第6話 カサフスの街
アサルトハウンドを退けたユウリ達はエアー7の中で仮眠を取りながら移動を行い、次の日の朝にはカサフスに到着した。
カサフスの街は、ザールスの最も西に位置する国境の街だ。
経済連盟に所属するザールスと、連合国に所属する隣国ラーダッドの関係は良好であり、ザールスに在住する傭兵はラーダッドからの依頼を受けて任務をこなすことも少なくない。
そういった関係上カサフスの街にはギアを有する傭兵が多く滞在しており、彼らの保有する兵器やギア、フォートレスを修理するための工房が多く存在している。
カサフスの街には、航空機の離着陸が可能な発着所が二ヶ所存在する。一つはザールスの軍が保有するカサフス航空基地。そしてもう一つが、ローレスが保有するカサフス空港である。
ローレスに所属するユウリ達は、カサフス空港の格納庫を借りている。
「こちらエアー7。管制室、応答を願う」
『こちらカサフス空港管制室です。エアー7、無線の感度はいかがでしょうか?』
「感度良好。着陸誘導を求む」
管制官からの通信にエレナが応じる。
戦闘機、輸送機、フォートレスなど様々な機体の着陸に対応する必要があるカサフス空港には精測レーダーが備えられており、着陸は管制官の指示に従って行われる。
着陸とは計画された墜落である、などと昔は言われていたそうだ。つまりはそれだけ危険が高く難易度が高い。
技術が発達した現在はそれ程の危険度ではないし、ハルのサポートを受けてエアー7の操作は大幅に簡略化されているものの、着陸の瞬間はやはり神経を使うことだろう。
緊張した面持ちのエレナを後ろから眺めて、ユウリも思わず息を呑む。
『了解。滑走路12へ、精測レーダーによる誘導を行います。進入ルートの確認を実施してください』
「問題なし」
『機体の最終確認を実施してください』
「問題なし」
『車輪を下げ、着陸を開始してください』
カサフス空港管制室の指示に従いエレナは進入ルートの確認、機体の最終確認を実施。
誘導に従ってランディングギアを出し着陸を開始。
管制室からの指示に従い針路と降下率の微修正を行ってゆく。
『誘導限界のため、ここからは目視での着陸をしてください』
頷き、エレナは着陸進入経路を再確認。ここからは彼女の腕とハルのサポートだけが頼りになる。
機体が規定の高度まで下がったところでエレナは操縦桿を手前に引き、機首を上げる。
誤って後輪から接地してしまうような事があれば即クラッシュに繋がる。
「スラストリバーサー、展開」
車輪が滑走路に接触したのを確認し、一部のエンジンを逆噴射させ減速。
同時に車輪にブレーキをかけ十分な速度の低下を確認したら、スラストリバーサーを解除。
そのままエアー7は速度を落としながら慣性に従って滑走路を走り、やがて完全に停止する。
「……こちらエアー7。着陸完了」
『確認しました。機体を23A格納庫に収容してください』
「了解」
通信を終えてエレナは大きく息を吐いた。
「お疲れ」
「あ、うん……ありがと」
シートベルトを外して立ち上がり、ユウリはエレナに労いの言葉を掛けた。
ユウリにも最低限の操作は可能だが、操縦士としての正式ライセンスを有しているのはエレナだけだ。
「や、何度やっても緊張するね、コレ」
「……寧ろ、エレナがフォートレスの着陸まで出来るのが不思議で仕方ないんだけど」
唖然とした表情でそんな様子を眺めていたアリシアが、呆れたように声を出す。
無理もないとユウリも思う。
「因みに、二人の役割分担とか聞いてみて良い?」
「んっと、あたしはフォートレスの操縦と、オペレーター、メカニック。……あ、整備を担当する兼ね合いで、事務とか経理も担当してるかも」
「俺は……まぁ、ギアの操縦と、仕事の受注。あとはまぁ、荒事全般担当」
「ふ、ふーん」
何かを言いたげなアリシアから、ユウリは思わず目を逸らす。
整備士として雇った筈のエレナだが、半年で通信士や操縦士の免許を取得。気付けば財布の紐まで握られている始末。
とはいえエレナを雇ってからは目に見えて収入が安定しているので、ユウリとしては文句の付けようがない。
寧ろエレナが居なければ経営が成り立たないとさえ言える。
「ま、適材適所ってやつかな」
深く考えるとユウリに適しているのは荒事だけということになるのだが、エレナはそのことに気付く様子もなく楽しそうに笑っている。
自分がどれだけ規格外なことをしているのかなど考えてもいないのだろう。
「それじゃ、あたしは機体を格納したら親方のところに顔出しているから。ユウリはアリシアさんの案内よろしくね。それからアレットのところで服も幾つか見繕っておいて」
「へっ? えっと、あの……」
「いや、そういうのはお前のが適任だろ。ってか、アレットのとこ連れてくなら猶更お前が案内しろよ」
唐突に自分が話題に上がったことに困惑するアリシアと、反論するユウリ。
婦人用衣類専門店、レトワ-ル・ユニックは男性であるユウリが入店するには厳しい店だ。その上エレナと仲の良い店員のアレットは何かとユウリを目の敵にしているため、正直あまり近づきたいと思えない。
「ちゃんとした服は紹介がてら明日にでも見繕いにいくから。そんな格好であんまり街中歩かせるわけにもいかないでしょ」
「む……」
言われて、ユウリは改めてアリシアの様子を観察する。
ふんわりとした白いロングのスカートは多少丈が短いながらも彼女によく似合っている。ただ、問題なのは上着の方だった。
スカートのウエストはアリシアのサイズに調整することが出来たのだが、上着となるとそうはいかない。
如何せん発育に絶望的なまでの差があった。グレーのロングセーターの上からカーディガンを羽織って誤魔化してはいるが、セーターの下に隠された双丘はいかにも窮屈そうだ。
「ユウリ?」
「いや。まぁ確かに、それじゃ色々窮屈そうだしな。荷物持ちと財布代わりに付き合おう」
「……アリシアさん、このバカが無礼を働いたら、ぶん殴ってやっていいから」
誤魔化すように言うが、まったく誤魔化せていなかった。
鋭さの増したエレナの視線から目を逸らすとアリシアが申し訳なさそうに俯いている。
「ごめんなさい。持ってきた荷物も、逃げるときに置いてきちゃって……」
「アリシアさんのせいじゃないよ。あんな野蛮な変態に追いかけまわされたら、そりゃ何を置いても逃げ出すよ。あたしだってそうするし」
戦闘狂の野蛮な変態。
それが通信機越しに聞こえてきた会話からエレナが下した、アサルトハウンドのパイロットへの評価であった。
顔も見たことがない相手に酷い言い草ではあるが、ユウリが抱いた印象も彼女とさほど変わらないためフォローのしようがなかった。
残念ながら当然の結果といえる。
「乗りかかった船だからな。助けた手前易々と見捨てるつもりはない。しばらくは俺達のアパートに滞在して、これからのことは落ち着いてから決めればいい。それより街に出ていいのか? 一応有名人なんだろ」
「え? あぁ、それもそうね」
メディアにそれほど露出がある訳でもないが、警戒するに越したことはない。
どうしたものかと、アリシアは暫く思考する。
「えっと、それなら……ナイフ、貸して貰えるかしら?」
「ナイフ? いや、あるにはあるが、こんなもの何に……」
意図が理解できないものの、ユウリは素直にナイフを手渡す。
「ん、ありがと」
アリシアはそれを受け取ると、一括りに纏められた自身の金髪に迷いなくその刃を向ける。
「ちょっ……」
エレナの静止の声も間に合わず、その手から金糸を編んだような美しい髪が、はらりと一筋零れて宙を舞う。
腰まで伸ばされた金髪は無造作に切り取られ、今は肩口程度の長さとなっていた。
「ちょっとアリシアさん、何してるのっ!」
「ん。元のままだと流石に目立っちゃうし、走ったりするのにも邪魔だしちょうど良い機会かなって。はいこれ、ありがと」
「……まぁ、似合ってんじゃねぇの?」
役目を終えて返されたナイフを腰の鞘に納め、ニヤリと笑う。
彼女が時折見せる、姫らしからぬ思い切りの良さは嫌いではなかった。
一方のエレナは頭を抱えて惜しい、勿体ないなどと呟いている。
「あぁ、もうっ! アリシアさん、部屋に来て! 外出る前にもうちょっと整えるから。あとユウリっ! 買い物終わったらラズワールさんのところに連れてってあげて!」
アサルトハウンドからの襲撃から一夜明けても、その騒がしさは収まることはない。
ユウリは嘆息しつつ、本日の予定を大幅に変更せざるをえなくなるのだった。
エアー7を降りたユウリ達がまず向かったのは、ローレスのカサフス支部であった。
ローレスは経済連盟に所属する国家の軍事力の中核を担う大規模な傭兵組織である。
ローレスのカサフス支部は街の中心に位置している。五階建ての真新しいオフィスビルの中では二百人近い職員が、傭兵達を相手に仕事の斡旋や情報交換を行っている。
ビルへと入り受付嬢に来訪を告げると、目的の人物はすぐに姿を現した。
黒スーツに赤いネクタイ、サングラスといった装いのその男は控えめに言って堅気の者とは思えない。
アリシアを一瞥するなり、黒スーツの男は呆れたように溜息を吐いた。
「……お前、遂にどこぞの令嬢さんでも攫ってきたのか? そういうのはウチとの縁を切ってからにして欲しいわけだが」
「帰りがけに拾った要救護者だよ。それよかハインド、さっさと仕事を済ませろ」
「初めまして。アリーと言います。ユウリさんには危ないところを助けていただいて……」
アリー、というのは事前に取り決めておいたアリシアの偽名だった。流石に今の状況で本名を名乗るのはあまりに軽率だ。
「これはどうもご丁寧に。カサフス支部で仕事の斡旋をしてる、ハインドと申します。そこの男が無礼など働きましたら是非とも私をお頼りください。カサフスの警察は信用なりませんからね」
ハインドはサングラスを外し、握手を求める。
彼の言葉はある意味で真実だ。傭兵が多いカサフスの治安はお世辞にも良いとは言えない。治安維持の務めを持つ警察にも汚職が浸透しており、賄賂を渡せば多少の違反は見逃される。
「ありがとう。そのようなことはないと思いますが、街で困ったことがあれば頼らせていただこうと思います」
アリシアは握手に応じながら、穏やかに笑う。
そんな彼女の対応にハインドは再び大きく溜息を吐き、サングラスをかけなおした。
「ユウリ……お前こんな器量良し何処で捕まえた? エレナの嬢ちゃんといい、どっから調達してきてんだよ」
「仕事しろっつってんだろ、ハインド。ラーダッドの内乱は鎮圧してきた。過激派のテロって話だったが、明らかにテロ屋の武装じゃねぇ。帝国が絡んでるのはほぼ確実だ。連中、第三世代を使ってやがったぞ」
「ま、そんなとこだろうな。保険にお前を派遣したのは間違いじゃなかったわけだ。お疲れさん。報酬はいつもの口座に振り込んでおく。ところで……」
不意にハインドの口調に硬さが増す。
「ノーラム社とやり合ったって噂を聞いたが、事実か?」
「仕掛けてきたのは向こうだ」
「心当たりは」
「知らねぇよ。まだエレナを狙ってるのかもしれねぇし、そうでなくてもノーラム社とは随分やりあったからな。恨みなんざどんだけ買ってるか分からん」
「……まぁ、そういうことにしといてやるか」
ユウリの言葉に納得した様子はなかったが、ハインドはそれ以上追及するつもりもないらしく肩を竦める。
「お前の腕は買ってるが、世の中力技で解決できることばかりじゃない。偶には人に頼ることを覚えろ」
「自分でやれることは自分でどうにかする主義なんだよ。手に負えないことまで抱え込むつもりはない」
「どうだかな……」
「あの、エレナを狙ってる、って……」
そんな二人の会話に、アリシアが口を挟んだ。
「エレナが使ってる、ハルって人工知能があっただろ。あれに使われてる技術が連中の興味を引いたらしくてな。一時期酷く揉めてたことがあったんだよ」
「で、まだ学生だったエレナの嬢ちゃんをユウリが保護して、それからコンビを組んでるって訳だ。ったく、上手くやりやがって……」
エレナがカサフスの街で暮らすようになってもう四年になるが、彼女はどうやらカサフスの住人達から気に入られているらしい。
日増しに強くなるやっかみの言葉に辟易し、ユウリは小さく溜息を吐いた。
「悪いが、こっちはこの後用があるんだ。話がそれだけなら俺は行くぞ」
「ああ。機体の整備が済んだらまた顔出せよ。任せたい仕事は幾らでもあるからな」
「アンタの持ってくる仕事は厄介ごとばっかだろうが……」
それだけ言って踵を返し、歩き出す。隣にいたアリシアもハインドに会釈をしそれに倣う。
「ねぇ。……貴方って、人助けが趣味なの?」
支部を後にして街道へ出ると、不意にアリシアが立ち止まり問いかけた。
「何だ急に」
訝しみながらも足を止め、ユウリは視線を向ける。
真意のほどは分からなかったが、それでもその質問が彼女にとって重要なことであり、移動しながら片手間に済ませてよい話ではないと感じたためだった。
「正直に言うとね、最初は何か目的があって、私を助けてくれたと思ってたの。だってそうでしょ? ただの善意でギアを敵に回すなんてあり得ないもの」
強い意志の光を帯びた青い瞳が、ユウリを正面から見据えている。
「生憎俺は、人助けなんて殊勝な趣味は持ち合わせちゃいない」
「だけど貴方は、無償で私に助けてくれてる。それが例えばその……私の身体目当てだとか、そういう理由ならまだ納得できなくはないの。だけどさっきの話だと、エレナもそうやって助けられたみたいだし……」
「どさくさに紛れてとんでもないこと言うなよっ!」
顔を赤らめながらアリシアが口にした言葉に、ユウリは焦って周囲を見渡す。幸いにして聞き咎められた様子はない。
慌てて彼女の手を引いて、人通りの少ない路地へと移動する。
ただでさえエレナの一件で肩身の狭い思いをしているというのに、こんな会話を知り合いに聞かれればどういった評価を受けるか知れたものではない。
「やっ、あの、私だって本気でそんな風に思ってる訳じゃないから、そこは誤解しないで」
「いや、どうやったらそんな推測に至るんだよ……」
がっくりと肩を落とし、ユウリは嘆息する。
それほど愛想の良い方ではないし、言葉足らずで誤解を招くことも少なくはなかったが、今のアリシアの言葉は流石にショックが大きかった。
「だって、ずっと見てたし……」
「ぐっ……」
何を、という主語を付けなかったのは彼女なりの慈悲だろう。口にしなかっただけでアリシアもユウリの視線には気付いていたらしい。
それを言われると何の反論も出来ず、また視線に気付かれていたのだと思うとどうにも気恥ずかしさが湧いてくる。
誤魔化すようにユウリはガリガリと頭を掻いた。
「別にアンタを助けたつもりはない。恩を売るつもりもなかったし、人助けだとか考えた訳でもない。ただ俺が気に入らなかっただけだ」
戸惑うアリシアにユウリは答えを返す。
改めて考えて口に出してしまうと、その理由の稚拙さに自分でも呆れてしまう。
「手前勝手な都合で他人を巻き込もうとする連中や、弱者をいたぶるような真似をする連中が気に入らない。気に入らないから首を突っ込んだ。結果として、アンタを助けることになった」
気に入らないから敵対する。気に入ったから手を貸す。
そういう生き方しかできなくて、ギアの操縦くらいしか取り柄がないから傭兵などという仕事を続けている。
そんな生き方で長生きなどできるはずはなく、きっと自分は好き勝手に生きて早々にくたばることになるだろうと思っていた。
それが意外と軌道に乗って、ローレスからも一目置かれるような立場になりつつあるのはいったい何処のお節介の仕業だろうか。
「だからそういう意味じゃ、俺の趣味は人助けじゃなくて、気に入らない奴をぶん殴ることってことになるのかね……」
頭に浮かんだ少女の姿に苦笑しながら、ユウリはそう結んだ。
「……それじゃあ、ただのならず者じゃないの」
ユウリの回答にアリシアは思わず苦笑する。
呆れた様子のアリシアだが、その表情から憂いは取り払われている。
そんな様子を見てユウリも内心安堵した。
「知らなかったのか? 傭兵ってのは基本的にならず者だぞ」
ずっと好き勝手に生きてきた弊害というか、彼は人に気を使うという行為が酷く苦手なのだ。
気を使う必要がある人間などとは付き合わないと豪語していた彼であったが、エレナと組むようになってからはそうした気遣いの大切さというものを痛感しつつあった。
「まぁそういうことだから、アンタもあまり恩を感じたりする必要はないぞ。助けたのはこっちの都合だしな」
「そうもいかないわよ。恩には恩を、義には義を。目には目を歯には歯を……その辺りは姉さまから仕込まれてるんだから。すぐには無理かもしれないけど、助けられた恩は必ず返させてもらうわ」
「なんだ、その物騒な信条は……」
アリシアの言葉の端から彼女の姉、聖女クラウディアの人格を垣間見てユウリは戦慄する。
一方のアリシアは懸念が払拭されたらしく、晴れやかな表情で何事か思案している様子だった。