第3話 助ける理由
第二世代のギアを格納庫に誘導し、ユウリはコックピットから外へ出る。
一方で第二世代を操っていたパイロットは慣れない様子で機体を停止させ、ユウリの何倍もの時間を掛けて外へと姿を現した。
―――極めてどうでも良い話ではあるが、ユウリは女性に見惚れるという経験をしたことがない。
別に男色の気がある訳ではなく、健全な男としての欲求は備えてはいるが、それはそれとして女性に見惚れたことはない。
見惚れるとは、我を忘れて見つめる。心を奪われて見入る。といった意味である。
それを踏まえて自身の過去を振り返り、そのような経験をしたことがあるかと思い返せば、経験はないという結論を出すことが出来た。
雑誌に載っているグラビアモデルの容姿は魅力的だと思うし、もっと身近で下世話な話をすれば、例えば操縦席で仮眠を取るエレナの姿などは微笑ましく可愛らしく感じることもあるが、それはそれとして我を忘れるほどに見入るようなことがあるかと言えば、そんなことはないと言えた。
我を忘れるほどに見入るという現象が成立する条件を、彼は対象を確認してから三十秒の間、他の事を一切考えることが出来ない状態に陥ることと定義していた。
客観的に判断すれば彼が定める見惚れるという現象の成立条件は些か厳しすぎるような気がしなくもないが、ともあれそれがユウリの中の結論だった。
自らの主観において、ユウリはこれまで女性に見惚れるという経験をしたことがない。……しかしそれも昨日までの話だった。
「危ない所を助けていただいたことに感謝します。私は……って、あれ?」
丁寧な物言いで謝礼を述べ、頭を下げているのはエアー7に収容した第二世代のパイロット。年のころは自分と同じ程度だろうか。
まず目につくのは手入れの行き届いた美しい金髪。背中に届く程度に伸ばされた髪はギアを操作する為か後ろで一括りにまとめられ、ポニーテールとなっている。
頭を下げた際に覗くうなじと、透き通るような純白の肌に先ず真っ先に目を奪われた。
「ねぇ、ちょっと?」
次いで、怪訝そうに見つめてくる碧眼。宝石のような輝きを放つその瞳に吸い込まれそうになる錯覚を覚え、彼女が首を傾げると自身もその動きに合わせて思わず首を傾げてしまった。
「……あのー?」
幾ばくかの間を置いてようやく冷静さを取り戻すと、改めて彼女のスタイルの良さ気づかされる。
身に纏っているのが薄手のシャツ一枚である為、身体のラインが丸見えだった。細身でありながらも出るところは出ていて、胸元では二つの果実が重そうに揺れて……。
「いい加減にしなって!」
「ぐあぁっ!」
後頭部に衝撃を受け我に返る。
エレナもまた保護したパイロットから話を聞くため格納庫にやってきた。
そしてやってきた彼女に後頭部を強打された。ここまでの状況を理解するのに、若干の時間が必要だった。
「あー、えっと……とりあえず、はいこれ。ごめんね、こいつ悪い奴じゃないんだけどデリカシーがなくて」
「え、ええ。ありがとう」
エレナから手渡されたジャケットで胸元を隠しながら、女性が頭を下げる。
女というものは視線に敏感なのだというエレナの言葉を、今更ながらに思い出す。この様子では、第一印象は最悪だ。
「すまん、少しばかり考え事をしていてな。それで、俺達は……」
「そんな言い訳が通るとか本気で思ってるの? 後でちょっと話あるから」
居住まいを正しつつ話題を変えようとするが、誤魔化しは効かなかった。自身の迂闊さを呪いつつ咳払いを一つ。
「とにかく、先ずは現状の把握が優先だ。俺はユウリ、で、こっちの小さいのがエレナ。ローレス所属の傭兵で、アンタがギアに追われてるのを見かけたんで、とりあえず保護させて貰った」
「小さいは余計だと思うよ」
横からエレナが抗議の声を上げてくるが、キリがないので取り合わない。
こんな様子では益々信用をなくしてしまうかと危惧したが、目の前の女性は小さく笑い声を上げた。
「あ、ごめんなさい。ホントに仲がいいんだなって思って。……名乗るのが遅れてごめんなさい。私はアリシア・ハーティアス。あまり礼儀に気を使うタイプでもなさそうだから、言葉は崩させてもらうわよ」
最初の丁寧な口調とは異なり気軽な様子で右手を差し出してくる。恐らくこれが素なのだろう。応じるようにユウリも右手を差し出し、握手を交わす。
驚くほど滑らかで細い彼女の指に再び見惚れそうになったが、アリシアと、そしてエレナの心証を悪くするだけだと思い小さく首を横に振り手を離す。
「堅苦しくされるよりはよっぽどいい。……おい、どうしたエレナ」
握手を終えてふと横を見れば、エレナが頭を抱えていた。
こちらの心情を読まれたかと一瞬不安になったが、もしそうであればすぐに指摘か、或いは手が飛んでくるはずだと思い直す。
「あの、クラウディア・ハーティアスって、もしかして……」
「姉様を知ってるのね。まぁ、そういうこと。私は連合国の一角、クラナダの第二皇女よ」
恐る恐る、といった様子で尋ねたエレナ言葉にアリシアが頷いた。
「あぁ……」
小さな溜息と共に、エレナがこちらに視線を向けてくる。
言葉にしなくとも何が言いたいのかはすぐに分かった。
『やっぱり厄ネタじゃないか』というエレナ視線に対し、ユウリもまた『今更後に引けるか』と視線を返しておく。
二十を超える国家が同盟を結ぶことで構成された連合国は、この世界を束ねる三大勢力の一つであり、その中でも最大の規模を誇っている。
そんな連合国に名を列ねるクラナダの第二皇女がギアに追われていたという状況は、確かに厄ネタの気配しかしなかった。
「アンタを狙ってたのは正規の軍隊とは思えなかった。恐らく、俺達と同じ傭兵か何かだろう。条件さえ見合えば皇族の殺害なんて依頼を引き受ける輩も、まぁ居ないことはない。依頼主に心当たりはあるのか?」
「大方元老院の保守派でしょうね。あいつ等は姉様が宰相に就任したことを良く思っていないし、これ以上国内での姉様の権限を強めたくないんでしょう」
「連合国の女神、聖女クラウディア。噂通りの人物なら、確かに敵も多いだろうな……」
第四世代ギアの独自開発に加え、フォートレスの開発まで手掛ける天才的な設計士。
クラナダの第一皇女クラウディア・ハーティアスの名と、彼女が行った大改革は世情に疎いユウリの耳に入る程に大規模なものだった。
彼女の存在がなければ、連合国はとっくの昔に対立する帝国との勢力争いに敗北していたことだろう。
そんな彼女の存在を疎んじる存在は多い。国外にも、そして国内にも。
アリシアを取り巻く状況を理解しユウリは小さく頷く。頷いて、そして問いかける。
「……話は分かった。で、アンタはどうしたいんだ?」
「え?」
その言葉が意外だったのか、アリシアは呆然とした表情のまま硬直する。
「俺達は傭兵だからな。国元に戻りたいってんなら、そこまでの護衛を引き受けてやってもいい。安全な場所まで避難させて欲しいってんなら、それも引き受けてやる。ようはアンタがどうしたいかだ」
「え、あの、ちょっと待って、信じるの? 私がクラナダの第二皇女で、命を狙われてるとか、自分で言うのもなんだけどそんな胡散臭い……」
「少なくともギアに追われていたことは事実だし、俺達を騙すメリットがあるとは思えないからな。アンタの話も、矛盾するようなものじゃなかった」
「ま、嘘にしては話が大仰すぎるしね。一応聞くけど、自分が第二皇女であることを証明する手段とかあるの?」
「えっと、紋章入りの指輪、とか……」
差し出されたアリシアの左手の人差し指には、クラナダの紋章が刻まれた銀の指輪が輝きを放っている。
とはいえ指輪の真贋などユウリには分からないし、恐らくはエレナにも無理だろう。
「まぁ、そういう証明もあるっていうなら皇女様ってことで良いだろ。とりあえず俺達の拠点……ザールスのカサフスに向かってるから、これからどうするかはそこでゆっくり考えればいい」
それだけ言ってユウリは踵を返す。
「エレナ、お姫さんをお前の部屋に案内してやれ。流石にいつまでもハルに任せちゃいられんからな」
「りょーかい。ま、倉庫に押し込んでおくわけにもいかないよね。それじゃ、見張りよろしく」
「え、えっと……」
ヒラヒラと手を振るエレナに見送られ、ユウリは格納庫を後にする。
一方のアリシアは状況の変化に付いていけない様子で、困惑する表情を浮かべるばかりだった。
エレナに案内されたのは簡素なベットと小さな衣装棚、それに小型のディスプレイが備え付けられた個室だった。
「手狭な場所で申し訳ないけど到着するまでゆっくりしてて。ちょっと揺れるかもしれないけど」
言いながらエレナは衣装棚を漁り、諦めたように溜息を一つ。
「やっぱりあたしの服じゃサイズが合わないか……カサフスに着いたら何か買わなきゃダメだね」
豊かに育ったアリシアの胸元を恨めしげに眺めながら、エレナは呟くように言う。
しかし今のアリシアにはそんな言葉に反応している余裕はなかった。
「ちょ、ちょっと待って。その、良くしてくれるのは嬉しいんだけど……」
躊躇する。最初は話すつもりなどなかった。うまく利用して、どうにかこの状況を切り抜けてやればよいと思っていた。
だけど彼らが何を考えているのかがまるで理解できなくて……だからアリシアはそれを話すしかなかった。
「多分私をクラナダに帰そうとしても、同じように刺客を送られるだけだと思うわ」
「……というと?」
「姉様が元老院の思惑に気付いていない筈がないわ。だから姉様は全部承知の上で、私に前線に行くよう命じたんだと思う」
護衛としてついたのは、ギアによる実戦経験もない王宮勤めの兵士一人だった。
目的はラーダッドとの密約を結ぶことであり、人目に付かぬようにギアによる移動を行うということだったが、それが口実に過ぎないことはアリシアにも理解できた。
アリシアに理解できたことが彼女の姉に気付けない筈がない。だから確信しているのだ。最早クラナダに、彼女の居場所はないということを。
「国に戻っても報酬は支払えないと思うし、貴方たちを雇うだけの持ち合わせもないわ。だから……」
「まぁそうだろうね。今、クラナダじゃ結構な騒ぎになってるみたいだから」
「えっ?」
「ハル、記事を出して」
『了解』
エレナの言葉に機械的な音声が応じ、部屋のディスプレイにネット上のニュース記事が表示される。
『クラナダの第二皇女アリシア・ハーティアス、ラーダッド訪問中に行方不明』、『頻発している要人の誘拐は帝国の特殊部隊による犯行か』、『正宰相マーチス卿は、卑劣な行為を行う帝国に対し報復を宣言』。
「……予想はしてたけど、まさかここまで対応が早いなんて」
アリシアが敵に襲われたのが数時間前と考えると、あまりにも情報の拡散が早い。事前に準備されていたとしか思えなかった。
「アリシアさんの暗殺に失敗したことが伝わったんだろうね。下手に捜索されて変なボロが出ないよう、早々に亡くなったことにしたいみたい」
さほど焦った様子もなくエレナは頷く。
「さて、これからどうしようか。確かにこの様子だとクラナダには帰れなさそうだし、とりあえずザールスに身を隠す? ザールスなら経済連盟の所属だし、連合国の影響は薄いんじゃないかと……」
「だから、そういうことじゃなくてっ!」
声を荒げる。理性で押さえつけるのは、もう限界だった。
「報酬は払えない。国からは見捨てられた。人質にもならないでしょうし、義理や恩があるわけでもないっ! なのに何で、貴方達は私を助けようとするのよっ!」
先が見えないことが怖かった。命を狙われていることも恐ろしい。だけどそれ以上に今目の前に居る少女のことが分からなかった。
何の利益にもならない、関わっても損するばかりだというのに何故彼女は、彼女達は自分を見捨てようとしないのか。
どうして手を差し伸べようとするのか。
その理由がどうしても理解できなかった。
「そうだね。何のメリットもないし、正直に言っちゃえば厄ネタだと思ってるよ」
「だったら……っ!」
「大丈夫、見捨てないよ」
気付けばアリシアは目尻に涙を浮かべていた。そんな彼女を宥めるように、エレナは彼女を軽く抱きしめる。
誰かにそんな風にされたのは、いつ以来だろうとアリシアは不意に思った。
「ユウリは、絶対貴方を見捨てない。ユウリが見捨てないっていうなら、あたしだって貴方を見捨てない。……パートナーだからね」
「どうして……」
「困ってる人間とか見ると、放っておけない奴なんだよ。何度も痛い目見てる筈なのに、全然懲りないんだから」
そう言って、エレナは笑みを浮かべた。相手をバカにするような嘲笑ではなく、それは酷く楽しそうな、幸福そうなものだった。
「貴方は……」
アリシアが言いかけたその時、船体に衝撃が走る。同時に船内からけたたましいアラームが鳴り響く。
「な、なにっ!」
「こちらエレナ。ユウリ、状況を教えて」
困惑するアリシアとは対照的に、エレナは慣れた様子で無線機を手に取り言葉を発する。
『こちらユウリ。敵からの狙撃を受けた。損傷は軽微だが、連続して受ければ流石に持たん。迎撃の準備をする。ブリッジに上がってこい』
「了解」
通信を切り、そしてエレナは気遣うような視線をアリシアへと向ける。
「そういうことであたしはブリッジに向かうけど、貴方はどうする? 怖かったらここに居ても……」
「……いいえ。私もブリッジに行くわ。何か手伝えることがあるかもしれないし」
「うん。それじゃ行こうか。大丈夫だよ。きっと、何とかなるから」
迷いなく答えたアリシアの決意を受け入れて、エレナは彼女を励ますように笑みを浮かべるのだった。