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出会いは突然に

「もう!あんた勉強は‼︎」母親の怒号が飛ぶ。

「大丈夫!健太んちでやるから!」良太が答える。

母の制止も聞かずに 自転車をこぎ出し、健太の家へ向かう良太。


彼の名前は 中山良太。中学2年生。


来年は、本格的な受験生だ。

先生も親も「今が頑張りどころだから」と言うけど、

その「頑張りどころ」って、いつまで続くんだろう……


勉強しなきゃいけない事、それも、かなり努力しなきゃいけない事を

良太は 分かっているつもりだった。

それなのに、今日だけ、今日だけ、と自分を甘やかしてしまっていた。


母親が、パート代を全部注ぎ込んで、通わせてくれている塾も

サボりがちだった。


もちろん、その度に母親から、凄いカミナリを喰らうわけだが……


「今日は特別」良太は そう思っていた。

健太が、新しいゲームを買ったと聞いて、もう、やりたくて、やりたくて、

母親には、健太と一緒に勉強すると嘘をついて、家を出てきたのだ。


良太と健太の家は、自転車で5〜6分。この坂を下って、その先の角を

左に曲がれば、もう健太の家は見えてくる。


良太は思い切り坂を下っていた。

はやる気持ちを、抑え切れずにいた。


坂を下りるにつれ、自転車は急加速する。

少し、ブレーキをかける……

え⁉︎ かからない ⁉︎


もう一度ブレーキを、ギュウッと力一杯、握りしめる。

かからない!何で⁉︎


良太はグングン迫って来るガードレールに

吸い込まれるように ぶつかった。


景色は、まるでスローモーションの様に、ゆっくり流れた。

良太の体が、弧の字を描いて宙を舞った。


やがて良太は、固く冷たいアスファルトの上に叩きつけられた。

彼は意識を失なった。


近所の人が、物音に気が付いて、救急車を手配した。

到着が遅い良太を気にして、表まで出てきた健太が、

驚いて良太の母親に連絡した。良太の母親も駆けつけた。


間もなく救急車が到着し、健太も近所の人も、心配そうに

見守る中で、良太は病院へ搬送された。


病院でMRIや、頭の傷の処置など行った後、別室のベッドへ移動された。

今だに良太の意識は戻らない。

ベッドの横で母親は、憔悴しきった面持ちで座っていた。


その時だった。

良太がベッドの上で立っているのを母親は見た。

しっかり目が合った。


「え⁉︎」母親は立っている良太の足元を見た。

良太はちゃんとベッドに横たわっていいる。

目をしっかり閉じたまま………


そのうち、立っている方の良太が、スーッと天井へ浮き上がった。

母親は大声で「待って‼︎」と叫びながら、良太の足を掴もうとした。


看護師達が気が付いて

「お母さん、大丈夫ですよ」「落ち着いてくださいね」と言いながら、

母親を座らせようとした。


「大丈夫なわけないでしょう!あの子、あんな所にいるのよ‼︎」

母親が、半狂乱で指差したのは 天井だった。


看護師達は顔を見合わせている。当然だ。

良太の体は目の前のベッドにちゃんとあるのだから。


母親は、天井を見つめて良太を説得していた。

「あんたの体はここだから、ここに帰って来なさい!早く!!」


もう誰も母親を止めなかった。

その様子が、あまりにも鬼気迫るものだったから……


結局 良太は天井をすり抜け、母親の視界から消えてしまった。

母親は、空気の抜けた風船の様に、ヘナヘナと床に座り込んでしまった。



良太は、とんでもない速度で 真っ暗なトンネルの中を飛んでいた。

正確に言うと、何か とてつもない力に引っ張られ、飛ばされていた。


「わあーっ‼︎」良太は恐怖で叫んでいた。

良太の目前に、一瞬キラッと小さな光が見えた。

「出口だ」良太は直感した。


急激に視界が開けた。

良太は、眩しさのあまり目を開けていられなかった。


ゆっくり ゆっくり 目を開けた良太の目の前には、

今まで良太が見た事のない景色が広がっていた。


良太が立っているのは、舗装されていない道路。

真横には錆びたバス停。

平屋建ての古い家がポツン ポツンと建っている。


近くで水の音が聞こえる。近づいてみると小さな小川が流れていた。

すごい透明度。泳いでいる魚が、今すぐ手で掴めそうだ。


小川の向こうには一面の田園風景……


「ここ…… どこ……?」

良太は、一軒の家を訪ねた。ここがどこか教えて欲しかったのだ。

家の敷地の牛舎から、2頭の牛が良太の方を見ている。


その家は留守だった。

少し歩いて、隣の家へ入った。同じく、牛が一頭飼われていた。


表札には「山下」と書かれていた。

玄関で「すみませーん!」と叫んでみた。返事がない。


良太が固まっていると、おかっぱ頭の小さな女の子が

いつに間にか、良太のそばに立っていて、ジロジロと良太を

下から上へ見上げていた。


「あっと。こんにちは。僕は、山中良太 って言うんだけど、

お父さんかお母さん、いますか?」

良太は、その女の子に向かって聞いた。


女の子は、良太の顔をしみじみ見た後、どこかへ走り去ってしまった。


「通じなかったのかな?」良太は少し不安になった。


数分後、これまた おかっぱ頭の、お姉さんらしき人を伴って、二人で戻って来た。

お姉さんは、小柄だけど、強い眼差しが印象的な少女だった。


こんにちは。僕は 中山良太と言います。 あの、ちょっと道に迷ったみたいで……

ここ、どこですか?」良太は聞いてみた。


「M県だけど。あんた、どこから来たの?」お姉さんに聞かれ、

良太は「N市」と答えた。

「へー。都会だね。何でここへ来たの?」そう聞かれ、良太は困惑した。


自分の体を抜け出して、トンネルを飛んで、抜け出せたと思ったらここだったなんて、

どうやって説明すればいいのか見当もつかない。


お姉さんが思いついた様に言った。

「もしかして、おばあちゃん家がこっちに あるの?」

「あ?ああ そう。そうなんだ。バスに乗り間違えたみたいで、違う所

へ着いちゃったみたいなんだ。」良太は必死に言い訳した。


「へえ。本当はどこへ行こうとしてたの?」

再び良太は困惑した。

どこへも行きたくなんかない。元の所へ戻して欲しい。

良太は そう思っていた。でも言えない。


代わりに お姉さんが 喋った。

「まあ、ここバスは1日に2本しか来ないから。朝1本、夕方1本ね。

今日は もう無理だね」


なんて事だ。そんな所、このご時世にあるのか。


お姉さんが言った。

「とにかく、電話したら?おばあちゃん家に。心配するといけないからさ。

3軒向こうの小山さん家なら電話があるから借りに行こうよ」


良太は、促されて小山さん宅へ向かった。

感じのいいおばさんが、電話を使うよう、勧めてくれた。


でも、何これ?本当に電話?

木製で、人の顔みたいに部品がくっついた四角い箱。

その右側にはクルクル回せる取手……

どうやって使うの?


良太は初めて見た。番号を押す所は……?

良太がまごついていると、お姉さんが言った。

「電話、初めてなの?私、代わりににかけてあげようか?番号は?」


良太はM県の おばあちゃん家の電話番号なんて知らない。

そもそも、M県に親戚なんていたっけ?

「わ…… 忘れちゃった……」良太は答えた。


お姉さんは 、ため息をついた。

「おばさん、ごめんなさい。やっぱり電話いいわ。ありがとう」

お姉さんは、小山さんに お礼を言った。

良太達は、小山家を後にした。


お姉さんが「手紙書いたらどう?時間かかるけど、それしかないよ。

それまで家に泊まれないか、お母さんに頼んであげるから」と言った。


良太は黙って頷くしかなかった。


山下家で仕方なく、N市のおばあちゃんの家宛てに手紙を書いた良太。

他に思いつく住所がなかったから……


「ねえ、ここの住所教えて欲しいんだけど……」良太が言った。

お姉さんは、何やら台所でガシャガシャと忙しそうしていた。

それでも、一通の郵便物を持って来てくれた。

ここの住所が書かれている。


住所を書き写して、何気なく その郵便物の消印を見た。


『5・9・16』?

今は西暦2016年で、平成28年。じゃあ、5年って何?

良太は、恐る恐る聞いてみた。

「ねえ、今年って何年だっけ?」


お姉さんが台所から「昭和5年でしょ?1930年!」


「……」良太は絶句した。頭を冷やそう。

「ちょっとトイレ貸りていい?」

「え?何?」

通じないか?「えっと……便所」

「ああ。お手洗いね。外へ出て、牛小屋の右側にあるから」


お姉さんの言った通りに外へ行った。

掘っ建て小屋みたいな、小さな建物の木の扉を開けた。

「マジか………」良太は、生まれて初めての、いわゆる

『ぼっとんトイレ』に遭遇した。


トイレから戻った良太に、お姉さんが言った。

「そういえば、まだ自己紹介してなかったよね。

私は 山下夏美。こっちは妹の琴美。あとは母と、兄が3人いるんだけど、

一番上の兄は、向こうの離れにいるの。残り2人の兄さん達は都会へ働きに行ってるわ」


「若いのに大変だね。お兄さん達、もう働いてるんだ」良太は言った。

「ウチは貧乏だからね、仕方ないよ」夏美が言った。

「離れにいるお兄さんは、なぜそこにいるの?」良太が聞いた。

「良一兄さん、病気なの。多分もう治らない。父さんも同じ病気で死んだんだ」

夏美は とても悲しそうに言った。


「何の病気なの?」良太が聞いた。

「結核だよ」夏美が答えた。

「結核なら治るよ。ちゃんと病院へ行って、薬をつかえば」良太は言った。

「無理よ。病院に行くお金もないし、結核に効く薬なんかないわ。不治の病

だって言われてるのよ。良太君も、離れには近づかないで。感染るといけないから」

夏美は そう言った。


そうか。この時代、結核は不治の病だったんだ……

良太には返す言葉がなかった。


切り替える様に夏美が言った。

「そういえば手紙書けたの?出しに行こうよ」

夏美は買い置きしてあった切手を手紙に貼ってくれた。


良太、夏美、琴美の3人はポストに向かって歩いた。

思いの外、距離がある。3kmくらい歩いただろうか。

途中、木製の電柱を見かけた。この時代、電柱って木製だったんだ。


やっと、道端にポツンとあるポストに辿り着いた。

青い筒状の細長いポスト。今の物より背も高い。見た事のないタイプだ。


間違いない。僕はやっぱり違う時代へ来てしまったのだ。

良太は確信した。


届くはずのない手紙をポストに投函する良太。

「早く連絡がつくといいね」笑顔で夏美が言った。

良太は苦笑いした。


山下家へ戻ると、夏美のお母さんが畑から帰宅していた。

一日中、雑草を抜いていたらしい。


夏美は良太の事情を、母親に説明した。

夏美のお母さんは快諾してくれた。


夏美はお母さんに「すぐ、お風呂沸かすね!」と言って、

外へ走った。

良太は何となくついて行った。


風呂も家の外にあった。隣の小屋に薪が沢山蓄えてあり、

そこから数本、薪を抱えてきて風呂を沸かすらしい。


せなかを丸めた夏美が風呂を炊く姿は、健気で、でも逞しかった。

薪でたいた風呂は、とてもいい匂いがした。


お客様だから…… と言って、良太は一番風呂を勧められた。


全体が鉄で出来た小さな丸い浴槽。これ、どうやって入るんだろう……

湯船の上に丸い木の板が浮いていた。

良太はそのまま板を踏んづけて、湯船に体を沈めた。


心まで癒された気分になった。

背中が浴槽のかべに触れると、凄く熱いのがたまにキズだけど……


田舎の朝はとても早い。

夏美のお母さんが、台所で、固くて黒い粘土のような物で出来た

『かまど』に火を入れていた。

ご飯はその上の穴にセットした、羽釜で炊くのだ。


穴が二口あって

その隣で、味噌汁やら煮物やらを作る。


「ガスが無いって不便だな……」良太はそう思った。

そんなことを考えながら、夏美のお母さんの背中を見ていたら、

夏美がやって来て、

「牛に餌、やっといたから!」と言った。

もう、一仕事終えてきたのか。

この家の女性陣は本当に働き者だ。


朝食を早々に済ませ、お母さんは畑へ出かけて行った。

夏美は良一兄さんのいる離れに、お粥を届けに行って戻ってきた。


日に日に声に張りがなくなると言って、夏美は肩を落とした。

良太は何も言えなかった。


夏美は琴美の面倒を見ながら、家事もこなしながら、

やたら難しそうな本を読んでいた。


「夏美ちゃんは今中学生?何年生?」良太は聞いた。


「今14才。学校は行ってない。行きたかったけど……

ウチは貧乏だからね、国民学校がやっと……

高等女学校へ進学したかったんだけど、とても無理。

私ね、本当は教師になりたかったの。それには、女学校を卒業

した後、師範学校へも行かなきゃならないでしょう?そんなお金、

ウチにはどこ探したって無いもの……」


夏美がまた暗い顔をした。


14才。それなら良太と同じ年だ。本当なら中学二年生か。

良太が当たり前に学校へ通っていること、

当たり前に電化製品に囲まれて快適に暮らしていること、

良一兄さんの病気も、平成なら、良太の住んでいる時代なら治るはずのもの。


良太にとっての「当たり前」はここでは何一つ「当たり前じゃない」事を

良太はとても悔しく思った。


夏美はこんなに頑張ってるのに、夏美の人生は諦める事の繰り返しなのか?

この先もずっと……


良太は夏美に何か言いたかった。でも言葉は見つからない。


何も言えない自分が悔しかった。









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