【コミカライズ】悪役令嬢は真実の愛なんて信じない
「レオノール、きみとの婚約を破棄する。そして、エリザ嬢を新たな婚約者として迎えるつもりだ」
淡々とした王太子イヴァンの声が、会場に響き渡った。
貴族の子女が通う王立学園の卒業パーティーにおける衝撃発言は、会場に波紋をもたらす。
イヴァンの隣には、小柄な男爵令嬢エリザが得意げな顔で寄り添っている。
彼女は本来、王太子と並び立てるような身分ではないのだが、ここ最近になって急接近していると噂になっていた。
イヴァンだけではなく、男子生徒の多くが彼女に夢中だという評判だ。
「婚約破棄……でございますか。わたくしに、どのような落ち度がございましたか」
人々の好奇の視線を受けながら、レオノールは堂々と述べる。
公爵令嬢であるレオノールは、幼い頃から未来の王妃として、王太子イヴァンの婚約者として定められ、教育を受けてきた。
政略の結びつきとはいえ、イヴァンとレオノールは互いを尊重し、良好な関係を築いていると、周囲の目には映っていた。
そこに婚約破棄とは、いったい何事だろうと、人々は固唾をのんで見守る。
「とぼけるな。男爵令嬢ごときとエリザ嬢を見下し、非道な仕打ちをしていたというではないか。罵詈雑言を浴びせ、教科書を破き、階段から突き落としたなど、まったくもって許しがたい」
「そうなんですぅ……怖かったですぅ……」
厳しい声でイヴァンが言い放つと、エリザがイヴァンにべったりと密着して猫なで声を出す。
イヴァンの眉間に皺が刻まれる。
「わたくしは、そのようなことは一切いたしておりません。そもそも、わたくしがそのようなことをする理由がございません」
背筋を伸ばし、前を見据えてレオノールは否定する。
「そのような戯言、信じられるか。どうせ、嫉妬したのだろう」
しかし、イヴァンは取り付く島もない。
「だってぇ……レオノールさまはぁ、いっつも堂々としていてご立派といえばご立派なんですけどぉ……可愛げがないんですものぉ。だからぁ、殿下には可愛い私の癒やしが必要なんですぅ。私だけが殿下に真実の愛を捧げられるんですぅ」
レオノールを見下すような笑みを浮かべ、エリザが甘ったれた声でイヴァンにすり寄る。
「……殿下は、わたくしの言い分など聞き入れる気はないのでございますね」
ぐっと涙をこらえるように呟き、レオノールは唇を引き結ぶ。
だが、俯くことはせずに、顔は凜と上げたままだ。
それをイヴァンは無表情で見つめ、エリザはニヤニヤとした笑みを浮かべて眺めている。
「おやおや、このような場でとんでもない出来事だ」
そこに、涼やかな声が割り込んできた。
颯爽と現れたのは、留学中の隣国の第二王子であるオテロだ。
「レオノール嬢、あなたは何も悪くありません。このような場で婚約破棄する常識外れ、あなたにはふさわしくありません」
穏やかに微笑みながら、オテロはレオノールに優しい声をかける。
「婚約破棄されたというのなら、私が結婚相手に名乗りをあげても許されますね。すでに婚約者がいるからと諦めていましたが、もう遠慮する必要もない。私こそが、あなたに真実の愛を捧げましょう」
そう言って、オテロは深紅の薔薇の花束をレオノールに差し出す。
周囲からどよめきが起こる。
「まあ……そんな……」
レオノールは驚きながら花束を眺め、続いて大きく顔をそらす。
会場の入り口にまで視線を向け、ゆっくりと顔を戻した。
「やはり……受け取れませんわ」
「何故ですか? まだ互いを知らぬというのなら、これからゆっくりと知っていけばよいのです」
「……わたくし、オテロ殿下とはほとんどお話ししたこともございません。それなのに、何故……」
「陰ながら、あなたを見ておりました。この深紅の薔薇にも負けぬ美貌、そして常に凜とした立ち居振る舞い、なんと素晴らしい方だと思っておりました」
拒絶するレオノールだが、オテロは愛を囁き続ける。
突然の事態に固まっていたエリザが、そのやり取りを見て、わなわなと震え出した。
「どっ……どういうことですか!? レオノールさまみたいな、可愛げのない女に求婚するなんて、おかしいでしょう!? この場の主人公は、私なんですよ! 私を見なきゃダメなんです!」
エリザが喚き出す。
オテロが、それに呆れた眼差しを向ける。
「……あなたは、イヴァン殿下と婚約するのでしょう? ならば、私たちのことなど、どうでもよろしいのでは?」
「で……でもっ! それとは話が別なんです!」
辛辣な物言いをするオテロだが、エリザはさらに食ってかかる。
レオノールがこっそりため息を漏らしていると、会場の入り口に騎士たちが駆け込んできた。
物々しい雰囲気に、人々は今度は何事かと息をのむ。
「オテロ王子の部屋から、魔術薬が発見されました! エリザ嬢の部屋から発見されたものと同じです!」
騎士の一人が声を張り上げる。
すると、オテロはしばし唖然とした後、顔を歪め、唇を噛みしめた。
エリザは何も分からないといった顔で突っ立っている。
「……そういうことだったか」
イヴァンがため息を漏らしながら、しがみついていたエリザを引き離す。
「え……? 殿下……?」
愕然とした顔をするエリザだが、イヴァンはエリザには目もくれず、レオノールの元へとやってくる。
「さて、茶番は終わりだ。婚約破棄も、エリザ嬢とのことも、全てでたらめだ。そもそも、婚約破棄を私の一存で決められるわけがない」
「……まさか、婚約破棄を真に受けて求婚してくるとは、驚きでしたわ。花束まで準備しているなど、用意周到すぎて疑ってくれといわんばかりですわよ」
イヴァンとレオノールは、これまでの言い合いが嘘のように寄り添う。
「え? え? どういうことですか? 殿下は、可愛い私に心を奪われて、レオノールさまを捨てることにしたのですよね? なのに、どうして?」
まったく状況についていけない様子で、エリザが呆然と呟く。
「エリザ嬢が魔術薬を使い、男子生徒たちを虜にしていたことは調べがついている。私には特に周到に使い、妃の座を狙ったこともな。あいにくだが、私はエリザ嬢に対して特別な感情などない」
「魔術薬の出所がわからなくて、しばらく泳がせておいていましたのよ。まさか、オテロ殿下と通じているとは思いませんでしたわ」
イヴァンとレオノールが説明するが、それでもエリザは心当たりがないといったように、首を横に振る。
「そんな……私は、『あなたのファンから』と差し入れがあった美容薬を飲んだだけよ……特に仲良くなりたい相手と一緒に飲むとよいお茶っていうのを殿下と飲んだけれど、それだってただのおまじないでしょう……?」
愕然と呟くエリザの言葉に、イヴァンとレオノールは顔を見合わせる。
二人の予想とは、食い違いが出ているようだ。
「男子生徒のみんなだって、私の魅力に虜になっただけでしょう……? そんな……魔術薬のせいだなんて嘘よ! 私が可愛いからでしょう!? こんなの、おかしいわよ! どうして! どうして……!?」
地団駄を踏んで、エリザは叫び出す。
「レオノール嬢、これは何かの陰謀です! そうだ、この身の程知らずの勘違いした小娘が、仕組んだに決まっています! 私だけが、あなたと真実の愛を育めるのです! 騙されないでください!」
「な……何を言っているのよ! 私は、あんたなんて知らないわよ! わけのわからないこと言わないでよ!」
「黙れ、貧相な小娘が!」
「何よ、あんたこそ気障な勘違い野郎でしょうが!」
オテロも喚きだし、さらにエリザが応戦して罵り合いに発展していく。
もはや、めちゃくちゃだ。
「殿下! 殿下ぁぁぁ……!」
「レオノール嬢! レオノール嬢……!」
やがて、暴れるエリザとオテロは騎士たちに取り押さえられ、連行されていった。
取り調べにより、オテロの企みが明らかになった。
レオノールに惚れたオテロは、邪魔な婚約者のイヴァンに婚約破棄をさせようと、他の女を宛がうことにしたのだという。
身の程知らずに成り上がろうとしていて、頭があまりよろしくない、格好の相手がエリザだったのだ。
匿名で、異性を虜にする魔術薬を美容薬と偽って送りつけ、惚れ薬となるお茶もしのばせておいたのだが、こうもあっさり疑いもせず使うとは思わなかったと、オテロも苦笑していた。
つまり、エリザは利用されただけで、本人は企みを知らなかったのだ。
魔術薬であるとも気づかず、単に自分の魅力に男子生徒たちが虜になったのだと、うぬぼれていたのだという。
だが、オテロはそう語ったものの、おそらく本命はこの国そのものを弱めることだったのだろうと、イヴァンとレオノールは考える。
王家と公爵家の間に亀裂を生じさせ、ふさわしくない者を未来の王妃に据えて国力の低下を狙うなど、隣国からの指令を受けていた可能性がある。
もし、レオノールに求婚などしでかさなければ、企み自体は防げたとしても、オテロの仕業とはわからなかったかもしれない。
オテロは隣国に戻された。
裏では賠償金などの取り引きがあったという。
隣国はこの件で風下に立たされることとなり、オテロも隣国に戻ってからは、冷たい目で見られているということだ。
エリザは王太子をたぶらかし、自分が将来の王妃となろうと、レオノールにありもしない罪をなすりつけて、蹴り落とそうとしていた。
さらに隣国の悪事に荷担する結果になったが、本人は知らぬ間に利用されていたということで処刑は免れ、修道院に送られた。
「今回は、面目なかった……」
事件が一息ついたところで、イヴァンはうなだれながらレオノールに詫びる。
パーティー当日の婚約破棄こそ演技だったが、それより前にイヴァンはすっかり術中にはまり、本当に婚約破棄しかねない勢いだったのだ。
おかしいと思ったレオノールが調べて、エリザが魔術薬を使っていることを突き止めた。
そしてイヴァンの術も解除したのだが、魔術薬の出所がわからなかった。そのため、共犯者を探そうとイヴァンも術にかかったままのふりをして、エリザを泳がせていたのだ。
そしてエリザの提案に従うふりをして、パーティー当日にイヴァンがレオノールに婚約破棄を言い渡し、仕掛けたのである。
「よろしいのですわよ、わたくしは可愛げのない女ですもの。エリザ嬢のような方を、殿方は可愛らしいとお思いになるのでしょう?」
レオノールは微笑みながら、冷たく言い放つ。
いくら魔術薬のせいだったとはいえ、エリザにデレデレしていたイヴァンの姿は、レオノールにとっては思い出したくもない、腹立たしい記憶だった。
その後、共犯者を探すためだったとはいえ、イヴァンがエリザを恋人として扱っていたことも、頭では納得していても心は許しがたい。
もともと家と家の結びつきであり、燃え上がるような想いがあったわけではない。
だが、レオノールはイヴァンのことを共に支え合っていく相手として信頼し、尊敬もしていたのだ。
その信頼を裏切られたことへの憤りだと、レオノールは自らの感情について考える。
未来の王妃として、常に誇り高くあれとレオノールは自らを律してきた。
それが可愛げとは程遠いことくらい、レオノール自身がよく知っている。
だが、仕方がないではないか。
「いや、きみが可愛くないなど、思ってはいないが」
「……はい?」
不意打ちのようなイヴァンの言葉に、レオノールはつい固まってしまう。
普段は予想外のことを言われても、表情になど出さない。
だが、今は頭が混乱してしまい、いつものように振る舞えなかった。
「その……常に誇り高くあろうとするきみに、可愛らしいなどと言っては失礼ではないかと思っていた。だが、私は自分の愚かさをまたも思い知らされた。こうして嫉妬するきみは、とても可愛らしい」
「ま……まあ……わたくし、嫉妬など……」
真摯な眼差しを向けてくるイヴァンから視線をそらし、レオノールはぼそぼそと呟く。
「わかっている。嫉妬ではなく、不甲斐ない私に怒っているだけなのだろう?」
「そ……そうですわ……おわかりになって……」
視線をそらしたまま、レオノールはか細く答える。
だが、イヴァンは満足そうに微笑むだけだ。
「今回のことは一生をかけて償っていく。これからの人生は、真実の愛をきみに捧げよう」
イヴァンはレオノールの前に跪き、その手を取って手の甲に口づける。
呆然としたままそれを受け入れたレオノールは、凍り付いたように動けなくなってしまう。
「……わたくし、真実の愛なんて信じませんわ」
やがて、そっぽを向きながら呟いたレオノールの頬は、真っ赤に染まっていた。
2025/7/17発売の『悪役令嬢からの華麗なる転身!? 愛されヒロインアンソロジーコミック(2)』に収録されております。
単話版も同時配信です。