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「発進3分前」
鏑木の声がくぐもるように耳に響く。不思議な感覚。
格納庫。
樹の意識が人工ニューラルネットワークに転送されたとき、すでに雲林院の指示により、萌黄の巨体はランチパッドに格納されていた。
有機金属クラスタで組織された機体はこれでも空気のように軽い(らしい)。
「30秒前からカウントダウンを始める」
30、29、28、・・・・・・・・・10、9、8、・・・・・・3、2、1、発進。
ハッチの向こうの夜空へ向かって、萌黄は翼を広げて垂直に発進した。
そして、上空1,000メートルでパラレルワールド間すら航行できるというオービターフォームにメタモルフォーゼ。
脆弱で無力な人体と置き換わったしなやかで強靭な鋼の肉体。
擬似ニューロンに移植された、浮遊し、飛翔し、拡張する意識。
200キロ彼方まで探索可能な感覚機能。
そして、ひたすらにGを感じる世界。
樹は萌黄のスペックを頭の中でもう一度おさらいした。
まずは、オービターフォーム。
全長32m、翼幅24m、大気圏内の最大速度はマッハ2.5。
ひたすらに飛行するためのフォームで、武装は、空対空機関砲のみ。
動力源は水素。大気中では呼吸するがごとく二酸化炭素から水素を取り込み、大気圏外では圧縮蓄積した水素と酸素を用いる。まさにサクラ重化学によるエネルギー問題の革命的ブレークスルー。
オービターというのは、周回宇宙船のことだ。かつてのスペースシャトルを思い起こすと分かりやすい。事象の地平線を突き抜け、パラレルワールド間の光速を超える移動のためのフォーム。
無論、大気圏内もシャトル並みの超音速で高速飛行する。
水鳥を思わせる長い機首となめらかなデルタ翼。
どうやったら萌黄の形状から飛行体に変形するのか樹は理解できなかったが、ナノ工学及びバイオメカニクスの専門家である雲林院が言うには、それぞれのフォームは細胞もといナノ粒子レベルで再構築され、いわば昆虫の羽化と同じようなものなのだそうだ。
そして、バトルフォーム。
全長37m、総重量12.4tの巨神。
西洋甲冑を思わせる優美な肢体と萌黄縅を連想させる色彩。生成の異なる有機金属クラスタの組み合わせでできた骨格と筋肉に耐熱セラミックの皮膚。アクチュエーター(駆動と制御)は機械よりもむしろ人体に近い。まさに魂の乗り物だった。
セラミックの皮膚はさらに二種類のシールドで守られる。光学迷彩と対赤外線センサのための熱遮断シートを纏ったステルスモード。そして、鎧のような硬い装甲に覆われたアーマーモード。
メインアームはジルコニアの粒子でコーティングされたソード。大太刀を思わせるフォルムは伸縮自在で、不使用時は小型化してウエスト脇のソードシースに収まっている。
萌黄のオービター体はスーパーソニックで上空を通過する。
頭上には星々が、地上には街の灯がともる。
樹は、失神は免れたものの頭痛と吐き気に耐えながら、上空の薄い大気や機体が風を切る感触まで実感した。
すべてが、本物の感覚だった。
「樹くん、そろそろ減速モードに入る」
と、オペレーター役の鏑木の声。
「はい」
次の瞬間、樹は強い減速Gを感じた。
「いいかい、今日はバトルフォームは取らない。オービターを自動操縦のまま一撃離脱のヒット・アンド・アウェイで行く。オービターで砲撃したらすぐに引くんだ」
と、鏑木の指示。
「!」
鏑木の指示はおかしい、直感的にそう樹は感じた。
萌黄のオービターフォームに装備された機関砲は主に迎撃や撤収時の防御のための目くらまし程度のものだ。敵機に命中させるにはかなりの熟練を要する。現段階ではとても攻撃用とは呼べない。
あちらには高速の自立型迎撃ミサイル、それ自体が機関砲を持つもはや無人迎撃機といっていいカルラが複数機ある。空中のドッグファイトではオロチの援護があったとしても圧倒的に不利だ。型落ちも同然の萌黄では制空権なんてとても望めない。
蒼天、玄天とスペックで劣る萌黄に勝利の見込みがあるとすれば、たとえ二対一だろうがより装着者の能力が引き出せるバトルフォームでの肉弾戦に他ならない。
それが、シミュレーションを重ねるなかで樹が下した結論だった。
第一世代、第二世代の装機ともアバターとしての感度はそう変わらないのだ。最後は装着者自身の戦略、精神力、身体能力の勝負になる。
(鏑木さんの指示は間違っている。)
樹は、迷うことなくオートパイロットモードから離脱した。




