第8話 彼女の気持ち
時刻は、少しだけ前に遡る。
「(すっかり遅くなっちゃったなぁ……)」
夕食代わりの軽食を屋台で購入し、エレナは帰路についていた。
エアー7とスカイブルーの整備について親方――スクラップ&ビルドの工場長であるギルバートと打ち合わせをして工房を出る頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。
整備の打ち合わせそのものは1時間程度で済んだのだが、丁度タイミングが良いので今からスカイブルーのエンジンをばらしてみるという話になり、ついつい見学してしまったのだ。
第四世代のギアに使用されているジュノーエンジンは生産可能な数に限りがある上ギアの中でも最も重要なパーツになる為、そのノウハウは殆ど外部に出回っていない。
その整備の様子を見学できるというのは非常に貴重な経験だった。
本来は部外秘である整備様子を見学できたのは、エレナがギルバートのお気に入りであるためだ。
ギアやフォートレスに興味を持ち、工房に足を運ぶエレナをギルバートはいたく気に入っており、時間があるときは簡単な整備の方法やギアやフォートレスの仕組みを解説してくれる。
そういった意味でギルバートはエレナにとって師匠と言える存在であり、彼女は敬意をもって彼のことを『親方』と呼んでいた。
そんなギルバートとの会話の話題は尽きず、午前中には帰る予定だったというのに気付けば他の整備士たちと共に工房の賄を頂いて、こんな時間まで長居してしまった。
「(二人とも、大丈夫だったかな……)」
ユウリの真意が今一理解できない様子のアリシアのために二人で買い物する時間を設けてはみたが、今になって不安が込み上げてくる。
ユウリはアリシアに無礼を働いたりしなかっただろうか。アレットとユウリは喧嘩したりしなかっただろうか。
アリシアは、ユウリときちんと話は出来ただろうか。
「(ユウリ、不器用だからなぁ……)」
相手の気持ちが分からないというわけではないのだろう。
気持ちは分かってもどう接して良いのかわからず躊躇ってしまい、結局必要な言葉を口に出来ない。
もう少しだけ器用に立ち回ることが出来れば女性にもモテると思うのだが。
「(あぁ、いや、それは困るか……)」
そんなことを考えて、エレナは小さく首を横に振った。
本人に伝えたことなどないし今のところ伝えたいとも考えていないが、エレナはユウリに異性としての好意を抱いている。
自分の容姿やいわゆる女子力というものに自信を持てないエレナにとって、想い人が女性にモテるというのは歓迎されることではない。
「(……らしくないなぁ)」
そんなことを考える自分に思わず苦笑してしまう。
エレナにとってユウリという人物は、親しく接する初めての異性だった。
それなりに社交的ではあるものの幼い頃からパソコンばかり弄っていた彼女は、周囲の人から変人として扱われていた。
浮いた話など一度もなかったし、彼女自身それほど異性に興味はなかった。
自身が作り出した人工知能、ハルの性能を向上させる。
より賢く、多機能に。そして少しでも人間に近づける。それが彼女の趣味であり夢であり、生きる理由だった。
彼女の人生の全てはハルに捧げられてきたといっても過言ではない。ハルはエレナにとって、自身の子供のようなものなのだ。
だからそんなハルを軍事利用するという話をノーラム社から持ちかけられたときは全力で抵抗した。
当たり前のことだ。子供に人殺しをさせたがる親がどこに居るだろう。
それでもノーラム社は諦めず、その手段が脅迫じみたものへと変わって行き、遂には身柄を拘束されそうになった。
その時に彼女はユウリと出会ったのだ。
「(そんなに魅力的な奴とも思えないんだけどなぁ……)」
喧嘩っ早くて短気で気が利かなくて、ぶっきらぼうで愛想がない。
長所と言えばギアの操縦が抜群に上手いことと、生身での戦闘も異常に強いこと。つまりは喧嘩が強いということくらいだ。
しかしそんな彼にエレナは救われたのだ。
そんな人間だったから彼はエレナに手を差し伸べることが出来たのだ。気に入らないことを、気に入らないとはっきり言える彼だったからこそ。
そんなユウリに惹かれたから、エレナは彼のパートナーになったのだ。
「(ユウリはこれからどうするつもりなんだろう)」
衝動に駆られることはあっても、その責任を無責任に放り出すようなことはしないだろう。
彼女がこのカサフスの街で生きて行けるよう取り計らうのか、或いは祖国に帰れるよう動くのか。
きっとユウリは可能な限りアリシアの望みを叶えようとするだろう。
「(アリシアは、どうしたいんだろう……)」
ならば彼女は何を望むのだろう。
そんなことを延々と考えている内に、気付けばアパートに到着していた。
「あぁっ、もう、らしくないなぁ……」
思わず声に出して毒付いてしまう。
これは考えても答えの出ない類の問いだ。それが分かっているというのに、考えずにはいられなかった。
アリシアのことが露見した場合のクラナダやローレスの動向など、他に考えなければならないことなど幾らでもあるというのに。
そんな自分に自己嫌悪しつつアパートのドアノブを回す。
鍵は掛かっていない。二人とも既に帰宅しているのだろう。
「まぁ結局のところ、なるようにしかならないんだけど……」
ドアを開けて部屋へと足を踏み入れる。
ふわりと香る嗅ぎ慣れない匂いに違和感を覚えた。
アリシアの香水だろうか。
「(……流石だなぁ)」
こういったものにはあまり詳しくないが、とてもよい香りだと思う。
それほどキツくなく何処か落ち着く香り。
だというのに心がざわついてしまうのは、多分自分の心の問題だろう。
例えるなら縄張りを荒らされた猫のようなものか。
そんなことを思いつつユウリの部屋をノックする。
「ユウリ、遅くなってごめん。入るよ?」
一言断ってドアを開ける。そうしてエレナは、その光景を目撃するのだった――。
「……えっと、何してるのかな?」
マッサージを受け、微睡んでいたユウリの意識はその言葉で一瞬にして覚醒した。
開け放たれた扉の前には、状況が理解できず困惑した表情のエレナが立っている。手にしている紙袋は屋台で買った軽食か何かだろう。
状況の確認を終え、ユウリの理性は即座に警告を発する。
この状況はどう考えても不味い。何がどうと言われると具体的に説明が出来ないが、とにかく不味いと感じた。
「なっ! えっ、エレナっ!」
「へ? えっ、ちょっ、きゃあっ!」
「あっ、す、すまっ……ぐぁっ!」
弾かれたように身体を起こすが、弾みで身を預ける形になっていたアリシアを突き飛ばしてしまう。
焦ってアリシアの方へと向き直ろうとするが足がもつれ、倒れた彼女を押し倒すような形で上へと覆い被さってしまう。
「……えっと、あたし、邪魔ならもう暫く外にいるけど。あ、食事、テーブルに置いておくから」
激怒される。そう思っていたのだが、エレナの反応はユウリの予想とは真逆のものだった。
冷ややかで、何処か悲しげで。冷静に今の状況とこれから自分の取るべき行動を考えようとしているように見える。
それが何故だかとても申し訳なくて、ユウリは必死に弁解の言葉を口にする。
「いや待てエレナ、誤解だ。これは断じて、お前が思ってるようなもんじゃない」
「そ、そうよエレナ。その……何かお礼が出来る方法をって言ったら、ラズワールさんがマッサージの仕方を教えてくれて……」
「……マッサージ? マッサージ……あぁ、そういうのもあるのか。全然気づかなかった……」
アリシアが手にしたローションのボトルと、ラズワールのロゴが入ったハンドバッグを見て状況を理解したらしい。
エレナは何やらこれまでの自身の不徳を恥じるように一度目を閉じて、そして大きく息を吸う。
「いつまでそうしてるのさ、ユウリっ! アリシアがユウリの好みにどストライクなのはわかるけど、ちょっとは自重しなよっ! 相手はお姫様だよ、国際問題だよっ!」
「て、てめぇエレナ! 適当なこと言ってんじゃねぇぞ!」
「適当じゃないよっ! 見てればすぐ分かるよ! これまで全然そういうの見せないから、男色の気があるのかなとか心配した自分がバカみたいだよっ!」
「至ってノーマルだバカ野郎! 自分の相棒をなんだと思ってんだ!」
あらぬ疑惑を掛けられていたことに気付き、ユウリは身を起こしながらエレナに怒鳴り返す。
「ま、待って、エレナ。確かにその……偶に胸元に向けられる視線はアレだったけど、基本的にユウリは紳士だったし、そもそも私は記録上死亡してるから、国際問題も……」
「アリシアもアリシアだよ! ユウリのそういうのに気付いてるなら、もっと色々警戒しなきゃダメだよ! あとさっきのマッサージ、明らかに彼氏以外にはしちゃいけないやつだから!」
「うそぉっ!」
エレナの言葉にアリシアは顔を紅潮させ、悲鳴じみた声を上げてユウリから距離を取る。
彼らが夕食にありつくのはもう少し後になりそうだった。




