第10話 もしも魔法が続くなら
カサフスの街から三百キロ程離れた合流地点へ向けて、エアー7が飛行している。
指定されたポイントは『大戦』後に放棄されたラーダッドのゴーストタウン。
ヒルダがこのような場所を指定してきたのは、自分のことを公にしたくないからだろうとアリシアは思う。
今回の一件はクラナダでどのように扱われているのだろうか。
姉は――クラウディアはこの件をどのように収めるつもりなのだろうか。
「後十分で目的地に到着……なんだけど」
エレナに声を掛けられ、アリシアは思考を中断した。
「え? あ、ごめんなさい。少し、ぼぅっとしていて」
「ねぇアリシア……ホントに大丈夫? 怖いなら逃げちゃっていいと思うけど」
「大丈夫。ヒルダとは昔からの仲だし、お姉さんみたいな人だから。私を保護しに来た、っていうのはホントだと思う」
「そう? なら、良いんだけど……」
アリシアの言葉にエレナは大人しく引き下がる。
彼女が心配してくれているのは十分に伝わっていた。
そしてだからこそ、これ以上の迷惑は掛けられないと思った。
「でも良かった……これで、二人にちゃんとしたお礼をすることが出来る」
クラナダへ戻れば、少なくともアリシアを保護したユウリ達には少なくない報酬が支払われるだろう。
もしも支払われないなら自分が姉に掛け合っても良い。
姉が――クラウディアが関わっているなら悪いようにはならない筈だ。
「お礼が欲しくて助けた訳じゃないって、ユウリなら言うと思うけど」
「助けた側が気にしなくても、助けられた側は感謝の気持ちを示したいものなのよ」
「……マッサージとかで?」
「そっ、それはもう良いでしょ……。事故ってことで、見逃してよ」
「ふふっ、悪意があった訳じゃないのは分かってるから、許してあげるよ。……あたしが許してあげるようなことでもない気はするけど」
そう言ってエレナはクスクスと笑う。
思えばこんな風に、年の近い友人と笑い合うような事は今までなかった。
せめて最後にきちんと別れをと、そう思ったその時。
『アリシア』
「え?」
不意にユウリからの通信が入った。
『話があるから、格納庫に来てくれ』
「えっ、あ……うん……」
アリシアが応えるのを確認して、用件はそれだけとばかりに通信が切れる。
「えっと、何か、ユウリが話があるみたいだから……」
「うん、行ってくると良いよ」
エレナに見送られてブリッジを後にする。
何の話をされるのか予想もつかなくて、アリシアは自らを落ち着かせるように大きく深呼吸をするのだった。
格納庫へと向かう道のりで、アリシアはこれまでのことを思う。
思い返して驚いた。
アサルトハウンドに襲撃され、ユウリ達に助けられてから、まだ三日しか経っていないのだから。
まるで夢でも見ているような気分だった。
汗だくになって追っ手から逃れて、だけど逃げられなくて、もう駄目だと思ったらユウリ達が助けてくれて。
案内されたカサフスの街で買い物をして、恩返しなどと言ってユウリにマッサージをしようとして、エレナに怒られて。
思い返すと背筋が凍る。笑みが零れる。思わず赤面してしまう。
クラナダの城に居ては、一生経験できないような体験ばかりだった。
「(あぁ、ホントに……楽しかった)」
だけど、そんな時間がずっと続くわけじゃない。魔法使いがかけてくれる素敵な魔法にだって期限がある。
良い休暇だったと、そう思う。多分一生の思い出だ。
「(お礼、言わないとな)」
そうしてアリシアは格納庫を訪れる。
自分を救ってくれたギア、スカイブルーのハッチの前。パイロットスーツに着替えたユウリは、そこでアリシアを待っていた。
「ユウリ? 話って……」
「いい加減、答えを聞いておこうと思ってな」
「え?」
問われて、アリシアは訝しむ。答えとは何のことか。自分はユウリに何かを問われていたか。
きょとんとした表情のアリシアに、ユウリは呆れたような表情を見せる。
「お前はどうしたいんだ? いい加減に決めないと選択肢がなくなるぞ」
「……っ」
何がしたいのかと問われた。考えをまとめる時間が欲しいと、彼女は望んだ。
今更意味もない問いだ。彼女はクラナダに戻り、そして恐らくは元通りの生活が始まる。
だけどもし、この素敵な魔法が続くなら。
偶然迷い込んでしまったとか思えないような、この物語に続きがあるというのなら。
望むことが許されるなら。
「……人手が足りないんじゃないかなって、思うのよ。ユウリとエレナの二人だけで、フォートレスとギアを動かしてるんでしょ」
アリシアが言うとユウリは少しだけ驚いたような表情を浮かべて、しかしすぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「そうだな、正直全く足りてない。特に経理はお手上げだ。俺は数字に強くないし、エレナもそこまで手は回ってない」
「なら、乗員を一人雇う気はない? 未経験者だから何も知らないけど、とりあえずやる気はあるわ」
あれだけ迷っていた言葉が不思議とするりと口に出た。口に出してしまえば、本当に簡単なことだった。
何がおかしいのか分からないが、不思議と笑みがこぼれてくる。
「見習いで良けりゃ採用するが?」
「衣食住さえ保障されればあとは出来高でいいわ、貸しも色々溜っちゃってるし」
「ありがたいことだ」
楽しいと、本当にそう思う。目の前でユウリも凄く楽しそうな笑みを浮かべている。
それが本当に嬉しくて、うっかりするとその場で抱き着いてしまいそうだったが、流石にエレナに悪いと思ったので自制した。
「エレナ、ランスロットに通信を繋げ」
『何急に。もう話はもう終わったの? ユウリ』
「終わった。あと、今日から仲間が一人増える。よろしくしてやってくれ」
『あー……あははっ、ホントにもうっ、仕方ないねっ!』
通信機から聞こえてくるエレナの声には、呆れと諦めが入り混じっている。
『こちらランスロット。まもなく目的の地点に到着するが、トラブルか?』
変わって通信機から聞こえてくるのはヒルダの声。
公務で忙しいクラウディアに代わってよく面倒を見てくれた、アリシアにとってはもう一人の姉のような存在だった。
「ヒルダ。私、エアー7のクルーにして貰うことになったの。そういうことだから、私はあの場で死んだってことにして貰える?」
『……何の冗談ですか、姫様』
「そっちに帰っても、どうせお飾りの第二皇女にやることなんてないでしょ? なら好きにさせて貰おうかなって」
『クラウディア様がお認めになられるはずがありません』
「姉様は関係ないわ。私が決めたの」
自分で決めて自分で選ぶ。それが楽しくて、楽しくて楽しくて仕方ない。
申し訳ないという想いは確かにそこにある筈なのに、そんなことは関係ないとばかりに自然と笑みが零れてしまう。
『……そちらの責任者に変わって頂けますか』
明らかな怒気を孕んだヒルダの声。それで少しだけ冷静になった。
「えっと、お願い、できるかしら?」
小声で尋ねるアリシアに、ユウリは不敵な笑みを浮かべる。
「任せておけ。俺からも、奴には言っておきたいことがある。ブリッジに戻ってろ」
「うん、お願い」
頷いて、その場スカイブルーから離れる。
後悔なんて一欠片もありはしなかった。