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不動になれない正捕手・的山哲也


9番キャッチャー的山。


 今でも日本プロ野球上の最強打線論争になると、必ず出てくる2001年の近鉄打線。そして、そのラインナップを紹介する時に、最後に出てくる選手がこの的山哲也である。


 しかし、筆者はどうしても、そこに違和感を覚えてしまう。


 たしかに、この年、キャッチャーとして最も多く試合に出場した選手は的山である。しかし、どうも筆者としては的山がこの年の正捕手だったという印象は薄い。むしろベテランで、岩隈久志との「親子バッテリー」で有名になった古久保健二のほうが頼りになった印象があるのだ。


 出場試合数が多いという事は、それなりに首脳陣から信頼されているはず。しかし、万全のレギュラーかと問われれば、そうでもない。それが近鉄ファンの的山に対する印象だろう。そして、的山という男は、この2001年だけではなくほとんどの年でそういった印象の選手なのだ。


 今回の話は、この的山にスポットを当ててみたいと思う。


 的山は1993年に社会人からドラフト3位で近鉄に入団。


 入団当初は古久保健二や光山英明がいたため出番は少なかったが、ふたりが衰えを見せ始めた90年代終盤になると、レギュラー格のキャッチャーとして出番を増やしていく。しかし、その地位は決して盤石ではなかった。


 とくに、2001年に近鉄を優勝に導いた監督である梨田からの評価は高くなかったように思える。


 その証拠に、梨田が監督に就任した2000年、出番を増やしたのは的山ではなくライバルである磯部であった。


 打撃よりも守備、とくに強肩を売りしていた的山とは違い、磯部はアマチュア時代から強打を売りにした強打のキャッチャーだ。


 磯部の出場数が94試合に対して、的山が87試合なのでいっけん互角のように見せる。しかし、先程も述べたように磯部はもともと強打が売りの選手だったので佐々木恭介が監督を務めていた99年では130試合出場しているが、その全てが外野手としてである。ようするに梨田の的山に対する信頼度は、昨年キャッチャーとして1試合も守っていない男と同等なのである(余談だが、当時、筆者は梨田が監督に就任した当初、キャッチャー出身の監督なだけにディフェンス面を重視した采配をするのだろうと何となく思っていたため、キャッチャーに的山よりも磯部を起用したことに対してかなり驚いた印象がある)。


 そして、梨田は優勝した年である2001年もオープン戦で磯部を積極的にキャッチャーとして起用し続ける。的山にとっては万事休すな状況だったが、開幕が間近に迫った時期に自体は急変する。


 なんと、オープン戦でのあまりの盗塁阻止率の低さに業を煮やした梨田は、開幕も間近に迫った時期にもかかわらず磯部の外野への再コンバートを決定。


 ライバルの自滅によって転がり込んだ形となってしまったが、的山はみごと開幕捕手の座を手にするのだった。


 その後も、出場試合数を伸ばしホームベースを守り続ける的山。


 しかし、このまま順調に正捕手の座に君臨することができないところが、的山の的山たる所以である。


 あらゆる野球関係のメディアで語られるように、2001年の近鉄は優勝争いをするチームでは、歴史上類をみないほどに投壊しているチームだった。


 そして、それは投手陣も駒の少なさと力量不足もさることながら、キャッチャーのリードにも責任があると梨田は判断したのだろう。なんと、梨田はペナントレースの中盤から終盤にかけてベテランの古久保を積極的にスタメン起用し始める。


 この采配こそが、梨田がいかに的山のリードを信用していなかったかの証左だろう。


 なにせ、的山がかつてのライバルだった磯部に水を開けられていた理由は打撃のパンチ力不足だったのだが、この古久保はその的山以上に打てず、ノーアウトやワンナウトのチャンスで打席が回ってくれば、外野席のファンは「スクイズやな」と当然のように呟くほどバッティングに期待できなかった。


 さらに、肩に関してもすでに40歳近くのベテランなので強肩とは言い難く、ほとんどフリーパス状態だった。


 つまり、それらの短所に目をつぶってでも古久保を使わざるほど得ないほど、梨田は的山のリードに不信感を持っていたのである。


 そして、実際に、梨田のこの采配は当たる。


 なにせ、後半戦に入ると、壊滅的だった近鉄先発投手陣の救世主となった岩隈久志を、本人にとってもこの年のチームにとっても初の完封に導くなど(ちなみにこれが、この年の近鉄が記録した唯一の完封勝利である)、ベテランらしいいぶし銀の活躍をみせ、存在感をアピールする。


 結果、的山はキャッチャーとしてこの年にチーム最多出場を果たしていながらも、日本シリーズではそのほとんどで古久保にスタメンを譲ることになる。かくして、冒頭で述べたように、試合出場数は最も多いものの、どうしても2番手キャッチャーの印象が強いシーズンとなってしまう。


 しかし、何度も言うように古久保は40歳近いベテラン。来年以降も頼れる存在ではない。ファンの誰もがそう思っていた。


 そして、優勝の翌年に当たる2002年の開幕戦。


 この時にスタメンのマスクをかぶったのは、的山でもなければ古久保でもない。若干25歳の藤井彰人だった。


 もちろん、この時点で的山も32歳でまだまだ老け込む年齢ではない。


 しかし、梨田は長くレギュラーを務めた的山の安定感よりも、未来を見据え藤井の若いチカラに賭けたのだ。


 万事休すと思われた的山。


 だが、この2002年のシーズンも最終的には、藤井の53試合に対して的山は91試合に出場してレギュラーを守り抜く(ちなみに的山はこの年、オールスターにも出場して、なんと第2戦にはMVPも獲得している)。


 しかし、それは的山の壁が高かったというよりも、やはりまだまだ1年間ホームベースを守り抜くには力不足だった藤井を梨田が我慢しきれなかったという感が否めない。そして、その後もシドニーオリンピックの代表にも選ばれた鈴木郁洋などが中日から加入するなどの危機があったが、合併によって球団がなくなる2004年まで常に80試合から100試合くらいの出場を維持して、結局、的山は近鉄が本拠地を藤井寺球場から大阪ドームに移した8年間で最も多くホームベースを守ったキャッチャーとなってしまったのだった。


 単年でみれば、レギュラーとしては物足りなく感じられ、常に逆風に見舞われながらも、長いスパンで見れば安定してホームベースを守っている――。


 そんな不思議な存在が、大阪ドーム時代の近鉄の的山という選手だった。


 ちなみに、水島新司のパ・リーグを舞台にした野球漫画「あぶさん」にも的山は登場する。あぶさんこと景浦安武の息子である景虎が2000年にピッチャーとして近鉄に入団するのだが、的山はルーキーの景虎をリードする先輩キャッチャーとして、なかなかの存在感を発揮する。


 しかし、翌年になると、景虎の叔父である小林満が阪神から近鉄に移籍して、あっさり出番を奪われてしまうのだ。


 その、いかにも「他に有力選手がいないから消去法で的山を使ってました」感に、筆者は当時「的山は漫画でもこんな扱いなのか」と苦笑した記憶がある。


 最後に、個人的すぎて申し訳ないが、的山に関してはひとつ印象的なエピソードが存在する。


 それは99年。


 この年、的山は開幕から絶好調だった。なにせ、前年の98年にたった4本しかホームランを打っていなかった男が、4月の23試合だけで5本もホームランを打ったのだ。これを135試合ペースで換算すれば、単純に29本塁打となる。


 この的山の大活躍を目の当たりにした筆者の友人は「今年の的山は覚醒した。ホームラン30本もありえるで!」と鼻息を荒くしたのだった。もちろん、現実はそんな机上の計算どおりにはいかないのだろうが、当時はヤクルトの古田やダイエーの城島など、クリーンナップを任せる事ができるほどバッティングが強力なキャッチャーが多くいた時代。さらに、近鉄にはもともと「いてまえ打線」と呼ばれるような土壌があるため、「ひょっとしたら、ひょっとするかも……」という期待感は存在した。


 しかし、最終的には的山は4月の成績からわずか3本上積みしただけの8本塁打でシーズンを終える(それでも自己最多なのだが)。


 結局、的山は的山であり、この年以降も不動のレギュラーどころか常にそのポジションを脅かされ続ける存在となってしまう。


 それでも、もし、的山がこの99年4月のプチ覚醒を維持していたら、的山の野球人生も近鉄のその後のキャッチャー事情も大きく異なっていただろうし、2001年の近鉄打線は本当に穴のない最強打線として野球ファンに記憶されていたかもしれないと、今でも筆者は夢想する事があるのであった。

 

 

 

 

 


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