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第91話 書の記憶


 黒い人型の靄は形を変える。

 もはや、それは人といっていいのかわからなかった。

 私の身の丈の何倍もある、人型の何か。それが認識できたものだ。

「……」

 アトミアの書を開くとその何も書かれていないはずの、まっさらなページに黒のインクで書かれた文字が浮かび上がる。


 《審判者》


「……審判者?」

「今なんといった!?」

 私の言葉にラストは目を見開き振り返る。

「え、いや……審判者、って……」

「審判者……、だと? どうして……いや、まさか、その手に持っているのは聖書……アトミアの書なのか!?」

「え?」

「……それなら……そうか。だから、私は。……いける」

 ラストは一人つぶやくとレイピアを審判者の胸へ向ける。

「この勝負、すぐに決着がつく! 私が隙をつくる。……そこへお前たち2人が全力で攻撃をたたき込め。……何も、考えずに」

 どういうことかわからなかったが、とりあえず頷いておく。

 それを確認したラストは審判者の方へ駆ける。

 胸の前で構えたレイピアを後ろへ引くと左手を添える。まとった汚灰はいの力は黒いレイピアのその形がみえないほどだった。

「はあぁぁぁぁぁぁっ!」

 到底届くはずのない距離で突き出されたレイピアだが、その攻撃は刀身による物理攻撃ではなかった。まとっていた力が衝撃波のように宙を切り裂き審判者の胸に直撃する。

 それでも巨体は仰け反ることすらしない。

 両腕を振り上げるとラストに向け振り下ろす。

 ラストは華麗なステップでそれを避けると腕を駆け上り宙へ身を躍らせる。

 落下しながら貫いたのは先ほどの攻撃が命中した場所を寸分違わぬ場所だった。深々と突き刺さったレイピアは抜けず、仕方なしに刺したまま後退する。

 両手を広げ、大きな円を書くような動作をすると、鋭い黒い魔法が円の中心から吹き出し胸を穿つ。

「いけ!」

 魔法の反動で体勢を崩したまま落下するラストは叫ぶ。

 それにうなずくとだらりと下げられた審判者の腕を駆け上り、そしてアラキアの腕をつかむ。そのまま羽を広げてラストのレイピアが刺さったままの胸めがけて2人で剣を突き出す。

「あああああぁぁぁ!」

 白熱した光をまとった剣は易々と審判者を貫き、砕けた身体は汚灰はいとなって消えてゆく。

 本能的にアラキアをかばうように両手を広げると汚灰はいは私の身体に吸い込まれていった。

「……」

 一瞬、ぼんやりした思考に頭を振るとゆっくりと着地する。

「……アルマ……汚灰はいが」

「……大丈夫。なんともないから。……それより」

 振り返るとラストが膝をついて震える手で身体を支えていた。

「……本当は、動けるはずなかったんでしょ? どうなるかなんて、わかりきっててどうしてボクらを助けたの?」

「……さあ? ……ただ、守りたかっただけだよ。これでも騎士だったからね。……でも、主を、奪ったヤツの敵っていうのもあったかな。……これで、やっと……最後を見届けることができた。悔いはないよ」

「でも、あれはご主人様じゃなかったんでしょ?」

 ラストの願いは主を守ることのはずだ。

「……ああ。……肉体だけ。……そうだな……うん、心残りがあるとすれば、最後に、一言でもいいから言葉を交わしたかった」


「最後などと言うな。この愚か者が!」


 響いた声に私も、アラキアもそちらの方向を見る。

 少し離れたところに立っていたのは、マーテルだった。白い白衣の背に大旅団のマークが光っているから間違いないだろう。

「……あれ? ラース様……なんか、もしかしてこれが走馬燈ってやつ?」

「ば、馬鹿! 私はここにいる。ここにいるんだ、ハイル……」

「……ほんとに……ラース様、だ」

 限界を迎えたのか、力が抜け地に崩れ落ちたラストの身体をマーテルは支える。

「……もっと、早くこれなくてすまなかった。……いや、お前をもっと早く探し出せていれば……あんな無駄な争いなど」

「……はは、何言ってるのラース様。……僕は、信念に従ったまでだよ。もう、悔いはないよ」

 ラストは幸せそうにほほえむ。

「……ああ。……ゆっくりと、おやすみ。ハイル」

 ラストが消え去った後、しばらくうつむいていたマーテルだったが顔を上げるとこちらを見る。

「……いろいろ、聞きたいことはあるだろうな。……いろいろと」

「うん」

「……時は満ちた。すべて、話そう。……私が知りうることを、すべて」

 大旅団への帰路につこうと踵を返したときだった。

 ずっと胸に引っかかっていた違和感の正体がなんなのかわかる。

「隔離結界が……解除されていない……?」

 あれは外部への脱出も、外部からの侵入も制限するこのだった。

 そして、術者が死ねば消え去る、と。

「……!」

 再び集まり始めた気持ちが悪くなるくらいの汚灰はいの気配に振り返る。

 しかし、審判者の動きの方が素早かった。

 両腕で胸の前で円を作るとそこから放たれた光線にあたりが包まれる。

「アラキアァァ!」

 必死に叫ぶがまぶしすぎて何も見えない。

 だが、なぜ何の衝撃も襲ってこないのだろうか。

 今、クロノスを持っているのは右手の時を司るもの1本のみだ。空間をねじ曲げて攻撃をそらすような芸当はできない。

 ならば、左手に持っているアトミアの書だ。

 あたりに満ちる光のせいで書が効力を発しているのかどうかはわからないが、おそらくそうなのだろう。だんだんと慣れてきた明るさに、前方へ視線をやるとそこには右手を掲げ、障壁を展開する何者かの姿が見えた。

 後ろで1つにまとめられた長い髪に、半身を覆う青いマントがはためく。

(……あなたは、……誰?)

 全く見覚えのない人だった。

 しかし、これほどの威力を持つ攻撃を軽々と防いでいるということはかなりの力をもった人物であることがうかがえる。私の障壁展開技術など比にならないだろう。

 そして、大旅団のイスクなども。

 半分振り返った人の蒼い瞳と目が合う。

 そして、その人はほほえんだ。

「……え?」

 気がついたときには強風の吹き荒れる白亜の塔ウーゾトゥルムの最上階に立っていた。隔離結界は解かれており、心配そうにアラキアが私の顔をのぞき込んでいた。

「あ、やっと反応してくれた」

「え?」

「ずっと突っ立ってたから心配したんだよ。反動が酷かったんじゃないかってさ」

 反動。

 アラキアは私が障壁を展開したとおもっているのか。

「いや、そういうわけじゃ……」

「ならいいんだけど。……ほら、帰ろう」

「うん」

 あの騎士はいったい、誰だったのだろう。



 2人が階下へ降りていった最上階でマーテルは一人たたずむ。

「……貴方は……ずっと、見守っていてくれたのだな。……ありがとう、親友」

 つぶやいた言葉は誰にも聞こえていなかった。



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