グラウンド外の選手たち
今まで近鉄が優勝した2001年を中心に、グラウンド内での選手の活躍や球団事情などを書き記してきた本作品。しかし、今回はタイトルのとおり、試合終了後の選手たちの立ち振る舞い、ファンサービスなどを書いていきたいと思う。
なぜ、唐突にこんな事を言い出したかと言うと、前回、筆者は2004年の球界再編時に起きた身の回りの出来事を、当時、一緒に球場に通っていた友人たちに聞き取り調査していたのだが、その中で筆者自身も忘れていて「そんな事もあったっけ?」「そう言えば、そんなこともあったなー」というようなエピソードが次々と記憶の底から掘り返されてきたからだ。
また、これらのエピソードは、グラウンド内での雄姿と違い、通常の雑誌やノンフィクションの本などには掲載されずに、いずれは忘れさられてしまう運命にあるので、貴重と言えば貴重なので文章として残しておくことにした。
また、前回同様、相も変わらず、愚にもつかない自分語りの文章なのでご容赦していただきたい。
さて、ファンサービスがいい選手と聞かれて、筆者がまっさきに思い浮かべる選手は、タフィ・ローズである。
後に、外国人で最多の本塁打記録を達成し、お立ち台では「よっしゃー」と叫ぶ陽気な元メジャーリーガーは、近鉄史上最も有名な外国人選手のひとりであろう。
大阪ドームは球場の地下の選手も利用する関係者専用の駐車場が存在し、サインなどを貰いたいファンは、試合後はその出入り口付近の道路で出待ちをするのが常で、筆者も時間に余裕のある休日のデーゲームなどは、よく友人たちとたむろしていたのを覚えている。
しかし、当たり前だが、選手は駐車場で車に乗り込み、帰宅しようとしているわけだから、いくらファンが待ち構えても、そのまま走り去ってしまうのが普通だ。
ファンのほうもそんな事は百も承知で、話しかけても応じてもらえないのは当たり前。サインをもらえればラッキーくらいの感覚だったはずである。
しかし、ローズは違った。
なにせ、他の選手のように自動車通勤ではなく、どデカいハーレーでバイク通勤。そのぶん、乗り降りがしやすく、気さくにファンのもとに駆け寄ってサインに応じていたのだ。
もちろんローズも毎回バイクを停めてサインに応じてくれたわけではないが、ラテン系の陽気な性格のローズは本当にファンサービスがよく、彼の周囲にはいつも人だかりができていた印象がある。
今の若いファンはご存知ではないだろうが、選手のあいだに「ファンあってのプロ野球」「ファンサービスも選手や球団の大切な使命」という意識が浸透したのは、2004年の球界再編以降。当時はまだ「プロ野球選手はファンにヘラヘラ媚びなんて売らずに、グラウンドで結果を出せばそれでいい」というような昭和気質を引きずっている選手が大勢いた。それだけに、いつもご機嫌に笑いながらサインに応じてくれるローズの存在は本当にありがたかった。
そして、次に紹介するのはローズとは違ったサプライズでファンを喜ばせてくれた選手である。
その選手の名前は、吉田剛。
1985年のドラフト2位で近鉄に入団。長らく内野ならばどこでも守れるユーティリティープレイヤーとして活躍していた。
しかし、そんな吉田も2000年の5月。若手の台頭などもあり、シーズン途中で阪神へとトレードに出されてしまったのである。
そして、トレードが正式に決定してから数日後。なんと吉田は試合中のライトスタンドへと姿を現したのだ。
トレードに出された選手が直接ファンに挨拶することも、試合中の外野席に選手が現れることも異例中の異例。
当然それまで観戦していたファンも、試合そっちのけで吉田のもとに殺到するのであった。
そして、吉田は「私は近鉄を去りますが、ファンのみなさんはこれからも近鉄を応援してください」というような言葉を述べ、集まったファン全員にサインまで応じてくれたのだ。これなど、ファンが少ない近鉄、しかも、さらに観客が少ない平日のナイトゲームだからこそ出来たファンサービスだったと筆者は思うのであった。
さて、ファンが選手と触れ合う機会はほとんど球場内に限られるが、稀に球場の外でも選手とエンカウントする場合がある。もちろん、その多くはプライベートなので、こちらから声をかけても選手にスルーされる場合がほとんどだ。しかし、運が良ければ、笑顔で応じてもらえる事がある。
そして、次に紹介するのは、その運がよかった時の話である。
その日、大阪ドームでのデーゲームの観戦を終えた筆者と友人たちは、地下鉄長堀鶴見緑地線で帰路に着こうとしていた。
試合終了直後ならば混雑しているだが、この日、筆者たちは1時間以上も時間を潰しており、車内は人がまばらであった。
そして、電車に乗ってすぐに、筆者の友人のひとりのHがささやく。
「おい、あそこにおる外人ふたり、マットソンとレフトウィッチちゃうか?」
そう、なんと、筆者たちの座席の近くに座っていた外国人はマットソンとレフトウィッチだったのだ……と言っても、大抵の人は「いや、マットソンとレフトウィッチって誰だよ!」と疑問に思っているだろうから説明する。
マットソンとレフトウィッチは、共に当時の近鉄に所属していた外国人投手。しかし、
在籍年数は共に2年と活躍したとは言い難く、マットソンは日本球界では珍しいナックルボーラーとして、レフトウィッチはその名前に反しては右投げということがネタになる程度の知名度しかない。ハッキリ言って当時のパ・リーグを熱心に見ていた人でないと、名前すらも覚えていないはずだ。
そして、ふたりもちょうど帰宅途中なのだろう。地下鉄のロングシートに隣り合って座り、仲睦まじく談笑しているのだった。
すると、友人のHはおもむろにマットソンとレフトウィッチに近づき、典型的な中学生英語で「アイ ライク キンテツ・バファローズ」などと語りかけながら、近鉄のロゴが入ったタオルマフラーをみせて、ファンをアピールする。
はたから見ると、怪しい事この上ないのだが、それでも慣れない異国で野球をするマットソンとレフトウィッチはやさしく応対してくれる、「オウ!」と外国人らしいオーバーリアクションで声をあげ、笑顔をみせてくれるのであった。
そして、Hだけではなく、筆者にも握手をしてくれ、最後までニコニコと笑顔を絶やさず応対してくれたのであった。
「いや~、まさかマットソンとレフトウィッチと電車通勤やったとはな~。いつもより、時間を遅らせて帰ってよかったで~。ええ人らやったな~」
プロ野球選手と同じ電車に乗りあわせるという偶然に喜びと驚きを隠せないH。
しかし、筆者にはもうひとつ別の驚きがあった。
「なんで、オマエ、マットソンとレフトウィッチの顔が分かるねん!」
そう、繰り返すがマットソンとレフトウィッチは、当時でも一部のパ・リーグファンしか知らないようなマイナー外国人選手。しかも、この時は球場の外でユニフォームも着ていないのだ。それでなくても、当時の筆者たちがよく観戦していた外野自由席からでは、選手の顔などよく見えないし、巨人や阪神の選手のようにメディアへの露出はほとんどない。
正直、筆者の目には、どこにでもいる外国人にしか見えなかったのだった。
しかし、Hは平然と言い放つ。「俺、選手名鑑をよう見てるから、近鉄の選手やったら、だいたい分かるねん」
そう、このHは、プロ野球選手の顔を覚える記憶力が抜群で、実際にこの時のマットソンとレフトウィッチだけではなく、街中でプライベートを過ごしている選手をその後も加須多く発見しているのだ。
とくに、筆者が驚いたのは、宇高伸次(98年近鉄のドラフト1位・投手で通算成績は2勝2敗)と松田国史(99年阪神の7位・元F1セブンで通算成績は20安打)という2人を、ショッピングモールの人混みの中で目敏く発見した時だ。
ちなみに、このHの記憶力と注意力は、学校のテストなどでは全くといっていいほど活かされていなかった。
さて、近鉄ファンが試合後に選手を出待ちする時の場所は、ドームの地下に造られた駐車場だという事は、冒頭で述べたのだが、実は筆者はこの選手たちが使用している駐車場に何度か入ったことがある。
もちろん、基本的に一般ファンは立ち入り禁止の区域。しかし、じつは大阪ドームには「ビスタルーム」というバルコニー付きのVIPルームが存在し、この施設の利用者は選手たちも使用する駐車場に自家用車を停める事ができるという特権があった。
そこで、当時クソガキだった筆者と友人は、駐車場の入り口で待機。ビスタルームの利用者らしき大人が通りかかると、つかず離れずの絶妙な距離を保ちながら親子連れを装おうという姑息な手段で侵入を成功させていた。
しかも、慣れてくると、親子連れを装う事も面倒くさくなって、子供たちだけでも堂々と駐車場に入り込む始末だった(当時の筆者たちは「近鉄は選手も警備員もやる気がないの~」などと笑っていたが、いま思えば警備員も不法侵入なのは百も承知。温情で見逃してくれていた可能性もある)。
さすがに、目立ちすぎると追い出される可能性があったので、サインをもらわず選手たちを遠目で眺めているだけだった。
しかし、それでも、普通のファンは入ることも出来ない場所で近鉄選手たちやビジター選手たちがホテルに向かうバスに乗り込む姿に興奮したのは今でもよく覚えている。
そして、選手たちも「あっ、このガキども、許可なく勝手に入って来てやがるな」と察しているのだろう。
これからバスに乗りこもうとしいているダイエーの選手に「おまえら、悪いやっちゃな~。ここは入ったらアカンのやぞ」とヘラヘラ笑いながら窘められた事もある。
今まで、数えきれないほどプロ野球選手に話しかけた経験はあるものの、プロ野球選手のほうから話しかけられたのは、後にも先にこの時だけである。
しかし、そんな貴重な経験をしたにもかかわらず、そのダイエーの選手が誰であったか、覚えていないのは痛恨の極みである。