長し、賃金と物価が上がっていれば月100万でも少ないという事になっていたはずだ。実際には、100万円ももらっていて足りないとは何事だとの批判しか出なかった。政治家も国民も、問題と怒りのポイントがずれていたのは残念だ。」


「ここ数年の日本政府の動きは国民を守り、海外の脅威から守るという国の本質からかけ離れたものだった。

 税金を上げ続けて内需を痛め続け、それでいて海外には巨額の支援を惜しまなかった。

 政治家、官僚、大企業の経営者たちの誰一人として、国内を顧みることはなかった。

 グローバリゼーションを妄信し、儲かった分は株主に還元されて、肝心の従業員に成長の果実がもたらされることはなかった。

 会社の業績が好調で、成長しているにも関わらず給料やボーナスは増えない。すべて株主に持っていかれる。これで従業員の士気が上がるわけがない。

 士気が上がらないのに、イノベーションなど生み出されるはずもない。

 ひとえに、上級国民と言われた人々は日本を見捨てたのだ。彼らは日本を諦めて、はなから成長させようという気すらなかったのだ。」


「財務省官僚は皆真面目で優秀だった。プライベートで付き合う分には何の問題もなかった。

 しかし、個人では善良でも組織の中に入るとそうではないという事例は人類の歴史上幾たびもあった。 

 個人ではあれほど善良な彼らが、1億2千万の人々を極貧に追いやったのは残念極まりない。

 大蔵省の時はこうではなかった。財務省になってからおかしくなった。

 財務省の理念に「効率的で持続可能な財政への転換を図り、この財政構造を各般の構造改革とともに推進することで、民間需要主導の持続的経済成長の実現を目指します。」とあるが、まさにこの「効率的で持続可能な財政」の一文が曲者だったのではないか? 

 効率的で持続可能な財政のために消費税が施行され、比率が大きくなって代わりに法人税が減っていった事は、かえって国民の負担を重くするだけだった。

 それを彼らは認識していたはずだ。にも関わらず推し進めた財務省は組織として腐っていた。組織の存在理由そのものが、最初から歪んでいたのだ。」


中にはもっと辛辣なものもあった。


「日本は沈没したのではない。沈没させられたのだ。では沈没させたのは誰か。財務省官僚と緊縮財政を進めた財政破綻論者達だ。特に、財務省は最初から全てわかっていて政治家達を洗脳し、騙したのだ。財務省官僚は支出を抑えれば抑えるほど出世が出来た。一組織内での出世と省益拡大。このためだけに日本経済は踏み台にされたのだ。」


「当時の政治家や官僚に、国民のための政治など出来なかっただろう。なぜなら、彼らは飢えた経験がない。ほぼ世襲になっていた彼らは、生まれた時から衣食住に困らず、暑いときは涼しく、寒いときは暖かい部屋で過ごせた経験しかない。つまり、常に10年後20年後を考えられる環境にいた。そのため、今日のご飯にありつけないという事態は想像すら出来なかったのだろう。頭ではわかっていたかもしれない。でも、経験していないので本当の意味で貧困を理解する事ができなかったのだろう。」


「当時の霞が関と永田町では、減税はおろか、財政出動の話も出来なかったという。それを少しでも匂わせた瞬間、四方八方から圧力がかかって潰されたという。自由民主主義の国でこのような事が起こるなど驚きだ。発言はおろか、考える事すら許さないなど、どういう事なのだろう? 圧力の中心にいたのは財務省だという。彼らは本当に民主主義の国で生まれ育った人間だったのか? 私には、彼らは緊縮財政カルトとしか思えない。」


「1997年に消費税が3%から5%に引き上げられたあの時から、日本の失われた40年が始まった。

 増税を決めた故橋本龍太郎元総理は、後年そのことを深く後悔したという。

「財務省官僚の言いなりになって財政再建を急ぐあまり、経済の実態を十分に把握しないまま消費税増税に踏み切り、結果として日本を不況に陥らせた」。「緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くお詫びしたい」

 元総理がここまで言っているにも関わらず、消費税はその後も増税され続けた。これが何を意味しているのかは明白だ。97年の時点で、日本は国民主権の国ではなく、財務省主権国家になっていたという事だ。

 財務省の官僚とその取り巻きだけが政策の決定権を持つ、究極の官僚至上主義国家が出来上がっていたのだ。

 この後に行われる国政選挙には、何の意味もなかった。当の日本国民が、その事に気が付いていなかった。」


 軍事面からの指摘も相次いだ。


「当時の日本を取り巻く安全保障環境は悪化し続けていました。ロシア、中国、北朝鮮は言うに及ばす。2022年に一旦は保守政権になった韓国も、2027年の選挙で再び左翼が政権を奪取して日本への対抗意識を再燃させていました。

 それにも関わらず、財務省は防衛費の抑制に血眼になっていました。

 有名な例が、ウクライナでロシア戦車がアメリカの携行式多目的ミサイル『ジャベリン』に撃破される例が相次いだため、戦車など不要、廃止せよと指摘したことでした。

 これには、軍事評論家やミリタリーマニアからの批判が相次ぎました。当のウクライナ自身が、戦車を提供してほしいと開戦時から再三NATOに要請していることを無視していたからです。

 いうまでもありませんが、ジャベリンだけでは意味を成しません。それ以外の様々な支援があって初めてジャベリンは効果を発揮するのであって、単体で意味を成す兵器など今日では存在しません。

 ジャベリンは万能兵器ではありませんし、何より兵士が生身で肉薄する必要がある以上危険をある程度覚悟しなくてはなりません。

 そうした戦場での現実を無視して、単純な算数勘定で戦車を不要と断じたことに驚きを隠せません。」


「明らかに、財務省は軍事にたいして無知でした。

 それでも、彼らは予算を握っている関係上国防にも関与したがりました。

 しかも、その内容は安全保障の現状を無視してどれだけ予算を切り詰めることが出来るかの一点に絞られていました。

 軍隊なんてものは、平時には最悪の金食い虫に他なりません。それでも世界はそれの維持と性能向上を図ってきました。それの意味をまるで分かっていなかったのではないでしょうか。」


「2029年当時の、日本人の安全保障に対する意識はお世辞にも褒められたものではない。

 断言してもいい。日米同盟と国内の混乱さえなければ、中国共産党は間違いなく尖閣諸島奪取に動いていただろう。尖閣どころか、沖縄を取られていてもおかしくはなかった。

 周辺の安全保障環境は激変していたにも関わらず、政治家も国民も憲法9条を始めとした非戦の誓いと平和を希求するだけで何の手も打とうとしなかった。驚くべき思考停止だ。

 平和の希求など誰でもできるし、自分たちが非戦の誓いをしたところで相手には何の関係もない。

 人類の歴史は、遥か昔から大半の人が平和を願いながらも争いが絶えることはなかった。その理由を考えずに平和を求めて何の意味があるのだろう?」


上記を始めとして、あらゆる論考が出されたが、その中でも共通している部分があった。

それは、政策でも政治家に関する指摘でも財務省に関するものでもなかった。


「日本人は皆親切で優しかった。外国人への差別意識もなく、私は気持ちよく仕事ができて楽しかったよ。

 ただ唯一、問題があった。政治の話題になると、誰もが露骨に嫌な顔をしたんだ。「誰がやっても一緒だった。」「自分には関係ない。」そう言って明らかに忌避していた。

 日本人にとって、政治的自由や言論の自由は予め自動的に付与されるものだと勘違いしていたんじゃないかな。少なくとも私にはそう見えたよ。

 自由民主主義は、黙っていても維持されるようなものじゃない。むしろ、政治に積極的に市民が関与することによって始めて健全に維持されるものなんだ。そこを彼らは理解していなかった。

 自分たちの住む社会を、自分たちの力で責任を持って守り育てていく。この意識が欠けている以上、破滅は避けられなかったと思うよ。」


 多くの論考の中で、一番多かった指摘がこの一般市民の政治への関心の無さであった。

 それは、アメリカによる統治がはじまっても何ら変わることはなかった。


 2033年3月。

 アメリカの準州になって初めての選挙が行われた。内容は日本の独立の可否と、それに伴う新たな政党政治をどうするかであった。

 かつての政党は活動を再開しており、政治家も各地を飛び回った。

 新たな政党も現れており、選挙活動自体は活発だったという。


 アメリカは、この選挙で日本が再び独立独歩の道を歩むものと考えていた。

 いつまでも外国支配に甘んじる近代国家はない。アフガニスタンでの手痛い経験と、ウクライナの奮戦を見てアメリカ人がそう考えたのも無理はなかった。


 ところが、結果は予想に反して独立否定。投票した8割近くの日本人が、このままアメリカの準州の地位に甘んじる事を選んだのである。

 政治家たちは顔面蒼白となり、マスコミに出演していたコメンテーターたちは言葉を失ってただ座っているだけの置物と化した。


 アメリカと政治家達が何よりも驚いたのは、その投票率であった。

 これほど重要な選挙でありながら、なんと投票率は5割に届かなかったのである。


「日本人は、自国の独立の有無にすら興味がないのか…。」


 アメリカ政府関係者は、一様に絶句したという。


 この結果を受けて、アメリカは日本国憲法の廃止を決定。円の使用停止も一時的な措置から永久廃止へと舵が切られることになった。

 

 


 結果的に日本国最後の宰相となった岸本文夫元総理は、後にマスコミのインタビューにこう語っている。


「私たちは、消費税は全て社会保障に使うと喧伝していました。ですので、人々は喜んで消費を活発化させると考えていました。税金が上がれば上がるほど老後の心配がなくなる。消費すればするだけその原資が溜まる。ならば積極的にお金を使おう。そう思考するはずでした。減税などしたら、かえって人々は不安になって混乱する。本当に、そう思っていたのです。」


 この『税金を上げれば上げるほど消費は増えるはずだ。減税は混乱を生むだけだ』というこの謎理論は、後世の経済学者たちの首を一様に傾げさせたという。


 そしてまさに、ここにこそ日本人がアメリカの属州に甘んじる理由付けが隠されていた。

 投票した大半の日本人が、もしも再独立がなされた場合。再び消費税やガソリン税が復活するのではないかと懸念したのだ。

 もう二度と重税国家に戻りたくない。岸本総理のような感覚の持ち主達に、日本人は二度と統治を任せたくはなかったのである。


 


 3年後の2036年2月11日(月)。

 この日、国会議事堂に掲げられていた日章旗がついに降ろされた。

 ここに、神武天皇以来2696年間続いた日本国は、正式にその歴史に幕を閉じた。

 日本人も、日本語も、皇族も残っていたが、確かに一つの国が滅亡したのである。


 日章旗が降ろされるその光景に涙を流す人の姿もいたが、その数は1000人にも満たなかった。

独立を訴える活動家や政治結社は存在したが、大半の人が今なお続く好景気に浮かれて買い物を楽しんでいた。


「日本が終わった? へー。で? うちらの生活に何か影響があるわけ?」


 街頭インタビューでマイクを向けられた日本人が発したその言葉に、外国メディアは呆れていたという。




「日本は40年後には消えるかもしれない。あるいは30年もしたら大体潰れるだろう。」

1996年 中国の政治家 李鵬の発言より


以上で「日本消滅2036」は完結となります。

ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

荒唐無稽な妄想と断じて下さっても構いません。

この小説で言いたかったことは、最後の日本人のインタビューに凝縮されています。

どうか、投票に行っていただきたいと思います。

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