第49話 医師の心
「今は眠ってるよ」
そう彼に言うと、彼女のことは彼に任せることにし、ほど近い自室に足を向ける。
連絡を受け、とっさにバンクルに治癒術を流し込みながら走った。
ワンシップで移動している間も、彼女の情報以外は眼中になかった。
そこまで酷い状態ではない。そんなことは一目でわかる。命に別状がない事だって分かっていた。
なのに、実際にその姿を見るまでは安心できなかったのだ。
もともと自分の受け持った患者でさえ、救いたい存在であることには変わりはないが、そこまで強い感情を抱いたことはない。いや、もはやその心が麻痺していたといっていい。
救命救急医であったアストレは日々、生と死のはざまを見てきた。
時には蘇生を諦めるという非情な決断をしなければいけないときもあった。そんな時はいつも病棟の隅で泣きつかれるまで泣いては自分を責めた。周囲を困らせるほどだった。
それも年を経るごとに少なくなっていった。
死を目にするたび落ち込んでいては身が持たないことを悟ったからだ。
もちろん反省はする。けれども、最近は感情そのものを抑えてしまっていた。
周りからは穏やかになったと言われているが、きっとそれは違う。
そしてある日、結城から直接この仕事を頼まれたのだ。
彼女の簡単なプロフィールと病歴などのリストを渡され頭を下げられた。
その時点でイスクであることが分かっていたため大旅団の事については知っていた。だが、最初は断ったのだ。
自分がその人1人の命を預かる存在となる。そのことが怖かった。
しかし、考えてみれば普段も同じなのだ。
その人、たった1人専属である、ということを除けば命を預かっているのは同じ。
そして、専属であるかどうかなど関係ない。救う人はいつだってたった1人。世界のどこを探しても変わりがいない存在なのだから。
そのことに気が付き、ギリギリのところで専属医師となったのだ。
初めて会った時の彼女は怯えているような、けれどもすがるような目をしていた。
それは彼女のこれまでの経験にも関わっていると考えられる。
今の状態からは想像できないが昔は体が弱かったという。そして、彼女は数度死にかけている。
その中で医者に命を救われるという経験は、彼女の中で大きな支えとなっていた。
無論、どの医者に対してもすぐに信頼を寄せているわけではないことは明らかだ。
ここは何があったのかは分からないが、彼女は人を警戒する。最初はほとんど話してくれない。それに信頼している人とでなければ外に出るのを嫌がる。
何とか彼女の信用を得ようと頑張り、結城や凪が合格ラインとする彼女が自ら寄ってくるという地点まではなしえた。
その中で様々な話をして工夫もした。
今ではそんな頃があったのかと思える変貌ぶりだが、アレが本来の彼女の姿なのだろう。
しっかりとした芯を持っている一匹狼に見えて実は寂しがり屋で甘えん坊。まだ子供の感じが抜けない姿だ。
そんな彼女が自分の担当でよかったと思っていた。
本当に。
だからこそ無事を確認したとき思わず抱きしめてしまった。
生きていてくれてよかった、と。
まるで医師になりたての頃のような感情だったが、それも悪くない。
そんなアストレに彼女は照れたように顔を埋めて呟いたのだ。
「……ボク、まだ……生きてるんだ」
そう、独り言のように。
幸い自分で処置したのか出血は止まっており、脳や臓器にもダメージはなかった。
消毒など一連の処置を終えた彼女は何があったのか、説明する間もなく眠りに入っていた。
本当は水分をできるだけ補給してからにしてほしかったのだがそれもできなかった。
彼女も少しは医療の知識を持っていることは知っている。前に部屋にあった医学書を熱心に読む彼女にきいてみたことがあったのだ。
なぜそういう本を読むのか、と。
その時、一言だけ言ったのだ。
不安だから。
その時とはまた違う時にその理由を知った。
自分が患者の立場である時、次に何をされるのか、今どのような状態であるのかが分からないと怖いから。そう言っていた。死にそうなのか、まだ大丈夫なのか。
そんなこともあり、確信はあるのだ。
だからこそ今回もかなりの量が流れたであろう血液を補うために、補液を用意した。
彼女の場合約500mlで血液量の約15%になる。それだけの出血でも怖いものは怖い。どれくらい出血したかは分からずとも、念には念を入れたほうがいいだろう。それに体重の増減から見てもそれくらいは出血している。クロークに染みていた量を見ても妥当だろう。
パックを彼女にも見せたのだから分かってはいたのだろうが、それを説明する前に眠ってしまったのだから仕方がない。無理やり叩き起こすわけにもいかない。
その後、例のガライアでの事故の時のようにアラキアに連絡をとって来てもらった。
無論、これも来てほしいではなく状況を説明しただけなのだが、彼は上官の承諾をとってかけつけてくれた。彼のことだからアルマが何か重要な情報を持つ可能性があるとかとうまく言ってきたのだろう。
どこか抜けているようで抜けていなく、且つ予想や作り話を本当の事のように話す。
前に一度、彼のその妙に自信ありげな予想にひっかかりかけた。予測だと言われなかったら本当のことだと信じてしまっただろう。
そうして来た彼に彼女のことをまかせ、ようやく自室に戻って報告書の作成に取り掛かかり始めた。
事がコトなだけにかなり時間がかかりそうだった。
……計算されちゃうとアルマの体重分かっちゃうんだよなぁ




