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ギアフォートレス  作者: 佐乃上ヒュウガ
姫と傭兵
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第7話 買い物と報酬と

 アリシアが物心付く頃には三つしか歳の違わない彼女の姉、クラウディアはいつも難しい学術書を読み、教育係が答えに詰まってしまうような難しい質問を投げ掛け彼らを困惑させていた。

 アリシアが十歳になる頃には、クラウディアは元老院の議員を相手に政治の話をするようになっていた。


 アリシアがクラウディアのような育ち方をしないようにと警戒したのは彼女たちの両親か、或いは元老院か。

 どうであれアリシアにはクラウディアのような英才教育が施されることはなく、王国の書庫に入ることも禁止されていた。


 姉のように国のためになる勉強を出来ないのは残念ではあったが、代りにとして与えられた童話や絵本、活劇小説などに描かれた物語は、彼女を楽しませた。

 中でも好きだったのは、お姫様が主役のロマンスだった。


 ―――悪い大臣の計略により国を追われたお姫様は、その先で一人の傭兵に出会う。

 傭兵は彼女が持つ王家の指輪を報酬として譲り受けることを引き換えに、お姫様を祖国まで護衛することを約束する。


 大臣の放った追っ手を退け祖国へと帰国を果たしたお姫様は傭兵と共に大臣の罪を告発。かくして大臣は放逐され、国民たちは無事にお姫様が戻ってきたことを喜んだ。

 そうしてお姫様は、自分を大切にしてくれる国民たちに囲まれて幸せになった。

 そして彼女の傍らには、彼女が生涯の伴侶として選んだ一人の傭兵の姿があった―――


「(なんて……まさか、現実になるとは思わなかったけど)」


 記憶の中にある数々の物語のあらすじから今の状況に最も適したものを思い浮かべ、思わず笑みを漏らす。

 期待を向けられることもない、籠の中のお姫様。そんな状況から救い出してくれる存在がいつか現れるかもしれない。そんなことを幼少の頃は考えていたように思う。


 今の状況を幼い頃の自分が知ったらどう思うだろうか。国許から命を狙われたことを嘆くより、きっと羨ましがるだろう。

 当事者でさえなければ、今の自分ですら羨ましいと感じてしまったかもしれない。しかし夢ばかり見てもいられない。


 アリシアを助けたギアパイロット、ユウリは物語の傭兵と違って彼女に一目惚れをしたわけではないし、また別の物語の騎士のように忠誠を誓ってくれているわけでもない。

 そうである以上物語でお約束の「そして二人は幸せに暮らしました」は、彼にとって報酬にはなり得ない。


 どうしたものかと思案しつつユウリの後を追って街道を歩く。

 ユウリの黒髪黒目はこの辺りでも珍しいらしく人目に付きやすい。最初の頃、これならば見失うことはないだろうと考えていたが、その心配はすぐに杞憂となった。

 どうやらユウリはアリシアに合わせて歩みの速度を調整されているらしい。


 ユウリはあまり口数の多い方ではないらしく、道を歩く間もほとんど無言のままだ。

 初めは気を使って色々と質問をしたりもしたが、不機嫌なわけではないのだと気づいてからはそれ程気を使うこともなくなった。

 そうして無言のまま先導をしていたユウリが、不意に足を止める。


「……着いたぞ」


 カサフスの街の東。比較的治安が良い商業区の一角に婦人用衣類専門店、レトワ-ル・ユニックは店舗を構えていた。

 明るい照明の店内には店主の趣味かそこかしこに黒い猫の小物が見られる。


 何故だか重い足取りのユウリと共に店内に入ると、慌てた様子で金髪の少女が駆け寄ってくる。

 年齢は、アリシアよりも一つか二つ年下か。白いリネンシャツにチェックのスカートといった清潔感のある装いの少女は何やら不機嫌な様子だった。

 彼女の姿を確認したユウリもまた、露骨に眉を顰める。


「あんた、エレナはどうしたのよっ! 事と次第によっちゃ容赦しないわよ!」

「それが客に対する態度か、アレット。彼女をここに連れて行くように言ったのはエレナだ。でなけりゃ、俺がこんな店に来るわけないだろ」

「聞き捨てならない言葉が聞こえたけど見逃してあげるわ。にしてもあの子は、ホントにもう……」


 少女、アレットは呆れたように溜息を吐く。


「えっと……」

「あ、すみません。文句があるのはこの男一人に対してなので。レトワ-ル・ユニックにようこそ。いらっしゃいませ、お客様」


 状況に付いて行けず戸惑うアリシアに、アレットは一転愛想の良い笑顔を浮かべ深々と一礼する。

 恐らくはこちらが彼女の通常の対応なのだろう。アリシアは小さく安堵の息を吐く。


「よろしく、アレット。私はアリー。ユウリとエレナには危ないところを助けられたの」

「この男に女の人を誘う度量があるとは思ってなかったから、なんとなくそんな気はしてました。その服もうちのですし」

「エレナから借りたの。それにしても、素敵なお店の名前ね。ラズフィアの出身なのかしら」

「あっ、はい、ありがとうございます。お母さんの故郷なんです。この世界でたった一つの星である、お客様に合った衣装をご用意させて頂きたい。そんな思いからつけた名前なんです」


 意図が通じたことが嬉しいのかアレットは興奮した様子で答え、何着もの衣類を手に取り始める。

 最早ユウリのことは完全に眼中にない様子だ。


「…………」


 ひきつった表情のユウリに、アリシアは申し訳なさそうに手を合わせ胸の内だけで謝罪するのだった。




 ローレスの支部で仕事の報告。エトワール・ユニックでアリシアの衣類を調達。昼食を取って雑貨店で生活必需品を購入し、ヘアサロン・ラズワールでアリシアの髪を整える。


 一通りの用事を済ませ、ユウリ達が借りているアパートに着くころにはすっかり日は落ち切っていた。

 隣を歩くユウリは、疲れ切った様子で部屋の鍵を開ける。


「左がエレナの部屋だから、とりあえずそっちで休んでくれ。エレナの奴が戻ったら飯にするから……」

「ご、ごめんなさい。結局一日付き合わせちゃって」

「アンタのせいじゃない。が、すまんが少し休ませてくれ……」


 アリシアの方に振り返る余裕もなくそれだけ言うと、ユウリは右の部屋へと入っていく。


「(戦闘の後そのまま街まで移動して、揚句買い物なんかに付き合わされたら、そりゃ疲れもするわよね……)」


 去って行ったユウリの後姿を眺めて、大きく溜息を吐く。

 ユウリに街を案内させるから、気になることがあるならその時に聞いておけばいい。エアー7を出る前、エレナはアリシアに小声でそう告げた。


 その甲斐あってアリシアはユウリのことを、少しだけ理解できるようになった。

 しかしそんな自分の我儘に付き合わされたせいで、ユウリは完全に疲弊してしまっている。


 そもそも街の案内も買い物もアリシアのために設けられたものだ。ユウリが今日一日使うはずだった時間は、全てアリシアのために費やされてしまった。

 しかしそんな彼の行動に報いようにも、彼女には彼に与えられるものがない。

 恩には恩を義には義を、などと偉そうなことを言ってはみたものの、この様だ。


「(……やっぱり、これしかないわよね)」


 彼女の手には小さなハンドバッグが握られている。

 ヘアサロン・ラズワールで挨拶代りに貰ったシャンプーやトリートメントだとユウリには説明しているが、それは真実とは若干異なる。


 ヘアサロン・ラズワールの店主、アーネストは身長2メートル近い長身と鍛え上げられた筋肉を持つ逞しい男性だったが、その内面はとても女性的で、親身になってアリシアの相談に乗ってくれた。

 女性の髪のケアには時間がかかるだろうということで、ユウリがその場から席を外していた、というのも都合が良かった。

 ハンドバッグには、選別としてアーネストから貰った『道具』が入っている。


 付け焼刃ではあるものの『疲れきった男性をねぎらう方法』というものを、アーネストから教わった。

 これからすることに抵抗がないわけではなかったが、そんな弱気は頭を振って振り払う。

 自分にできることは限られている。しかしそんな状況を悔やむ暇があるのならその状況を打開するか、限られた手札を使って出来ることをするべきだ。


「(……行くわよ、アリシアっ!)」


 逃げ出しそうになる自分自身を鼓舞し、大きく深呼吸をして、アリシアは準備を済ますべくエレナの部屋へと入るのだった。




「(ったく、情けねぇ……)」


 自室のベッドに倒れ込みながら、ユウリは自身の至らなさを呪う。

 アリシアが申し訳なさそうにしているのには気付いていた。

 義理堅い彼女のことだ、恐らく自分の都合にユウリを一日付き合せてしまったことを気にしていたのだろう。


 気付いてはいた。しかし結局そんな彼女にかける言葉が思い浮かばず、結局そのまま別れてしまった。

 気にするなといったところで彼女はやはり気にするだろう。

 いっそ何か簡単なお願い事でもしてしまえばよかったのかもしれないが、疲弊した今の状態ではあらぬことを口走りそうで、結局それもしなかった。


「(やっぱ、慣れないことはするもんじゃねぇなぁ)」


 体力には自信があったが、今日の買い物は精神的に酷く消耗させられた。

 王族相手にエスコートというだけでも気を使うというのに、足を運ぶ店々では彼女との関係を邪推され、弁解のために時間を費やす必要があった。


 そんなことを続けていると弁解が何故だか言い訳のように思えてきて、自分は何も悪いことなどしていないのに不思議な罪悪感がこみ上げてきてしまう。

 そういった理由もあって、ユウリの精神は既に限界に達していた。

 このままエレナが戻るまで少し睡眠を取ろうと瞼を閉じようとしたとき、不意に部屋の扉が叩かれる。


「ユウリ、入っても大丈夫かしら?」

「ん……ああ、大丈夫だ」


 本当ならすぐにでも眠ってしまいたかったがどうにか意識を保ち、身体を起こしてアリシアを迎え入れる。

 エトワール・ユニックで購入した部屋着……ふんわりとしたピンクのワンピースに身を包んだ彼女はの手には、小さなハンドバックが握られていた。


「あ、眠るところだった? なら……そのまま寝てていいから」

「は? いや、でも何か用が……」

「えっと、今日、一日付き合ってもらっちゃったし、お礼にマッサージでもしてあげようかな、と思って……」

「っ!?」


 眠気が一瞬で吹っ飛んだ。正気か、と反射的に言いかけてあわてて自制する。


「あの、誤解しないでね。助けてもらったことは何か、別の形でお礼をさせて貰おうと思ってるわ。これはなんというか、挨拶代わりというか、すぐにお礼が出来ないから、その利子というか……」

「お、おぉ……」


 見ればアリシアの表情は羞恥に赤らんでいる。

 無自覚にこんなことを言っているのではない。恐らく彼女自身それなりの葛藤を経て、覚悟を決めてここを訪れたのだろう。


 であれば、ここでその行為を拒否してしまうのは彼女の好意を無碍にするということであり、ひいては彼女に恥をかかせてしまうことになるのではないか。

 疲弊のためか上手く働かない脳ををそれでも全力で稼働させ、どうにかユウリは考えをまとめる。


「私もラズワールさんに教えて貰ったばかりだから初めてだし、上手く出来ないかもしれないけど……どう、かしら?」

「ああ。えっと、なら、お願いしてみるか……」


 ユウリ自身、マッサージを受けることなど初めてだ。酷く喉が渇いて、ごくりと唾液を嚥下する。


「それじゃあ、始めるから……」


 アリシアがハンドバックからアロマキャンドルを取りだし、テーブルに置いて火を点ける。

 ハーブの香りがふわりと部屋に広がり、それだけで自室がどこか、見慣れぬ場所になったような印象を受ける。


 まるで女性の、アリシアの部屋に招かれたような錯覚を覚え、気持ちを落ち着かせるべくユウリは大きく息を吐いた。

 このままアリシアの方を見ているとなにやら良からぬことを考えてしまいそうで、ユウリは慌ててアリシアから視線を外しうつ伏せになる。


「まずは全身を擦って、筋肉を温める……」


 紙に書かれている内容でも読み上げているのか、言葉と共にうつ伏せになったユウリの上にアリシアが跨り、その身体に触れる。

 手にローションを付けているのか、首元に触れる指は滑りが良く何とも言えない甘い香りが漂う。


「力加減とかこれくらいで良いのかしら?」

「まぁ、大丈夫だと思う」

「なら、良かった」


 首周りからゆっくりと時間をかけて、背中、肩、二の腕、手の指先、腰、太ももと、足元に向かって移動していく。

 滑らかで、触れれば折れてしまいそうなほどに細いアリシアの指。


「筋肉を温めたら、頭の方から順番に。まずは瞼の上を人肌で温める。それから耳を手で覆う」


 瞼の上に手を置かれじんわりとした温かさが広がる。

 キャンドルとローション、そして彼女自身の放つ香りに緊張は徐々に解れてきて、再び眠気が訪れてくる。


「気にするなっていうけど……助けてもらったお礼は、絶対するから」


 手の平全体を肩に押し当てて、首の付け根まで擦り上げながら彼女は小声で言う。


「借りっぱなしは性に合わないし、本当に感謝してるから。だから何か考えるから」


 それは恐らくユウリに向けられたものではなく、自分自身への決意表明。


「……そうか」


 思わず笑みがこぼれる。

 力の無さを言い訳にして、守られるだけで終わるつもりはない。いつだって自分にできることを模索している。

 その在り方は、彼のパートナーと良く似ている。


「アンタも意外に頑固だな」

「そのアンタっていうの、いい加減に止めなさいよ。私にはアリシアって名前があるんだから……」

「そうだな……いや、すまん。どうにも女性の名前を呼ぶってのは気が引けてな」

「エレナやアレットは、普通に呼んでるのに?」


 背中を手の平全体で擦り上げながら、アリシアが拗ねたように言う。

 拗ねたように、というのはあくまでもユウリの主観だった。

 眠気の為かどうにも頭の悪い考えばかりが浮かんでくる。彼女がエレナに嫉妬しているなんて、都合の良い妄想だ。


「アレットは女と思ってないし……エレナはまぁ、それなりに長い付き合いだからな」

「長い付き合い、ね……」


 思えば随分と、騒がしい時間が増えたように思う。

 育ての親であったキリエと死別して、これからは一人で生きて行くのだと覚悟を決めて彼女の跡を継ぎ傭兵になることを決めた。

 けれどいつの間にかエレナがパートナーになり、そして何の因果か今は一国の姫であるアリシアのマッサージを受けている。


「私も……」


 耳元で、何かを囁かれたような気がした。何か答えを返そうとしたような気がした。

 けれど結局その言葉は音にならず、ユウリの思考は心地の良い眠気に意識を明け渡しかけ……。

 軽いノックの音と共に部屋の扉が開かれたのは、正にその瞬間だった――。

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