第53話 幻影
カーテンの隙間から入ってくる陽射しが顔にあたり丸まっていたふとんを引き上げ顔にかける。そのまま抱え込むように寝返りをうとうとするが、足がサイドレールにあたり元の姿勢に戻る。
時間になったのか目覚ましの音が鳴り始める。
寝起きが悪い。確実に起きるために起き上がらなくては届かない位置に時計を置いている。ベッド横の小さな棚だ。
これもベッドと同じく病院で使われているものを採用している。もしも、に備えているらしい。
そのため物を置く場所を制限されてしまうが、置いていい場所は他にもある。それに、まだスペースには余裕があるくらいだ。
霞む目をこすると身支度に取り掛かった。
「はい、いいよ」
額と胸元にあてられていた手が離れる。
目を開いて横たわったまま彼の顔を見る。
「クレアレアの流れにも異常はないし、大丈夫だね」
その姿は素顔とほぼ変わりはない。なんでもクレアレアを完全展開した方が感じ取りやすいからと今はエルフ姿でいるアストレだ。ここ最近毎朝見ているおかげでだんだんとこの姿も見慣れてきていた。
これまでも死亡例こそないがトルムアやラークによる攻撃で大怪我を負った人はいる。しかし、《使徒》の桁外れな威力の攻撃で負傷した例はない。それによって起こる反応を見る被験者第1号、というのが建前だが上層部も戦闘部員の損失を恐れたのだろう。しつこいまでに検査項目と実施期間を増やされたとアストレも苦笑していた。
そのせいか、ただの怪我だと思っていた割には2、3日ずっと身動きがとれなかったのだ。
確かに医療部にいる間は図書館にいるときなどとはまた違った安心感があるから嫌いではないのだが。それとこれとはまた別だ。
おかげで専属医師ではない医師や看護師とも話す機会ができ、なおかつそれほどかからずに普通に会話できるようになった点はメリットだった。
「気を付けて降りてね。ああ、靴はその下よ」
今、アストレの補助にまわってくれていて同じ部屋にいる彼女もその1人だ。
左胸には芦部とかかれた名札がさげられている。あだ名で皆からあべと呼ばれていると本人から聞いた。
真面目な性格ながらとても細やかな気遣いができる人として人気だという。
「アストレさん、報告書は私が渡しておくので先にどうぞ」
「え、でも」
「どうせ通り道ですし、これでゆっくりお茶が出来るでしょう?」
「そんなとこまで見てたんだ。じゃあ、お願いします」
「はい、確かに預かりました。というわけでアルマちゃん、またねぇ!」
「うん?」
そういうなり診療室から出て行った元気の良さに2人して顔を見合わせる。
これはアストレとゆっくり話す時間を作ってくれたということだろうか。
確かに話したいことはある。
昨日も横になったはいいもののなかなか寝付けなかったのだ。原因はあの幻影。
ただでさえあのような風景は気持ちのいいものではないのに、それが知っている場所だったというのも、そしてそこが絶対にあのような状態になることはあり得ないのだ。
あるとしたら、それはこちらが負けた時。
全ての計画の中心であるこのマザーシップが、街が瓦礫と化すことはすなわち戦闘部員が全滅した、いやそれどころか大旅団全てが壊滅したときとしか考えられない。
街はこの船だけでも200、全て合わせれば800人ほどの防衛隊が治安維持や警備をしてくれている。そこに支援隊、先遣隊、そして攻撃隊を入れれば5000人以上がいるのだ。
それも戦闘部のイスクのみの人数であり、他部署に配属されたイスク、更にはトュルーエまで入れれば汚灰に対抗できる人間は20万を超える規模になる。全く耐性の無い人間も280万人という規模であり、かなり巨大な組織であることは間違いないのだ。
それが壊滅するなどあり得ない。
そう、あの女と戦うまでは考えていた。もちろんその頃はあんな幻影など見たこともなかったこともあるが、規模から考えてあり得ないと思っていたのだ。
だが、あの女との戦いは認識を一変させた。
ほんの一瞬当たっただけであっても、イスクである私にあそこまでの傷をつくる攻撃など見たこともなければ報告でもなかった。
ならば、私が知らない脅威があってもおかしくはない。
そう思うと不安で寝付けなかったのだ。
今までそういった事例がないかそれを確認しようと思っていたのだ。
「……あの、さ」
「なにかな?」
アストレの私室へ歩いている途中、思い切って声をかけてみる。
「……調べてほしいことがあるんだ」
「珍しいね。大抵の事は知識の確認程度なのに」
「今回は本にはのってないし、……いつもとはちょっと違うんだ」
「……そうか……ここじゃあれだし、部屋に着いてからゆっくり聞いた方がよさそうだね」
その言葉に安心する。
これは1つ私の賭けでもあったのだ。
アストレにだけまずは伝えたいことだった。
この件を異常ととられ検査項目を増やされるのは嫌だし、下手に話が広まり変な目で見られる可能性も捨てきれない。
アストレにだけならばこれが本当に異常であった場合でなければ他言することはないだろう。
「……ふむ」
話を聞き終わったアストレは向かいのソファで腕を組む。
「……今までそんな話は聞いたことはないな。……それに異常とは考えづらい。アルマちゃんも大旅団内のメンタルヘルスケアについては知っているだろ?」
「ん」
あまり感じないとはいえ大旅団は閉鎖空間であることに間違いはない。それに世界中から集まった人が国籍も何も関係なしに適正のみで各部署に分かれ構成されている。慣れないことや今までとは全く違う環境での生活でストレスを感じないわけがない。
そこで生み出されたのが大旅団独自のメンタルヘルスケアプログラムだ。
大旅団員全員に定期的にチェックを義務づけ、すぐにケアできるような仕組み(プログラム)が組まれている。その中で使われるのはガライアから派生したジリウラという機器だ。
こちらはガライアよりさらに複雑なためかなり小型化した今現在でもガライアの試作機より大きい。
そのため医療部内の部屋のうち数室をそれ専用としているほどだ。
ガライアのように顔半分を覆う大きさがあるのはもちろん、その他に装着しなければいけない補助装置も多く一時期医療部内で混乱が起きていたことは記憶に新しい。
今はまとめられるとこはまとめられ当初よりすっきりはしたものの、その分機器で覆われる体の面積が増えている。言ってしまえばガライア試作機をカプセル状ではなく寝た状態で上下から挟む形にした、というのが一番しっくりくる。
ガライア同様、ジリウラも魂と結びつくことによってその人の精神状態をかなりの精度で分析できるのだ。
ジリウラが投入されメンタルヘルスケアプログラムが実行されてから大旅団内の雰囲気は良くなったと言える。特に戦闘部がだ。
初期の頃は何の対策もなかったがために、日々の戦闘で消耗した戦闘員のケアは全て目に見える状態になってからでないと対応できていなかった。ゆえに、自殺未遂が起こっていたのは戦闘部員ならよく知ることだ。
そういうことがあったがために戦闘部員は他の大旅団員に比べチェックの間隔は短くなっている。何回か使用したことはあるが、これまで何かあったことはない。
何かあればその時点で、すぐにアストレから待機命令が出されていたはずだ。
「……心配ならジリウラ押さえとくけど……でもなぁ」
「……」
「だって3日前に検査したばっかりだし、それに他の検査でも何にもなかったんだけどなぁ。……ちょっと、診せて」
横になると額に手を当てられる。
この温かさはとても落ち着く。検診の度確認される項目の1つにクレアレアの流れの確認があるのだが、それが額と心臓の上に手を当てられ確認するのだ。
本来はそれ専用の機器を使用するのだが医師がイスクの場合のみ自ら確認できる。そちらのほうが確実なのだ。
「やっぱり異常はないよ。大丈夫。……でも、何かあったらすぐ言ってね?」
「わかった。そっちも何かわかったら教えてほしい。……それとさ、いつまで待機命令でてるの?」
「そうだなぁ……。今回は僕が待機指示を出してるわけじゃないんだよ。総司令直々の命令でさ、何も見えないんだよね」
「そっか……」
それならばしょうがない。
通常の待機命令とは違うとなると、どうなるかなど分かりもしないのだから。
起き上がって思いっきり伸びをする。すでに傷は痕も残さず消え去っていて調子も元通りだ。
右手を前に伸ばすとグライアオスを具現化させ握る。
「いやぁ、何回見ても綺麗な武器だよね。それが双剣のアンチ武器じゃないのが不思議なくらいさ」
「……でもソピアーはとてもシンプルでしょ?」
「あれは例外。兄さんは見た目よりも中身を重視する人でね、何の因果かその性格にぴったりな長杖のアンチ武器の所持者になっちゃってたってだけでしょ。……それに、既に公開されている他の武器種のアンチ武器は基本的にPFOの通常武器とは一味違った見た目でしょ?」
「ま、まあね」
「といっても、あの世界で一番使われているのは銃だし、それうち狙撃銃のアンチ武器所持者はユニータさんだから他の武器をお目にかかれるなんてそうそうないけどさ。その次は杖。で、それのうち1つも決まっちゃってる」
「うん」
PFOでは遠距離から攻撃できれば出来るほど有利になる。その点では銃より魔法のほうが有利なのだが、扱いにくさと習得に時間がかかるといった面から銃の方が人気が高い。私のように防御を切り捨ててまで接近して戦うプレイヤーはほとんどいない。
それ故か、運営は接近武器の1つである剣のカテゴリーにおいて本来ならば武器種1つにつき1つのはずのアンチ武器をカテゴリーで1つとしてしまったという。
剣にも両手剣、片手剣、細剣、短剣、刀、ナイフ、双剣、両剣といったようにいくつも種類があるのにも関わらず、だ。
手にできるであろう人を武器カテゴリーごとで見て偏らせないようにしたのか、ただの怠慢なのかはいまだに不明だ。
そして未だに所持者が不明なこの剣のアンチ武器がこれほどにまで有名なのかは、これこそが全てのアンチ武器の中で最強の名を冠するからともいえる。
これも接近武器であるというデメリットからこのようなスペックになったのか、武器カテゴリーで1つにまとめた影響なのかは不明だ。
このような情報がなぜ、出回っているのかも分からない。
アンチ武器については公式の発表は何もないのだ。故に、これが事実なのか尾ひれがつきまくった噂なのかは所持者以外誰も知らない。
「……でも、今までの例だとソロじゃないと手にできないみたいだしなぁ。僕も魔杖剣のアンチ武器見てみたいな」
「意外といつの間にか持ってたりするんじゃないの?」
「そうだよねー。兄さんもいつの間にかって言ってたし。……ああ、でも見てみたいだけなんだよ」
「……そうなんだ」
「あ、でもね、それでどれくらいの治癒・支援効果が発生するのかは試してみたいかな」
笑顔で語るアストレに相槌をうとうとした。
遠くで何か砕けるようなかすかな音を耳が捕らえそちらの方向を向く。イスクであるため彼にも聞こえたのだろう。
険しい顔になるとアストレは立ち上がり部屋のドアを開ける。
「アルマちゃん、どう思う?」
「……これが建物の外なら、なんかおかしいよ」
本部は比較的広大な敷地を持ち市街地から気持ち程度の緑地を隔てた場所に立っている。それだけでなく防音も完璧だ。
それにアストレの私室は別棟の医療部内でもかなり奥まった場所にあり、市街地の音が聞こえるのはおかしいのだ。そして今の音は建物内の音ではなかった。
「……ボク」
見てくる、という前に耳に装着した通信機から緊急を表すアラームが鳴り始める。有事の際には各部署、各隊の専属オペレーターからではなく、総務部から直接大旅団員全員に通信があることになっている。
それがこのアラームの音だ。
「……っ」
『大旅団各員へ緊急連絡!第1番艦、市街地5番ブロックにてラークを確認!各自、対応をお願いします!続いて戦闘部防衛隊各員は至急出撃。配置についてください。攻撃隊各員は……』
矢継ぎ早に出されていく命令など頭に入ってこなかった。
この大旅団艦内にラークなど、ありえないのだ。クレアレアでできた防御壁に隙間などないのだから。
「アルマちゃん!」
今回だけは考えるよりもさきに体が動いていた。
行かなければ。
私が行って、倒さなければ。
あの幻影が、本当の事になってしまうのではないか。その恐怖がこみ上げてきていた。




